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永遠は存在するのでしょうか?
ふと、永遠はあるのだろうかと疑問を持ちました。
・人間は勿論、永遠じゃないですよね。100年後には皆死んでしまいます。
・地球も永遠じゃない。いつかは跡形もなく無くなるかもしれない。
・人間の考え出した(発見した)数式や思想はどうだろうか。でも人間がいなくなれば使われること
が無くなる。これも永遠じゃない。しかし人間がいなくても、思想はまだしも数式などはあるようなもの
ではないか?でも人間が見つけない(認識できない)と、やはり無いようなものではないか。(なんか永遠じゃなくて存在のような話になっていますが、ご容赦ください)
でも一方ではこういう永遠はあるのでは?と思いました。
・「私は今22歳だ。もう21歳に戻ることは永遠に出来ない」
確かに、これは永遠です。でも上で挙げた永遠とは違う気がします。私が疑問に思っている
永遠は「ずっと続くもの」と考えていますが、22歳の例の永遠は「過ぎ去ったことに対するもので
それがもう未来には来ないもの」だと思います。
と、いうわけで私が出した結論は「未来永劫ずっと続くものは存在しない。永遠は無い」ということです。
しかし、少ない脳みそで考えたのでまだ疑問が残ります。
永遠は存在しますか?あるのなら何か例を挙げて頂けれると嬉しいです。
言葉足らずな面もあると思いますが、よろしくお願いします。
No.24
- 回答日時:
#24からの続き
>シュレーディンガー本人は世の中が決定論的に記述できると信じていた人ではないでしょう?
シュレーディンガーはランダウの言う第一級の物理学者の一人だ。そう言う連中がどんなもんかを示してくれる意味で、米虫さんの質問は的を射ている。彼は物理学を今での適用範囲を超えて拡張する場合、原理に拘る物理学では基本原理のもつ決定論的な側面を譲る訳には行かないとこを、ハイゼンベルグやアインシュタインのように骨の髄から理解していた。だから、シュレーディンガーはド・ブロイの古典的波動力学を量子論に拡張する帰納的な思索の中で、アインシュタインの相対論の構造に出来るだけ沿うような方法で古典力学を量子力学に昇華させたんじゃね。(これは、何もシュレーディンガー方程式が相対論的方程式だと言っているんじゃないから、誤解しないように。)だから、シュレーディンガー方程式は決定論的な微分方程式に成っているんじゃよ。やっぱ、シュレーディンガーは第一級の物理屋なんじゃよ。
ところがシュレーディンガーはそれを超えた本物の物理屋なんだね。そもそも量子力学を生み出した最も基本的な洞察は、熱力学と言う物理学者の言う所の現象論的理論(だからこれは基本原理とは考えられていない)を使ってプランクが黒体輻射の問題を論じることによって起こって来たことを彼は十分に理解していた。この熱力学ちゅうのは『エントロピー増大の法則』と言って、時間の向きの対称性を破っている法則に基づいて出来ているんじゃよ。だから、物理学の基本法則とは一見矛盾している。そして、彼は我々生命の存在の根拠がこの熱力学の正当性に基づいていることとも信じていた。だから、彼は自分の導き出したシュレーディンガー方程式と我々の生命現象の間に在る基本的な矛盾にも気が付いていたんだね。そこで、シュレーディンガーは、あの有名な『生命とは何か』を書いて、物理学者として常に決定論と闘っていたんだ。
だから、ニュートンがニュートン力学を完成した物と信じていなかったように、シュレーディンガーもシュレーディンガー方程式に基づいた決定論的な量子力学を完成した物とは信じていなかったんだね。
歴史の面白さはここにもあるね。ニュートンがニュートン力学を未完と考えていたのに、それを勉強した後から来た連中がニュートン力学を金科玉条の完成品として捉えたのと同じように、シュレーディンガーがシュレーディンガー方程式を未完と考えていたのに、それを勉強した後から来た連中が、シュレーディンガー方程式を金科玉条の完成品として捉えようとしている。やはり、歴史は繰り返されるんかね。
