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なぜエデンの園ではアダムとイブに子供がいないのですか? アダムとイブはエデンの園を追い出された後にカインとアベルを作りました。しかしなぜエデンの園では彼らは子供を作らなかったのでしょうか? 個人的にエデンの園に彼らがいた時間は相当長いと思いますが、その間に子供ができなかったのは不思議でなりません。

よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

キリスト教会に行って聞いてください。

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この回答へのお礼

ところがキリスト教会ではあまり嫌らしい質問をすると迫害を受けることがあります。(私が行った教会が変な所だったのでしょうか……?)と、いうことで教会ではあまり波風を立てたくないと思ってこちらで質問しました。教会員の方も教会から離れる一番の原因は信仰における口論だそうです。神父や牧師と口論したという話も今までに何度か聞きました。信仰論で議論するうちに大喧嘩になるそうです。私もなりました。

お礼日時:2011/05/02 15:21

子供を作る知識が無かったからです


その知識を蛇から教わったから追い出された

エデンで仕込んでも、産む前に追い出されたんだから、エデンで産むのは無理だよ
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この回答へのお礼

子供を作る知識がなかった、ですか。そういえば知恵の実を食べていなかったのですからその通りですね。知恵の実を食べてすぐに追い出されましたから、確かにエデンで生むのは無理そうです。

お礼日時:2011/05/02 15:14

勃起しなかったか、排卵しなかったか、それとも互いに相手を嫌悪して性交にいたらなかったという第三の可能性もあるな。



しかし、エデンの園から出た後に、排卵し、勃起するようになったと考えるのは順当ではないかな。

つまりエデンの園というのは、第二次性徴がみられる以前の子供の世界と考えられるわけじゃ。
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この回答へのお礼

<エデンの園というのは、第二次性徴がみられる以前の子供の世界と考えられるわけじゃ。>
確かにそうですね。ストレスが多いほど性欲が増えるので、ストレスが0だと性交にいたらないのかもしれません。私自身、振り返ってみてもストレスが無いと性欲もありません。子供の性欲が非常に弱いのも、子供は基本的に大人よりもストレスが少ないからかもしれません。

お礼日時:2011/05/02 15:23

逆から考えればいいのではないかと。



何故人間はかぎリある命なのか。

イデア界というのは、まったくの善の世界で普遍性を持つ。

普遍というのは条件によって変わらないもの。

人間は死にますよね。 つまり 普遍性が無い。


で、昔の人は人間は昔イデア界の住民だったので普遍性を持ち死ぬことが無かったが、有限の肉体(死が伴うので悪)の中に入ったことで、普遍性が無くなったと考えたんです。

有限の肉体に入ったことで、かつてのイデア界のことを忘れてしまい、何が正しいのかわからなくなってしまったが、有限の肉体に入ったものの中には、今でもイデア界を知覚できるものがいるとして、その人の言う通りにしていれば、何が正しく何がまちがいかわからないものでも、間違いを犯すことなく、善ばかりするようになり、そうなれば善の属性になり、まったくの善のイデア界に入れる と考えた。

イデア界はまったくの善の世界なので、まったくの善しか入れないはずと考えた。


で、神のいいつけじゃなくて、蛇の言葉通りにしたことで、悪が発生したとして、まったくの善じゃあなくなったので、限りある命になったとしたわけです。

イデア界は生滅が無いという考え。
まったく変化しない世界。

だから誕生も無ければ死も無い、永遠にコチーンって固まった世界。
まったくの善じゃあなくなったので、イデア界の存在できなくなり、変化の属性が生じたと考えられ、変化するってことは消滅もするが創造もするとなったわけですね。

じゃあ神だって創造をするので、イデアの住民じゃあないじゃん?
ですよねぇ。
不完全な理論ですよねぇ。
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この回答へのお礼

確かにプラトンのイデア論からいくとイデアは固まった世界ということになりますね。完全なら変化しないので仰るとおりです。また、完全では変化の余地がないともいえますね。

