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ミーハーと見栄はりの違いって何なんでしょうか?

見栄はりとは、自分をよく見せようと格好をつける
と言うくらいはわかるのですが・・・・。

ミーハーもそうではないのでしょうか?

A 回答 (9件)

cyototuさん、Mokuzo100nennさん、


いろいろとご指導、ご鞭撻ありがとうございました。
最初の回答は若い方にも分かり易いようにと、例をバブル時代くらいにもってきたのが、かえって混乱するもとになってしまったのですね。次回から気をつけていきたいと思います。
また、機会があれば厳しく叱ってやってください。どうもネット発言は調子に乗りすぎて危ないです。

mitu722さんにも話が大きく跳んでしまい、大変失礼しました。しかし、ただ有名なものを追っかけていくだけのミーハーと、自分が格好良く生きるために全てをかける本来の見栄張りの違いは、この問答を通してお分かりいただけたのではないかと思います。
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#4さんの例えを下記の様に改造してはどうでしょうか。



オリジナル:
金がなくても分不相応でも、江戸っ子の見栄のために十日分の生活費をつぎ込みました。普段ユニクロでしか買い物をしなくても伊勢丹のショッピングバッグを持ち歩き、中身が入ってなくてもヴィトンの財布を持つのです。今は難しいですが、大借金してBMWを買うなんてのもありましたね。

改造版:
金がなくても分不相応でも、江戸っ子の見栄のために十日分の生活費をつぎ込みました。普段は掛蕎麦しか食わなくても、友達と飲みに行けば大吟醸酒を振る舞い、自分の背広は吊るしでも、娘が二十歳になると言えば、江戸友禅染の振り袖を誂えてしまう。今は難しいですが、大借金して総檜で出桁化粧入母屋造の家を普請するなんてのもありましたね。

つまり、ヴィトンの財布やBMWでは、「みいちゃんはあちゃん」達との区別がつきにくいでしょう?
特に自分の財布、自分のクルマでは、ミイハーとの区別がつかなくなる。

正統派の見栄張りというのは、自分の事は後回しにしても、友達の為、娘の為、そして爺さん婆さんの為なら無理してでも最高の物を、なんて考えたのではないでしょうか。

実際のところ、初鰹を奮発するのも、女房に喰わしてやりてぇって気持ちがあってこそなんだが、その気持ちが行きすぎて「女房を質に入れ」てしまう矛盾が、あの川柳の面白さとも考えられます。

見栄張りが浪費する時、自分の為よりも身内の為という大義名分があるのじゃあないでしょうか。
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#5です。

今回もここの欄が私にとって役に立ちました。馬には乗ってみよ人には添うてみよと言いますが、人にはいちゃもん付けてみよ、なんてのも良さそうですね。その結果、今回も私が普段深く考えなかったことを教わりました。#6のCaromsさん有り難う。
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No.4のCaromsです。


普段あまり反論はしないのですが、cyototuさんのご経歴に興味をもちましたので、少々突っ込んで語ってみたくなりました。 本来は歴史カテの話題と思いますが、行掛り上少々お付き合いください。
前回は「ミーハー」との比較だったので、多少誇張した表現をしてみました。 それが引っ掛りになったかと思います。

江戸期という太平時代、首都江戸には「見栄」と「張り」に象徴される特異な江戸気質があったのは確かです。将軍のお膝元という土地柄と手柄を競い合う武家の気質の影響が大きかったと思います。

初鰹の川柳は勿論大袈裟な洒落で、落語のマクラに使われるような話です。確かに誰もが実際に鰹を買えたわけではありませんが、流行に敏感な江戸庶民の憧れの対象ではあったという記憶はそうやって文字通り語り継がれてきたわけです。
また、町内の豪奢な神輿や上水道で整備された町を自慢したり、吉原・深川・千住宿などの歓楽街では傾城たちが見栄を競い合いました。「深川芸者は体を売らずに芸を売る」という自慢も一種の「見栄」であり、気概・矜持を保つための「張り」であったのです。

江戸開闢以来、江戸吉原、京都島原、大阪新町・長崎丸山では遊郭が特色を持ちながら発展し、西鶴の「好色一代男」では「京の女郎に、江戸の張(はり)をもたせ、(長崎の衣裳を着せて、)大坂の揚屋で遊ぶ」というひとつの遊びの理想が語られました。

吉原の花魁の特色は、島原が高級遊女に公家の姫様をモデルとしたのを取り入れ、更に武家の娘の気位の高さ・気の強さを加味したことにあります。上記の「張り」とはそういう気高さのことです。

現代では意味が軽くなりましたが、「見栄を張る」とはたとえ命がけであろうと身代を棒に振ろうと、「格好をつける」ことであったのです。火事の消化に命を張る火消しが様子の良さに気を配り、娘たちの憧れであったことなども知られています。

翻って京・大坂の上方はどうだっかかといいますと、もともと貴族と商人の町であったというプライドの高さが強調されています。「上方(京大坂)」からの「下りもの(輸入物)」が珍重され、江戸の地元品が「下らないもの」として下に置かれていたのはその象徴です。
貨幣制度も江戸の金本位制に対抗して大坂で「銀本位制」を幕末まで持ち続け、幕末の金流出の大きな要因になりました。江戸との大きな違いは昔からの物への愛着が強く、それを維持する事にプライドをもっているということでしょうか。
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#4さんの論理、一寸危ないなあ。



