これ何て呼びますか

人にとっての本来的なしごとについて

今ある世界の問題点と、私が理想する世界と、双方の差を減らす方法を書き、問います。

理想は、理想にすぎないと軽んじられますが、一回こっきりの人生ですし、志して命をかけるべきは理想しかなく、子孫のためにも今をなるべく良い状態に近づけることが、本当の仕事だと思います。それが祖先としての責任で、誇りにもなると思います。

世界の問題点は資本主義と貨幣と戦争と国家と競争労働と兵器と権力構造と人間疎外と自殺と餓死と内的断絶です。

たとえば過剰な競争が問題になっていて、何年か前に公開された陰謀論のツァイトガイストという動画があり、あれの続編を見たいのですが、まだ見られずにいます。
なんでも的確な労働さえすれば貨幣がなくても経世済民は成り立つという噂です。

これまで長い時の中を人は押し合いへし合い進んできまして、
昔、密かな企てをもって余人を騙し、まんまと出し抜いた富豪がいて、その追随者としての富裕層に、従順な権力機構を支える国家や官僚、企業や労働者たちがいて、単純ですが、経済や金は具象を単純化し一側面に飲み込ませてしまい、世の中があれよあれよと単純に染まり、

忙しく泳ぎつづけないと死ぬ魚のように、人は働きつづけます、命を金に、人質のようにとられながら、休暇があっても奴隷制の中での休暇という、社会制度や価値観を個人的に採用せずつっぱねて生きたい場合、それでは生きようが奪われ、世を厭い、出家しても、悟りを求めるべく修行しても、先生である釈迦は帰宅しましたし、悟りは自然のふるまいの何もかもを許すことにほかならず(?)、それより現状の社会の許すべからざる機構の病をひっこ抜くことが成すべきことで

色んな問題があります。

餓死者が日に万単位いる国や地域があり、悟った仏徒が出向いても食べらません。
また働いている人がうつ病になったり、失職して自殺したり、
企業は当然のように出し抜くために情報を隠蔽し、仕事と呼ばれる営みが貨幣争奪戦によって歪められ、汚されて。
人々は大規模な情報兵器とも言えるマスメディアに頭の中や目耳、そして唯一の命そのものである時間を乗っ取られ、そうとう大勢の人が、各々の内なる言葉のふるさとを忘れている。

戦争は終わらず、富裕層からのリクエストであえて引き起こされ、マネーポイント制のピラミッドにのみ価値や生き方や生きがいを見出す人々のために軍事兵器、殺人兵器が作られ売られ、使う口実が作られ、人が殺されて、また兵器を作るために人が雇われ、兵器が作られ、使う口実が作られ。
これでは良くないと思います。

そこでこれからの見通しとして広がってほしい世界は、より美しく、より画一的でない、支配されない悠然とした暮らしの世界。個々の自然風土を生かして過ごす穏やかな生活。

そういう方へ変わってゆくために、世界的に打つ手立てをぽんぽこ挙げるなら


巨大資産の所有を禁じ、国や大規模自治体や大企業を廃止し、資本競争と権威・権力構造を放棄し、軍事兵器や情報兵器を捨て、
土地ごと地域ごとの暮らしの趣を汚すような道具……すなわち家電兵器や教育、社会、労働から資本主義くささを取り除き、競争資本支配のマインドコントロールを解き

個々の個々らしい小規模な群による地味で素朴な生活が芽吹けば
仕事については本当に必要な仕事の一式と、その仕事の中身を頻繁に語らい、企てなおすための場と言葉をもち
人的環境、情報環境は落ちつきと静けさのあるものにして、こころや体や命のふるさとからの響きに耳ひらいて、やすらかに生きる


人がこれから歩む方向、方法、為すことは、いま書いたものでも良いでしょうか、望ましいものでしょうか。

あるいは、これから人々が取りやめ、とりかかるべき新たな仕事の、内容とその手順はどういうものが理想だと思いますか。
世界中から不幸を減らすために、人々が持つべきヴィジョンや、より本来的な、為すべき事はどういうものでしょうか。

A 回答 (10件)