また、完全な善では多様性が失われると思いませんか? もっと言ってしまえば完全なる善では無になるくらいしか出来ない気もします。善しか含まれない要素は無いと思います。と、いうのもどの様な行為も悪を伴うからです。食事も他の生物を殺すので悪です。呼吸も他の生物の酸素を奪うので悪といえば悪です。運動は食事の量を増やすので悪です。と、なれば完全自体が存在しないと思います。また、完全で固まった世界では変化を含まないので、変化を含むことが完全の条件と考えるならば不完全です。完全は存在しません。

kigurumi様に以前に教えてもらった動画、全て見ました。アメリカの同時多発テロ事件、飛行機が突っ込んだくらいでビルが全壊するのは不自然です。下の方まで壊れるはずがありません。他にも世界銀行の話など、興味深い内容ばかりでした。神様は完全なのに献金を要求するのはおかしい、という考えも少し笑ってしまいました。完全ならお金にも困らないはずですね。

キリスト教は不完全な理論とは思います。完全な理論では何事も説明しなければなりません。しかし聖書は事実の羅列でしかありません。たとえば『姦淫するな』『偶像を作ってはならない』など。聖書は説明責任を放棄しているのではないかと思います。事実の羅列ではそこに想像の余地が入ってしまうので曲解もされかねません。よって聖書は不完全な書物と思ってしまいます。逆に言えば本当に完全な理論ならば誰もが納得するはずです。

個人的には『完全も不完全もない』という考えが好きです。

また、悪はなぜ否定されるのでしょうか? 悪を否定するのは悪ではありませんか? 悪は自分の気に入らないものを否定します。悪を否定したら『何かを否定する』ということにおいて善も悪と同じではありませんか? 否定の上に善は成り立たないと思います。善悪二元論、最後の審判で悪を否定するのは、抹消するのは私は本当の善の態度ではないと考えます。

kigurumi様の回答は毎回、楽しく読ませてもらっています。今回も非常に勉強になりました。有難うございました。

お礼日時:2011/05/02 20:09

現実に存在したかどうかは別にして、論理的に考えれば、


アダムとイブは、悪魔にそそのかされて善悪の実を食べる
までは不死=永遠の寿命だった訳ですから、生殖機能が
あったら人口爆発で夏休みの海水浴状態になってしまいます。
それはそれで失楽園、ていう?(^o^)
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この回答へのお礼

確かに、生殖機能があったら大変ですね。知恵をつける前は人間は生殖能力が無かったのでしょう。恐らくは。逆に言えば生殖能力自体も『知恵』なのかもしれません。生殖能力は知恵。神様は元々人間という被造物に生殖能力は持たせていなかった、ということでしょうか。
最後の方のオチが意味が分かりませんでしたが、回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/02 20:12

 聖書の内容は、細部が異なる幾つかの伝承の寄せ集めによって構成されています。


 アダムとイブに関する記述がある創世記は、ヤハウィスト資料(J資料)、祭司記者資料(P資料)、エロヒスト資料(E資料)と呼ばれる3つの伝承を基にして成り立っていて、創世記の始めから第2章4節の前半まではP資料、第2章4節の後半から第4章の終わりまではJ資料が基になってると考えられている様です。

【参考URL】
 文書仮説 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%9B%B8% …

 聖書の呼ぶ声 > 旧約聖書とは
  http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/kyuyaku.html

 異なる伝承が基になっているため、例えばP資料による創世記の始め~第2章4節の前半では、

  草木の創造(第1章11~12節)⇒水生生物と鳥の創造(第1章20~21節)⇒陸上動物の創造(第1章24~25節)⇒人間の男女の創造(第1章27節)

という順番になっているのに対して、J資料による創世記の第2章4節の後半~第4章の終わりでは、

  人間の男の創造(第2章7節)⇒果樹の創造(第2章9節)⇒鳥獣の創造(第2章19節)⇒人間の女の創造(第2章21~22節)

という順番になっている様に、細部に矛盾があります。

【参考URL】
 創世記(口語訳) - Wikisource
  http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96 …

