シニアの大先輩に質問です。
死ぬのは怖いですか?

私は歳をとると、死の恐怖感が薄まると思っていましたが、
人生の折り返しのいい歳になった今でも 変らず死は怖いままです。

もしかして60を超えても70を超えても怖いのでしょうか?
80を超えたら達観できるのでしょうか?

もしかして死ぬ直前まで、怖いままなのでしょうか?

最近は痴呆(ボケ)は、死の恐怖を忘れる必要な事であり、
(本人にとっては)幸せな事かも? と思いはじめました。

死の恐怖の克服について教えて下さい。

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A 回答 (15件中1~10件)

死ぬの怖いと生きるのも怖くなる。

思う存分に生きられない。幸せとも言えない。自由じゃない。
死の恐怖はあらゆる心配事、日常茶飯の様々なネガティブな感情、憂いに潜んでいる。
死の恐怖が心に卵を産んでそれが孵ると悩みとなる。金や人生の苦悩もその陰に死が潜んでいる。我々は生まれてから、世の中に死を教えられる。ちょっと歩けば墓にあたる。
みんな死を信じ、それが宗教の様になってる。葬式とか戒名とか、商売の道具にしている。
だがここで死など存在せんと言ったら、おそらく、何を馬鹿なと言うだろう。それでも
それが真実だ。どこにある? 墓や葬式とか戒名があるだけじゃないのか?
おかくれになった。と昔の日本人がいった様に隠れただけだとわしは思う。
死はエゴが見てる幻覚だと、、、わしは今 a course in miracles の生徒である。
質問者さんもこの本を読まれることをお勧めする。開眼して自由になってください。
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心残りがあると、まだ死ねないとしがみついちゃうので、一つ一つ終わらせて行く。

会いたい人に会い、描きたい絵を描き、部屋を掃除して、おいしい物を食べ、旅行をし、家族の自立を見届け。

何もなさなかった自分という姿が、余りにも哀れなので、何か形を残す。大きな挑戦をする。

やるだけやった、と思ったらいつ事故死しても大丈夫。自分はまだやる事が多過ぎて達観できないけど。しかし子供二人出産した時点で、自分の役割は果たした、と思った。その後の育児のが死ぬより大変だった。(笑)
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死への恐れが全くないといえば、嘘になりますが、私はクリスチャンなので、人生の歩みの基盤が聖書の御言葉であり、一つ一つの出来事に後悔をしていません。



何が自分にとって大切なのか、それが明確なので、死への恐れが締め出されます。

世間の法則は時代と共に変わりますが、聖書は不変の真理です。


何よりも、私の神であるイエス・キリスト自体が自分の命を犠牲にしたのですから。
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29歳独身男性



私はある宗教を信じていますので、怖くありません。

死ねば、あの世に移行するだけで、あの世の生活に飽きたらまたこの世に移行するんだろうなあと思ってます。

死の先があるかないかは人それぞれですが、ないと思うと絶望と寂しさが募る日々になると思います。

一方、あると思うと、先に亡くなった両親、友人に会える楽しみでワクワクします。


なぜ、年をとると病気になりやすく、体が衰えるのかと思うことがあるのですが、もしかしたらこの世で生きることに嫌気をさすようにして、あの世への憧れを持たすためにあるのかなと思います。
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死ぬことよりも、年を取って中途半端に生きている方がつらいです。

体が不自由になり いずれ死ぬと分かっているのに多額の医療費が掛かり介護を含め家族に迷惑をかけるコトには耐えられません。迷惑をかけないうちに死ねる安楽死制度が出来たり、認知症が劇的に治るが副作用(例えば心臓発作)で突然死ぬ確率が50%の薬でも発明されないかと思ったりします。
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60歳代です。


時々考えますがどうしようもないですね。生きている間は時間の経過に身を任せるしかありませんね。私は健康に生きることしか考えていません。
死は精神と肉体からの開放ですから今悩んでいることあるいは病気があればそれから開放されます。私の父は癌で死ぬとき楽にしてくれといって延命治療を拒否しました。
達観とかその様な次元の高い話ではなく、ただ今の苦痛から逃れたいために拒否したのだと思います。死ねば灰になってこの世から消滅します。土に返ります。でもそのことは本人にはわからないことですから、恐らく苦痛とか恐怖は何にもないと思います。戦争でどれだけ多くの人がこの世に未練を残して死んで行ったか解かりませんがそのことは今生きている人が想像するしかない世界ですね。自分が死んだとき、自分のことを考えてくれる子供がいる。そのことが救いのような気がします。
回答になっていませんがどうしようもないと言うのが私の意見です。
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死ぬのが怖いし、避けられないので、


生きているあいだは、女房子供と幸せな生活を送ろう、
と心がけています。

精一杯、家族と楽しい生活したな、って、死ぬときに思えたらよいですね。
いつそうなるか分からないわけですから。
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60代、男子。



死に就いては、日に一二度は何となく考える今日この頃です。 でも結論は出ていません。

死に対する恐怖は、本能的なものなので死にそうになれば恐怖を感じ、その危険性を避けようとするのは脳が機能している限り当然のことで、克服というのは難しいことだろうと思います。

本能ですから、人間に限ったことではなく、どの動物(もしかしたら植物も)も死の恐怖(或いはそれに似たもの)はあるものと思います。 何故なら喪失を避ける行為がなされなかったなら、今その動物の種は存在しないからです。

日常何の危険性がないのに、死の恐怖に襲われるのはある種の異常で、自分自身もその類です。所謂パニック障害というやつです。頭ではこれは感覚だけなのだと判っているのに、生理は死の恐怖に晒されるのですから、本当に「嫌な感じ」です。ただ、30分以上は続かないのが救いです。

