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現在、音楽大学2年のものです。プロの音楽家の方や、音大卒業生の方にお聞きします。

「室内楽」と「アンサンブル」は違うものなのでしょうか?

というのも、最近自分のプロフィールについて、どこまで書いて良いのか悩むことがあり、どうしてもこの疑問を解消したいのです。

私は、1年~2年生で、「アンサンブル」という名の授業を受けました。1年生はA先生、2年生から4年生はB先生(仮名)が担当されており、3年生からは選択科目になりますが、続けて受講予定です。

ちなみに、3年生からコース科目として「室内楽」があるのですが、私はコースに入らないので受けられません。

私の大学の授業での「アンサンブル」と「室内楽」は、
「アンサンブル」は学年で同属楽器の専攻生が集まり、2~3コマに1曲のペースで曲を勉強し(曲ごとにメンバーが変わります)、先生にレッスンをして頂きます。私の学年は10人なので、デュオ、トリオ、カルテット、クインテット、オクテットなど、あらゆる編成を経験しました。

「室内楽」は、もっともメジャーな編成(カルテット)でコース試験を受け、合格した団体のみが1年間固定のメンバーでレッスンを受けられるという授業です。

大きな違いは、メンバーが固定かどうかだけで、「アンサンブル」が基礎だとしたら、「室内楽」は応用にあたると思います。

プロの方がよく、「室内楽を~~氏に師事。」とプロフィールに載せていらっしゃいますが、その場合はやはり、「室内楽」という名の授業を受けていたのか、とても気になります。

私がアンサンブルの授業を受けたA先生とB先生の名前を、「室内楽を~~に師事」という形で公表してもよいのでしょうか?
ちなみに、A先生は私の専攻楽器の師匠でもありますが、先日私の大学の卒業生で同じ門下の方のプロフィールを拝見した際、「室内楽をA氏に師事。」とありました。A先生は個人レッスンと一年生のアンサンブルしか担当されていません。私も、書いても良いなら書きたいです・・・。

そもそも、アンサンブルと室内楽は、定義が違うのでしょうか?

なかなか初歩的な質問でもあるので、なんだか知り合いにも聞き難くて・・・無知ですみません。
近々コンクールがあり、申込書を出すので、この際に質問させて頂きました。
その項目一つではあまり変わりもないでしょうけど、どなたか。宜しくお願い致します。

乱文失礼致しました。

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A 回答 (1件)

 


 慣用語法 ~ アンサンブルは演奏術、室内楽は楽理論 ~
 
 ピアニカとハーモニカだけで「童謡」を合奏しても「アンサンブル」
と呼べますが、モーツァルトの《弦楽セレナード》から「ロマンス」の
メロディをハモってみても「室内楽」とは呼ばれないでしょう。
 
 そもそも「室内楽」は「交響曲」や「奏鳴曲」などと同じく、定型的
な様式にもとづいて作られた楽曲だけを対象とするので、吹奏楽行進曲
《星条旗よ永遠なれ》を、室内で演奏しても「室内楽」とは呼びません。
 
 おそらく「アンサンブル」は合奏形態と機能を指し、「室内楽」では
《皇帝賛歌変奏曲》においても「霊感」が求められたりするのです。
(もちろん、このような論点にも、議論は尽きないのですが)
 
── この曲は、たぶんハイドンの作になるオーストリア国歌の変奏曲
のために、彼の弦楽四重奏曲の代表作のように知られ親しまれているが、
ガイリンガーは、「驚くほど霊感にとぼしい四重奏曲で、彼の後期作品
の系列に位置づけることがほとんどできない」と極言している。(P086)
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000 …
── 大宮 真琴《名曲解説全集 08 室内楽曲 上 19591110 音楽之友社》
 
── アンサンブル【(フランス)ensemble】 《共に、の意》
 1 服飾で、ドレスとコート、上着とスカート、靴とバッグなどの材
質・色調の調和のとれた組み合わせ。
 2 音楽用語。小人数の合奏・合唱。また、合奏団・合唱団。演奏の
調和のぐあい。── 大辞泉(JapanKnowledge)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
 
