プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

悔しくてたまりません。
今まで誰にも信じてもらったことがありません。
悲しいです。
誰にも信じてもらえなくて周りに腹を立ててもやっぱり原因はわたしの性格の弱さと根性の悪さのせいで行き場をなくして信じてくれなかった家族と顔を合わすのが恥ずかしくなります。
自分はやってないって弁明してもお前がやったと信じて疑わない家族に腹が立って怒りをこめて違うとやってないと言っても私が変に怒るからやっぱりお前がやったんだと最終的に言われます。
わかったわかったって流されることもあります。
わかってるわけないじゃないですか。
くやしくて泣けばなんで泣いてるのと笑ってきます。
でもやっぱり私がおかしいので信じてもらえないんです。

毎日涙がしょっぱくなくなるまで泣きほうけて疲れました。
立ち直ったと思ったらまた振り出しに「もどります。
他人のせいにしないようになるにはどうしたらいいのでしょうか。
苦しいのはもういやです。

A 回答 (7件)

何があったのかは知りません。


ただ、やっていないのに一方的に疑う家族の方が根性悪いんじゃないかと思うのは私だけでしょうか。
信じて欲しい気持ちもわかりますが、何が何でも信じないと言う人に信じてもらおうとするのは、もう諦めたらどうですか?
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信じてもらおうと思うから傷つく。



信じない人はそれまでの人。
家族でも。
割り切ろう。

ほんとは信じてるけど、信じてないって対応をしてるだけかもしれない。だから結局言葉態度じゃわからない。

相手も同じだと思います。信じる、信じないに捕らわれず、生活するトレーニングをしてください。
そういう思いがこみ上げてきたら、なるべく他のことを考えるようにするとか。
トレーニングで少しは
気持ちも楽になりますよ!
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>他人のせいにしないようになるにはどうしたらいいのでしょうか。



これだけやったら文句のつけようがないだろう、
と自分で思える所まで、
「信用できる人間」になるための努力をして下さい。

より上を目指せば謙虚になれます。努力できます。
信じられない方の理屈も、今よりは分かります。
人のせいにしない、というより、
自分のせいに「も」できるようになります。

もちろん、簡単じゃないですよ。
まあでもともかく、
被害者って所で満足してたら、ずっと被害者のままです。
被害者のままでも楽だったらそうしてもいいけど、
耐えられないなら這い上がるしかない。

最終的に、信じてもらえるようになるかは分かりません。
それでも信じない人はいるでしょう。
ですが少なくとも
そこまで強く「信じてほしい」とは思わなくなります。
要するに、自信がつくというか、
精神的に自立するというか、そういう状態になります。
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私が高3の時。


同学年で内履きの盗難が横行してました。
次第に回数も増し、体育用と普段用で2つ備えてた私は、盗られるのはイヤだし、疑われるのはもっとイヤなのでカバンに入れて持って帰ろうとしたところ、
同じクラスの人たちが、カバンを勝手に開けて先生に犯人として報告。
1時間目の授業中に、好奇の視線を浴びながら先生に連れて行かれました。
事情を話して先生たちに理解をして貰えましたが、先生が学生に説得するワケもなく、
当時、挫折からクラスの空気と化した私は、信用を買うことは出来ず、完全に靴の盗難犯として扱われることに。

しかも、その日の私が別室に連れて行かれた時に、また外履きの盗難があり、その靴は他の学年の靴箱に入っていたのが学生が見付けたものの、別室にいた=全体とは別行動だったことから、言い訳すら聞いて貰えません。
因みに、盗難された靴が見つかったのはコレが初。
おかしな話。今の今まで、まったく見つからなかった靴が、たまたま全員で靴箱を確認したら見付かる。
まるで、探す側が靴のある場所が分かってるようです。
それ以後も、生活指導の先生や担任の先生から授業で呼ばれました。
これもこれで、まわりから見たら盗難者だから呼ばれてると思いませんか?
加えて、担任の先公は終始、私を疑いました。

そして、土日の模試の月曜が祝日。その次の火曜に私が遅刻で行くと、
またしても靴の盗難。どうやら祝日の月曜に何かがあったみたいです。
それで、私のロッカーに靴が入れられて、ドアが開けられてた。
誰も口をききませんが、まわりの空気やヒソヒソ話から、そうゆうことがあったと察しました。
私は日曜に皆とは別に早く帰されてて、火曜は遅刻。
月曜は近くのコンビニに行ったくらいで、学校には行ってもいません。
担任の先公は、仕切りに聞いてきます。
祝日は何してた?ドコにいた?靴の盗難の話を誰から聞いた?どうして知ってる?と。
家に誰もいなくて、1人で過ごしてた。なんて、誰も証明出来ない。とか・・・普通じゃないですか?
全校生徒720人がいて、私一人だけ証拠が無いということなのでしょうか?
盗難の話のリーク元を聞いたということは、先生たちも私を犯人として、私に勘付かれないよう皆に言ってたということなのでしょうか?
よく分からないけど、その月曜に校内で私を見たという人も出てきました。

