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ペットの死とはどういう価値だと思いますか?

曖昧な質問ですみません。
愛犬、小鳥、小動物、熱帯魚、祭りの金魚や緑亀。
それらが死んでもケロッとしている人と
それらが死ぬと何年も何年も覚えており、
思い出すと感情が揺さぶられる人。

色々な人が居るものですが、
人間は何故多くの者が一度はペットを飼ってみようとし、
何故その一部の者は、
その死を延々と引きずるのだと思われますか?

曖昧な質問なので曖昧な回答でも、
簡単なor詳しい回答でも何でも構いません。
お考えを教えて頂けますと幸いです。

A 回答 (6件)

命あるものは自然から離れることが出来ません。


身近にあることが精神の安定を齎します。
植物を置くことも動物と暮らすことも
人間の根本的な欲求としては同じなのかもしれません。

喪失感というのは、愛着のある対象を失うことです。
失恋、離婚、死別、紛失、ペットの死など
大切な人やモノを喪うことで味わうのですが
その感情は千差万別です。

例えば近所にAさんとBさんがいました。
Aさんは会えば必ず優しい声をかけてくれる人ですが
Bさんはこちらから挨拶しても無視する人です。
ある日AさんとBさんが事故で亡くなって
貴方はショックを受けます。
二人とも気の毒だ可哀相だと思われることでしょう。
しかし時間の経過とともに思い出すのはどちらだと思いますか?
当然Aさんですよね。
これはAさんという人物に思い入れがあるからです。

つまり同じようにペットを飼育していても
家族一員として暮らす人、ただ庭に置いて番犬にしておくだけの人
面倒をまったくみない人、一日中傍らにいて介護や看護している人
その関わり方によって喪失感がまったく違うものになってきます。

上記しましたように喪った直後の衝撃は
多少の違いはあっても誰もが心は動きます。
ネットなどで誤解があるのはこの時点で
『ペットロス』だと言ってしまうことです。
本当のペットロスは喪失感=愛着なので
数ヶ月や数年続いたとしても不思議ではありません。
言い換えるとどれほど大切にしていたかの証明でもあります。

ペットロスは深い愛情の裏返しなので
忘れようとするよりも胸を張って誇らしく受け入れると
感情の処理がスムーズにいき回復へと向かえます。

無理に哀しみを押し込めると長引かせる結果になる場合もあります。
ただ・・残念ながら「たかがペットの死」という人間に囲まれていると
哀しみを表に出せなくなりますから 
それもまた長引く要因になるでしょう。
こうして多くの場合、ペットの死という哀しみに加え
周囲の無理解という二重の哀しみを抱える人も少なくないと思います。
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この回答へのお礼

詳しく客観的評価のご回答、ありがとうございます。

>本当のペットロスは喪失感=愛着なので
>数ヶ月や数年続いたとしても不思議ではありません。
>言い換えるとどれほど大切にしていたかの証明でもあります。
これなのでしょうね。
私も過去に飼っていて殺してしまったペットに
今でも後悔が有ります。

>残念ながら「たかがペットの死」という人間に囲まれていると

>ペットの死という哀しみに加え周囲の無理解という二重の哀しみを
なる程ですね。
私が人にペットを失った苦しみの話などをされる傾向が
少し多いのは、無理解に苦しんで
理解してくれそうだと判断された結果なのでしょう。


>ペットロスは深い愛情の裏返しなので
>忘れようとするよりも胸を張って誇らしく受け入れると
>感情の処理がスムーズにいき回復へと向かえます。
人間としての生き方そのものが
プラスへ動けるかマイナスに縛られるかを大きく変えるのでしょうね。

深いご回答、ありがとうございます。
とても参考になりました。感謝。

お礼日時:2010/09/19 05:45

何故って…



ペットを愛玩用以外で飼う人いるのかな

愛情を注いでいれば、死んだときに悲しく思うのはあたりまえ

一方、人の死さえ引きずらない人がいるんだから、ペットの死を引きずらない人がいるのも当然
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この回答へのお礼

そうですね。その裏に潜む差が何なのか気になってしまったのです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/25 15:22

価値観は人によって違うので、一概にどうだとは言えません。



我家では事情があり金魚か熱帯魚程度しか飼育が出来ませんが、過去に
自分の不都合や原因不明により何匹の金魚が死んだか分かりません。
確かに死んだ時には落ち込みますが、落ち込んでいては先に進めないと
考え、この失敗を残された金魚や新たに購入する金魚に生かすようにし
ています。ペットショップでは単に購入するだけでなく、知識の豊富な
店員さんにアドバイスを頂くために、雑談程度に会話をするようにして
います。死んで行った金魚達も、そのような考えで飼育を続ければ喜ん
でくれると思っています。金魚達の死を忘れてはいませんが、出来るだ
け思い出さないようにしています。

