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僕は「クスリ」で性格をコントロールしないと、
うまく生きていけません。

本当は、この時代が「異常」で、すごい精神力がないと、
マトモに生きていけないのに、皆さんは「流されてる」ことに気付かない。

そして、最善策でないにせよ「クスリ」で精神を安定させているのは、
実は、マトモな人間だからではないか?

A 回答 (12件中1~10件)

そうですね。

そのとおりです。
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NO.6,10、11です。



先ほどの回答を読んで自殺を考える人がいそうなので追加です。すみません。
『悪を否定する』のが悪とあります。と、なれば『人生を放棄する』のも悪ではありませんか? 誰かがあなたを必要としている限りは生きていた方が良いと思います。あなたが天涯孤独だったら……ゴミ拾いでもこのホームページでの人助けでも良いので生き抜いてください。よろしくお願いします。先ほどの回答は誰かを苦しめるためのものではありません。ご了承下さい。私の未熟さを露呈させたものです……。
オマケです。精神病の境界は非常に曖昧です。なにせカプラン臨床精神医学では『正常な精神の定義』がされていないのですから。
連投、誠にすみませんでした。そして辛抱強く読んでくださって恐縮です。
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NO.6とNO.10です。


 あなたはマトモです。誰もがある程度汚れて生きています。汚れることを選択して生きています。自分に嘘をついてこの世に適応しているのです。
 考えてみてください。本当に『善』になったら食事が出来なくなります。なぜなら食べ物は『他の生物』です。他の生物を殺して食べているのです。ですから食事のたびに私達は悪いことをしています。
 この世では、本当に良い人間は潰れていくのではないでしょうか。太宰治の『人間失格』を読むと彼は要領が悪いな、と思いながらも自らの汚さを思い知らされます。芥川龍之介は自分の子供を殺そうとしたそうです。『こんな苦しい世界に生まれてきて……』と言って。これは他の方の受け売りですが……。ZARDの坂泉さんも癌です。将棋棋士の村山聖さんも優しすぎて、汚くなれなくてストレスによって癌に追い込まれました。夜回り先生でも他の人の犠牲になって散っていった暴走族の男性もいます。
本当に善となった時、食事のたびに他の生物を殺していることに耐えられなくなるはずです。それを無視することは善ではないと思います。
 先ほど、『器の大きさが仇となり現実逃避になる。』と他の方に回答していただいてハッとしました。
精神的な病気にならない一番の方法は何でしょうか。簡単です。『悪魔になる』ことです。他人を苦しめてのし上がっていく人に精神病の人を私は知りません。悪い人になれば精神病は治ると思います。
 繰り返しますが『食事のたびに他の生物を食べる』以上、『この世に生きているだけで』毎日悪いことをしています。それが私達です。
 この事実に気付いたとき、私は愕然としました。己は良い人だと自己満足していましたが、自分も悪い人だったのか、と。先ほど書いた村山さんは『自分が他の人を犠牲にしている』事実に耐えられずに死んでしまいました。この世で生きていること自体が悪です。他の生物を犠牲にしている以上、それは否定できません。都市では若者のホームレスすら溢れています。(ビッグイシューは必読です。)ハイチでは多くの人がコレラで死んでいます。彼らを見殺しにしているのが私達です。
 と、ここまで読んだあなたは『自殺』を考えしたか? ふっと頭をよぎりませんでした? ここからが大事です。よく読んで下さい。
 では私達はどの様にして生きるべきなのでしょうか。私自身、答えはまだ出ていません。しかしひとつだけ気づいたことがあるのです。この世自体は悪です。生きているだけで悪いことをしています。それは間違いがありません。しかしです。