担任の先公はほっぽり置いといて、教頭先生をはじめとしたそれ以外の先生で私を信じてくれた人たちがいて、
まあ、弁明の余地を下さったんですね。私1人がクラス全員に対して。
全員が全員、私を疑ってて、1つ1つ質問に答えて差し上げました。
祝日に靴の盗難があって、私が家にいた証拠が無い話。
私を見たという人が来て、「見間違いなんて、普通はしないだろ?」の一点張り。
ということは、見間違いというのは、絶対にあり得ない状態を指す言葉なのでしょうか?
信用の無い私が信じられることはありませんでした。
近くのコンビニで買い物をしたものの、レシートは取っておく必要がないので処分した。と言えば、
そんなすぐにレシートを処分するのはおかしい。と。
返品する見込みがないのに、溜まる一方のレシート。
きっと、いらない。という人が多いから設置されたレジ近くのレシートボックスに入れるのの、何がおかしいのでしょう?
すぐに処分するのがおかしいのなら、いつ処分するのが普通なのでしょうか?
結局、30人の黒だと思う奴らを、私一人で白に変えることも出来ず、私が退かなければならなくなりました。
すごく、悔しかったです。

後日、教頭先生が必死に調べてくれて、
祝日に私を見たという生徒が言ってた時刻と、私の親が私を家で確認した時刻とでは、どうしても移動時間にツジツマが合わないことを見付けてくれました。
それを言及したら、疑ってた彼らは何と言ったと思います。
「親を利用してる。」

すごく不快な高校生活でした。今思い出しても、悔みきれません。
確証があるならまだしも、いえ、私の場合、移動時間の証拠が出たのに、疑いだけで信用出来ない。お前が犯人だとか。
というか、祝日に校内で私を見た人は、どうして怪しくないのでしょう?
結局のところ、彼らには私が犯人でない証拠なんてどうでも良いのでしょう。

それで私はどうしたか?と言いますと、
彼らの信用を買うことも、これ以上の言及はしたくなくなりました。
やるだけムダなのもそうですし、自分がもたないから。
しかしながら、胸の内には悔しさや怒り、復讐の炎を持ち続けています。
いつか、彼らが社会的に同じ目に遭うことを、切に望んでいます。
そんな感じです。
負の感情なんて誰しも持っています。
それは自分を削らない程度に、心の内に煮えさせるのが良いと思います。

参考までに、
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状況違いますが


私は親に変なふうに育てられました
だから学生の時卒業したら家を出るって決めてました
あなたも親から離れれば状況変わると思います

そしたら
あなたはあなたが信じればいいこと
真実は1つ!
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先ず、他の人の回答見ていますか?


見ているなら、何らかのアクションを起こした方が良いですよ。

これだけの人があなたの事を心配して、あるいは力になろうとしているのですから。
もし、知らんぷりのままなら・・これからもあなたの人生に展開することは今までどおりとなる事でしょう。
人生とはすべからくその様なもの・・と、今までの経験から感じます。


さて、私もあなたと似た様な事を沢山経験してきました。
最初は7才だったか、8才の頃だったか・・遙かに昔の話なので時期ははっきりしません。
しかし、どの様な事を言われたのか・・は今でもはっきりと覚えています。

そうそう、私はこの様な問題はすでにクリアーしていますので・・・
但し、時間は掛かりました。
50才になる頃まで、顕在意識には殆ど上りませんでした。
ことある毎に漠然とは感じていたのだろうと、今では思いますが、当時はそれ以外にも様々な問題があって、明確にはなっていなかった・・が正直な所です。

あなたの様に、辛い思いをされてはいるが、それが明確になっていると言う事は、ある意味素晴らしい事です。
上手く対処できれば、即解決・・かも知れません。

私は実践心理学・・その様な分野はないと思いますが、他の人の説明するときに、私が行った事を説明するのはとても難しいのでその様な言葉をつかいます・・・を学んでいます。
この実践心理学は、いわゆる心理学の本などは使いません。
その時々の話題などを材料には使いますが・・
ですから、心理学を構築したであろう、偉い先生方の本など一冊も読んではいません。
もちろん、用語は心理学から拝借したりはしました。

私は7~8才頃の出来事を手を変え品を変え・・何度も何度もその場で話しました。
もう、皆に飽きられました・・
ある人は、もう許してあげなさいよ・・などと言い出す始末です。
それもそうでしょう・・と今なら思いますが・・
当時は、その様に言われると、私の事を理解してくれない・・と不満が募ります
で、次回の勉強会の時にまた、同じ話を繰り返します。
だって、私は、私の話を聞いて貰った・・実感がないのですから・・・