#1です。



>・だまって勉強しなさい

なんて言ってませんよ。私の好きな言葉に、

 人事を尽くして後は天命を待つ

があります。

貴方も、貴方の生き様の成り行きで手に入れた事に対して人事を尽くして下さいね。
もう一つ私が好きな言葉はあります。

 石に齧り付きながら、血の涙を流してでも答えをだす。何が何でも答えをだす。出せるか出せないかではなくて、答えをだす。

です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ものを知らないので勉強せねばと思うのでした。

何も手に入れておらず、取りこぼしてばかりいます。

答えを出すまで、石たべて血を流して、根性論ですか……。骨に刻みます。

くだらないことに、人のところから持ってきただけの答えを、今はふりかざしているところです。

お礼日時:2011/05/13 21:57

こんばんは。



度々ですが。
あなたがとても優しい心の持ち主なので、嬉しく思います。

資本主義も宗教も人間が優しくあればとてもいい制度です。
問題は、自分だけ良ければという人間のわがままにあるのです。
貴方のように、自分も全ての人も幸せであってほしいと思う人が増えれば。
人間の未来は、明るいでしょう。
人間の本来の仕事は、優しい心を持ち常に楽しく自分のできることを
することかもしれません。

何時までも、優しい心をみんなに分けてあげてください。
何時までも、お元気であられることを願います。
私も、微力ながら、努力したいと思います。
ありがとうございます。感謝します。
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この回答へのお礼

こんばんは。ありがとうございます、優しいとか……

お金は世界規模で助け合う喜びの道具で、この人は社会の役に立ちますから助けてやってくださいという証なのだと、雪中庵さんが書いていて、目からヨウ素が流れ。

世界征服を地で行く財界人について読んだり写真を見たり、その血走った目や猜疑心に凝り固まった顔を見ると頭痛がして、
お金をたんなる道具として用い、慎重に一人一人を大切なものに思うために使うなら良いのですが、
人をたんなる道具として用いて自らの資産的地域をのみ大切にする財閥同士が激突しあう資本主義になると、支配やぶんどりに人々が巻き込まれ、雇用の対象としてだけ支配され、兵器を売る理由として殺されたりして、ダメみたいです、根深い財界人は通貨のひたすらな多さをのみ目的にし、足るを知らないどころか恐れ、馬鹿にしてダメなのです。

宗教も、他の誰かが言ったことに頭を合わせてしまって、旅もしない私が、貨幣について雪中庵さんの言葉を鵜呑みにしているように、先人の考えを真似るばかりで、何を言っても語っても自分の言葉じゃないまま、書いたり喋ったり考えたりして、そのまま死んでしまうので宗教は勿体ないです。
祖父が二人とも、戦争で心を病んでか、一人は心の隙間を仏教で埋め、日々お経を読んで説教癖を嫌われて会話がなかった家。別の祖父はいちいち子らを軍隊式に殴り、やはり語らいのない家庭。軍隊や捕虜収容所の生活が彼らの心を破壊し、父は殴られたまま祖父に背かず育ち、会社でも権力構造を受け入れ家庭でも命令し、そして私も家族と語らいがなく、家庭もなく、友もなく仕事もなく、震災避難所で誰とも語らわず、優しいどころか挨拶もせず人の顔を見ず、自分のみを半端に重んじ、感謝などしたことがなく、また回答の数なんかが少なくても不満で、足るを知りません。自己表出が空っぽです。

お礼日時:2011/05/16 21:36

No.1ですが。



貴方の理想は、素晴らしいと思います。夢のようですが。
ただ、貴方は、何時までもアフリカの国々が、先進国以上に発展できないと思っていらっしゃる。
アフリカには、豊富な地下資源があります。
そして、ボランティア活動などにより、先進国の技術を取り入れることで、沢山の命が助かり、
急速な発展が起こると思います。
将来、日本は、簡単には、地下資源を手に入れることは、できなくなりますよ。
もちろん、食糧も。仕事も無くなります。

そして、新興宗教は、貧困国を足がかりにその思想を拡大するでしょう。
資本主義が悪だという思想です。
実際、新興宗教は、始めていると思います、例の団体も。

発展途上国が、資本主義を憎まず、貴方の言う平和な社会を目指してくれればいいんですが。
どうでしょうか?