ボケれば死の恐怖は感じないということは聞きますが、ボケたくはないと思うのも本音です。データでは70歳で10%がボケるそうですが、意外と少ないようです。

今までの死に関する経験では、死に対する恐怖は「死ぬまで」治らないと思っています。ある意味それが生きている証拠だからです。 死んだ父は死ぬ直前に、ある宗教の信者から死後の国に就いて語るのを聞いていました。 多分、少しでも恐怖を紛らわせたかったのだと思います。
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例えば、超高齢者に、強盗が、金を出さねば殺す! と言った時


「私は、もう十分に生きたから殺して下さい。」

大きな地震が来た時、「私は、もう十分に生きたからこの儘で良いです。」
とは、絶対に言わ無いと思います。
死ぬ時はほんの一瞬で有ったとしても、未知の世界への旅立ちは恐怖そのものだから…

人生に於いて諦めは有っても、達観なんて有りません。
高僧などが達観した振りを見せますが、色や欲への執着は並の人間と少しも変わりません。

死の恐怖への克服は、人生を諦めた時、諸々の絆を諦めた時。

死への恐怖が有るから人は生きているのです。

国家が老人は邪魔だから、60歳を過ぎたら皆しんで貰いますと、おふれを出したら60歳のひとは、70歳からにしてくれと言う、70歳にと決めたら、80歳からにしてくれと言い80歳にしたら90歳に…
100歳の人でも110歳からにして欲しいと言うでしょう。

安楽死は、本人が望まなければ、国家が決める冪では無いと思う。
--
呆けたら本当に死に対しての恐怖心が無くなるのでしょうか、
呆け老人の首を絞めたら、恐らく、
たすけて~と、命乞いの声をあげると思います。
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>シニアの大先輩に質問です。


>死ぬのは怖いですか?

大先輩でもありませんが…(還暦目前)
個人的には、死ぬのは、ちっとも怖くありません。
というか、ダラダラ生きるほうが怖い。

ただ、苦痛が怖いだけです。
ですから、1日も早く法律で安楽死を認めて欲しいと思っています。

>死の恐怖の克服について教えて下さい。

「男も女も、金持ちも貧乏人も、善人も悪人も、賢人も愚か者も、この世の誰一人避けて通ることの出来ない道、それが『死』である」
と思ってはいかがでしょう?

皆が通る道であれば、貴方も通らざるをえません。
心安らかに通っても、恐怖に戦きながら通っても、同じことなんです。
行く先は同じですから(笑

あまり恐れることはありませんよ。
それよりも、虚しく死ぬことをこそ恐れて下さい。
やりたいことをやって、満足して死にましょう^^
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Q高齢者の方は死ぬのが怖くないのか?

「もしも明日の午前0時に、突然死ぬとしたら、何がしたいか?」
という問いをよく自分にぶつけます。

「女性とたくさん関係を持つ」とか「おいしいものを食べまくる」とか
「気に入らないやつを殴りに行く」とか、
低俗で下世話な欲望がいろいろ浮かぶのですが、
結局いつも最後に出るリアルな答えは
「死への恐怖に耐え切れずに、ただ泣きながらそのときを待つだけだろう」です。

しかし、高齢者(特に平均寿命を大幅に超えた)の方々は、
「明日、いや次の瞬間に自分は死ぬかもしれない」という
恐怖を抱えているはずなのですが、
精神面・行動面、
すべての面において、
若者よりも落ち着いているように私には見えます。

少し失礼な言い方になりますが、
脳が老化すると、死への恐怖が鈍化するのでしょうか?
それとも本当は、心の中が死への恐怖でいっぱいなのでしょうか?

私が今80歳になったと仮定すれば、
とても死への恐怖に耐えられません。

そう考えると、ご年配の方々はつくづく偉大だなといつも思っているのですが、
本当のところはどうなのでしょうか?

教えてgooのユーザーさんにいらっしゃるかわかりませんが、
80歳を超えておられるご年配の方々に、
死に対するご意見を聞いてみたいです。

「もしも明日の午前0時に、突然死ぬとしたら、何がしたいか?」
という問いをよく自分にぶつけます。

「女性とたくさん関係を持つ」とか「おいしいものを食べまくる」とか
「気に入らないやつを殴りに行く」とか、
低俗で下世話な欲望がいろいろ浮かぶのですが、
結局いつも最後に出るリアルな答えは
「死への恐怖に耐え切れずに、ただ泣きながらそのときを待つだけだろう」です。

しかし、高齢者(特に平均寿命を大幅に超えた)の方々は、
「明日、いや次の瞬間に自分は死ぬかもしれない」という
恐...続きを読む

Aベストアンサー

高齢になると身体のあちこちにがたが来る。燃えるような希望がなくなる。パワーがなくなる。つまり心身ともに衰え、死期の近いことを悟り(ああもうそろそろだな)とあきらめがつくのです。
わたしは団塊の世代ですが、老化現象があちこちにあり、これが年と共に強まり、衰えて行くのだなということがわかります。淋しいことですがこれが自然です。死なないとこれまた大変なことになります。要するに神によって生かされている間はしっかりと自己表現して生きればいいんです。

Q歳を取るほど死が怖くないのは何故ですか?

 若い人ほど死ぬことを恐れ、歳を取るほど満足したから?かどうか分かりませんが

 怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?


 個人的にはカウントダウンに入っている方が恐ろしと思うのですが
 
 いわゆる「お迎え」っていうものがあるので、宗教的な要因もあるのでしょうか?

Aベストアンサー

Q/怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?宗教的な要因もあるのでしょうか?

