dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

「勉強するのが嫌」か、「勉強しないでいるのが嫌」か、
努力できる人と出来ない人の違いは、どちらがより嫌か嫌でないかの好みの違いによって生じるものだと思います。

以上を踏まえて、「努力」というプラスイメージのある言葉の定義について考えた場合、
ある行動が「努力である・努力でない」を決定するために必要な判断材料は、どこにあると考えますか?


つまり、
「努力家」はどんな人物なのか?
「人一倍の努力」とはどのような行動を指すのか?
「怠惰」や「放蕩」とは何が違うのか?
などを出来るだけ明解に示すことで、真に「努力」した人を見極めたいのです。
(本題からは少しずれますが、あなたの考える史上最も努力した人物も答えていただけたら嬉しいです)

A 回答 (8件)

楽しくてたまらない。

夢中になってやっているうちに結果が出てきました。
よく人に「努力家だね、よく頑張るね」と言われるが、努力した覚えも頑張った記憶もない。


つまり好きな事、夢中になれることがあるかないかの違いです。
そして結果が伴うと人に高評価される。伴わなければ人の知る由はありません。
好きなモノは人の役に立つものでなければいけません。そうでなければただのオタクです。

つまり「何をどれだけ好きになるか」で人生決まります。




>「怠惰」や「放蕩」とは何が違うのか?

「怠惰」や「放蕩」は何も好きなことがない状態です。



>(本題からは少しずれますが、あなたの考える史上最も努力した人物も答えていただけたら嬉しいです)

史上かどうか知りませんが、現存する中ではビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、日本では孫正義だと思います。
いずれも時代の中心「I.T.」というものを死ぬほど好きになった人たちです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「嫌」「嫌」「嫌」からの最良の選択でなく、「好き」「好き」「好き」からの最良の選択を続けられたら努力なのかも知れませんね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/02/07 17:59

努力とは何か、が質問なんですよね。


言葉の定義は個人が勝手にしていいものではないので、辞書をひくしかないです。
「目標のために力を尽くして励むこと」
…この条件を満たしていれば努力で、満たしていなけば努力ではない。のだと思います。

結果が出ようが出まいが、父親に強いられた上であろうが、上記を満たしていれば努力です。
結果で判断する…という人もいるでしょうが、それは結果に対する評価であり、努力に対する評価ではありません。
結果に繋がらなかった、努力がムダに終わった…としても、努力した事実は消えませんから。

>「人間誰しも好き放題やって生きている」
…なぜ、これが前提なのでしょう?不思議です。
自分の好きな道を選んで生きている人がいたとしても、「好きな事=ラクな事」では決してないと思いますが。
好きだけどつらくて嫌いになりそうだけどそれでも頑張る。そういう人を「好き放題やっている」と言えるのでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

単純に考えてください。
自分が選択し決定できる行動が全て「嫌」「嫌」「嫌」「嫌」「嫌」しかなかった場合(逃げるのも「嫌」、挑むのも「嫌」、諦めるのも「嫌」など)、その時に人が選べるのは「その中でも他よりはマシに思える嫌」だけです。判断を後悔することがあったとしても、その瞬間にあえて「嫌で嫌でしょうがない嫌」を選ぶことはないでしょう。
つまり、「人間は常に、決定できる選択肢の中で最善(好きな事だけ)を選ぶ」と考えることが出来るわけです。

(例)「金欠の時に、中古で良書を見つけてしまった。欲しい。」その時の選択肢は、「お金が無くなるのは嫌だ」けど「良書を逃すのも嫌」。どっちがより嫌でないかが、選択を決定します。

それを踏まえた上で、努力って何?と。

お礼日時:2011/02/07 17:47

>>ある行動が「努力である・努力でない」を決定するために必要な判断材料は、どこにあると考えますか?



それこそが"結果"。

>>勉強しないで駄目になるのは嫌だけど、苦労して勉強するのはもっと嫌。
苦労して勉強するのは嫌だけど、勉強しないで駄目になるのはもっと嫌。
世間的には前者が「怠け者」で後者が「努力家」にあたると思いますが、
そこにどんな違いがあると思いますか?

これが質問なのですね。申し訳ないが、今までの補足、質問全て見た結果答えようがありません。
まずあなたにとっての努力という定義を書かないと何も答えようがない。もう少し言葉をうまくまとめてから再度質問することをお勧めします。

この回答への補足

努力をどう定義するか?と質問しているんです。
どれが努力でどれが努力でないのか、それを何で判断すればいいのかです。

成功という「結果」が努力したことの証明・判断材料になるならば、
「成功した人間は全て努力している」という論理が成り立つと思いますが、
そうとは限らないですよね?
だから「結果」だけでは判断材料になりません

補足日時:2010/11/14 22:01
    • good
    • 0

難しい質問ですね。



「怠惰」や「放蕩」とは何が違うのか?