将来は、どうなるか分かりませんが、日本もあまり呑気な平和ボケの国では困ります。
日本は、何時までも努力なしに、今の世界的地位を維持することは、できません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

アフリカの人々の餓死が、ボランティアや技術の導入によって、なくなることは良いと思います。
けれど資本主義的な発展は、よすほうが良いです。
アフリカの人たちの心が壊れ続けます。
発展しては、アメリカの富裕層がしているいじめに加担すると思います。

権力構造という集団のあり方を受け入れているので、その中でいじめられるし悔しくて、それでその構造の中を駆け上がりたい、駆け上がって権力を持って、勝って下位の人々を抑圧することが幸せだし安心だという、病気だと思います。

アフリカには昔から、資本主義の前から? 王国なんかがあって、権力構造があるらしいので、インディアンから平等な小規模システムを導入すると良いと思います。インディアンなんかが平等な集団で、権力構造もなく、とてもよいと思います。

日本は、とか日本が、とか、日本を主語にしがちですが、日本なんか誰でもなく、大きすぎる集団の名前であって、もっと細切れにすべき幻の名前だと思います。市町村と個人の名前があればよいと思います。

仕事がなくなると困るとはよくいいますが、仕事というものはつまり、しなければならない厄介ごとであり、解決しなければならない問題を、仕事と呼んでいるのであって、それほど喜ばしいものでしなく、あればあるだけ幸せなものでもないのだと思います。仕事があればあるほど良い、という考え方は、資本主義的すぎる考え方だと思います。

食糧がなくなることは困ります。その問題に取り組むことはすべき仕事だと思います。
自分の土地にある資源によって暮らしを営むやり方を、見出して作り伝えていくことが、本来的にすべき仕事なのであって、つまりそういう本来的な仕事は、なくならないどころか、逆にこれからその尊い仕事の中身が立ちあらわれていくのだと思います。その仕事と暮らしは、偉大な過去において人々がしていた暮らしにどこか近いものになると思います。資本主義的な価値観に基づいてする仕事が、本来的な必要性から外れたおかしなものなのだと思います。

資本主義の社会において、精神病の無職の私がこうして、資本主義や社会を悪いものだと言い、つっぱねて無気力と無為に浸かっている、この病は、ルサンチマンとも呼ぶらしいです。

新興宗教も、古い宗教も、敵や法規や権力構造を持つ集団であり、国もそのひとつです。反資本主義や反ロスチャイルドで結束しても、敵を攻撃することは本末転倒で、なぜ資本主義を拒んだりそれに克ったりするかというと、人の心や暮らしを癒すためなのだから、毒と武器とかを使うことはだめです。

私は頭も心も体も貧弱ですが、貧困国や貧困地域の人々、発展途上国の人々は、資本主義的な憧れや悔しさや嫉妬から、資本主義的競争に参加しないほうが良いし、資本主義国の人々も、資本主義的な社会運営しかわからなくなっているからといって、資本主義的競争相手の動向に目を見張ったりして忙しいらしいですが、資本主義国の諸自治体から、資本主義を自ら廃棄していけば良いと思います。

各大陸や島国などの小規模自治体が営む、非資本主義的な暮らしの方法を、お互いに学びあえればよいと思います。
たしかアフリカか東南アジアでもそういう、資本主義に参加して勝つというやり方ではなく、地味な自分の文化を維持したまま、資本主義国文明の利便性を少しだけ受けとって、生活をよりよくしている地域があるらしいです。

日本の今の世界的地位というのは、その地位が資本主義的な競争における地位でしかなく、人々の主観的な幸せをはかると、ブータン? が1位だとかで、どうせ比べるならそういう主観的な幸せの比べっこが良いし、人々が求めて望むのも幸福なのだし、あんまり資本主義競争に勝っている国、というイメージや、日本という大きすぎるサイズの地域に自分を同化させて考えることは、良くないと思います。

お礼日時:2011/05/14 11:44

現在の自分の結論は、この世界や人は救い様がないとのことです。


こんな世界や人類は、参考にはなるけど、次世代に残す価値はありません。で、次世代も要りません。
だから、そう考えている自分にとっては、実際に現在生きている私たちが死ぬまでにどう生きていくかだけが、大切です。
で、そう考えると、私たちの世代だけを考えるだけで済みますから、例えば、私たちの世代だけで、残っている資源をパーッと用いて、楽しみましょう。最後くらいは、みんなが今まで体験したことがないくらい、みんなで平和に楽しく過ごしましょう。