A/日本の場合はそうかもしれませんね。
宗教観や倫理観の問題ですね。人が生きる意味は、人によって様々ですが、一つ共通に言えることがあるとすれば、苦しむことを嫌うということです。その逆に楽をしたいという感情もあるでしょう。そして、遺伝的には、次の性を残すことが目的です。

この苦楽と子孫のいずれかが満たされていくと、死を恐れる感情は徐々に抑えられるはずです。

もっと、分かりやすく言えば、親は子供が出来れば、子が死ぬなら自分の命を捧げる覚悟をするケースもあります。人生の目標が親であり、親として子供を育て上げることに目標があるなら、その人の人生は、満たされたことになり、少なくとも一つの大きな未練はなくなります。それは、死しても自分の子孫が残るということで果たされるからです。

苦と楽というのは、子供の頃に死を恐れることにも影響します。苦しみには仏教では四苦八苦というものがあり、生老病死に生きる上で必ず1度は味わうであろう、愛する人と別れる苦しみ、恨んでいる人や憎しみを抱くような相手と会う苦しみ、求めるものを欲する苦しみ(それが手に入らない苦しみ)、精神的な苦しみの4つを加えた8つの苦しみがあるのです。

死ぬ苦しみが、怖いのは年老いても実際には同じですが、子供の場合は、精神的な苦しみが少なく、憎しみを抱くことも普通に育てられていれば少ないはずです。さらに、愛する人が近くにいることも多く、別れる機会も少ないはずです。それに対して、漠然として理解できないのが死の苦しみです。

生きる苦しみは、病気をしたとき、人生において一人立ちをしたとき、生活を自分で設計したとき、子供が生まれ家族が出来たときと順番に、大きくなります。それらは、全てが苦しみではありませんが、生きていることの苦が、死の苦に勝っていけば、自分から死を選ぶようにもなります。

人の喜びや悲しみ、苦しみや、楽しみは人によって様々ありますが、その人にとってほぼ苦と楽は正反対の価値です。楽が10なら苦は-10なのです。ただ、人は慣れる生き物です。そのため、最初は楽が10でも次に同じ楽を味わっても、9に感じます。苦も不条理でなければ同じことですが、楽しか味わっていない人は、それを理解できないため、苦が緩和される前に、諦めてしまい社会に苦ばかりがあるように感じるようになります。
生まれたときから、一定の楽を味わえば、たいていの場合、年齢があがるにつれて、死は怖くなくなるでしょう。
何故なら、死に対する苦しみより、社会の苦しみの方が現実的で、恐ろしいからです。


最初から、死に直面するような社会に産まれ、育っていくと死を重んじるようになり、恐れるまではいかないでしょうが、死の価値を誇大に見るようになります。まあ、よい方向で教育されれば、最後まで生き抜いて、死の苦しみが少ない社会を目指すかもしれません。悪い方向で教育されれば、テロリズムに走り、自分の死を選ぶときに、多くの敵を一緒に巻き込むでしょう。

人の喜びは、価値のある物を手に入れたとき、人に評価されたとき、そしてそれらを合わせて自分の好きなことを好きなだけ出来るときなどに生まれます。死に対する感情は、その教育と幼児期からの育ちによってある程度は決まります。ある方法での死を喜びと錯覚させるように教えられれば、死は恐怖ではなくなるでしょう。
また、社会が苦しみの固まりだと感じれば、死は怖くなります。そして、一番よい死の苦しみを和らげる方法は、目標の幸せを手にして、幸せを一定程度勝ち取ることです。苦をある程度受け入れ生きることが、死を安らかに迎える方法かもしれません。

Q/怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?宗教的な要因もあるのでしょうか?

A/日本の場合はそうかもしれませんね。
宗教観や倫理観の問題ですね。人が生きる意味は、人によって様々ですが、一つ共通に言えることがあるとすれば、苦しむことを嫌うということです。その逆に楽をしたいという感情もあるでしょう。そして、遺伝的には、次の性を残すことが目的です。

この苦楽と子孫のいずれかが満たされていくと、死を恐れる感情は徐々に抑えられるはずです。

もっと、分かりやすく言えば、親...続きを読む

Qタナトフォビア(死恐怖症)の症状を抑えたいです。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、何の為に生きているのだろうかとか、宇宙について考えてしまったりして、ここ数日は朝になるまで寝られず、起きている間も考えてしまいます。恐怖や絶望を感じてしまい、食事も無理をして行っている感じがします。情けないですが、自分の部屋で声を殺して泣いてしまうこともありました。

また、母親(60代前半)もいつか死んでしまって、火葬が行われるであろうことも考えてしまい、家で母親の顔を見ただけでも、涙が出そうになってしまいます。ニュースなどで人が死んだことを聞いても、その人について考えてしまいます。

先日、ネットで調べて「タナトフォビア」という言葉があることを知り、自分もそれを発症していると思い、ここのような相談サイトを見て回ったのですが、理論的な理解はできても、感情をなかなか抑えられません。少し落ち着いているときと考え込んでしまうときが交互に来ている状況です。

10代の時に強迫観念症(これが正式名かどうかはわかりません)を複数発症したこともありました。(元々、そのような病気になりやすいのだと思います。)そのときは病院には行かず、程度の差はあれ、自分で症状を改善しました。

心が休まりません。どうすれば、タナトフォビアの症状を抑えられるのでしょうか。

強迫観念症の件で家族には迷惑をかけてきており、また、今回は対象が「死」ということもあり、家族には話していません。なので、ここで質問させていただいた次第です。

長文かつ乱文で申し訳ございませんがよろしくお願いします。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、...続きを読む

