先日、バルセロナにあるピカソ美術館に行ってきましたが、
確かに、インパクトのある絵(キュビズム等)など面白く感じますが、
現代ではこれに近い表現や恐らくこれを昇華させた表現、全く違う表現など芸術と感じる表現は非常に多くあり、あくまで、個人的な感想ですが、「昔は確かに斬新で凄かったんだろうなー」と言うのが率直な感想です。
現代美術と比較した場合、むしろ、日本のアニメDVDなどの方が芸術性は高いとすら感じています。
ただ、日本人の感覚でも、ピカソは芸術家では今でも最高峰の部類というのが一般的な認識だと思います。
私と、世間一般の、この差は一体何なのでしょうか?
また、本当に多くの日本人が、今でも現代美術と比較してピカソの絵を価値ある物と思っているのでしょうか?
No.1
- 回答日時:
芸術と云うのは哲学的で、心地よいとか胸を打つだけでは語られないものがあります。
なので大衆文化とは切り離して考えられるのでは無いでしょうか?。でも大衆文化も歴史を追うごとに価値が蓄積されると、芸術とみなされますね。音楽でも、クラッシックが安室奈美恵より売れるかと云えば売れないです。でも歴史的価値がありその時に革命的だったと云うステータスもあるわけです。
自分はいつビートルズが芸術になるのだろうと思っているのですが、まだ芸術に近い大衆音楽というレベルです。そのうち芸術として見られるのでしょうね。
初めから芸術として作られた作品でも、色々あります。自分は吉岡徳仁など好きですが、なぜ好きかは解らないです。なんとなくかっこいい?からかも。
芸術ってそんなものではないですか。受け取る人によって違うとか。
No.2
- 回答日時:
簡単な話だと、手塚治虫は漫画の神様というか、現代の漫画の形(言語といってもよい)を創ってしました。
今となっては表現は稚拙もしくは古風な表現もあるかもしれないけれど、その存在は偉大すぎて比べるものが有りません。
表現されたモノに対しての評価は時と主に褪せることはあるでしょうが、思考や論理は褪せないと思うのです。
印象派からエコール・ド・パリそしてモダニズム、当時の変遷をたどるならピカソの思考的偉業は例えようが無いといわざるをえないとでしょう。
世間一般はその偉業を(作品も思考も含めて)当時鑑賞した人の感性のまま評価していると思います。
現代の芸術と比べる必要も無いとおもっているでしょう。
クラッシック音楽とテクノ音楽を比べても何の意味も成さないし、それを比べること自体が未熟な感性と思われてしまうと私は考えますが、どうでしょう?
回答いただきありがとうございます。
私が芸術を見るときは、自分の琴線に訴える物が大きい、小さいで全てを平面に置いた状態で適当に見る傾向があります。そのため、クラシックとテクノ、和食とイギリス料理も比較してしまいます。
未熟な感性と言われれば確かにその通りかもしれませんけどね・・・
ただ、世間ではみんなそういった鋭い感性を持て居る人が多いのでしょうかね?
特にそう感じましたのが、ヨーロッパでは、街並みやお店を見ても、古い物に価値を置く文化(骨董趣味)が想像以上に根付いていると感じました。そのため古い芸術も色褪せず、むしろ、価値を増して感じる人もいると理解できるのですが、古い物を補修しながら使うよりも新しく買い替える人の多い日本人において、これほどの支持がある理由がよく分からないでいます。
No.3
- 回答日時:
発表された時はすごい大受けでずっと時間がたってから見るとそうでもないとか、逆に発表されたその時はなんとも思わなくて、後になってこれってすごかったんだなと思うこともあるだろうし、まあいろいろですよ。
万人に受けるのもあるし、最初から共感できる相手を想定しているのもあるだろうし。作者自身がまずやりがいを感じるテーマとか、中には解釈を拒絶する試みの作品(それが悪いわけではありません)でさえある。
流行を狙うのもあるし、逆に避けるのもある。
食べ物と言っても、お菓子もあれば家庭料理もあればレストランもある、薬食いもあるし、腹が減ってとにかく栄養を補給しなければいけない時と、それほど減ってもいないけれどちょっと何かという時では同じものを食べてはいけないでしょう。
芸術もそういうものであって、芸術はこうではいけないとか、こうでなくてはいけないとか、天才の画期的な仕事だけが芸術だ、芸術は感動できなくてはいけない、などという見方はそれこそ刷り込まれた見方だと思います。
私はゲルニカなどは「赤塚不二夫だ!」と飽きずに愉しみましたが。
教養主義的に観賞しなければピカソは愉しめるのがあると思います。
これまでの経験では、自分がおもしろいと思わなかったもので、人に大事にされているもの、愛されているもの、に対しては結論を出すのは慎重であった方が良いですね。
ただいろいろ考えた末今はこれはつまらない、ダメであるという自分なりの判断も大事です。だからといってそれを他人に強いる事ほど芸術において野暮な事はございませんね。
回答いただきありがとうございます。
とても参考になります。
>これまでの経験では、自分がおもしろいと思わなかったもので、人に大事にされているもの、愛されているもの、に対しては結論を出すのは慎重であった方が良いですね。
まさに、これなのですよね。
世間と自分の感性に大きな差を感じ、そのため、こちらで、この世間と自分との差は一体何なのだろうか?と感じ質問させて頂きました。
なお、芸術と呼称できる物全てについて、今の結論は出ても、他のことを知った後に再度見れば評価など変わる物であり、結論などはあって無いような物だと思っております。
例えば、このスレで見方などを教えて頂いた後、再度訪れたときには、恐らく評価は少し変わっている物と思っています。
No.4
- 回答日時:
#2です、お礼ありがとうございます。
>世間ではみんなそういった鋭い感性を持て居る人が多いのでしょうかね
世間一般というのは、感性で芸術を見ないとおもうのです。
あくまで、感性でものを見るのは個人であって、