量子力学は、それまでの単純な論理学の結論とは反対に、「局在「と言う概念と「非局在」と言う概念が両立し得ること明らかにしたが、現在の物理屋の中でもプリゴジンに代表されるある連中は一生懸命(一所懸命)になって、決定論と非決定論とが両立することを示そうとしているんじゃよ。決定論に基づいた物理学の目を見張る成功例は誰も否定出来ん。一方、我々生命が熱力学と言う本質的に非決定論的な原理に基づいて存在できていることも誰も否定出来ん。だから、一方が正しく他方が間違っているちゅうもんじゃない。決定論と非決定論を両立させるのは、ラクダが針の穴を通るより狭き門なんだね。「永遠」と「変化」は両立出来るのかちっても言いかもしれん。
物理学と生物学の間に存在する決定論と非決定論の葛藤は以下の2冊の名著に解説してあるから、米虫でえくさんも暇があったら読んでみると良いよ。
ジャック・モノー著『偶然と必然』 渡辺 格, 村上 光彦 (翻訳) 、みすず書房
I. プリゴジン, I. スタンジェール (著),『混沌からの秩序』伏見 康治, 伏見 譲, 松枝 秀明 (翻訳)、みすず書房
No.23
- 回答日時:
質問者さんの質問を出汁に、規約違反ぎりぎりで#22の米虫木造さんに反応します。
人間は規則を破るときにだけ物を考えるちゅうから、規則違反は哲学の華じゃもんね。>ただ、Cyototu先生のおはなしは、質問者さんの質問にアドレスした回答ではないのじゃないかと、、、。
あたしゃあたしの先生に惚れちゃったんだが、その先生の奥義の一つに、質問した人の表現の中に何か本質的な言葉が出て来た場合、その質問の趣旨に関係なく勝手にその本質に付いて語り出すんだね。そんな時には、質問者さんの意を超えた何かを教わっちまう。あたしゃ、ここでその先生のコピペをやっているっちゅう訳だ。
>拙者の文脈でいう変化とは”微分方程式で記述可能な変化”であっても一向に構わないのじゃ。
変化にはあんたの言う意味が在るこったあ誰でも承知だ。あたしが敢えてここでその側面を却下しているのは、そんな側面を論じても、あんたもあたしも今更なにも教わらないからじゃ。要するに生産的じゃないちってるんじゃよ。「永遠」と「変化」の概念にはそれぞれ普段気が付かないもっと深遠な意味が含まれているよ、ちってるんじゃ。
>箱に入れた時点の猫がBefore, その後有限時間後に蓋をあけて観測される猫がAfterじゃな。
あんたの言うBeforeとAfterの間に途轍もない側面が隠れているんじゃよ。フォン・ノイマン神は数学者だから、観測と言う言葉を至って軽々しく使っておる。そもそも観測するには観測する道具がいる。さあ、道具だ。米虫の出番じゃな。ところがその道具は途轍もなく多くの粒子で出来ているんじゃね。粒子の数が一個や二個や百個じゃない。10の23乗個ぐらいで出来ているんじゃよ。思い切って荒っぽく言うと力学の運動方程式を解くための変数の数を、その系の自由度の数と言う。だから、観測過程を本気で物理学で論じようとする時には、それだけ巨大な自由度の数の運動方程式を解いて力学過程を論じなきゃ本当のことは解らない。ところが数学屋ときちゃあ、そんな力学過程には興味がない。それに、そんな途轍もない、従って未だに誰にも解けない方程式を解く気もさらさらない。そこで、数学屋はいきなり「観測たあ、、、」なんて言葉の遊びをやり出して、力学過程を完全に欠落させた一般的な側面を語り出す。こう言うのは物理屋ではジェネラル ナンセンスちっとるんじゃ。
ところで、物理学では、何故力学過程の中に確率的な量が入って来るかと言うことは、その自由度が巨大であるからだと言うことは共通認識として、今では誰でも認めている。認めて入るんだが、それじゃ、実際にそんな巨大な自由度を持った系の運動方程式を解いてみろと言われても、未だに誰にも解けない。だから、この問題が未だに問題になっているんだ。孰れにしても、この巨大な自由度が在るから、その系に確率過程が可能になり、従って、過去と未来の時間の対称性の破れた事象が起こり得る。即ち、あんたの言うBeforeとAfterが意味を持つようになるんじゃ。ただし、ここで言うBeforeとAfterとは時間と言う単なるパラメータの値が変化したと言うような単純な意味ではなく、確率過程の中で猫が生きていた状態から、生か死かの事象の中で例えば死という事象が選ばれた、あるいは創出されたと言う意味での新しい世界の創出と言う意味での変化だ。そして、その変化はフォン・ノイマン神の宣う瞬時に起こる非力学過程としての状態の収縮ではなく、被観測系と観測道具を一緒くたにした巨大な自由度を持った力学系の運動方程式の解の中に、被観測系と観測道具の間の相互作用を通して確率過程が出現し、それが瞬時ではなく力学過程として有限な時間の間に