 『悪を否定するのは悪』

 ではありませんか?
 本当の善とは……

 『悪を赦し、受け入れる。』

 ことではありませんか? 悪を受け入れる、といっても悪に染まることではありません。言い方を変えれば悪を『利用する』のです。例えばこの世で生きていて犠牲は必ずあります。あなたも親族が亡くなったことがあるはずです。そのような『不幸』があって初めて気付いたことがありませんでしたか? あなたは親族を亡くさなければ『人を失った人の悲しみ』は分からなかったはずです。あなたは薬を飲んでいる、とのことで言い方は悪いですが社会的に言えば弱者かもしれません。しかしあなたは自分が弱者にならなければ弱者の痛みも分からなかったのではありませんか? 私は幼い頃にホームレスの人々を馬鹿にしていました。学校の先生も馬鹿にしていました。しかし色々と苦労した今ではホームレスの悲しみ、先生方の悩みに共感できるようになりました。もっと言えば他人を苦しめる人々ですら100%は憎めなくなりました。

 『人生に必要なのは3つだけ。勇気と希望とsome money』とはチャーリー・チャップリンの言葉ですが、この苦しい人生と言う場所を生きるために、何か希望を持ってはいかがでしょうか? 希望、言い換えれば楽しみです。希望があれば勇気はついてきます。勇気があればお金は何とかなります。日本には生活保護制度がありますから。飢え死にはしません。私も自助努力が及ばなかった場合には生活保護を頼もうかと思っているくらいです。

 楽しみは『追求できる』ものが良いと思います。自分の技量が上がるのは本当に楽しいものです。また、楽しい事柄の努力をしている間は嫌なことは忘れられます。それが心の支えになります。『自然・運動・音楽』これらは人生に欠かせません。『道草に熱中しろ』とは本多信一さんの言葉ですが、いかに『道草を見つけられるか』が人生では大事ではないでしょうか。私は『バイオリン、筋肉トレーニング、剣術、オルガン、口笛、ゴミ拾い、自然観察』などです。

『全ての人生は合格。自殺しなければ大成功。』

長い回答を辛抱強く読んで下さりありがとうございました。あなたの今後の幸せをお祈りしています。
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NO.6です。


 一応補足です。実はカプラン臨床精神医学という翻訳本には『自律神経失調症』という項目はありません。カプランは世界的なベストセラーの精神医学の本です。アメリカで出版されたものを日本で翻訳したものです。これが何を意味するかと言うと、『自律神経失調症は日本に特有』の病気である、ということです。日本の医学会は割りと閉鎖的です。良い悪いは別にして。ですので分類できない精神病患者に対する病名として『自律神経失調症』という名前を考え出したのかと思います。
 おたま様。騙されたと思って医学を勉強してみてはいかがですか? ハリソン内科学やギャノング生理学は難しいと思いますがカプラン臨床精神医学は文章だけなら新書レベルです。(非常に分厚いですが……)お医者様の言うことは大事ですが、医学の真実を知るのも悪くは無いと思います。お医者様に任せるだけが全てではないと思います。

この回答への補足

たびたびの回答、ありがとう。
私は「自律神経に異常あり」と医師から言われております。
ただ、明確な病名は言われていません。
カプランは覚えておきます。

私は「重い、うつ病」です。SSRIも服用しています。

私は「信じられない人間」と尊敬する人物から批判されています。
ですが、だからこそ、よい方向で「不可能を可能にできる」と信じています。

長文、本当にありがとう。

補足日時:2011/02/20 12:42
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昔は精神科医などは存在していません。

従って薬も存在していませんでした。原始時代には『精神を病む事』は無いと、断言できませんが、今の時代で文明が遅れている部族では『精神病は無い』と云う事を何かの機会で見た気がします。

今の時代は、心に困難が生じた時、『司祭のところには行かないで、精神科医の元に人が押し寄せている』と云う記事を見た事があります。失恋の痛みを『薬でカバーしようとする事』が今の医療の実際と感じています。

人間の心に湧き上がる『普通の感情』を湧き上がらないようにしたり、感じないようにしていると感じています。湧き上がる感情を『悪いものとして蓋をする効き目が、良い薬の条件』と感じている者です。

精神の安定という事を考察する場合、何が安定かと云う基準がない事が判ります。或は自律神経失調症と云う場合、何回も検査をしても『何処にも異常が無い場合』のことを指しています。