Aベストアンサー

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純に感性が鋭い事が原因なんだろうと思いました。
感性が豊かな人なら大なり小なりタナトフォビックであろうとも今は思っています。
死、はいかなる人であれ未知です。
DNAからは死を避ける行動を取るように恐怖という感情を引き起こすよう書き込まれています。
それなので死=恐怖は自然な感情です。ところが死が溢れているがゆえにいつまでも繰り返し
恐怖を引き起こす、どこかで麻痺するのが通常なんでしょうけれど、麻痺しないことが苦痛となる。
麻痺しないことは間違ってはいないと思うので病気だとは考えません。
ただ麻痺しないから困っている現状がある、それをまず客観的に捉えられるようにしました。

そこで繰り返し引き起こされる恐怖への対処法を考え、実行しました。

何をしたかというと、死、の反対を探したんです。
誕生ですね。意識して、意識を向けた結果、溢れる死と同じように
生命の誕生を至る所に感じられるようになりました。
毎日、毎秒、ありとあらゆる生命が生まれている一方で、死んでいく。
繰り返し、繰り返し、です。その感覚を得てはじめて万物流転をきちんと理解できた気がします。
自分の身に起こる死もまた、肉体が解体され、流転する。自然の流れなんだろうと。
そこに魂を信じる気持ちがあれば、輪廻転生も有り得る事とも思いました。

その一方で、死からも学びを得ました。何よりも如何に命が儚いか、です。
だからやはり誠に、生きて存在しているということ事態が奇跡なのだと知りました。
一期一会という言葉の持つ真の意味に触れることが出来たのも、死を思ったが故に。
今は昔、全ての時計に書いてあった言葉だそうです。メメントモリ(死を想え)と。
その昔は今で言うタナトフォビアが当たり前だったのかも知れませんね。
ちなみに朝生まれ、夜死す、それが繰り返されて日々となる、という考えもありますね。
なによりも人は思ったよりも簡単に死んでしまうものなので
限られた日々を一所懸命生きなさい、という智慧なのでしょう。

いつか必ず死にます。死後の世界の話で困るのは、結局死んでみないことには判らないですし、
折角まだ生きているのに、知りたいから今死のう、というのも違います。
なので死後の悩みは死後のお楽しみとしてひとまず置いておきませんか?
死後も意識が継続していましたら、その時にあらためて考える、としておいて
意識が無かった時は諦めよう、としてみましょう。
問題の死への概念ですが、死の意識を振り払うことは大変です。
だったら死に対してポジティブな意識を持つように意識を変えてみませんか?

私の辿った道のりです。
身近に溢れる命が死んでゆく、その切なく脆い命が故に、命に対しての愛おしさに繋がった。
儚さゆえの愛おしさだとしても、溢れる息吹に感じ入り、懸命に生きる大切さが
死を感じるが故に繰り返し伝わってくる。
その時にはじめて死の概念がそのまま命への慈しみへと変わりました。

残された日々を大切な人たちといとおしみ、生きる。それはかけがえのない日々となるでしょう。
命を見送り、自分の最後の時には、素晴らしい人生を過ごせれた、と悔いなく死ねるでしょう。
思い残すことが無いから安心して自らの命を自然へ帰す。
そんな心を最後の時に持てるよう日々、命を燃やして生きていきたい。
それこそが、死を想うが故に苦しみを生むことに対しての最大の対処法として
僕が今、まさしく実践中の毎日です。

繰り返しますが、命は儚いものです。お母様を想う気持ちは慈しみでしょう。
慈しむ思いがあるのですから、まずはお母様への慈しみの行動を取ってみましょう。
具体的に、日々の感謝の気持ちを手紙としてお渡しするのも良いでしょう。
あなたの笑い顔を見せることも、もちろんとても喜んでくださるでしょう。
何も出来そうになければ、ただ、傍に居る、たったそれだけでもとても大きな喜びでしょう。
愛情こそ、死への恐怖から解き放つ何よりのものではないでしょうか。

私事ばかりで恐縮ではありますが、何か拾えるものがありましたら何よりの喜びです。
長々とお付き合い、ありがとうございました。

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純...続きを読む

Q人生60年・60歳を過ぎての生き方

昔、織田信長は人生50年と言っていましたが、今の時代、人生60年という方が多いです。

やしきたかじんさんも60歳で死にたいと言っていた(でも実際その歳になると、好きな女性ができもう少し生きたいと願っていたらしいが)。マツコデラックスさんも60歳を節目にした発言をしている。

60歳ってどういう年齢なのでしょうか?60歳までにやっておいた方が良いことを調べても、60歳以上の人の生きがいを見てもピンときません。自殺する人も60歳以上で急増します。

定年延長されても希望する職でなければ生きがいが無くなり、起業するにしても体力落ち根気があるかどうか、ボランティアと言っても自分の会社生活で培った技術を活かせるところは自分の会社でないと求めてくれそうにないし、旅行三昧したところで虚しさが募るだけに感じます。

自分の会社では管理職は55歳で役職者定年で、その後は自力で見つけるか関連会社で過ごすことになります。現在40代後半でまだ60歳までには時間がありますが、みなさんのご意見お聞かせください。

Aベストアンサー

昨日の「おしトピ」で話題になっていましたが、
生活保護を受けて29万円/月 支給額でも足らないという家庭が有るそうです。
母親と 中学生 小学生の3人家族 当然、税の優遇を受けて引かれるものは1円もない。

私ら年金を満額貰っていても夫婦で25万円
お金を使わない趣味を探して何とやっていますが・・・

若い人が汗水流して働いてお給料の半分近く差し引かれる現状。
私の現役の頃でも10万円以上 ・・・引かれていた記憶が・・・ある。
そして消費税で 手に入ったお金から又1割のお金が消えて行く。

「安楽死」を選べることが出来るのなら、
若い世代に「負の遺産をこれ以上背負わせ無い政策」を日本のある県で実践すれば、そこに移住してそれを選ぶことが出来るのではないか?「死」への自由もあってよいと思います。

