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「反対はしない」と言えば「賛成するかもしれない」という理屈は成立しますか?

A 回答 (14件中1~10件)

>「反対はしない」と言えば「賛成するかもしれない」という理屈は成立しますか?



成立します

反対はしないと言ってるんですから賛成はしないと言ってるわけではありません

微妙な言い回しではありますが、賛成の余地を完全否定した文章ではありません

そのため、賛成するかもしれないという余地は文章的には残ります
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哲学カテじゃなくて、政治屋のお茶を濁した答弁でしかないと思いますが・・・

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自然な日本語の流れとしては「反対はしないが賛成もしない。

」だとおもいます。
反対「は」の助詞「は」は反対を強調していると思います自分の立場をはっきりさせているだけで、
それ以上のものではないと思います。
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誤字訂正 新→真



補足
命題として捉えるとすると、
「A」が成立した段階で、「B」が実現しなければ、
「理屈」が偽となります。

 つまり、「反対はしない」といっておきながら、実際には「反対する」という行為が行われたときだけ、この命題が「偽」となるということです。

 論理的にはありえないことですが、頑固じじいが上司の場合は十分ありえますwww
  自分の経験を生かしてご判断ください。
 
「事実は小説より奇ナリ」ということわざがありますが
 事実関係は、論理だけでは、解き明かすことの困難な問題です。

宇宙人は存在するかもしれないのですから・・・
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理屈ではなく、国語の問題ではないでしょうか?



国語のカテゴリーで検討されると、
日本語を勉強なさっておられる外国人の方にも有用な議論となると思われます。


哲学カテでは、社会と接触のないおじい様たちが、(言葉の衰えてしまったかたたちが)
おいらは言語学の達人だとしゃしゃり出てきてあれこれ議論をするので混乱するだけですよ。

論理的には、
前提「反対はしないと発言するとする」の帰結に当たる「賛成するかもしれない」の適用範囲が広いということに着目するとよいとおもわれます。

まず、「A」ならば、「B」という命題自体が、新である可能性が高いということを踏まえましょう。

次に
帰結文中の発言に関し検討します。

「明日は天気かもしれない」という主張はどうでしょう?
これは、蓋然性(事実に当てはまるであろうという確かさ)が高い主張です。
かもしれないは、予想であり、多くのケースで真実にそった確かな発言である可能性が高いといえます。

たとえば、人間性が下劣で貧相のない頑固おぢぢに対し、あのひとはいい人かもしれないと発言したとき、
確かさというてんでは、もしかしたら本当にいい人かもしれない、自分の認識不足だったのではないか、
さらには、ひょっとしたら、そのかたに近い将来人生の転機が訪れて
「いい人の側面」を垣間見せてくれるのかもしれないということはいえるはずだからです。

民主党の小沢さんはいい人かもしれない

鳩山さんは、お坊ちゃんではないかもしれない

鳩山さんおくさんは、「宇宙人を信じている」というのを
ギャグとして「ウケ狙い」で発言したのかもしれない

というもろもろの主張は、ことばとして、
可能性を述べたとすれば、ありうることであるということです。

私はそうは思いませんがwww
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「反対はしない。

」とは、もし、うまくいかなかった場合、責任は負わないという意味でしょう。
結果がよければ「賛成するかもしれない。」という意味と捉えるべきかもしれません。
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大っぴらに賛成することを憚る場合は「反対はしない」と言うな。


「賛成と言いたいが言えない事情を斟酌してくれ」の「反対はしない」
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理屈と言うより、「反対はしない」と言われた側からの


「でも、もしかしたら」という希望だと思います。

大抵は「賛成はしないが、反対と言うと面倒だ」という意味で
「反対はしない」を使うと思います。
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これだから哲学カテの連中は困る。


人の気持ちが分からん者が多すぎる。
常に上から目線の輩には分からんか。ww
「反対はしない」と言えば普通は賛成だな。
「照れ」や「立場」などで素直に賛成と言えないシチュエーションはいくらでもある。
賛成もしない場合は「反対はしないが」と「が」が入る。
「反対はしない」と言い切ったら賛成と解釈して問題ない。
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私も、哲学のカテでの質問ですので、「論理学的」考察でお答えしたいと思います。



まず、哲学は人間に関して語る学問であって、超単純なコンピューターの論理を語る学問ではありません。人間はコンピューターとは違って、

>誰かの意見に対して、スタンスを表明する場合、「賛成する」「反対する」と「中立(賛成も反対もしない。無関心の場合も。)」の3つが考えられます。

というような超単純な三者択一なんてものではなく、賛成するという一方の端から反対するという他方の端まで連続にスペクトルが広がっています。ですから、「反対はしない」と言っても、残りの「中立や無関心」と「賛成する」と言う場合以外にもいろいろなスペクトルの値を持っており、かなり反対に近い、どちらかと言うと反対だ、分からない、どちらかと言うと賛成だ、かなり賛成に近い、賛成だ、等々いろいろな状況を含んでおります。そのどこのスペクトルの値を取っているかの判断は、その人の顔色や目つき、言葉の彩、言われている状況等々を観察して判断を下すべきです。

単純に三者択一だと考えてしまうと、その後の状況でいきなり反対されてしまった時など、相手のその豹変が理解できず、「あれ、あいつは中立か賛成していたかのどちらかじゃなかったのか」なんてことになって、拗れずに済んだ筈の話しをますます拗れさしてしまいます。そんな状態になったら、相手は貴方のことをコンピューター並に単純な人で、人間のことなど分かっていない方だと思われてしまう可能性があります。

また、哲学は人間を論じる学問ですから人間学的に考えると、「反対はしない」は、「わたしゃ反対だが、お前に言ってもどうなる訳でもないんだから、勝手にせい」って言うのを、婉曲に言った表現だと解釈するのが自然だと思います。
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