── 室内楽;chamber music [英語]Kammermusik [ドイツ語]
musique de chambre [フランス語]musica da camera [イタリア語]。
 西洋の器楽合奏において、各パートに1人の独奏者を配する楽器編成
法をとくに重奏(アンサンブル)といい、重奏による器楽合奏曲を総称
して室内楽という。楽器の数により二重奏から九重奏に区分され、用い
る楽器の種類や組合せによってさまざまな形態が可能だが、歴史的に形
成された定型は十数種ほどである。── 日本大百科全書(小学館)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%AE%A4%E5%86%85 …
 
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1.最初はオーディションで入団し、数年たつうちに他団員たちからの信頼を得たり、前任首席の辞職などの理由により、一般団員や副首席から首席に昇格することもありますし、また他楽団からヘッドハンティングされて最初から首席として迎えられることもあります。

2.ありますが、他楽団への移籍や、演奏活動から引退し音大教授に就任するための辞職や、海外留学のための辞職、というのが大部分です。個人的なスキャンダルや他団員と問題を起こして解雇、あるいは技術的なレベルが低下しての解雇、などというのはめったにありません。

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3.下記URLにあるとおり、給料が違います。

参考URL:http://8158.teacup.com/hpproject/bbs?OF=40&BD=6&CH=5

下記URLの10/27の投稿に参考になりそうな記述があったので挙げておきました。

1.最初はオーディションで入団し、数年たつうちに他団員たちからの信頼を得たり、前任首席の辞職などの理由により、一般団員や副首席から首席に昇格することもありますし、また他楽団からヘッドハンティングされて最初から首席として迎えられることもあります。

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現代音楽は、みな?おどろおどろしい感じがします。とても大衆一般受けするようなものはありません。専門家でさえ、陶酔するとか感涙にむせぶとかいうことはないと思われます。音楽の本来の目的である、心地よさから離れて現代曲はある。もちろん存在意義は別にあるのでしょうが。

そこで疑問なのは、ポピュラー界には半世紀かもっとか、多少楽器や編集方法の発展はあったにしても、同じ手法で同じものを作り続けているのに、クラシック界では決してそういうことがないのでしょうか?個人的には20世紀初頭くらいの手法でもう完成させてよくて、それ以上のことは追求すべきじゃなかったのではないかと。たとえば、第二「惑星」とかいって、冥王星を抜いた、ホルストが書いた手法と同様な巨大で機能和声非機能和声を折りいれた重厚長大な曲を、もう一度作ってみようという試みは何もないのでしょうか?

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現代音楽と大衆の乖離は確かに見られるのは現状だと思います。
しかし、現代音楽が大衆からそっぽを向かれたと捉えるだけでなく、現代音楽に大衆は追いついていかれていないという観点からも検討する必要があるのではないでしょうか。

ここであえて「大衆はバカだから」説を打ち立ててみたいと思います。

ベートーヴェンにせよブラームスにせよ、作曲家が作曲し、それが同時代の人に向けて演奏された時は、間違いなく「現代音楽」でした。
今クラシックの代表格となっている楽曲は、必ずしも初演の時から聴衆に好評を博したものばかりとは限りません。むしろ理解されなかったものの方がほとんどです。
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むしろ初演は大好評だったのに時代と共に忘れ去られた作品なども多いのですから、同時代の聴衆の評価などはアテになりません。
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今のところは、努力して現代音楽を積極的に聴く人でないと追いつけないものがあるようです。幸いにして録音技術によって、繰り返し聴くことが可能ですから、理解の一助になるはずです。

ところで、音楽で感動するというのは、ある意味で大変に危険なことです。心を動かすわけですから、下手をすれば洗脳、マインドコントロールの働きを持っています。
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どんな音も楽しもうと思えば楽しめるのですよ。でも聴覚の狭い人はあるものを雑音と呼んだりします。雑音にも雑音の風流があるし興がある。それを味わい楽しむことができるかできないか。大衆の聴覚の狭さが現代音楽を理解できなくさせているのではないでしょうか。

まあ、仮説ですけどね。参考にどうぞ。

現代音楽と大衆の乖離は確かに見られるのは現状だと思います。
しかし、現代音楽が大衆からそっぽを向かれたと捉えるだけでなく、現代音楽に大衆は追いついていかれていないという観点からも検討する必要があるのではないでしょうか。

ここであえて「大衆はバカだから」説を打ち立ててみたいと思います。

ベートーヴェンにせよブラームスにせよ、作曲家が作曲し、それが同時代の人に向けて演奏された時は、間違いなく「現代音楽」でした。
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