考えてみれば 「胃癌」も摘出した、「高血圧症」で有る 「前立腺肥大症」も手術した、親の遺伝でもあるかも判らないがパーキンソン病の症状すら見え始めた。

その昔で有れば此の世に居ないはずの人間である私が、未だ薬で生かされている現状。
それに甘えて生きて行くことに対して、子や孫に申し訳ない気さえ起ります。

「男の子で無くなった今」、「長い道のりを歩いて来たたものだ」 と、つくづく思う70歳男子です。

昨日の「おしトピ」で話題になっていましたが、
生活保護を受けて29万円/月 支給額でも足らないという家庭が有るそうです。
母親と 中学生 小学生の3人家族 当然、税の優遇を受けて引かれるものは1円もない。

私ら年金を満額貰っていても夫婦で25万円
お金を使わない趣味を探して何とやっていますが・・・

若い人が汗水流して働いてお給料の半分近く差し引かれる現状。
私の現役の頃でも10万円以上 ・・・引かれていた記憶が・・・ある。
そして消費税で 手に入ったお金から又1割のお金が消えて...続きを読む

Q「老い」「別れ」「死」が怖い

今日で24歳になりました。
祝ってくださいという事ではありませんが
嬉しい嬉しくないどころか
毎年この日が来るのが辛いです。

何故なら自分や家族の老いが悲しくて
いつか別れが来る事を思うと苦しくて
必ず自分が居なくなる事が怖くてたまらないからです。
歳上の方はまだ若いだろうと思うかもしれませんが
歳を重ねる事自体が怖いのです。

みなさんも誕生日にはこんな辛い思いをしてるのでしょうか
いつもは効いている抗不安剤が全く効きません。
動悸が激しく、視界が暗く感じ
受信状況の悪いFMラジオの音量が最大になったような声が聴こえます。
考えたくなくても嫌というほど頭に入ってきます。
なにか方法はないでしょうか

Aベストアンサー

私は12歳のときに「もうこれ以上年を取りたくない」と思いました。
そして、どうしたら良いか考えて考えて、でも、時は容赦なく流れ、現在37歳です(恐ろしい……)。

12歳の私が37歳の私を想像することなんてできたでしょうか。
37歳の私は12歳の私の気持ちを手に取るように思い出すことができます。
そうです。思い出すのです。
普段は忘れています。
ここまで来ると、年なんてどうでもよくなります。
私の場合は17~18歳くらいから段々どうでもよくなってきました。
15歳くらいでは「あれから3年も生きてしまった」などと考えていましたが。

30歳頃には「いつ死んでもいい」とあっさり思っていました。
ただ親不孝の罪は犯したくなかったので、それだけは守りたいとは思っていました(これは10代の頃から)。

>なにか方法はないでしょうか
考えたくなくても考えてしまうわけですから、不老不死の薬を発明するとか、機械を作るとか、自分で解決する方法を考えてみるのはどうでしょう。
不可能と思われていたことが現実になっている例はいくらでもあります。
せっかく考えてしまうのですから、人より発明発見する確率は高いはず(ふざけているのではなく本気で言っています)。
私も12歳の頃からしばらくはそんなことをよく考えていました(15歳で人生を投げてしまったので何も考えなくなりましたが)。

ちょっと発明発見は……というのであったら、文章にしたためるというのはどうでしょう。
人は書くことや話すことによって自分の気持ちが整理され、それだけですっきりすることさえあります。
magatuさんの場合は「それだけですっきり」にはならないでしょうけれど、なぜ怖いのか、恐れるのか、もしかして書くことによって原因(?)のようなものがはっきりしてくるかもしれません。
原因がわかれば、それからどうしたら良いかも見えてくるかも。

私は12歳のときに「もうこれ以上年を取りたくない」と思いました。
そして、どうしたら良いか考えて考えて、でも、時は容赦なく流れ、現在37歳です(恐ろしい……)。

12歳の私が37歳の私を想像することなんてできたでしょうか。
37歳の私は12歳の私の気持ちを手に取るように思い出すことができます。
そうです。思い出すのです。
普段は忘れています。
ここまで来ると、年なんてどうでもよくなります。
私の場合は17~18歳くらいから段々どうでもよくなってきました。
15歳くらいでは「あれから3年も生...続きを読む

Q死ぬのが怖くてたまらなくなる時があります、、、。

26才主婦です。1才8カ月の息子がいます。
いたって普通の主婦です。小さい頃にもあったんですが
死ぬ事を考えるととてつもなく怖くなって動機がして涙があふれてきて体が震えていてもたってもいられなくなってこのままおかしくなるんじゃないかと思うほどです。普段はなんともないんですがたまにフッとその思いがよぎるんです。
学生や働いていて毎日忙しくしている頃にはありませんでした、結婚して子供ができて家にいるようになってからぼちぼちそういう事があるようになりなんども主人に話を聞いてもらったりしていました。出産後は病院にも半年ほど通いましたが薬を飲んでもあまりよくなっているような気がしなくて、そう先生に言って薬を変えてもらっても同じような感じでした、そのうち子供が動き回るようになり現在は子供が相手になってくれる事もありそんなになくなりましたが今でもたまになります。
身じかな人が最近の数年で何人か亡くなったということもあるとは思います。
だんだんそんな自分に嫌気がさしてきてしまいました。
テレビや本もそういった事からは遠ざけるようにしています。そんな事考える暇がないようになにかやる事を見つけようとは思っています、こんなふうな気持ちになったときどんなふうにぬけだしたらいいのか誰か教えて下さい、、、やっぱり病院に通った方がいいんでしょうか。