鬱と云う場合や、心に異常を感じると云う場合や、身体に異常を感じると云う場合や、自分の行動に異常を感じると云う場合、訴える症状が有ります、ですが健常者と云う人たちもその訴えている内容は『良く理解出来ます』ただ、異常として『意識上に載せて問題としていないだけ』と感じます。

今の精神医学の方向性に疑問を持つ一人として、書いています。湧き上がる感情を『意識した場合』その感情は『拡大して大きくなる』と云う性質のものです。

高所恐怖症にしたところで、誰の心にも、『今何メートル位の高い所にいる事は』意識に送られてくる情報から判ります。スピードを出し過ぎた場合にもです。狭いところや、広いところにいる事は、自我意識に送られてくる『言葉に拠らない情報として』心は感じています。

人間の心の無知から、人間は病気を創っていると感じています。

人間の心は、感じている自分の心(自我意識)と感じさせている自分の心(無意識の中に存在している意識)の二つの心から成り立っているのですが、この情報は『言葉ではない情報』例えば殺気や空気として、或は高いところにはそういう感じとして、スピードの場合にはそのスピードの程度に応じて、人に会う場合はその人の情報として、意識に送られている内容から、『自我意識は言葉に変換して解読をして、湧き上がる感情として処理をするシステム』をとっています。

その二つ在る心に矛盾が生じた場合『心に違和感が生じます』その事をキリスト教では『失楽園』=知恵が付いたために、天国から追放された状態、と表現しています。

脳の機能が未だ、未発達の場合『幼子』と言っています。天国に一番近い存在として聖書に書いてあります。その訳は、脳の機能が未発達の為に、未だ心は一つしかなくて、矛盾していないと云う意味になります。

思春期頃から脳は、大人の脳に近くなります。すなわち、機能分化が完成に近くなって、『二つの意識として、それぞれ、別な人格として働き始める事』を意味しています。悩みが始まると云う意味になります。それに伴って、心を病む機会が増えてくると云う意味です。

心を病むという原因は、『生きる為に送られてくる、もう一つの心からの信号を、悪いものとして、処理をしている事が原因です』

失恋した場合、心やその人自身には、傷が刻まれてゆきます、ですが人間はその傷に負けないで『成長せざるを得ません。』何故ならば、『人間は泣きながら成長して行くも者だからです。』そうして本当の人間関係を学んで行くことが出来るからです。

辛い体験から、人間は『大悲や、大慈』と云うものを身に付けて、大きくなっ行くからです。辛い体験が無い人生も大切かもしれませんが、耐え難い体験からも人間は『学ぶ事が出来るから』です。

自分の苦しみを乗り越えて、人にまでその辛い体験から学んだ事を、伝えてゆく事が出来るからです。貴方が辛い体験をしているなら、乗り越えてゆく事が貴方の使命と感じます。『どうして人間は苦しまなければいけないのか、』と云う事を、東洋で残した者に、『お釈迦様』が存在します。

この世は『一切皆苦』と云う事です、今の貴方の心境です。お釈迦の教えは『自分の中に自分を苦しめている者が存在している』と云う事です。そのものとの出会いが『見性』すると云う事になります。

つまり、自分自身の中の『自分を苦しめている者』との出会いで、人間の苦しみは解消すると云う事を発見した、初めての人だからです。

その原理は、自身の中には、全てを見通している者(仏)が存在している事です。人間の命の全てを司っていて、人間に全ての現実を見せている者が存在している事です。その者のお陰で人間は、目の前の事を認識できていると云う事です。

ですがその者と仲違いする事によって、現実を二つにして観てしまう事です。妄想が病む時、目の前の地獄は消滅します。
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もう、無人島を買って自給自足されたらいかがですか。


薬キメないといけない精神系病人が、舐めた事を言うな。

>本当は、この時代が「異常」で、すごい精神力がないと、
マトモに生きていけないのに

↑これは流されているとは言えないな。
「流されている」のではなく「堪えて、我慢し落とし所を見つけている」
だけだよ。

あなたのは「甘え合い」以下の乞食根性丸出しじゃなイカ?