起こる事象として、猫が生きているか死んでいるかが決まって来ると、多くの物理屋は考えようとしているんじゃ。
そもそも、瞬時に起こってしまったら相対性理論と矛盾してしまうんじゃから、物理学の原理が何がなんだか判らなくなっちまうんじゃ。ここでも、数学屋と物理屋の本質的な違いが露骨に出ている。数学屋は原理には興味がないんじゃよ。だから数学屋は工学屋と同じて、原理がどうのこうのと言うよりも辻褄のあった計算が出来れば満足し出来るらしい。一方物理屋は原理に拘るから、フォン・ノイマン神の御神託には組出来んでいる。もし、観測過程を力学過程として記述出来れば、またこの世界を力学系として、多元的にではなく一元的に統一して理解出来るもんね。
この続きは、この欄に収まらないから続きを書くことにする。
No.22
- 回答日時:
dissapointさんが最初に書いたのは、未来に対する永遠で、一方のは過去の対する永遠ですね。
確かに現在、世界中で考えても200歳の人はいないような・・・。目に見える物質で永遠を考えられるとすれば、自己更新できるものでしょうか。実は人間の体はそれができて永遠に生きる可能性がある構造なんですね。もちろん、それなりに管理できる環境や知識、行動力がいります。永遠については聖書がそれを伝えています。
「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされたからです。」ヨハネ 3章16節
他にも
「[神]は地の基(地球のこと)をその定まった場所に置かれました。
それは定めのない時に至るまで,まさに永久によろめかされることがありません。」詩編104編5節、というのもあります。
宇宙とわたしたちの美しい惑星が創造者(神のこと)によって設計され,生み出されたのであれば,創造者にはそれらを維持する能力もあります。よろしければ、詳しくはこちらもどうぞ。
http://www.watchtower.org/j/20070215/article_03. …(創造者からの永遠の贈り物)
お礼が遅くなりすみません。
管理する環境、知識、行動力にもいつか限界がきそうですが、例えばこの先もっと医療などが進歩したら、
もっと長く生きれるかもしれません。そうなれば100は優に越せるかもしれない。そうなったら……
地球は、確かにその場から動いていないですね。ただ、「定めのない時」とはいつの時なのでしょうか。
No.21
- 回答日時:
#4,#13です。
いやー、有り難いことです。
Cyototu先生の回答を読んでいると、今まで頓着していなかったことが良く解るようになります。
近頃は巷のビジネス書などでもクオンタム・リープなどという言葉を観るし、その名を冠した会社までできていますが、このような言葉が単なるラベルとしてではなく、意味を持った言葉として理解できるようになります。
シュレーディンガーの猫を出したのは戦略的に失敗だったかも知れませんな。敵に塩を送ったか(笑)。
権威引用の術に惑わされたな。生兵法は怪我の元とは良く言ったものじゃ。
さて、Cyototu先生のお話を理解できた範囲で整理させていただくと、
1.世界が決定論で動いているなら、「変化」は無い。
2.世界が非決定論で動いているなら「変化」が有る。
3.世界がどちらで動いているか判らない、研究中。
ということになりましょう。
先生のいう「変化」は、あっしが言う変化とは別モンですね。
先生のはメタで、しかも対数グラフで二段以上のメタだから、めためた、じゃよ!