26才主婦です。1才8カ月の息子がいます。
いたって普通の主婦です。小さい頃にもあったんですが
死ぬ事を考えるととてつもなく怖くなって動機がして涙があふれてきて体が震えていてもたってもいられなくなってこのままおかしくなるんじゃないかと思うほどです。普段はなんともないんですがたまにフッとその思いがよぎるんです。
学生や働いていて毎日忙しくしている頃にはありませんでした、結婚して子供ができて家にいるようになってからぼちぼちそういう事があるようになりなんども主人に話を聞いてもら...続きを読む

Aベストアンサー

 わたしも、失いたくないものがたくさんあって、それを失うことを想像して
ふと、涙をこぼしてしまうことがよくあります。一人の夜とか、二人の夜とか、
寂しいときとか、、、。好きな人たちが死んでしまうことや、自分が死んで
みんなが悲しむ姿を想像したりして泣くことも、今の年になっても結構あります。

 その時、身近な人に「大丈夫だよ」って言ってもらえると、根拠はなくても
安心します。「絶対大丈夫なんてこの世にはない」って、理屈のわたしは
考えているのですけど、心は安心するのです。

 あまり悲しみに襲われる頻度が高く、毎日過ごすのが辛いようでしたら、
やはり皆様の言われるとおり心療内科が助けになってくれると思います。
 また、書物や音楽も心のなぐさめになってくれると思います。

 それから、考え事は明るいうちに、または誰かが周りにいてくれる環境でする方が、気持ちが暗くなりにくいです。
 わたしの母親が「夜に書いた手紙は朝読み直せ」とよく言っていました。
「夜は心に『魔』がさすから」だそうです。もちろん、比喩ですが、
人間の心に朝夜のサイクルも少なからず影響があるようですから、
環境面もちょっと工夫されてみてはいかがでしょうか。
 あまりご自分を追い込まないで下さい。同じことを考える人は
たくさんいると思いますよ。

 わたしも、失いたくないものがたくさんあって、それを失うことを想像して
ふと、涙をこぼしてしまうことがよくあります。一人の夜とか、二人の夜とか、
寂しいときとか、、、。好きな人たちが死んでしまうことや、自分が死んで
みんなが悲しむ姿を想像したりして泣くことも、今の年になっても結構あります。

 その時、身近な人に「大丈夫だよ」って言ってもらえると、根拠はなくても
安心します。「絶対大丈夫なんてこの世にはない」って、理屈のわたしは
考えているのですけど、心は安心するのです。
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Q死への恐怖…体験談、克服談を教えて下さい

 中学生の頃にも一度陥って、その時は一週間程で自然に
忘れていったのですが、三十代に突入して突然、死への恐怖に
再び憑り付かれ、なかなか脱却する事が出来ません。何度か
心療内科にも通った程です。(不安障害と診断されました)

 死が怖いのです。家族や友人の死も勿論怖いのですが、
一番怖いのは自分自身の死です。視覚・触覚・聴覚と
いった全ての感覚が消え去り、自分が完全な無になって
しまう。それなのに世界は変わらず続いていく…そう考えると
心臓が激しく鼓動し、胃がせり上がり、夜も眠れません。
 母に話してみましたが、「あなたはまだ若いし不治の病に
なったという訳でもないのに不思議で仕方ない。お母さんは
死は全然怖くない。いつ死んでもいいと思ってる。」との
事です。母の感覚の方が普通だとは分かっています。
この世で唯一絶対の真実と言っても過言ではない「どんな人
もいずれ必ず死ぬ」事に恐れおののく自分が、貴重な時間を
無駄にしている大馬鹿者に思えてひどく落ち込みます。
 死について考えないように、考えないように、と考えれば
考える程思考がそちらに行ってしまいます。心療内科の
先生は、「気持ちの悪循環」だと仰いました。そして
「哲学者や宗教家が必ず行き着く究極の問いだ。一度
とことん考え抜いてみるのもいいかも。」とも。

 皆さんは同じような考えに囚われて、苦しい日々を送った
事がありますか?また、それを克服した出来事や方法が
ありましたか?そういった体験談を教えて下さると
嬉しいです。

 中学生の頃にも一度陥って、その時は一週間程で自然に
忘れていったのですが、三十代に突入して突然、死への恐怖に
再び憑り付かれ、なかなか脱却する事が出来ません。何度か
心療内科にも通った程です。(不安障害と診断されました)

 死が怖いのです。家族や友人の死も勿論怖いのですが、
一番怖いのは自分自身の死です。視覚・触覚・聴覚と
いった全ての感覚が消え去り、自分が完全な無になって
しまう。それなのに世界は変わらず続いていく…そう考えると
心臓が激しく鼓動し、胃がせり上がり、夜...続きを読む

Aベストアンサー

死があたりまえだと思ってるのは他人の死の経験があるからです。
実際にどんな人も経験しますが、そのどんな人も語ることの出来ない領域です。
「死んだことありますか?」
と誰かに聞けば、頭がおかしいのではと思われるでしょう。

したがってhato-yomeさんが死んだ、と思うのはhato-yomeさんじゃない。hato-yomeさんは思えないのですから、hato-yomeさんは死んだりしないんですよ。死なないんだから怖がる必要は無いんです。

いつ眠るんだろう、その瞬間を見逃さないように小さい頃、時には今でもチャレンジしてますがいつも失敗しています。起きたときに、寝てしまったと思いますが、実際眠りも不思議な世界です。今も、実は夢の世界では?そうじゃないとどうして証明をするかなんて考えたりしますが、答えは出てません。
寝たことさえ認識できないのですから、死んだことも認識できないと思い込んでますが。ちなみにマトリックスの影響ではありません。