「世間一般」という概念では、相対的な評価であり、時代背景的な価値など、
今までに無いものが、その作家によって確立された、またはその作品、
といったことの評価を支持しているとおもいます。
現代においてクラシック音楽は再現の芸術です。
モーツアルトがどう表現したかを再現することが芸術の対象となっています。
モーツアルトのメロディ自体の評価は一般的にはしません。
しかし、テクノ音楽の良し悪しを評価するは、メロディやそのテクニックについてでしょう。
つまり、評価の対象がちがうのです。
絵画や音楽に限らず、感性でものを見るというのは個人的な評価であり、
趣向に過ぎません。
日本においても、神社仏閣はもちろん、過去の芸術は高く評価されていますし、
浮世絵などは今見ても素晴らしい絵画だとおもいます。
ピカソも偉大だし、北斎だって偉大です。
(これは私の感性ですね)
モーツアルトのメロディは神がかっているけれど、
現在のアーテストがそれに劣っているとも思いません。
ですが、それを個人が自己の感性で比べるのは問題ないでしょうが、
評価の対象がちがうモノを同じ土俵で比べることは、
成熟した鑑賞者がするべきことではないといいたいのです。
フランス料理と日本料理どちらが美味い?などという評論家が、
もし、いたとしたら私は絶対に信用しないし軽蔑します。
なぜなら、味覚は個人の感性のみならず、風土・風習で価値が変わります。
それを混在して比べるなど、評論家としてありえないからです。
言いたいことが、巧く伝わるか分からないけれどそんな感じです。
回答いただきありがとうございます。
>評価の対象がちがうモノを同じ土俵で比べることは、
>成熟した鑑賞者がするべきことではないといいたいのです。
芸術に限らず、それぞれの良さが、理解できるほどの体験、経験、知識などあれば世界はより美しく、生き生きとして見えるでしょうが、理想的だとは思いますが、なかなか難しいところですね。
ちなみに、この記号が芸術と呼べるかどうか分かりませんが(私は芸術だと思いますが)、E=MC^2を見てドッキっとした人、そうでない人など、その人の感性以外の背景によっても分かれるかもしれません。
私など、私の琴線にどの程度、引っかかったとおおざっぱに見ることが多く、かなりラフな感じです。
個人的には、フランス料理VS日本料理などの比較は難しいと思いますが、イギリスの朝食VS日本の朝食の平均的な評価などどちらが良いかは決めてしまいます。
No.5
- 回答日時:
3です。
知らない世界に対する謙虚さとか、学ぶ姿勢とかさえあれば、芸術の中というのは自分の好みは大事にされるべき世界だと私は思います。
「世の中」とか「日本人の感覚」といった得体のしれない、はっきりしないものではなくて、ある人の言っているこの観かたはどうなのかという風にそのつど考えて行った方が良いのではないでしょうか。
「芸術に言葉はいらない」はずもなく、ある言葉や、ちょっとした経験(美術や視覚や芸術上の経験も、生活上の経験もあります)から「あ、そういうことだったのか」と後で腑に落ちるようなこともしばしばあります。
他の方も近いことを言っていらっしゃいますが、今まで絵画というジャンルの物ときっちり対峙するような経験があまり無かったのではないですか?
観たピカソがなにか気になっているわけですから、今後何かありそうな気がしますけどね。
キュビズムなどは逆に理屈で納得してしまうとな~んだって言う物かもしれません。
現時点でおもしろいと思わなかったからといってそれが特別変わったことと考える必要も無いように思います。
質問のタイトルに関連して言えば、例えばドローネー(夫ロベール)などは以前はキュビスムぽい面ばかりクローズアップされていたので、逆にキュビスムに凝り固まってない分妻(ソニア)の方がいいんじゃないか?みたいに思ったこともあります。
実際はロベルトの方もそうでないのもたくさんあったんですね。
「型」として流行したのは後になってみると古くさく見えます。
回答いただきありがとうございます。
とても参考になりました。
その都度考えるようにしてみようと思います。
>「あ、そういうことだったのか」と後で腑に落ちるようなこともしばしばあります。
ありますねー
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
エネルギー(E) = 質量(m)×光速度(c)の 2乗
の数式がでたので、もう一つだけ。
ピカソのキュービズムはいろんな視点を一つの絵に描いたものとされています。
つまり、観測点を変えて見ることによって時間を描いたことになるのです。
アインシュタインは数式で時間と空間を描き、
ピカソは4次元を2次元で表現しようを試みた。
つまり、両者は同じもの見たのです。
それは芸術を超え神の領域に達したといえるでしょう。
それをひとつの感性でカテゴライズすることは愚かな行為ではないでしょうか?
琴線に触れるというのは、突発的な直感のことでしょう。
芸術というのは、感性のみならず、思考や論理が複合されて表されたものです。
そして、現代なら私のような一般的な民衆にも理解できることでも、
20世紀初頭にそのような理解にたどり着いた偉人は、
評価され価値を持つのはやはり正当だと私は思います。
回答いただきありがとうございます。
キュビズムについて、同時にみて描いたと思っていました。今度見るときはその辺りにも着目して見てみようと思います。
>それをひとつの感性でカテゴライズすることは愚かな行為ではないでしょうか?
両方を自然体で感じられれば可能かと思います。同じ物を表現しているのであれば、同じ感性で見れると思います。私自身が、絵を見る時と物理の方程式を見る時、食事をする時、感性をいう意味では、全て同じ所で感じているように思っています。ただ、バッググラウンドを知る時には、カテゴライズして勉強した方が有効かとは思います。
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