生兵法を承知でもう一度シュレーディンガーの猫を出しますがね、ここで重要なのはBefor / Afterなんです。
日本で「劇的ビフォア・アフター」とかいうテレビドラマが放映されているのをご存じかどうか分かりませんが、これは大工の土俵ですよ。
箱に入れた時点の猫がBefore, その後有限時間後に蓋をあけて観測される猫がAfterじゃな。Beforeの猫に対して、Afterの猫は密閉時間分だけ年老いた猫かまたは死んだ猫だ。物理学者は密閉時間中に箱の中で何が起きているのかを前もって記述可能か否かに興味があるようじゃが、一般世界ではどうでもよいことなんじゃ。だからブラックボックスと呼んじゃう。
この質疑応答で重要なのは、Beforeの猫とAfterの猫は同一ではない。すなわち「変化している」という事実じゃ。まあ、この事を説明するにシュレージンガーの猫を出す必要は必ずしもなくて、拙者の目的から考えればクロネコヤマトの段ボール箱でシナリヲを説明しても良かったがな。ブラックボックスの中で起きていることが決定論であれ非決定論であれ「変化は起きた」と考える。
質問者さんが出した結論は「未来永劫ずっと続くものは存在しない。永遠は無い」という事でしたので、それに対する反例として、「未来永劫変化は続くぞ!」と言ったわけだから、拙者の文脈でいう変化とは”微分方程式で記述可能な変化”であっても一向に構わないのじゃ。むしろ変化という言葉の一般解釈は微分方程式で記述可能な変化じゃろが。それに対してCyototu先生が我田引水の術で話を難しくなさった。
不平不満を言ってるんじゃあありませんよ。逆に拙者はいつも同様先生の解説を楽しみながら読ませていただいています。ただ、Cyototu先生のおはなしは、質問者さんの質問にアドレスした回答ではないのじゃないかと、、、。
最後にCyototu先生ご専門の分野で確認しておきたいことがあるのですがね。
シュレーディンガー本人は世の中が決定論的に記述できると信じていた人ではないでしょう?
先生のお話の、
>シュレーディンガー方程式も(中略)皆所謂決定論的な微分方程式ちゅうやつで書かれている。
という行(くだり)を読むと、素人は「彼は世の中を決定論的に記述しようとした」という解釈(誤解?)になってしまうような気がして、、、。
No.20
- 回答日時:
dissapointさん、永遠はエンドレスや取り留めない繰り返しのことではないでしょうね?
ではそうでない永遠ってどういうものなのでしょうね?観念内容としてのみのものでしょうかね?
そういうお話はちょいと措いて、勝手に自分で考えられる永遠ということでは、私は次のようなことを考えます。
経験世界のものは全て永遠ではないので、永遠は経験世界には存在しない。
経験世界と経験者、経験そのもを現出している存在や次元があるか?