因みに、脳死しているこの世界や、この世界の癌である人類を、どうしても残したいなら、少量の毒が要るし、利くだろうとは思います。自他にも有形無形にも感染しているのでしょう。
一発逆転類の発想については、極小技術や人工知能類の技術や知識に期待しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自主的な断種ですか……。
後ろ向きながら、ポジティブというか、やけっぱちみたいな感じで
ゆううつな人がおちいるような無力感ですか。

ナノテクノロジーは世界富豪がマイクロチップとかに使いそうで怖いです。

もう夜なので寝ます……。

お礼日時:2011/05/13 22:02

マルクスとエンゲルスが考えた原始共産制とはなんであったか、何が問題で次の発展段階に移行せざるを得なかったか、を考えるのがアプローチのひつとだと思います。

唯物史観のおさらいですね。

私は、基本的に人間一人ひとりの目指す理想がことなること、そしてその理想を実現せんとする能力・意欲に大きな差があるので、原始共産制では満足できない人々が現れると考えます。

一人一人の考えの相違、これこそが人間をして他の動物と区別するべき重大な要素だと言えないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

原曝ぶらぶら病にかかりながら原始共産制の森に入り私はインディアンの暮らしが最高だと思いました。美しい文化、権力構造なしの小規模な暮らし、強靭な肉体、自由な性交、大自然への調和と融合。インディアン最高です。アメリカ人による殺戮は人道的じゃありません。最も美しい文化を殺して散乱させるライフスタイルの多様性なんて、認めがたいです。

マルクス主義といえば革命運動でも社会・共産主義でもなく、私にとってそれは吉本隆明がテレビで言ってた芸術言語論の下地であって、とりわけそのまん中の自己表出です。それは詩のふるさとということでした。
その魂の声を壊さず、声を静けさにくるみ、みずからの胸やお互いの耳へつたえ、その響きが毎日の設計図になると良いと思います。本来のしごとも生活も社会も、そこを基にしてあるはずだと思います。

なのに国家や戦争や軍隊や学校が、権威主義的パワーによって、人々の自己表出をその出所と輸送管と耳ごと砕いて久しく、なので悲しい、その悲しみもわからないくらい悲しいことになってます。

人々が各々の自己表出を湧かし、きき交わし、育て、その声を私見や生き様の柱にして生活を建てなければ、世界はいつまでも焦土のまま、精神的な飢餓がつづくのです。

お礼日時:2011/05/13 21:28

少し古い感じがしますが、日本の政党に、surasariさんの考えに近い政党があります。



100年か1000年先には、そういう世界になっているでしょう。

では、今、なにをなすべきか?じつは、地味なんですね。

こつこつと、なかまをふやして、理想の実現のために、選挙で勝利していくしか、

ほかに方法がありません。

人生80年でも、足りませんね。二世代、三世代、四世代とかかります。

あまり、のめりこまないことを祈っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

虹と緑とか、何とか市民ネットワーク千葉とかですか

選挙はだめです

ひとりひとりの声が
票なんていう粗末なものにまで削られるから

ひとりひとりの意見を、ひとりひとりの意見のまま
その内容のまま、吟味する過程に未来があります

専らな代表者はいらず

子から年寄りまで全ての人の声の内容と価値が
みとめあわれ向上しあい多様化もするならしていくで

何世代にもわたるいとなみが素晴らしいのだと思います

なんだかくたびれて
夢ばかり書いています

お礼日時:2011/05/13 20:33

結構まとまっていると観じました。

でもひとことでいえば大風呂敷、で、それに何を包むのか?

総論賛成、各論無理難題、というより全体の中での貴方の理想らしきこと(これが一番大事だと思いますが)が総論のめっちゃ勇ましさに比べていかにも貧弱つーかバランスが悪いのではないでしょうか。たとえば

>巨大資産の所有を禁じ、国や大規模自治体や大企業を廃止し、資本競争と権威・権力構造を放棄し、軍事兵器や情報兵器を捨て、


>より美しく、より画一的でない、支配されない悠然とした暮らしの世界。個々の自然風土を生かして過ごす穏やかな生活。

もちろん貴方が人間の歴史の時計の針を百万年前に戻そうというような単純なことを言っているわけではないと思いますが、いずれパンドラの箱は開いたわけで、これを閉じるのは不可能です、つーか