 そこで、創世記を良く読んでみると、P資料による創世記の始め~第2章4節の前半には、エデンの園に関する記述自体が存在しませんし、人間の男女というだけで、アダムとイブという名前も登場しません。
 そして、エデンの園やアダムとイブに関する記述は、J資料による創世記の第2章4節の後半~第4章の終わりにのみ存在しています。
 主は創世記の第1章28節において、人間の男女に対して
「生めよ、増えよ、地に満ちよ」
と御命じになられていますから、人間が子供を産む様になったのは、この時からであると言えます。
 しかし、この部分はP資料を基にしている部分であり、前述の様に、エデンの園とは別の話である可能性があります。
 そして、エデンの園が登場する、J資料による創世記の第2章4節の後半~第4章の終わりの部分においては、主は
「生めよ」
とは仰ってはおられません。
 J資料による部分で、人間の出産に関して触れられているのは、アダム達が「善し悪しを知る知恵の実」を食べた事を、主が御知りになられてから、アダム達がエデンの園から追い出されるまでの間である、第3章17節において、主が女に対して
「私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。」
と仰っておられる箇所が最初です。
 従って、エデンの園が登場するJ資料の伝承では、エデンの園で暮らしていた頃には、まだ主に「生めよ」とは言われていなかったため、人間には子供を作る性質が備わっていなかった、という可能性があると私は思います。
 因みに、第2章9節に
「園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。」
という記述があり、第3章22節には
「主なる神は言われた、『見よ、人は我々の一人の様になり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない』。」
という記述がある事から判る様に、エデンの園では命の木の実を食べる事で永遠に生きる事が出来るため、子供を作る必要は無かった訳です。
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この回答へのお礼

<私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。>
という記述があるということは、人間が善悪の実を食べて神様の怒りを買う前にも産みがあったのでしょうか。大いに増した産みの苦しみが現在の出産ならば、苦しみの無い出産も存在したことになります。

<エデンの園では命の木の実を食べる事で永遠に生きる事が出来るため、子供を作る必要は無かった訳です。>
これについては多様性の増加ということで子孫を増やすことも悪くないと私は思っていました。

WIKIの参考URLまで示してくださって有難うございます。聖書自体に様々な資料があることが驚きです。今読んでいる聖書とは違った創世記の存在も驚きです。

長く、丁寧な回答。誠に有難うございました。

お礼日時:2011/05/02 20:20

 こんにちは。



 ★★(No.6お礼欄) ~~~
   <私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。>

 という記述があるということは、人間が善悪の実を食べて神様の怒りを買う前にも産みがあったのでしょうか。大いに増した産みの苦しみが現在の出産ならば、苦しみの無い出産も存在したことになります。
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ このお考えにちなんでのひとつの見方です。

 1. アダムらに子どもがいてもよかった。けれども 話がこんがらがるので触れなかった。
 2. というのも エデンの園においては 情欲のない生殖が可能であったという命題があるからです(アウグスティヌス)。 
 3. ですから いわゆる原罪というへそ曲がりが起きる前と後とを取り上げるというとき アダムらの子どもについては触れなかった。

 むろんいなかったのかも分かりません。いづれにしてもということです。
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この回答へのお礼

<エデンの園においては 情欲のない生殖が可能であったという命題がある>
これは知りませんでした。ありがとうございました。また1つ学びました。

お礼日時:2011/05/04 08:56

>偶像を作ってはならない』など。

聖書は説明責任を放棄しているのではない
>かと思います。

うーん 人の奴隷になってしまうからじゃないかと。

例えばダニエル書にこんな内容がある。
遠山の金さんみたいな名奉行的なことをやったとされるダニエルさん。

えっとですね、神様に贖罪のためにささげ物をすることってなっていて、罪の意識を感じたり、神様に信仰を表明するためささげものを人々は神殿にやってきて、動物を神様にささげていたわけです。

ダニエルはたくさんの動物が日々神殿にささげられているのを見て、「神様はそんなに大食漢なのか」と疑問に思った。
実際は神様にささげられていたはずの動物を、料理して食っていたのは神様じゃなくて祭司達だった。
神様にささげることを奨励していたが、実は祭祀たちが腹いっぱいになるために、人々に神様に対するささげ物を推奨していたってわけです。
それを暴いてのがダニエル。