さっさと治療に専念しなさい。
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貴方に合ったクスリを開発してくれる人が居る今の時代で良かったですね。


貴方のクスリ代も健康保険で70%ぐらいは他人が負担してくれる今の時代で良かったですね。
貴方の相手をしてくれる人間が居なくても、ネットで憂さ晴らしできる今の時代で良かったですね。

この回答への補足

社会とは助け合うために集まったもので、
基本的に「甘え合い」である。
それすら知らずに歳をとるとは、悲しいです。

補足日時:2011/02/19 21:22
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いつの時代も異常性はあると思います。



原始時代でしたら動物虐待の時代です。マンモスを殺し、ウサギを食べていました。生きるためなら動物の毛皮をはぎます。動物の保護はほぼしていないはずです。現代の人々は動物には優しくなったものです。

中世は奴隷制度の時代です。上にこき使われて死んでいくだけです。中世では大体は中年まですら生きられません。

戦後は物が無い時代です。変わりに自然はありましたが……。私は昭和の日本が一番好きだったのかもしれません。

現代はストレスの時代です。殆どの人は同等になりました。しかし逆に殆どの人がどこかで潰しあっているのではないでしょうか。中世は奴隷の人々は協力し合っていたと思います。現代は楽しみが多いですが苦しみも多い時代です。

結局、矛盾はいつでも存在します。そして社会に適応できない人も必ず出てきます。ただ、適応するというのは往々にして『追従する』ことだとも思います。大人になることは矛盾に耐え忍ぶこと。そう考えてしまう今日この頃です。

どちらにしろ人生とは辛い場所です。苦しむ場所です。その様な場所で生きている全ての人は素晴らしいと私は思います。あなたはクスリを飲んでいるそうですが、クスリを飲んでまで人生を放棄せずに頑張っているあなたは素晴らしい人間だと思います。今この回答を読んでいるあなたも。

『全ての人生は合格。自殺しなければ大成功。』
私はこれが心の支えです。
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この時代だろうがどの時代だろうが、適応できない人間から見れば「異常」です。



あなたは、自分の無能を時代のせいにする、そういう典型です。

あなたが適応できる時代っていつですか?

とても惨めな人ですね・・・ (合掌)
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何を正常と考えるかは、結局のところ、解釈だと思います。


なので、質問者さんが自分に基準を置いた時、自分はマトモで、時代が異常なのだ、と解釈を与えることは可能だろうと思います。
ただ、それは同時に、世間に基準を置いた時、世間が正常で自分が異常なのだと考えることも許容せざるを得なくなってしまいます。

なので、時代と自分との等距離のところに基準値を置くことで、自分を異常とする可能性をなくすことはできるのではないかと思います。
もしかしたら、質問者さんは敏感なだけかもしれません。
もしかしたら、時代は少し早いだけかもしれません。
早く通り過ぎる対象に敏感に反応していては、人の神経は疲弊してしまいます。
時代の早さに敏感になり過ぎないように、薬が助けているのかもしれない。
そう解釈をする時、どこにも異常は発生しないし、何が正しいかを争う必要もなくなるのではないでしょうか。

形而上の結論が解釈であるとしたら、そこに正しさの定義は必ずしも必要ではないでしょう。
全ては混沌の中に存在するものです。
そこに基準値という点をもうけることで、異常やマトモという解釈が生まれる。
だったら、その点はなくてもいい。
あらゆるものは存在という点において、肯定され得るものです。
質問者さんがマトモでも異常でも、どちらでも、その存在は存在として肯定されるのならば、好きなように解釈していいのかもしれません。

勿論、それら全てが肯定される以上、他の存在を阻害してはなりませんが、他者の存在を脅かさない限りにおいて、質問者さんの存在もまた全肯定されるということだろうと思います。
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