わたしはあれきさんだーダイオウも、てむじんも、なぽれおんもひとらーも単なる巨悪ではなく、過去の大戦争も完璧な悪を人間になしたわけでなく、それぞれ人間の長足の文化発展に貢献した側面は否定できないと思っています。
彼らの並外れた欲望がその他大勢の怠惰な平凡じんどもを叱咤激励してここまでの現代文化構築を成し遂げたことは確かだと思うのです。
もちろんわたしはネオナチではりませんし、どちらかといえば平和主義者ですが。
世の中は単純ではありません。
複雑怪奇そのもの、一人の人間が意識してできること、することは質量ともに限度があります。
戦争をなくそうという動きにはさんせいします。
原発の廃止にはまだおいそれと賛成できないと思います。
これもなかなか現時点で私の頭では理解できない部分が残っており、イデオロギーに流されたくないということでもあります。

私は人間の持つ荒々しい快楽欲望へのエネルギーを削がないようにしながら、漸進的に世界の富をあまねく貧者へもたらす方向へもって行くのがよからんべと思っているもののひとりです。
宗教は廃止の方向へ持っていくべきでしょう。
少なくとも幼児教育での宗教の介在を禁止するべきです。
それから民族と国家主義の廃止ですね。
アメリカ解体、中国解体、ロシア解体、インド解体、とりあえずそんなところが出発点でしょうか。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

大風呂敷に包むのは、静けさです。
弱いので、弱くて静かな暮らしをしたいと思い、
個人的にもですが、人々の魂には静養が必要です。


バランス悪いのは、捨てるのはグローバリズムという巨大なゴミで、
それはパンドラの箱の中に戻して捨ててふたし、
こしらえるのは無数のちっぽけな郷という、その差です。

チンギスハンとか……ヒトラーとかアリキサンダーとかは
その時々の状況があらかじめ人々を不安と勝利への欲望にかきたてていて、
たまたま一番、魂のタガが壊れた人に、周囲の欲望がコピーされたのだと思います。

そのカリスマと軍隊が文明の強化と大規模化を押し進め、
本来の多様性を絶えず破壊しながら、津波のようにうわべだけの多様化が世界を飲み込み、人々の営みを単純化していきます。

彼らがパワーで壊し去った、ささやかな文化群のほうが美しく、より自然に適っていただろうと思います。

荒々しい快楽欲望へのエネルギーより、静かな暮らしへの欲望が美しく深い。
郷ごとの自然な富を、マネーを使ってその郷から奪わなければよいのだと思います。

お礼日時:2011/05/13 19:48

歴史をみてみますと、天国を目指して行動すると


地獄に成ってしまうそうです。

社会主義がその典型ですね。

人がいくら頭をひねくり回して理念や理論を
組み立てても、限界があると思います。
それよりも、試行錯誤の結果である
歴史や習慣を尊重し、その延長上で
少しづつ良くしていく方が優れている
と思います。

一見、不合理に思える習慣や制度でも
実際にやってみると合理的だった、という
ものも多いのです。
人間は、そんなに賢くないんです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
cyototuさんの意見と似ている内容だと思いました。

脱国家とか脱資本主義とか言うと、社会主義とか共産主義とか、
アナキズムとか言われます。

つまりどうせ失敗する、よくないヴィジョンで、斬新でもない
ということだと思います。悔しいものです。

歴史、苦手なのですが、そしてまずやってみる、ということも苦手です、個人的に。
あと集団行動も苦手です。会話は一対一で、ゆっくりでないとなかなかできません。
私個人のそういう都合が、理想にも反映しているのだと思います。
頭でっかちで阿呆な、自己中心的な発想なのだと思います。

回答に対する異論なんかないのですが、ただ合理的という言葉について
合理的ということは、処理が楽で、要素が簡素化され、単純にされてしまうという、つまらなさがあると思います。
そのぶん処理が速く、楽になるのでしょうけれど、なにか生々しい、生き物らしい大切な細部が切り捨てられると思います。

している社会の営みかたや暮らしが、いくらか合理的であるとか、
とても合理的であるとかいうのは、あまり喜ばしくないか、
むしろ逆に、人間という、賢くない、へんに複雑な、さまざまな細部からなるものにとっては、
合理的な仕組みは不自然で、今や速すぎる仕組みなのだと思います。