それを経験世界の人間がどう対象にできるか?はっきり言えば対象にできないし、なりえない。
だから永遠の有無を経験世界に限定した話では無意味となる。
その次元、存在域を超越した、経験世界と経験者、経験そのもを現出している存在や次元の想定も、思弁や演繹の方程式では無意味の世界であると存じます。
無論だからといって、私達が経験世界と経験者、経験そのもを現出している存在や次元(例えば創造神とか意識とか)を思うことが無意味だとはならないと思います。
そこにおける永遠を思弁や演繹の方程式で考える事は意味がないと存じます。
目が見えない。これは目を目が見えないことでしょうか?
意識が意識を意識できない。
そこらへんで、意識の性格の問題に属することではないでしょうか?
回答、ありがとうございます。
さて、中々難しいですね。
意識の性格……例えば嫌なことが続くのをさも永遠のように感じてしまうこと
とかでしょうか。
No.19
- 回答日時:
ご自分でお気付きのことそのまんまですが、
ユートピア (ウ=トポス >grec, 無い場所) は永遠だと思います。
未来の道があるとしたら、
その道でないほうの道が、永遠ということになります。
存在していないことが永遠の存在だなんて、ずるいっ
かもしれませんが、
いやいや、世界はたぶん、すごく、この存在に振り回されるんじゃないかなあ。
理論物理なんか困っているかもしれない。
ある存在について予測したとたんに、その存在は永遠でなくなるのです。
予測したと同時に予測していないことの中へ、その存在は引っ込んで永遠になるのです。
なんてことになりそうではないですか。
ホーキング博士、どうする。
No.18
- 回答日時:
宇宙 宇宙の物質 その他のエネルギー全て変化していきます
それでも時間は永遠に続くのかもしれません。
私は時間とはエネルギーの変化のこと と考えています
エネルギーが変化しなければ時間は進まないでしょう。
従って永遠に変化し続ける とも言えます。
しかし実は人間の言う永遠というものは そういう永遠ではないと思います。
一生懸命 死なないように生きています。70年、80年と生きるのです。
それに人間発生から300万年?生命発生から38億年?延々と綿々と命を繋いできたのです。
子が親になり またその子が親になり・・・そういう時に永遠を感じたりします。
私の持論を言うと 人間こそが永遠に続くシステムを目指す能力を有します。
エネルギーをコントロールして永遠を目指すのです。
人間は存在・存続を目指すから今この様に存在し発展しているのです。
その方向の先には永遠が見えます。
しかし人間が永遠に到る事は おそらく出来ないでしょう。
人間以上のものが出て来ると思います。(PCなども一面人間以上です)
人間に出来る事は「永遠への存在」を実現する事です。
そして実はこれが人間共通の目的なのです。これを知る事によって人間は手を結べます。
同じ目的に向かって互いに合意し 未来を開いていく そんな永遠への旅であってほしいものです。
回答、ありがとうございます。
人間が永遠に続くシステムを有している……痺れますね!永遠かのような永遠ですね。
非常に興味深かったです。
No.17
- 回答日時:
こんにちは。
永遠って 遠いという空間の概念をつかって表わしているのですか。無限という意味はあまりないようです。劫という言い方をインド人はひとつに持ったようです。
▲(ヰキぺ:劫 kalpa ) ~~~~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%AB
大乗仏教の論書である『大智度論』には
「1辺40里(現代中国の換算比で20km。漢訳時も大きくは違わない)
の岩を3年に1度(100年に1度という説もある)、天女が舞い降りて
羽衣でなで、岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間を指す」
というたとえ話が載っているが、これはあくまで比喩であって定義ではない(他にも芥子粒のたとえなどがある)。なお、このたとえは落語『寿限無』にも「五劫のすり切れ」として登場する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ などと表現する場合もあるようです。
あるいはまた現代の人間にとっては 二百歳でも もうすでに永遠であるように思われるのではないでしょうか。