何かをする努力、何もしないことを努力する。
どちらにしても結果がでますよね。

私の考える違いは、努力の前の「目的、目標」だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/02/07 18:01

嫌か嫌でないかの発想にほぼ同感です。



白けているとか運命論者とか思われかねないのを
覚悟して言いますと、

「努力家」は努力することに、消極的には苦痛を
感じない、積極的には喜びを感じる人です。
そのようにしているのはその人のDNAじゃないか
と思います。同じような「怠惰」の二人がいて
あるきっかけで一人が「努力家」になりもう一人は
「怠惰」のままの場合も、二人のDNAがそうなる
ように組まれているからです。幸いなことに今の
ところ人間は、きっかけや環境の変化に自分が
どう対応するか未知の部分も多い。「怠惰」の自分
に嫌気がさしているがどうにも直らないと思っている
人もあるきっかけで直る期待が持てます。

「人一倍努力した」は言いかえれば「人一倍楽しんだ」
とも言えます。従って努力有無の判断材料はありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

いまさらですが、「努力有無の判断材料がない」ということは、努力そのものが存在しないと考えることになりそうです。
人々は何を「努力」だといっているのでしょう?
少なくとも「結果」だけでないことは、別の回答者さんへの返事で答えました。

お礼日時:2011/02/07 18:11

選択出来ない場合も有る物ですよ

この回答への補足

選択できない場合は、それは努力ではありませんか?
むりやり父親にやらされた勉強は、努力にはなりませんか?
むりやり父親に勉強をやらされそうになったところ、抵抗して逃げたら、努力と言えますか?
努力ってなんですか?

補足日時:2010/11/13 23:44
    • good
    • 0

努力というものに定義はない。

だってそうでしょ。努力しているかどうかは本心が一番分かっていて他人がいちがいに決定できないものだから。君も努力とか考える前にまず自分が今何をやるべきかを優先してやったほうがいいと思う。まず行動を起こさない限り何も始まらないのは言っておく。
あと、大人になって社会に出れば努力とか関係なく結果で決まるのだから、・・・もう分かったね。(笑)
>>「努力家」はどんな人物なのか?
「人一倍の努力」とはどのような行動を指すのか?
「怠惰」や「放蕩」とは何が違うのか?

今僕が言ったことをしっかり自覚して行動を起こしている者。
「怠惰」や「放蕩」はその逆をやる者。

>>あなたの考える史上最も努力した人物

細かいところつっこんで申し訳ないが最も努力した人というのはいない。
なにせ"最も"というのに誤解がありそう。努力した人はそんなもんいっぱいいる。
"最も"をつけるのであれば努力した人物でなく、実力を発揮させた人とかならおそらくいる。
努力した人と実力を発揮させた人はまったく別物。

この回答への補足

質問の意図が明確でなかったことにはお詫び申し上げます。
なにも自分が努力できない事を肯定したいがために、この質問をしたわけではないのです。
むしろ「努力は才能」とか言われるのは僕も好きではないのです。

>他人がいちがいに決定できないものだから
だからアンケートで意見を求めているのです。
あなたの意見も一意見として素直に受け取っておきます。

補足日時:2010/11/13 23:30
    • good
    • 0

個人的な考えですが、


『努力家』といわれる人は、『努力を努力と思わない人』なんじゃないでしょうか。
『これくらいの事は、他の誰でもやっているに違いない』と思っているから。

『自分は才能が無いから、他の人より頑張らないと』と思っていて、努力しながらも
『他の人はもっと努力しているかも知れない、これぐらいでは努力にはならない』と
考える人じゃないでしょうか。

スポーツでも『練習は一番下手なつもりでやれ』と言いますし、ある意味『天才』と
呼ばれる人がそうかも知れません。
『天才ほど努力している人間はいない』とも言いますし。

『努力していない者ほど、他人の事を努力が足りないと言う』とも言いますね。
努力してそれが結果として出るまでどれだけかかるか等、努力っもんが何なのか
分かっていないから。

史上最も努力した人は正直わからないです。
歴史に名を残すほどの人物の努力と苦労は、私如きには計り知れないです。

この回答への補足

わざわざ答えていただいたのに、すいません。

なにをもって「努力」と判断するのかを考えていただきたいのです。
「人間誰しも好き放題やって生きている」「本当は誰も嫌なことをやっていない」
という前提から考えて、そもそも「努力」って何なの?と。

『努力を努力と思わない人』と言っておられますが、
好きなテレビを好き放題見ている人が、その行動を「努力」だと思っていないのは当然ですよね?
実際、それは努力ではありません。
警察に捕まって刑務所内で嫌々働かされている人は、その労働を「努力」だと思いませんよね?
実際、それも努力ではありません。
好きなことをやるだけなら努力とは言えませんし、嫌なことをやるだけでも努力とは言えません。
そして、自分から進んで嫌な事をやる場合についても、
結局は「もっと嫌な事態」を避けた結果にすぎないのです。

勉強しないで駄目になるのは嫌だけど、苦労して勉強するのはもっと嫌。
苦労して勉強するのは嫌だけど、勉強しないで駄目になるのはもっと嫌。
世間的には前者が「怠け者」で後者が「努力家」にあたると思いますが、
そこにどんな違いがあると思いますか?
それを考えていただきたいのです。


わざわざ答えていただいたのに、すいません。すいません。すいません。

補足日時:2010/11/13 23:13
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!