お礼日時:2011/05/12 21:47

こんばんは。



人類の将来にとって、最も大きな問題です。

貴方は、宗教本来の指導者のような発想ですね。
過去の生活に戻るということは、これ以上人口を増やさないということです。
人間(生命)の本能として難しいでしょう。
誰を減らしますか。
自分を信仰するものだけを助けますか。
でも、それもあるでしょう。

いままで、色々な苦難を乗り越え人類は、発展してきました、
もう誰も、豊かな文明を止めることはできません。
宇宙に発展しようでは、ありませんか。
そのためにも、今の争いを、中断しなくてはいけません。
出来るとしたら、各国の指導者と宗教家だけでしょう。
それをなすのは、人間の優しい心らしい。
私は、少しでも早く、人類の文明を発展させたい。
そして、人類の未来が明るいことを望みます。

様々な争いを取りやめ。
文明の発展を進め。
人間の優しい心により、世界から不幸を減らす。

ただ、理想かもしれません。
駄目でも、数名は、生き延びるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
選民的な思想を含んだ回答だと思いました。

人口が増えすぎることは、本能の働きではないと思います。
本能には人口をちょうど良いものに整える働きも宿っていると思います。
人は本能が壊れた生き物だと言われるそうですが、それにまして加えてさらに本能が破壊されています。
情報兵器や、欲望兵器や、競争によって人々の欲望の天井が破壊されて。
人口が多すぎる集団や自治体や組織や都市の人々の本能が、壊れているのだと思います。

宇宙について
山のあなたの空遠く、宇宙に住むとすると、かなり人工物ばかりの環境になるのですが
地球を使い捨て、人によるコントロールで満たされた環境に移ることは、醜くつまらなく味気ないもったいないことだと思います。

地球は自然のはからいが時の長さのあいだじゅうずっとこしらえつづけている恵みであって、
そこから外れては、人は何に恵まれるのか、期待が持てません。

放っておけば地球も太陽もやがて消滅すという噂ですが、
それはずっとあと、自然とそうなるまでには長い時間が残っているので、
あまり急がず、なるべくゆっくりと、文明を宇宙へ広げていくのも、
むこう数百万年間の趣味として、よいのでないでしょうか。

人口爆発と餓死がひどいですが、それは資本主義の色眼鏡や定規でもって、アフリカなどの人々の暮らす場を最貧国などと呼び、
先進国でとっくに本来の地味な暮らしを見失った人々が、いやがらせのように
アフリカの人々の本来の美しい暮らしを破壊したのだと思います。

資本主義の企業人が、情報兵器や家電兵器をアフリカに送り込み、
アフリカの人々にマネーの富と欲望を突っ込み、
アフリカのひと本来の暮らしの営みをぶっ壊したのが、
人口爆発と餓死の原因だと思います。
アフリカの音楽が乱されているのだと思います。

資本主義競争の文明人たちがけんめいに、その壊れた心でもって、同じく壊れた人々との競争に負けまいと、
そして自らの資本主義的生活のためにも、アフリカの人々の暮らしと、心と、肉体をも、
壊しているのだと思います。

資本主義の国々の人々は、自らの同胞がアフリカの人々をそそのかし、
欲望兵器で過剰な資本主義的欲望をかれらに植えつけ、
かれらから自立した地味な暮らしを奪い、そして雇い、支配し、自然資源を買い取って奪いあい、
さらに欲望兵器を突っ込み買わせマインドコントロールし、

長くなってすみません、その自立した暮らしを乱し壊し、自然な程度の欲を破壊したあげくに、
アフリカの人々の、生きようを見失い貧しく増えて餓死しているさまを見て、
他の国々の人は不思議そうに、またはそとらぬふりをして、
かわいそうとか、アフリカのかれらが自立しないのがよくないと言う。
自分たちが壊しているのに、その命も暮らしも心も魂をも。
なぜアフリカの人たちの暮らしと餓死は、治らないのだろう、と不思議がる、
そんな文明国の、文明的生活を送る人々の心と暮らしが、不吉に壊れている、
くだらない笑いに塗り込められた資本主義の平和の中で。