さて時間と空間には物指しがあります。物指しがあり当てはめることが出来るということは その物事に限りがあるという意味です。天女が舞い降りるにしても その次に舞い降りるというときがあります。五劫のすりきれにしても さらにその上があります。つまり 物指しを当てることが出来ます。
すなわち 同じ物指しで測るというかたちを超えることは出来ないという《限り》があります。
そういう永遠――日本人も 床(=常)のような頑丈な石(いは)で とこいは=ときは=とは と言ったようですが――という概念もあるのでしょうね。可能無限。
でしたら この四次元の時空間を超えた次元を考えてみると どうなるでしょう。
ただしこれは《超えた》であって その《外》ではないと思われます。
《うち・そと》の場合には その境界が人間にとって分かることを意味します。つまり 物指しを当て得ます。ならば その外についても何らかの物指しがあるかも知れない。内とは違うということまでは分かっている。あるいはむしろひょっとすると 別の世界だが 同じような四次元の場であるかも知れない。
したがって そうではなく――内外ではなく―― 《超えた》ところを思い描く。超えたという場合には あとで超えた世界が 超えられた世界つまり人間の知るこの四次元の世界を 周りまわって包むことになるかも知れない。成り得るはずです。超えているのだから。これも内外の場合との違いです。
そういう――つまりは 人間が想定するという場合の――永遠=無限=絶対=不可変性=果ては 真理=全知全能=愛・無縁慈悲 もあるかも知れません。
じんるいが 《かみ》や《信じる》という言葉を持って使うかぎり この想定を受け容れているということだと思われます。
だとすれば そういう《超えた世界》と《わたし》との関係として その想定がその人の主観にとっては 現実であり生きているということになります。誰もこの自由を侵すことは出来ません。
その想定をこばむ自由もあるでしょうし その想定の中でその《永遠》を どういう神の名で呼ぶかも やはり人それぞれの自由であるということになっているようです。
回答、ありがとうございます。
たとえ話は、果たして岩を擦り切れるのだろうかと思ってしまいます。
神は、やはり永遠のような気がしますね。しかし、愛というのも、死んだとしても残りそうでは、あります。
No.16
- 回答日時:
私はエホバの証人ですので、聖書からお答えしたいです。
宇宙には始まりがありました。
「初めに神は天と地を創造された。」 が聖書の始まりの言葉です。
そしてご存知のように宇宙は今なお広がり続けています。
神について、「天の創造者、それを張り伸ばす偉大な方、地とその産物を張り広げる方、地上の民に息を、地を歩むものたちに霊を与える方」(イザヤ42:5) とあります。
また、「神はすべてのものをその時にかなって美しく造られた。定めのない時をさえ彼らの心に置き、まことの神の行なわれた業を、人間が始めから終わりまで決して見いだすことができないようにされた。」(伝道の書3:11)
「若者よ、あなたの若い時を歓べ。若い青年の日にあなたの心があなたに良いことをするように。そして、あなたの心の道に、あなたの目の見る物事のうちに歩め。しかし、それらすべてのことに関して、まことの神があなたを裁かれることを知れ。それゆえ、あなたの心からいら立ちを除き、あなたの体から災いを払いのけよ。若さも人生の盛りもむなしいものだからである。
それで、あなたの若い青年の日にあなたの偉大な創造者を覚えよ。災いの日々がやって来る前に、「自分はそれに何の喜びもない」と言う年が到来する前に。」 (伝道の書11:9~12:1)
もしわたしたちが、ただ偶然に生じ終わっていく存在であるなら、全てが虚しく感じますよね。
回答、ありがとうございます。
聖書からの回答は予想外でしたが、全然問題ないです。
ふと思いましたが、神も永遠なのかもしれませんね。しかし、神を信じていない人にとっては
永遠たりえない気もします。
(失礼かもしれませんが)ちなみに私は神をあまり信じません。私は偶然に生まれてきたとは思います。
苦もたくさんありました。でも楽しいこともあった。これなら生きていけるとは思います。
ただ、ふと虚しく感じないときがないとは思いませんし、挙げられた聖書の言葉はとてもいいと思いました。
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