大祭司が神様の偶像を作りあたかも神様が食っているかのように人々に信じ込ませて、人々から搾取していた。



>逆に言えば本当に完全な理論ならば誰もが納得するはずです。

確かに「(心が)貧しいものは幸いである」が貧乏な人や、意地汚い人やねたむ心を持つ人は幸福であると教えるキリスト教はおかしいと思います。
改善する余地があり、良くなる可能性があるからって解釈らしいが、、、、
逆に心が綺麗な人には神様は見向きもせず、改善する人にしか神様は興味が無いとか、、、
違う、、、って思う。

「神の義のために迫害された人は幸いである、彼らは天国にいけるだろう」とイエスは言ったので、布教して殉教すると天国にいけると思うのは間違い。

「迫害」ではなく「追い求める」という意味が正解。
「神の義を希求するものは幸いである。」であって、布教して逮捕されて処刑されることが幸いってことじゃーない。

神の義を追い求めるもの 正義を心底願うものは「そんな場かな これでいいはずが無い」とわかるので、世の中を正そうとしますよね。
フランス革命みたいに。
キリスト教会に抑圧され搾取される日々において、教会は貧しい人は天国にいけると教えているから、キリスト教会の奪われ餓死してものはもれなく天国にいけると本気で思うべきか?
ううん おかしいと誰もが思い、ダニエルじゃないが、私服を肥やした聖職者により強奪されていたので、極貧生活になっていたのだと暴いて、聖職者の不正をし、聖職者により汚染された社会を立て直すことができる。

おかしいと思うのなら、不正が存在するせいだと思わなきゃね。
我慢しているだけじゃ 解決しない。



>また、悪はなぜ否定されるのでしょうか? 悪を否定するのは悪ではありません
か? 

不正を指摘して正そうとするのは悪だと思いますか?
不正に目をつぶって、権力者が超え太り、その他の人々が言いくるめられて搾取されているのを黙っているほうが悪じゃないですか?
お互い利益があれば「代官 お前も悪よのぉ」と着服した金を山分けして、「なのか文句あるか あるなら言ってみろ、権力で処刑してやる 俺様は神だ」ってのは、、 どう見ても恐怖政治で、そりゃあ 逆らうと逮捕されて殺されるかもしれないが、それでも誰かが「王様は裸だ」って指摘しない限り、悪ははびこり続けるだけでしょ?

不正を摘発して逮捕されて刑務所に入れられるのが怖くて、見てみぬ不利をしているのは、勇気が欠如しているわけで、よいことじゃない。
勇気の欠如は良いことじゃないですよね?

悪いものは悪いといえる勇気が、世の中を良くするんじゃないかなー 指摘は必ずしも悪じゃないと思いますよ。


それに自分が間違えていて、自分の行為を批判することは悪じゃあないですよね。
正すきっかけになるので、良いことですよね?

例えば話し合いをするにあたって、必ずだれか反対者が意見を言い 協調性が無いと批判される人がいますよね。
でも、その存在は大事なんです。
反対意見も大事なんです。
よくする上で、みんなと意見をあわせず、欠点を指摘して採決を阻止する人も必要なんです。


イラクの日本が経済制裁を与えたときだったか、「やっちゃだめ」って私は思った。
日本は他の西洋諸国にならって、イラクを批判したが、「他の国がイラクが大量破壊兵器を持っているというのなら、イラクは悪い国なので、戦争を支持します」って・・・・
聞いた話を審議せず、「あなたがそういうのなら、私もあなたに意見合わせるので、それでいいです」って、無責任すぎる。
世界を敵に回しても、「ちょっとまった 真実を確かめもせずに戦争を開始しちゃだめ」って止めなきゃ。