過去に別サイトで金魚が死んだ時にはどうするかで、何人の方ともめた
事があります。僕は水に生きる物は水がある所に葬って遣る方が良いと
言いましたが、ある人は土に埋めて遣るのが筋だと言いサイト上で喧嘩
になりました。今も葬り方は変わっていません。
それさえ違うのですから、価値観は人によって違うのは当然ではありま
せんかね。僕はこのように考えているんだと言う事を、多少でも理解し
て貰えたら嬉しいです。
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この回答へのお礼

お強いですね・・。
私も魚は川や海へ還してあげるのが良いように思います。
これも人間のエゴなのかもしれませんけれども。

お返事遅れましたが、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/25 15:20

  こんばんわ!


 我が家で犬を飼うようになって半世紀ほど経ちます。
 父母のペットで有りました。
 私にとっては、番犬としての使役犬であり、猫はネズミ取りの道具くらいに考えていました。
  しかし、父が逝ったあと、母のために長男が貰ってきた犬「ぽち」はなにか違いました。
 母の相手ということであったが、予想以上に大きくなってしまったため、散歩は専ら私がさせました。私の言うことはほとんど聞かないのでいつも綱引きですが、母の「待て」「よし」「お座り」だけは本当によく聞き分けていました。
  ある日、血を吐いたのですが、事情で翌週の土曜日に獣医に診せようと延ばした4日後の朝、逝ってしまいました。毛並みもよく、私には理由が分かりませんでした。妻と長男と大きな紙袋に入れて埋葬しようとすると母も見たくないと言っていたが、おそるおそる側に来ていました。なぜか涙が後から後から出ました。
  後日、母の友人に問われて事情を話すと死因を教えてくれました。私の落ち度と解ると、父の死以上に迫る物が有りました。
 今でも、半年以上経ったのに小屋の前を通ると飛び出してくるような気がします。
 誰もいない時は闇のなかの小屋に向かって「ぽち」と呼んでしまいます。
家禽や小鳥、豚・馬・牛・犬・猫・兔や鼠と数十羽数十頭、数百匹の昆虫や魚類を飼いましたが、いつも冷めた目で見ていました。
 しかし、「ぽち」の死後は何も飼わない増やさないし、最後のメダカも減っています。
 
 散歩は綱引きでしたが、畑や山に連れて行き長いひもで立木に繋いで作業していると、時々作業の手元を覗きに来ました。しばらく手を休めて覗かせるとに納得したようにまたお気にいりの場所にどっかり横になって私の作業を見守っていました。この程度の接触ですが、実の兄弟姉妹より親しく、実の子や妻より「愛おしく」なっていたことに気がつきました。
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この回答へのお礼

お返事遅くなりました。ご回答ありがとうございます。

>誰もいない時は闇のなかの小屋に向かって「ぽち」と呼んでしまいます。
とても気持ちが解る気がします。

でも他の動物達とは違って、特別になっていたのですね。
参考になりました。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/25 15:18

 君と時間を共有できることの充足感は何処から来るのだろう。


「時間よとまれ!」。と胸の中で叫んでた。
だが、まてよ。こんな幸せはそう長いはずはない。
神が居るとしたら幸せは公平に分配するはずだから。
予感はほどなく訪れた。それでも医師の予想より長く生きてくれた。
君は姿は見えないけれど、きっとそばに居るんだよね。
一生君のことは忘れないし、散歩道もつまずかないようにしとくね。ずっとだよ。
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この回答へのお礼

死の受け入れ方は人それぞれ・・ですね。
きっと、見えなくても傍に居てくれるでしょう。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/19 05:48

生き物を飼うと言う事は、


その命を預かる事だと思います。

預かった命は一日でも長くあってほしいものですし、
本来幸せに生きるはずだったのが、
自分の所で飼われたせいで、

不幸な事にならないようにと、
沢山の愛情を注いできました。

そうなってきますと、
やはり家族同然になってきますので、
亡くなった時のショックは大きかったです私の場合…

子供の頃から現在に至まで、
色んな死に立ち合ってきましたけれど、
今でもあぁしてやればよかった…
こうしてやればよかった…と
悔やむ事はありますね~
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この回答へのお礼

私も色々と今でも悔やみますね・・。
人間基準に過ぎませんが、恋愛や空間の自由を奪う事に抵抗を覚え、
ペットを愛する人の気持ちも理解しますが
自分が飼う事は正しいとはとても思えなくなりましたね。

それでもやはり飼いたいという気持ちが消えない面もある。
自分の中の矛盾が気になり質問に至りましたが・・。

愛情を注いでこられたのであれば、
最初だけ可愛がって放置する者のペットより
とても幸せだったでしょう。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/19 05:54

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