>江戸時代、初鰹を手に入れるのにお大尽から庶民まで大枚はたいて買ったというのはご存知ですね。「女房を質に入れても初鰹」などといわれたように、金がなくても分不相応でも、江戸っ子の見栄のために十日分の生活費をつぎ込みました。

皆がやっていることは別に話題にもならないので、そんなことが特別に文章で残るなんてこと滅多にないんですよ。皆から見て、有り得ない、びっくりした、なんてことが文章に残っている場合が殆どです。だから、このような川柳ができたということは、江戸っ子も驚いているからできたのだと思った方が、事実に近い可能性があります。この川柳があると言うことは、殆どの江戸っ子が見栄のために十日分の生活費をつぎ込まなかったからだとも考えられないこともない。

他の例では、一昔前の日本の教育では二言目には個性と言っていました。あっちでもこっちでも個性個性と言っていました。それは、日本のそれまでの教育では個性が育たないと危惧していたからですね。それを、日本の教育者とは二言目には個性と言っているのだから、当時の日本の教育では個性が十分育成される教育をしていたのだ、と外国の方に解釈されたら噴食ものですね。もう一つの例は、アメリカでは二言目にはフェアーの精神と言います。何故ならアメリカ人は自分達の国がフェアーでないことを知っているからなんですね。それを、アメリカ人が二言目にはフェアーというから、アメリカはフェアーな国なんだろうと考えてしまうのは、大変な見当違いですね。

日本民俗学と言う学問がありますが、その学問の基本的態度は、書物に残されている物事は、その当時の人にも珍しく奇異に映ったからこそ、それが書き留められたと考える態度です。逆に、その当時の人にとって余りにも当たり前なことは、ことさら書物に書き留められません。その結果、その習俗が廃れてしまった後には、どんな習俗が在ったか解らなくなってしまう。もっと悪いことに、そんな習俗が廃れた後では、書物に書いてあることがその当時のやり方だったなどと誤解をしてしまう可能性があることです。そんな埋もれてしまった習俗を、私達に残された方言やお祭りや習慣などのなから、どうやって引き出して来るかを探るのは質の高いクイズを解いているみたいで、民俗学って大変面白い学問のようです。

さあ、この川柳が残ったと言うことは、江戸っ子は果たして本当に見栄っ張りだったのでしょうか。私には、歴史が長くていろいろ込み入った習俗が残っている京都の人の方がよっぽど見栄っ張りのようだと思えないこともないです。
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ミーハーは大体皆さん仰る通りですが、No.3の方「見栄をはる」はちょっと解釈が違います。



江戸時代、初鰹を手に入れるのにお大尽から庶民まで大枚はたいて買ったというのはご存知ですね。
「女房を質に入れても初鰹」などといわれたように、金がなくても分不相応でも、江戸っ子の見栄のために十日分の生活費をつぎ込みました。普段ユニクロでしか買い物をしなくても伊勢丹のショッピングバッグを持ち歩き、中身が入ってなくてもヴィトンの財布を持つのです。今は難しいですが、大借金してBMWを買うなんてのもありましたね。

お金がないから、本当は欲しくても欲しくないと言い張るのはただの痩せ我慢です。イソップの「すっぱいブドウ」ですね。
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>i-padが発売されてすぐに、それに飛びついたりしたりする人とか・・・。



iPadですね。(iPodやiPhoneもそうですがIPADでもi-Padでもi-padでもI-PADでもありません。)
本当に欲しくて必要としているのならミーハーとは言いません。
それを使って何をしたいとかも無く、単に流行っているからとかならミーハーです。

見栄っ張りはこの逆で、本当は欲しいのだけれど訳あって買えない(お金がないとか)時に「ネットブックを持っているから必要ない」とか言う人です。

本当は無くても自己主張とかポリシーがある様に思わせたりするのが「見栄っ張り」で、それらが全く無く回りに流されるのが「ミーハー」ですから意味としてはほぼ逆になります。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございました。
何となく理解できまいした。

たしかにそうですよね。本当に必要なら、新しい商品で、はやっていてもミーハーには
ならないですよね。

無くても、良いのならミーハーになりますよね。

お礼日時:2011/04/06 14:24

ミーハーって芸能人や有名人にすぐ熱を上げたりする人のことで、その相手のファンじゃなくてもすぐキャーキャー騒ぐというイメージがあります。

ミーハーであることは、時として恥ずかしい場合もあるので、むしろ見栄なんかない人の方が多い気がしますが…。

この回答への補足

よく私は「ミーハーだから」と言う表現をしますが、たとえば「まだ、発売して間もない商品を身につけている人」って言うのは「ミーハー」とはいわないのでしょうか?

i-padが発売されてすぐに、それに飛びついたりしたりする人とか・・・。

補足日時:2011/04/05 23:35
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ミーハーってみいちゃんはあちゃんで、流行りものに直ぐに飛びつくとか、人気の芸能人に熱を上げるとかですから見え張りとは意味が違うと思いますけど。


強引に言えばノンポリの方が近い気がします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC% …
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