それで、「日本とは取引してやらねーぞ」ってなっても、正義を貫かないと。 憲法の前文は自分さえよければという考えを否定したものですよね。

結局 考えることを怠けた結果、イラクの人たちを不幸にしてしまったわけで、日本が知恵を働かせなかったことは悪とはいえませんが、石油強奪犯の肩をもったという汚点は残りました。

じゃあ 世界を敵に回して日本がかつて世界中にやられたようにイラクとともに世界から経済封鎖を受けてもいいのかというと、、、正しいことを言い続けたら、さすがにモラルのある国の人たちは「日本の言っていることは正しいのではないか」とだんだん日本の態度を支持してくれたと思います。

日本は世界の倫理のリーダーだった。
大戦で負けて腰抜けになってしまった。
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この回答へのお礼

偶像を作ると、偶像を通して誰かの奴隷になる……。確かに歴史を見てみるとその通りですね。いつの時代も聖職者が一番いい思いをしていたと感じます。カノッサの屈辱ではありませんが、教皇は本当に神様の代行者として正しい行為をしてきたのかというと真逆に感じます。十字軍の度重なる遠征、30年戦争、レコンキスタ……。人類の歴史にとっては宗教こそが一番の悪という考えすら成り立ちそうです。また、どこの教会へ行っても牧師はいい生活をしています。最近、教会の予算編成に加わりました。教会の出費の半分くらいは牧師の説教費だそうです。布教に使うお金は大体1割くらいです。あとは光熱費や建物のお金などに使います。牧師はお金をもらいすぎだと思いました。一般人の平均年収の2倍はもらっていました。

<確かに「(心が)貧しいものは幸いである」が貧乏な人や、
<意地汚い人やねたむ心を持つ人は幸福であると教えるキリスト教はおかしいと思います。
これは私は次のように考えています。自分が醜いと分かる人。つまり自分の心の貧しさが分かる人は幸いである、と言う意味ではないかと。刺青クリスチャンでも悪の限りを尽くしたヤクザだからこそ自分の罪深さを痛感して神様に立ち返りました。清く正しく生きてきた人では自らの罪深さを痛感できないのが普通です。だからこそ自分の罪深さを痛感できる心の貧しい人は幸いなのでしょう。自分の罪深さを痛感できれば神様の元に立ち返れます。

不正とあります。しかし社会というのは不正がつきものです。私達は毎日食事と称して他の生物を殺して食べています。もはやこの時点で私達は不正をしなければ生きていけないことになります。現代は高度な文明です。しかし高度な文明を維持するには大量の勉強が必要なのでストレスが社会に蔓延します。そうなれば不正が起こるのは当たり前です。不正は必要悪です。

<不正を指摘して正そうとするのは悪だと思いますか?>私は思いません。しかし厳密に言えば正義も悪も存在しないと思いませんか? たとえば権力者の子供が重度の病気だとしたら権力者は肥え太ろうとするのが当たり前とは思いませんか? 少なくとも私は子供が重い病ならば搾取するかもしれません。また、権力者は人々から羨ましがられます。しかし権力者は本当に幸せでしょうか? 幼い頃から権謀術数に巻き込まれる苦しみ。教養と称して様々な学問を無理やり習得させられる苦しみ。私の知人に権力者もいますが、やはり不幸な生い立ちです。幼い頃から他の人と一緒に遊ばないで勉強、運動と頑張る毎日。人の顔色を伺い、先生に媚を使う日々。私は権力者の人生は幸せどころかむしろ不幸だと思います。あなた自身もエリート街道まっしぐらの人生を送ったらやはり不幸だとは思いませんか? 自由に遊べないのですから。権力者を批判、否定するのは簡単ですが、彼らの苦しみや痛みをも分からなければ批判してはいけないと思います。人の苦しみなど、人には分からないのが普通です。ですのでたとえ権力者が肥え太ろうとも私は簡単には全否定したくありません。金正日ですら幼い頃には人々に虐められていたのかもしれません。それで人民を虐めてやろう、と。私自身、だいぶ不幸な人生だったので権力者の気持ちは分かります。

