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景勝を支援(というよりは景虎・景勝を和睦させた)したことを支持する方がいますが、皆さんはどう思いますか?

僕にはどう考えても景勝に味方したことは武田にとって失敗だったとしか思えない。
結局これが原因で北条を敵に回すことになったのだから。
この時は中立とか言ってる場合じゃなかったと思います。
景虎を積極的に援助するべきだったと思います。
そうすれば北条も武田と対立しようとは思わないだろうし。

どう考えても景虎に味方するべきだったと思います。
そうすると北条と武田の同盟関係は織田と徳川の同盟関係みたいになってしまうかもしれない。
けれど、北条を敵に回すよりはずっといいと思う。

A 回答 (4件)

言う通りだと思いますがじゃあ勝頼の謎の行動は何なのか?



景勝のほうが同盟した時の条件、例えば金銭や割譲される領土が多かった
まず武田家は信玄の領土拡張政策による度重なる出征によってかなり困窮していた。
また勝頼は信玄にならい拡張政策を行っていた。
この二点を考えれば景勝についたこともうなずけるのでは?

また武田家は源氏の正統な血を受け継いでいたためどこからか現れ大名となった北条にかしずくことはまず考えられません。

まあ結果として武田家は滅亡しているので失敗ではある。
しかし当時の状況を考えればどの道武田は滅亡していると思います。
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結果から見れば、間違っていたと思えてしまいますね。



長篠で大打撃を被っていた勝頼としては、和平実現によって東国における武田家の威信をアピールする絶好の機会でもあったでしょうから、状況判断が悪かったとは思えません。
結果は失敗でしたが。

仮に勝頼の支援によって景虎が上杉家を継いだとしても、甲相越三和がずっと維持されるとは思えません。
長篠の後から勝頼は信長と和睦する道を探っていますが、信玄に裏切られた信長は武田との和睦を容認する姿勢を見せておりませんから、織田勢による武田攻めは不可避のことでしょう。果たして、その時に景虎が継いだ上杉や北条が、勝頼を支援するかどうか・・・。
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景勝に味方するのも一つの方策で、味方する事自体は失敗だとは思いません。


しかし、味方するにあたって勝頼がとった色々な方針については色々と検討の余地があったとは思います。

戦国時代において同盟は必ずしも遵守されるというものではなく、自国の都合によって守られたり破られたりします。
北条とて絶対的に信用できるというものでもありません。過去には武田が相手ではありませんが盟約を破った例もあります。
同盟があるからといって安心できません。
もし景虎が上杉を継いだ場合、北条と太い繋がりを持つ事になります。相模から越後までの広大な範囲が結びつきます。これが味方のうちはいいですが、もし敵になった場合、これはかなりの脅威です。過去に北条氏康と上杉謙信も同盟を結び武田信玄と敵対した事もありますが、この時は同盟が有効に機能せず信玄は助かりました。
しかし、今度の場合、景虎と北条氏政は兄弟です。氏康、謙信よりも結び付きは固いでしょうから、そういう面で楽観できません。
景勝に味方し上杉を継がせ、北条と上杉を敵対関係にさせておく事の方が武田にとって利益があると考えるのは決して無理があるとは思いません。

また、景虎の器量というものも気にかかります。
景虎は景勝の妹を嫁にしているとはいえ、本来、上杉謙信の直接的な血縁関係では景勝の方がとても近かったにも関わらず、これまで散々敵対してきた北条の血を引く景虎に味方する上杉の武将がかなり出ました。
景勝に問題があったのか、景虎の器量が上だったのか、北条の勢いを考慮したのか・・・そこのところは分かりませんが、愚かな人物だったら味方はしないでしょう。
器量の高い人物が隣国を治めているのは、それはそれで一つの不安要因、脅威となります。

勝頼は北条を敵にしましたが、北条と敵対していた佐竹と結ぼうとし、織田信長と和睦しようと動いており、人質だった信長の子、信房を返してもいます。
もし勝頼の構想通り、上杉、佐竹、武田による同盟で北条に対抗し、織田と和睦が成立すれば、そうそう武田が不利という事は無かったでしょう。

ただ、勝頼は欲張り過ぎ戦略眼を曇らせすぎました。
景勝から味方の代償として金と領地をもらうのはいいとしても、その領地の場所が東上野というのが問題です。
西上野は信玄の時代から既に武田の領地ですが、これと合わせて西上野も治めるとなると、北条と上杉の間に割って入り、北条から上杉を守ってやる形、防波堤になるだけです。
しかも、当時の東上野は既に北条が攻め込んで支配していました。
結局、武田軍が動いて沼田城などを陥落させますが、勝頼も出陣しています。
戦い疲弊しさらに北条の圧力を受ける形で領地を広げています。これは無謀というほかないでしょう。
東上野などもらうべきではなく、関東は常に上杉と北条がぶつかるように動くべきだったのです。
また、勝頼が東上野へ出陣した隙を狙って徳川家康が遠江の要衝、高天神城の攻略を開始しました。勝頼はこの動きに有効な対応ができていません。これはお粗末です。
なお、勝頼は景勝の器量も見誤ったように思います。織田との戦いが越中方面であったとはいえ、御館の乱で味方してくれた武将達に背かれ、その叛乱を鎮めるのに7年もかかり、越後一国を治めきれず武田との同盟の役に立たなかったのですから。

景勝に味方するなら、代償は金を貰うだけにしておき、関東では上杉と北条が戦うように仕向け、さらに佐竹、また父の信玄がしたように房総の里見とも同盟を結び北条と対抗した方が良かったように思います。
北条にも徳川にも、織田にも攻勢に出るのではなく守勢に回り、また織田と徳川には和睦を持ち掛け時を稼ぎ、その間、兵を養い力を蓄えた方が良かったように思います。

景勝に味方する事自体は失敗ではなく、そのやり方が悪かったと思っています。
ただ、景虎に味方する事も一つの方策として悪いやり方だとは思いません。当面の敵は西側だけになるので、そちらに集中できます。ただ、北条が同盟を裏切り織田、徳川と同盟したら背後からの一突きとなり、策を弄する暇もなく敗北する事になるでしょう。
まあ、景勝に味方しても景虎に味方しても危険はあり、一長一短というか、良い面、悪い面がある策だと思っています。
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北条には武田の裏切りが原因で息子の影虎は首を取られたのだ。


そう思ったに違いありません。

更に、
北条の約束より少しの領地。北条より上杉家と言う見下した態度には激怒したでしょう。

武田上杉の両軍で南下するなら来てみろ!!
総力戦で迎え撃ってくれるわ!!

影虎の弔い合戦の矛先は裏切り者勝頼に向いた訳です。

馬鹿だな。影虎が領主になれば東の守りは鉄のように完璧で信長も苦労したはずなのに。
この鉄壁な守りをみすみす壊された北条が見切りを付けるのは当たり前で

むしろすぐに消えて欲しい呆けでありました。

約束を守れない。
この行為が全ての信用を失ったのです。
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