自分は、死ぬんだろうけど死なないよ、と考えてます。千の風の影響もないです。

いやー眠りって不思議ですよ。家では自分だけお休みなさいではなく出発しますと言ってます。どっかにいって戻ってきて起きる、という感覚なんで。死は戻ってこないということなんですかね。
絶対にどっかに出発してるんですが、どこかわからないんですよ。日々のことなのに。

とにかくhato-yomeさんは死にませんよ。

死があたりまえだと思ってるのは他人の死の経験があるからです。
実際にどんな人も経験しますが、そのどんな人も語ることの出来ない領域です。
「死んだことありますか?」
と誰かに聞けば、頭がおかしいのではと思われるでしょう。

したがってhato-yomeさんが死んだ、と思うのはhato-yomeさんじゃない。hato-yomeさんは思えないのですから、hato-yomeさんは死んだりしないんですよ。死なないんだから怖がる必要は無いんです。

いつ眠るんだろう、その瞬間を見逃さないように小さい頃、時には今でもチ...続きを読む

Qなぜ「どうせ死ぬのに」、頑張って生きるのですか?

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレベルで小さな変化や成長を自分の中に感じても、他人にとってはどーでもいいこと。

何かの技術に習熟して、他の人ができないことができるようになったとしても、やっぱり社会全体から見たら取るに足らないこと。

僕が何かの資格を取ったりしても、やっぱりそれは地球全体で考えたら本当に些細なこと。


そしてそもそもの話。

どんな風に生きたとて、結局のところ人は死にます。
当たり前の話ですが。

じゃあなんでどうせ死ぬのに頑張って生きるのでしょうか。

しかも、上述したように、何か頑張って成し遂げたとしても、ほとんどが自己満足。
自己満足を超えて社会に幾ばくか貢献できたとしても、その影響は本当に小さい。。。


もしあなたがベートーベンやゴッホなどの世界クラスの才能をお持ちであるならば、その影響は大きいでしょう。
ですが、そんな人は本当に極一握り。

僕を含む、彼ら以外のその他大勢の"凡人"は、結局頑張ってもその努力の跡や功績は後世には伝わらないんです。

じゃあ、頑張っても無駄じゃないですか?


一生懸命、大変な思いをしながら生きるのって、必要なくないですか?


ただでさえ、あなたは日本や世界という基準で見たら、小さい存在で、正直いてもいなくてもいいんですよ。
あなたは後世に残る程の偉人にはならないだろうし、多くの人間に必要とされる人間にもならないでしょう。


その上、悪口を言われたり嫉妬されたり、潰されたり、精神的に辛い思いをさせられたり・・・と、色々な目に遭いながらも一生懸命生きたとして、残念ながら結局は死にます。


じゃあもう、どうせ死ぬなら生きなくてよくないですか?



・・・・っていうようなことを、ここ3ヶ月ぐらい前からずっと考えています。



自分は今20代半ばで、これまで色々とその場その場で頑張って来たつもりです。


高校受験の為に勉強して、部活では一生懸命走って、大学受験をして、そして就職活動をして・・・と、なんやかんや頑張って生きて来ました。


でもここまで生きて来て急に気付いたんですよね。


「俺、どうせ死ぬんじゃん」
「このまま生きてても、どうせ俺は後世に何年も残る偉大なものを作り上げることなどできない。つまり長い歴史で見ると俺の人生なんて何でもないんだ」


ってことを。


これまで本を読んだりして知識を付け、本人しか分からないレベルで成長したこと。
趣味を一生懸命やって、そのスキルを磨いて自己満足を得たこと。
ダイエットして痩せたこと。
何かに感動したこと。
新しい経験をし、新しいことを知って喜びを感じたこと。


これら全て、結局僕以外の人間にとってはどうでもいいことなんだなと。
そして、当たり前ですが、結局死んで無になるんだから全ては無意味なんだなと。


こんなことを最近強く思ってしまうようになったんです。


別に仕事で辛いことがある訳でも、プライベートで絶望的何かがあったとかでもありません。
恋愛で躓いているとか、他人が羨ましくて仕方ないとかでもありません。
特にサボリたいとか、その様な怠慢状態になっている訳でもありません。


単に、

「凡人が生き続けても何も残らないし、自分が何に感動し何に喜びを感じても他の人にはどうでもいいこと。 しかもいつか死ぬ。じゃあ生きてても意味なくね?」

という気持ちが急に湧いて来て、消えないだけです。


巷には

「人間関係を円滑にする方法!」
「コミュニケーションをスムーズにする為の〇〇ステップ!」
「資格試験取得への第一歩!」
「10年先を見据えた生き方をしよう!」


みたいな趣旨を唱う自己啓発本みたいなのが山のようにありますが、こんなのも正直無意味です。

結局あなたに、そして僕待っているのは「死」なんです。



・・・みたいな、「そもそも論」的な部分でしか物事を考えられなくなってしまっただけです。



こんな状態なため、ここ3ヶ月は本を読んで知識を付けようと思っても、

「どうせ俺がこうやって知識を付けて賢くなっても、結局は自己満足だ。 しかも俺より賢い人はゴマンといる。 じゃあやっても意味ないよな・・・」

って考えてしまったり、趣味に没頭しようと思っても、

「どうせ俺がこうやって趣味を楽しんでも、俺よりこの趣味に習熟している人なんて山程いる。。。 じゃあ意味ないんじゃないか・・・」

こんなことを思ってしまい、もう全てに対してやる気が失せ、情熱を燃やすことができないんですよ。



この気持ちが一向に消える気配がないので、思い切って仕事も辞めようかとも思い始めてます。
仕事を辞めて、一切の友人関係を絶ち、部屋に引きこもって餓死するまでずっと横になって生ける屍になろうかと。

冗談ではなく、本気で。


かなり前置きが長くなって申し訳ありませんが、以上を踏まえて質問です。


なぜあなたは「どうせ死ぬのに」生きるんですか?
あなたが幸せになろうが喜びを感じようが他の人にとってはどうでもいいのに、なぜそれらを追い求めて一生懸命生きるのですか?
それと(これはできればで結構です)、どうすれば僕はまた生きることを肯定的に捉えられるようになると思いますか?