<不正を摘発して逮捕されて刑務所に入れられるのが怖くて、見てみぬ不利>
これ、自分が天涯孤独だったら特に問題はない考え方です。と、いうよりも不正は指摘するべきです。しかし実際は天涯孤独の人間はほぼいません。誰でも家族、親族がいます。刑務所に入れられるのが自分だけならまだしも家族や親族まで迫害されたとしたら勇気ではなく自己中心と呼ぶべきではないでしょうか。誰かの不正を指摘して家族や親族を不幸にするのは自分勝手とも言えます。子供がいたとしたら尚更です。親は子供の人生に責任を持つべきです。守るべきものがあるのならば不正があっても目をつぶるべきです。不正など、どこにでもあるのですから。不正は必要悪です。少なくとも私はそうやって生きてきました。私達は毎日、多くの生物を殺して食べています。権力者は国民を殺して食べていますか? 違います。それなら権力者は私達よりは可愛い存在だと思いませんか?

<悪いものは悪いといえる勇気が、世の中を良くするんじゃないかなー>
完全な悪は存在しますか? 権力者が絶対的に悪だと証明できるのでしょうか? 繰り返しますが、天涯孤独ならばいくらでも指摘して良いと思います。しかし守るべき人々がいるのならば不正を見過ごすのも大人ではないでしょうか。

<それに自分が間違えていて>
間違いとは何でしょうか。人生万事塞翁が馬と言います。絶対的な間違いは存在するのでしょうか。

<イラクの日本が経済制裁を与えたときだったか、「やっちゃだめ」って私は思った。
<日本は他の西洋諸国にならって、イラクを批判したが、
<「他の国がイラクが大量破壊兵器を持っているというのなら、
<イラクは悪い国なので、戦争を支持します」って・・・・
<聞いた話を審議せず、
<「あなたがそういうのなら、私もあなたに意見合わせるので、それでいいです」って、無責任すぎる。
<世界を敵に回しても、
<「ちょっとまった 真実を確かめもせずに戦争を開始しちゃだめ」って止めなきゃ。
しかし世界を敵に回したら石油や食料の供給が止まりませんか? アメリカに守ってもらわなければ中国やロシアに領土をとられてしまいます。正義を主張することで国民を飢え死にさせる権利が政治家にあるのでしょうか? 正しいことは正しいです。しかしそれを見過ごすのもまた大人の道としてあるのではないでしょうか?

<結局 考えることを怠けた結果、イラクの人たちを不幸にしてしまったわけで>
しかし考えることを選んだ結果、日本の人たちを不幸にしてしまいます。

<正しいことを言い続けたら、さすがにモラルのある国の人たちは「日本の言っていることは正しいのではないか」とだんだん日本の態度を支持してくれたと思います。>
これは正しいことを正しくないと言う情報操作が起こるのではないでしょうか。大量破壊兵器があると主張してイラクに攻め込んだアメリカの様に、日本の主張が間違っていると情報操作をされるのが落ちだと思います。私自身、エリートというか権謀術数に長けた人々に囲まれて人生を過ごしたこともあります。しかしそこで知ったエリートのずる賢さ。想像を超えています。情報操作など朝飯前です。エリートは素晴らしいのではなく、ただ単に潰し合いがうまいだけです。しかも想像を超えた要領のよさを持っています。彼らからしたら一般人など潰されるのを待つアリと言っても過言ではありません。どこの国でも同じはずです。善と悪。悪の方が強いです。いつの時代でも悪が上にいます。と、なれば悪を指摘して正したとしてもまた悪が出てきてしまいます。悪には終りがありません。終わりがない悪ならば、指摘するのも無駄に思えてきます。また、生物という観点から見ると悪は生物として正しいあり方です。

<日本は世界の倫理のリーダーだった。>
これは賛成です。軍部の暴走は困りますが、一般国民の倫理観は日本は世界トップでした。日本の女は世界一だ。日本は優しい。日本は真面目。日本は親切。どこの国でもそう言われていました。それを鑑みるにやはり日本は倫理のリーダーでした。また、日本はお代官の悪行に耐えてきたことでその倫理観を養ったともいえます。日本というのは耐え続ける国民です。耐えることは美徳と言われたくらいですから。権力者は基本的には悪です。しかし我慢強く倫理的に優れた国民を生むという点では権力者も善になりうると思います。大戦で負けたからというよりは経済成長で物を得て心を失って腰抜けになったのだと思います。

嫌がらせみたいな厳しいお礼で申し訳ないです。文面も厳しくてすみません。これはkigurumi様を苦しめようと思って書いたお礼ではないことを覚えておいてください。読んでくださって有難うございました。 

お礼日時:2011/05/03 06:45

『週刊禁実』5月号・本誌総力取材!!


