好きなおでんの具材ドラフト会議しましょう

お世話になっています。

本日のY新聞社会面に、群馬県で、教室内で態度の悪かった小学校二年生の男子生徒に、教師が注意。男子生徒の足元にあったバケツの水がこぼれて教師の足にかかった。教師はバケツの水を男児にかけた。学校側は教師に注意、教師は家庭と本人に謝罪したうえで「男児と信頼関係があったので遊び感覚だった」とコメントした…

 という記事がありました。掃除の時間中だったらしいのですが、これって悪いのは八割が子供、ではないでしょうか?別に教師を養護するのではありません。体罰ととった親が新聞社にたれこんだのでしょうが、この手の学校告発もののたれこみに新聞が過剰に反応しすぎだと思うのです。みなさんいかがですか?

また、推測ですが、バケツの水がこぼれたのは実は男児がわざとけったのではないか、と思うのです。学校はこういうことが発覚すると、「とにかくバケツの水をかけた教師のほうがやりすぎ」という意識ばかりが強くてこどものやったことを過少に言う傾向があると思うからです。教師のコメントもわざとらしい。なぜどの程度態度が悪かったのかをきちんと説明しないのでしょう?注意の延長で水をかけたのだから、遊びだから子供も笑って流すと考えた、なんてありえないでしょう。

 長くなってしまいました。昨今の家庭教育事情にとてもいらだちを覚えているので書きました。私の考え、偏っているでしょうか?

A 回答 (6件)

家で取っている地方紙には載っていなかったので、Y新聞のHPを見たら、なるほどトップページに出ていました。

(ちなみにA新聞、M新聞のHPでは見つけられませんでした)

>この手の学校告発もののたれこみに新聞が過剰に反応しすぎだと思うのです。
少なくとも全国版の社会面で、他の刑事事件に並べて掲載されることには強い違和感を覚えます。

>また、推測ですが、バケツの水がこぼれたのは実は男児がわざとけったのではないか、と思うのです。
何とも言えませんが、「男児が机を前後に揺らしながら移動させるのを見て胸ぐらをつかみ」「男児の足がバケツに当たり、こぼれた水が自分にかかったことから水をかけた」と書かれていますが、どの程度揺らしていたのか、胸ぐらをつかむという表現が適切なのか、足がバケツに当たったのかそれとも蹴ったのかは現場に居合わせた者でないと分かりませんね。でも新聞記事は被害者に有利な表現になりがちなことは確かです。

「水をかけられたからかけ返す」というのは確かに大人気ないことです。教師の「児童と信頼関係が出来ていて、遊び感覚で水をかけた」という言い分は首をかしげる面もあります。水をかけられた親の立場からしたら学校に文句を言いたくもなるでしょう。しかし、たぶん次の日にこの教師が児童に「昨日は先生もやりすぎた。だけどお前も良くないことをしたのだから注意しろよ」と言えば解決した問題のような気がします。

それよりもこの児童が先生がなぜ怒ったかということについて考えず、教師(大人)は自分達子どもに手を上げてはいけないものだ、ということだけを覚えてしまったら、そちらの方がこの児童(あるいはこの学校の全児童)の将来を考えると心配です。

私も決して体罰を容認するわけではありませんが、その体罰を行った教師への社会的な制裁があまりにも大きすぎ、教師の子どもに対する萎縮、子どもの教師(大人)に対する増長につながりはしないかと危惧します。その結果は子どもが大人になった時に自ずと明らかになるのでしょうけど。(あるいはもう既に出てきているのかも知れません)
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この回答へのお礼

>児童に「昨日は先生もやりすぎた。だけどお前も良くないことをしたのだから注意しろよ」と言えば解決した問題

本当にそのとおりだと思います。精神的に成熟していないと、自分のやったことを(いいことも悪いことも)省みることができませんよね。しかられたあとのフォローは、自分の過去を思い出してみても、相手が親であれ教師であれ、子供にとってはとても安心できるものだったと記憶してます。そして、これは大人の側から胸襟を開いてやってやらなければできません。
教師をなめてかかる校内の雰囲気はたぶんすでに蔓延しているのではないでしょうか。ご指摘のように、「何をしても怒られない」というふうに…

お礼日時:2003/08/01 10:12

こうゆう報道によって本物の体罰がなくなるのなら、良いことだと思います。

でも、本当に良い結果をもたらすのか、かえって悪い結果になるのかは分からないですよね。事件の真相は当事者にしか分からないですから。
 私も小学校3年の頃、掃除をサボって廊下で走り回って遊んでいたのを担任に見つかって注意を受けました。その時、クラスのいじめられっ子一人に教室の掃除を全部押し付けて遊んでいたのを先生が知ってとても怒り、グループのリーダーだった私の頬を軽く叩きました。その担任は皆にキモイ・臭いと嫌われていたし、叱られた場所が廊下だったので友達も他のクラスの子も沢山見ていたので顔から火が出るくらい恥ずかしかったです。私の好きな男の子も見ている前だったので、生まれて初めて味わう屈辱でした。頭にきたので母親に「先生に怒られて強くビンタされて口の中から血が出た」とちょっと大げさに言ってしまいました。共働きの母は普段家に居ないので、仮病つかったりケガをしたと言って親の関心をひきたかったという理由もありました。母親が想像してた以上に驚いて、学校に怒鳴り込みに行ってしまいちょっとしたワルふざけがとんでもない騒動を引き起こしてしまいました。今は反省してます。
 という苦い思い出があるので、あまり過剰な報道を見るとホントかぁ?と思っちゃいます。教師を弁護してるわけじゃないですが。本物の暴力教師も存在するのですから。
 とは言え、うちの学校の先生は全然恐くなかったです。生徒になめられてました。ちょっと頭こづいたり、廊下に立たせただけで生徒に体罰だと親にチクられるので、かなりビビってたし生徒の顔色ばかり見てご機嫌取りしてました。
 本当の体罰はなくなって欲しいですね。でも先生が見てみぬフリをして、子供がどんどん付け上がっていくのもちょっと恐いです。