これらのあなた自身の明確な意見をお聞きしたいと思います。

(回答する際はお手数ですが、年齢の方も最初に明記して下さい。 その方が回答者様の人生経験などを推測しやすいので)

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレ...続きを読む

Aベストアンサー

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のことだと思います。
「生きる意味を探す」「生きる意味をつくる」というのも、立派な「生きる原動力」です。

抽象的になってしまい、分かりにくくなってしまいました。
もう少し分かりやすく言うと、私は、いのちの期限が決まっているからこそ、可能な限り、自分に与えられた人生を全うしたいと思うのです。
「生きる意味」というのは、誰かに提示されるものではなく、自分で見つける、さらにいえば、自分でつくるものだと思うからです。
だから、簡単に見つかるものではないのは当然です。
一生をかけて、向き合っていかなければいけない問いなのです。

勉学に励むことも、恋することも、友達と過ごすことも、家族をつくることも、仕事をすることも、全て、無駄なことではないと私は思います。
それらは全て、自分の生きる意味を形成するための重要な材料になるからです。

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のこと...続きを読む

Q一人暮らしの老人が寂しがるのは何故?

祖母から尋常じゃないほど、メールや、自宅電話がかかってきます。
ひとり暮らしなのですが、最近、夫に(私からして、祖父)先立たれ、ひとり暮らしになりましたが、
普通じゃないメール数です、
何もそこまで電話ばっかりしなくても、と言いましたが、あんたも80歳過ぎれば解る様になるわ、と言い返されました。
私は、まだ実家で家族で暮らしてますが、やはり、80歳も過ぎて、皆友達が死んでいき、最終的に、結婚しても、子供も巣立って、夫に死に別れば、やはり、最後は一人みたいですが、
その場合、そんなに寂しいものなのでしょうか?
私は、生涯結婚する気がなく、早急に、祖母より独りになる可能性が早そうです。
しかし、そんなに寂しくなるものなのでしょうか?老人介護などに詳しい方がいらっしゃいましたら、
教えてください。

Aベストアンサー

1人暮らしをしていれば、「誰とも会話しない1日」があります。

今まで、家族がいて忙しく過ごしてきたお婆様にすれば強い孤独を感じることだと思います。

例えば
スーパーに買い物に行けば、家族で買い物をしている人も沢山います。
1人で買い物をしている人の多くは家族のための買い物をしています。
それを横目に、お婆様は自分の分だけを買うんです。
家に帰っても誰もいない寂しさ、孤立感(?)を感じていると思います。


誰かとコミュニケーションをとることは、精神衛生上とても良いことです。電話やメールがきたら、快く応対してあげて下さい。

きっと素敵なお婆様なんでしょうね。
質問者様から電話をしてみるのも喜ばれるでしょう。
大事にしてあげて下さい。

Q死ぬのが楽しみな人っていますか?

タイトルの通りなのですが、死に対して期待感を持つ人ってどのくらいいるのでしょうか?

私は、死に対する恐怖がなく、どちらかというと老いに対して
漠然と嫌悪感を抱いており、出来れば30歳になる前に死にたいなあ
なんてことを考えています。
「もしも今自分が死んだら、周りは驚くのかな」とか
不謹慎にもわくわくしている自分がいます。
私の場合は何か苦労をして人生に疲れたわけでもなく、
ただ歳をとる前に死にたいという願望なのですが、
他にもこんな考え方をする方はいらっしゃるのでしょうか?
少し気になったので質問してみました。
お暇でしたら回答していただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

20世紀少年で主人公が「昔、誰かからこんな話を聞いた。ロックやってると27歳で死ぬってな。
ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン、ジミ・ヘンドリクス、なんとなく、俺も27歳で死ぬんだろうと思ってた。・・ところが28歳の誕生日をむかえちまって、、ガックリきたよ。・・略
だけど、ジジイになってもロックやってるすごい奴は山ほどいる。死んだらすごいって考えは・・・・・やめた。」という内容の話をしていました。

若い時は死に対する恐怖と、死への憧れと両方持つ人も多いかもしれません。特にこの時代の人は。
少数派だったら、こんなフレーズ使わないでしょう。私もジョプリンのファンだったので、30前に死ぬと思っていましたよ。

でも現代はロッカーでも品行方正で、無茶して若くて死ぬなんていう人居ないですよね。
死が遠くなってしまって、でもすぐ隣にいるから、恐怖だけがあるんでしょう。
いい中年が「そんなつまらないこと考えて・・」とか言いますけど、彼等は忘れているか、たいした時代をすごしていないんですよ。私も30を超えて40になるまではぬるま湯の人生でした。

だから彼方の様な方は、我々から見れば珍しくもないけれど、今の時代で見れば珍しいといえます。

20世紀少年で主人公が「昔、誰かからこんな話を聞いた。ロックやってると27歳で死ぬってな。
ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン、ジミ・ヘンドリクス、なんとなく、俺も27歳で死ぬんだろうと思ってた。・・ところが28歳の誕生日をむかえちまって、、ガックリきたよ。・・略
だけど、ジジイになってもロックやってるすごい奴は山ほどいる。死んだらすごいって考えは・・・・・やめた。」という内容の話をしていました。

若い時は死に対する恐怖と、死への憧れと両方持つ人も多...続きを読む


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