スクープ!!アダム氏にバツイチ疑惑!?
発覚!!氏を「お父さん」と呼ぶ8人の娘たち!!
幸せなはずの新婚生活の裏にいったい何が!?

――DV、モラハラ、バツイチ・二人の妻との泥沼愛憎劇――

かねてから妻イブとの不仲説が報じられていたアダム氏(917)に
先妻と複数の隠し子が存在する疑惑が今回我々の取材で急浮上した。
先妻と噂されているのはアダム氏と同い年の女性L。
創造された当初、Lと一心同体ならぬ一身同体であったアダム氏は
彼女と入籍したものの、関係はすぐに冷え切ったという。
原因はアダム氏のDVともモラハラとも噂されるが、
アダム氏本人はこれを強く否定している。二人は別居後ほどなく離婚、
Lはすでに上司とのトラブルで失業中の男性I氏と同棲し、
二人の間には非行著しいの子供もいるというが、本当だろうか。
土から創られたアダム氏だが、先妻との夫婦仲は水と油だったようだ。
その後アダム氏が二番目の妻イブと再婚したのはご承知の通りだが、
再起をかけたエデンでの新婚生活も、かんばしくはなかった。
周囲の話によるとアダム氏には先妻への未練やわだかまりがあり、
二番目の妻イブとの関係もギクシャクしたものだったらしい。
一昨日、紙上をにぎわせた知恵の実窃盗事件の公判の際も、
両者とも罪状を一部否認し、互いの罪を擦り付け合うなど、
土から創られたアダム氏だけに、再婚生活も泥沼だったようだ。

――「ちょっと野原に行こう…」家族崩壊・弟殺し長男の心の闇――

こうしたアダム氏の女性遍歴は彼の家族関係にも影を落としている。
アダム氏の長男カイン容疑者は次男のアベルさんを殺害後、
アベルさんの死体を遺棄。アベルさんと連絡が取れないのを不審に思い
所在を尋ねる周囲にもカイン容疑者は「知らない」を繰り返したという。
殺害事件の背景には、仕事で差をつけられたことによるアベルさんへの
嫉妬があると見られているが、本人は事件発覚後の現在も逃亡中である。
東部のノデで妻子を連れたのカイン容疑者を見たという
複数の目撃証言はあるものの未だ本人は捕まっていない。

――「お父さん、認知して」アダム氏がひた隠しにする8人の娘たち――

そして先日ついに取材班は、衝撃の事実を掴んだ!
これまでアダム氏には、カイン容疑者、故アベルさん、
そしてアベルさん殺害後に生まれたセト氏の三人の息子がいたと
報じられてきた。しかし取材を進めるうち、アダム氏には
三人のほかに役所に届けていない複数の隠し子、
しかも娘が存在することが明らかになったのである!
事情通のヨセフス氏は本誌の取材に対し、
アダム氏に少なくともひとり以上の娘が存在することを示唆した。
ここで読者のなかには氏の証言に懐疑的な方もいることだろう。
何せ氏はかねてから宇宙の歴史を五千年とのたまう法螺吹きだからだ。
しかし取材班はもう一人の事情通ヨベル氏の証言も聞くことが出来た。

  「ああいるよ。姉妹が。長女はカインと次女はセトとできてるね。
  うん、そう、近親相姦。この辺じゃもっぱらの噂だよ」

ヨベル氏のこの証言がヨセフス氏の証言と符合するのは偶然だろうか。
またバビロニアの特派員の話では娘は双生児だというが真相は如何に。
アレクサンドリア在住のフィロン氏の関係者を名乗る人物の証言は
さらに過激だ。なんとアダム氏には8人もの娘がいたというのである。