この回答への補足

この場をかりて、回答くださったみなさんに厚くお礼もうしあげます。とても参考になりました。

補足日時:2003/08/01 10:17
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この回答へのお礼

本当の暴力教師は確かにいる、というのは真実ですよね。
ただ、ご指摘のように、今回のことがあのように大きく新聞にでた。おそらく、保護者かその周辺の人間が新聞社にたれこんだのだろうと思われますが、すでに謝罪もすんでいる件をあのように扱うことは非常に疑問でした。もし保護者本人だったら、と考えると、その感覚に不快を覚えます。

お礼日時:2003/08/01 10:16

>偏っているでしょうか?


子供に反感を持つ方も5割程度いらっしゃるのではないかと思います。しかし、水をかける行為自体は直情的な性質をもっています。水をかけられた子供は将来、子供に対して直情的な行動を取ってしまうのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

>水をかけられた子供は将来、子供に対して直情的な行動を取ってしまうのではないでしょうか?
それは十分ありえますね。二年生では恐怖体験として残ることも考えられますね。…一方で、この子供が自分のした悪ふざけ(とりあえずそう解釈するとして)を、水をかけられた後どう思っているかを知りたい気がします。深刻にならない程度のことだったのかもしれませんが。

お礼日時:2003/08/01 10:07

新聞掲載によって少しは体罰をする教師が減るでしょうね。


体罰は今でもあります。新聞に載らないものの数はけっこう多いと思います。体罰があっても隠そうとする学校が多いですし、教師も感情的になって手を出す人がある程度います。そういう人たちをけん制できますね。
いくら態度が悪いといっても2年生ですし、机を揺らしながら運んでいただけですね。その子の胸ぐらをつかむとは、この教師感情的になっていますね。
また、バケツの水は雑巾を洗って汚い水だったはずですが、それを頭からかけることは、「遊び感覚」とは言えないですね。
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この回答へのお礼

確かに、「二年生」「授業でなく掃除の時間だった」「あえてきたない水をかけた」。かなりかっとなった教師側の様子が分かります。子供の態度に対しては以前から蓄積されたものがあったかもしれませんけど。
こうして一般的に「体罰」ととられる行為をあえてとるならば、教師はきちんと申し開きができるべきだと思います。(開き直るのでなくて)

お礼日時:2003/08/01 10:02

「やられた事をやり返す」、信頼関係があろが、大人のやることではありません。



これは、規模こそ違うが、某国の報復戦争とやってる事は同じです。

子供になぜいけないのか、本来なら言葉で教えるべきです。
また日本的な風習として、言い訳は見苦しい、男らしくないなどの見解もあります。
だから、弁明はさほど表に出ない傾向です。
「遊び感覚だった」というコメントも、まったくその時は考えてない、
結果がどうなるか、見当がつかない思慮のなさの現われだと思います。
本当に、無意識に周りに感情に流されたのでしょう。

ですから、教師側が悪いように書かれるのはしかたのないことですが、
我々読者が、この教師もまた、この様な教育を受けてない、現代教育システムの被害者なのだと、
我々が、またこの新聞から読み取らねばならないのです。
与えられた情報を一方からではなく、多角面から検討し理解することが、必要な時代になっていると思います。

私が小学生だった頃(15年ほど前)は、殴られる程度の教育的指導(当時はこう言っていた)は、
日常風景だった気がします。
別に今でも、体罰を受けたなどとは思ってません。
痛みを知ってるからこそ、痛みがわかるわけですから。
ですが、私は、体罰容認ではありませんし、体罰禁止でもありません。
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この回答へのお礼

>痛みを知ってるからこそ、痛みがわかるわけですから

本来なら痛みを伴うことで、言葉できかない子供が「これはしてはいけなかったのだ」と悟ることが教育的指導なり体罰なりの目的だったのだと思います。もちろん、ご指摘のように「自分はこういう行為は子供にはするまい」という反面教師にもなりますよね。多分それは体罰を与えた教師側が、子供の心情(「なぐらなくても分かるのに」)をはかりそこねた時で、この子供がやり返したり恨みを抱いたりしないまでも、その経験自体が暗い思い出となっていつまでも残りますね。体罰禁止でも容認でもない、分かります。ほんとうは体罰などないにこしたことはないですよね。

お礼日時:2003/08/01 09:58

バケツの水をかけることは体罰です。


相手の児童が何をしようが、児童との間に信頼関係
があろうが、親が容認しようがとにかくどんな場面
でも体罰は禁止されています。

そのため体罰ととられるような行為を軽率にも
行った教師はやっぱり悪い。
児童がどの程度態度が悪かったのかはまったく
関係ありません。どんなに態度が悪くても体罰と
いう方法を用いてはいけないのです。
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この回答へのお礼

>どんなに態度が悪くても体罰と
いう方法を用いてはいけないのです

断定的ですね。この教師の場合はやりすぎ、の感がありますが、言葉でいって分からない、というケースは存在すると思いますが。

お礼日時:2003/08/01 09:46

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