No.1ベストアンサー
- 回答日時:
漢文というほどのことではなく単なる記事です。
*読み
明成祖朱氏
みんのせいそしゅし
棣賞賜文渊閣大学士用
ていはだいがくしにぶんえんかくをたもう
大明永楽六年仲夏月
だいみんえいらくろくねんちゅうかのつき
*意味
「永楽大典」の完成直前の永楽6年5月、明の成祖朱棣は、皇帝顧問団の執務場所を文渊閣に定めた。
該書完成は永楽6年12月14日とのこと。
*前提知識
明成祖=中国・明代の第三代皇帝(明の創始者太祖朱元璋の第四子)。
燕王として北平(現北京)を守り武将としても優れる。
1398年洪武帝逝去後、血肉の争いを経て皇帝位を手中に。
1402-1424年在位・・・1403年に改元し永楽元年とす。
政治改革、辺境軍備の強化、文化事業で精力的な治世。
儒教文化思想に依る統治の基盤として国家蔵書を拡充。
1403年(永楽元年)古今の書籍を集大成・編纂を命じ、
1408年(永楽六年)「永楽大典」を完成し、文渊閣に保存。
学者3,000余人従事、図書8,000余種、11,095冊となる。
1421年(永楽19年)南京から北平(現北京)に遷都。
遷都後宮城内の一角に文渊閣を建て、
南京から移送した永楽大典は“文楼”(蔵書館)を専用保管所とする。
*補足
朱=明の皇帝の姓
棣=成祖の名。
即ち成祖の姓名は朱棣・・・漢音zhū dì日本語音しゅてい。
賞賜=賜る
文渊閣=明の創始者太祖が南京に創設した古今の書籍収蔵庫。
後に大学士即ち皇帝の顧問 7名の執務場所。
「宮廷内の文渊閣」から“内閣”なる語が生じ現在に至る。
清朝になると四庫全書で有名。
大学士=皇帝の政治顧問。
創始者太祖の遺言により意見具申のみ、権限なし。
大明永楽六年=1408年。都は南京、北平遷都以前。
仲夏月=旧暦5月(初夏・仲夏・晩夏の謂い)。
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