  「認知するかどうかでもめてたよ。5、6、……8人はいたかなぁ。
  あれ(アダム)は親戚の娘だって言ってたけど、
  あれに親戚がいるわけないしねぇ(笑)」

この人物は我々の取材に対し8人全員の名前も明らかにしたが、
本誌は彼女たちの人権尊重の観点から匿名扱いとすることとした。
それにしても彼女たちは本当にアダム氏の娘たちなのだろうか?
もしそうなら一体いつ、誰との間に生まれた娘たちなのか?
疑惑の渦中にあるアダム氏は未だ雲隠れしたまま真相は闇の中だ。
もしアダム氏が人の子なら取材に応じ世間の前に泥を吐くべきだろう。
土から創られただけに――

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この回答へのお礼

文面といい時折混じるギャグといい、文句なしの傑作特集です。素晴らしいです。本当にありがとうございます。リリスという存在があったことを知りませんでした。手元の聖書をもう一度読み直してみます。そう考えればアダムとイブに子供がいなかったことも頷けます。有難うございました。

お礼日時:2011/05/04 08:52

 回答番号ANo.6です。



><私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。>
>という記述があるということは、人間が善悪の実を食べて神様の怒りを買う前にも産みがあったのでしょうか。
>大いに増した産みの苦しみが現在の出産ならば、苦しみの無い出産も存在したことになります。

 創世記では、何故この世界が今現在の様な姿と理になっているのかが説明されています。
 例えば、蛇に手足が無く、腹で這い歩く理由として、主の呪われたからだとされています。
 従って、人間が子供を産む事になった理由の説明として、主が女に対して
「あなたは苦しんで子を産む。」
と仰られた、という第3章17節の記述があるものと考えて、それ以前に出産というものが存在するのは不自然だというのが、私の解釈です。
 もし、それ以前に「苦しみの無い出産」というものが存在したならば、
「あなたは子を産む時に苦しむであろう」
という表現になる方が自然だと思います。
 実際、主は男に対しては、第3章17~19節において、
「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」
とは仰っておられますが、
「あなたが食べ物を取る(得る)苦しみを増そう」
とは仰ってはおられません。
 という事は、善し悪しを知る知恵の木の実を食べた上に夫にも勧めた罰として、増したのは「出産時の苦しみ」(苦しみの量)ではなく、「出産という苦しみの原因」(苦しみの原因の数)だという解釈も成り立つと思います。

><エデンの園では命の木の実を食べる事で永遠に生きる事が出来るため、子供を作る必要は無かった訳です。>
>これについては多様性の増加ということで子孫を増やすことも悪くないと私は思っていました。

 キリスト教では、
「生物が今現在の姿や性質を備えているのは、主がその様に創造されたからであり、主は完全な御方に違いないのですから、主が御決めになられた生物の姿や性質もまた完璧であり、勝手に変化したりする筈がない」
という考え方をしますから、子供が生まれても、それは基本的には親と同じ生き物であり、遺伝子の多様性や、進化が起きる事を認めないため、聖書の物語の中では、子孫を残しても多様性は増加しないと思います。(多様性の増加は進化論にも繋がる悪しき事)

 余談ですが、taco8ch様がスクープしておられる記事に出て来る「L」さんとは、おそらく、中世にアダムとの関係が噂された「リリス」さん[年齢不詳、職業:サキュバス]の事だと思います。

【参考URL】
 リリス - Wikipedia > 6 アダムの最初の妻としてのリリス
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA% …
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この回答へのお礼

産みの苦しみが増える、というのを出産と解釈せずに食物を取るという行為と解釈するのがポイントと思いました。
キリスト教で進化論が否定されるのはそれぞれの生物自体が完璧だから、ということですね。こういう背景があるのは知りませんでした。
参考URLまで載せてくださって誠に有難うございました。

お礼日時:2011/05/04 08:46

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