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自立神経の一部が失調する、自立神経の一部が自立神経失調症になる、自立神経の一部が狂う、といったような症状はありえるでしょうか
またそれはどのようなことで起こりえるでしょうか

A 回答 (3件)

例えば寝ていて起きるとめまいがするとか。



立ちくらみとかもそう。


起きると心臓は頭にまで届くように血液を押し出すのですが、弱っていると十分な血液を押し出さないので、あまたが心臓より上にきたとき、頭に血液がいかないので、くらっときちゃうわけです。

あとはストレスで筋肉が緊張していると、自律神経を圧迫するので、交感神経と副交感神経がうまく働かず、心臓がドキドキしたり、呼吸が苦しくなったり、耳鳴りがしたり、まあ いろいろ起こるわけです。
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この回答へのお礼

日常的、日常的なことに近い状況でもおこりうるのですね。
でも程度は弱いもの。その症状が酷くなれば意識不明、気絶、といったことになるのでしょうね。

お礼日時:2010/10/17 18:38

人間の脳には機能が二つ在ります。

顕在意識は自我意識の事です。自我意識には体や、呼吸や自律神経を治すほどの力は持たせられていません。自我意識は、物事を論理的に計算して、割り切ってゆく機能を持っています。

一人の人間の脳には、自我意識には判り難くなっていますが、もう一つ意識が在ります。その意識は「無意識の自分を働かせています。そうして自分自身の命そのものも働かせています。」心臓の早さも呼吸数も、ホルモン等もその場その場の環境に応じて調節しています。

自我意識が体を心配した場合、自律神経は狂うかも知れません、何故ならば、自我意識には自律神経を調節する機能はないからです。逆に意識した時間だけ自律神経は狂う可能性を秘めているからです。

人間の体も心も、自我意識が働かせていると云う勘違いをしているかもしれませんが、体も心も「自我意識」が忘れている時に一番良い状態になっています。

心を病むと云う状態とは、自我意識が絶えず「心の調子を気にしている時の事」です。自分の心の在り様さえ思う暇が無い時(我を忘れている時)には心は疲れません。

体にしても同じ事が言えます。誰もいない野原などで歩く場合等では、「自我意識は」歩くことさえ忘れて歩いています。つまり歩く事に「意識や意思の力は入っていません」意識は景色や、小鳥達のさえずりを堪能しています。

体は「無意識状態」となって、勝手に歩いています。その逆に大勢の人の前などでは、「意識」が出て恥をかかないようにとか、失敗したら如何しようなどとなって、歩くことさえ自由にならない時があります。

二つの歩くことの違いは、自我意識が作為を持って行動しようとするか?或いは何も思わないで、行動出来ているのかと云うほどの違いです。

自我意識が出て、自我意識が体を使おうとした場合には、上がったり、緊張してしまって、手や足が自由にならない(震えたり)という事になります。

人間が自由に行動できる時とは、自我意識が引っ込んでいて、もう一つの意識に任せた時の事です。

眠る事を考えてみると、眠る前に自我意識は無くなっています。体も心もすっかり無意識の自分に任せきっています。そうして無意識の自分が心地良い眠りに入っています。そうして、心地良い朝の目覚めがもたらせられます。

眠れない場合を書いてみます。なかなか自我意識は眠れないと意識しています。そうして自我意識は眠る事を試みています。自我意識の計らいや、意思の力で眠る事を試みています。ですが眠れません。自我意識は単独では眠れないように出来ているからです。

自分の心が、自分の自由にならないと思い意識した場合に「心を病む」と言います。湧き上がる感情や気分を自我意識の意思の力で自由にしたいと思う時から、心は不自由になります。

その訳は、人間の心にたいする無知からきています。人間の心も体も、意識と無意識(潜在意識)が共に力をあわせて、正常な生活が営まれているからです。もっとっはっきり言うならば、人間の体も心も、意識と「無意識」が交替制となって、正常な毎日が成り立っています。

自我意識のみで心を制御しようとする事を「心を病む」と言います。

自我意識のみで行動とそれに伴う心理状態を制御しようとする事を「神経症」と言います。

自我意識のみで、体の機能を維持もしくは改善しようとする場合「自律神経失調症」と言います。

それらの原因は、生きてゆく事に対する不安が一番かと思います。もっと言うならば人生に対する不安という事になります。

不安に対する対処の仕方を今は、余り教えてくれるところがなくなったと云う時代背景があります。昔はその役割を宗教が一手に引き受けていたからです。昔は精神科医も、心療内科も無かった時代の事です。

今の時代は、宗教家の元には行かないで、もっぱら精神科医や心療内科のところが繁盛しています。今の時代は洋の東西を問わずに「宗教離れ」が進んでいるように見えます。

人間の心や体を、統率の取れた全体として捉えた場合、自我意識の機能だけでは完全では在りません。自我意識の計らいや、作為を持たない状態、つまり東洋の知恵である「無為自然」或いは「禅」等を学ぶ中に、無病息災と云う事を学ぶ事が出来ます。

自我意識単独の生き方には無理があります。優勝が掛かった一打を打つような時、つまりプレッシャー掛かった時を乗り越える時、自我意識が出ないようにする、我を忘れた時に出る「自分自身の働き」に任せる事を学ぶと良いと思います。
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この回答へのお礼

通常の意識状態ではなく無意識の働きが大事である、ということは理解しました。
心理学的な回答でしたが、自立神経が狂う際に重要となるのは交感神経と副交感神経の働きと捉えています。
そこに無意識は関係があるのでしょうが……狂った自立神経を無意識だけでどうにか出来るとは到底思えません。
無意識を主軸としたロジックではロジックとしては少し弱い気がします。
何にせよ、そういう考えもあるということは頭に留めておきます。ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/17 19:14

自律神経失調症は、様々な症状が出るらしいですが、ぶっちゃけ原因が分からない不調の際に医師が苦し紛れにつける病名だとうわさで聞いた事があります。



あくまでもうわさですよ。

参考にしてください。
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この回答へのお礼

少し調べてみましたが、そのようなことは他でも言われているようですね。
ありがとうございます。参考にします。

お礼日時:2010/10/17 18:40

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