あるとき、実践心理学を主宰している先生が、君の気持ちはよく分かる・・
無罪なのに警察に連れて行かれ、白状しろ・白状しろ・・と言われているのと同じだ・・との言葉がありました。

その時、私は初めて私の心を理解された・・と感じました。
変わり始めたのはその時からです。
実践心理学を始めてから7年の年月が経っていました。

何を言いたいのか・・心の問題は、本当に難しい。
表面的に同情をされても、本心からか、あるいは核心を突く言葉などがないと、理解されていないと感じてしまうのです。
そして、また同じ事の繰り返し・・
そして、仲間からも飽きられてしまいます・・
それで去って行った仲間も大勢です。
問題を抱えたままにね。

私に「もう許してあげたら」と言った人・・自分も同様の問題を抱えていますが、私にその言葉を言ってから10年近くになりますが、まだ自分の問題が解決していません。
心の問題は良い子ぶっていてはダメなのかなあ~・・とも感じます。
かと言って、何時までも同じ話を続けていても、仲間も離れるばかり・・
この様な難しさもあります。

>>毎日涙がしょっぱくなくなるまで泣きほうけて疲れました。
立ち直ったと思ったらまた振り出しに「もどります。

泣いた所で問題は解決しません。

問題を解決するには自分と向き合う・・必要があります。
信じてもらえない・・それは相手側の問題でもありますね。
信じてくれない・・と言う事に対して自分と向き合う・・何か理不尽な話にも聞こえるでしょう。
しかし、他人は補助や援助は出来ますが、最終的には本人が本気で自分と向き合うしかありません。
自分と向き合う・・言葉は簡単ですが、事実は大変な作業ですよ。

親が・・友達が・・知り合いが信じてくれない・・
などと最初は言いつのりますが・・その様な事は直ぐに終わってしまいます。
良く良く自分の心を見つめると・・自分の醜さが表れてきたりします。
それが大変と言うか、とても辛い話です。
自分が被害者と思っているなら、ある意味話は簡単。
所が自分も加害者だったりもします。

その時が辛い・・本当に辛い。
自分と向き合う・・とは素の自分と正直に出会う・・と言う事ですからね。
他人には嘘はつけても自分には嘘はつけません。
まあ、通常はその醜い自分はパスして潜在意識の奥底に閉じ込めているのですがね。
しかし、今回の様な問題を本気で解決しようとするなら、素の自分と向き合う事になります。

それには覚悟が必要ですよ。

文字数が無くなりました・・続きます。
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NO6の続きです。



さてさて、

>>他人のせいにしないようになるにはどうしたらいいのでしょうか。

NO6で、その答えの一部は書きました。
自分と向き合う・・です。
しかし、これがとてつもなく難しい・・
一朝一夕にはそれが出来る様になどはなりません。
また、方法(方向性)を誤ると・・何が何だか分からなくなる・・と言う危険性もあります。

自分と向き合う・・などと言う言葉も実はとても無責任な言葉でもありますね。
言葉に出せばそれだけの話なのですが・・具体的にはとても大変は作業でもあります。
第一、心理学を学んだであろう人が、自分と向き合った経験など皆無・・ではと思います。
皆さん教科書でお勉強でしょうからね・・・それで本当に人の心など・・
また、お勉強は自分以外の人対象でしょう・・自分は問題などない・・・と思っているのではないでしょうか・・・

ですから、先生を捜すのも本当に大変・・大変のオンパレードですね申し訳ない。
運良く自分と向き合った経験、自分を見つめた経験のある先生に出会っても、自分が本当に辛さをクリアーしたいと思っているかも実は・・なのです。

辛い・辛いとは言っていても、薬があるのなら、薬で何とか・・と言うレベルですからね。
正直な話。

自分と向き合う覚悟が出来たなら・・後は簡単。
この覚悟と言う言葉もとても便利でそして危険な言葉です。
すべからく言葉は便利ですが・・危険も伴いますね。


一つだけ、参考までに
悔しいのなら悔しさを味わう・・これまた抽象的ですね。
悔しさの中にじっといます・・・何のこっちゃ・・でしょうね。

悔しい思いをした時、悔しさをじっと感じます・・その時に悔しいとかは思いません。
悔しいと言葉に出せば、もうその悔しさは何処かへ行ってしまいました。

意味分かります?

悔しさを感じたとき・・言葉に出さないのは勿論、身体さえも動かしません。
何かに気を取られません。

やることはこれだけです。

これが出来る様になれば、何かが変わり始めるでしょう。
自分と向き合う・・出発点はその様な所からです。

自分の感情をどうしかしよう・・
別名「感情の教育」と言いますが、そうそう簡単ではありません。
だって、その様な経験がないのですから・・・

まあこの辺にしておきましょう。
どこまで、伝わるか・・自信もありませんし。
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