アフリカの人たちもインディアンのような美しい暮らしをかつては営んでいたのだと思います。
くだらない資本国からのマネーくさい色と光に染められて、壊される前までは。

なので取り戻さなければならないのですが、
すでに欲望が開発されたとしたら、欲望の出所、つまり何からその欲望を
受け取ってしまったのか、ということについて自覚すれば、
その出所のくだらなさに気づいて、欲望の量もつつましい程度に下がると思います。
現に文明国では、性欲や金銭欲や賃金奴隷的労働意欲に乏しい若い人々が増えています。

自分や自分たちがいったい何をしているのか、
ということを吟味できる程度の速度にまで、人々や社会の営みを遅め、競争をそのためにゆるめ、
落着きを取り戻して、本当に必要な仕事の内容と量を見出すためにも、
ゆっくり考え、考えあうために、競わないために、ベーシックインカムを導入したり、
人々を忙しい奪い合いに追いやるマネーを、語らいによる合意に置き換えたり、
幼い子供も含めすべての世代の発言の価値と質を引き上げ、
地味な暮らしに必要なだけの、美しい質と量のぶんのモノと仕事を作ってもち、
大企業ではなく、さまざまな技をもつ小規模集団が生産しあい、技を共有し、
各々の小さな自治体の、自立的で自足した暮らしを支え営み、
余剰や必要や暇があれば他の自治体に贈り、技を贈り、
そうして各々の郷がコンパクトな経世済民を成り立たせていけばよいと思います。

お礼日時:2011/05/12 21:36

先ず、



山のあなたの空遠く
幸ひ住むと人のいふ。
噫、われひとと尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
幸ひ住むと人のいふ。

と言う歌を思い出しましょう。

それと、

吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。

を参考しにして、自分の天命を知り、それに従った人生を送ることを目指して下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんだかむずかしいですが、
メッセージは、

・だまって勉強しなさい
・人のはからいには限りがあります
・幸せは身近にあります
・苦労しなさい
・長生きしなさい
・歴史から学びなさい

ということだと思いました。
カール・ブッセの詩は素敵だと思います、翻訳も。
涙さしぐみ、なんて知りませんでした。

孔子はむずかしいです。
大昔の戦国のヒーロー、孔子もしょせん人です。
人の言葉なんかに、従ってよいものか、とも思います。

cyototuさんはアメリカに住んでいて、
アメリカはかなり病んでいると思います。暗殺もありますし、

アメリカは、集団自閉的で、ひどくパワフルなふるまいをするので嫌いです。

集団としてのサイズが大きすぎるのです。

今のアメリカ人の生活は、昔のインディアンの暮らしよりも、内なる心や言葉のふるさとからの断絶が多そうで、美しくないし、不幸せです。

インディアンたちを殺したとき、アメリカ人たちは、魂が壊れてしまったのだと思います。

日本人も昔、マッカーサーらによって、被爆者の辛さが口封じされ、
今も、原発の放射線による被爆の影響について、アメリカは日本に口封じをしているという噂です。

cyototuさんはパワーパワーと書いていますが、パワーは、権力であって、権力や権威がある機構や社会では、
その中で人々は服従し、従順になりやすく、気骨があればいいのですが、
気骨があれば、それでいいのに、

パワーは人々の従属を望み、気骨をくじこうとして、くじけて従順な人々は、心を病みます。

権威主義的パーソナリティというらしいです。
そういう人は、上からの命令にすなおに従い、自分より下位の、弱い人々を軽んじ、いじめ、上から受けた抑圧を、下位の人や無関係なものにたいし、怒りの矛先を置き換え、いじめ、
いじめられる人はより弱い人や存在をいじめます。

なので、人の、人に対するパワーは、まがまがしいものだと思います。

インディアンの群には権力構造がなく、平等らしいので、理想的です。
派手なかっこうをして、けばけばしい装飾があるインディアンのイメージは、アメリカの映画がわざと、あまりにもわかりやすく描いたらしいです。

本当はもっと地味だと思います。
アメリカの人たちは、パワーが支配する環境により、全員の心や魂が壊れがちなので、表層的な派手さや、富や、単純な、センスのない上っ面なんかを好み、サイズや外皮の、競い合いなどの結果としての勝利とか、そんなものに酔って、それで幸せなはずだと信じ込んでいたい人々なのだと思います。
くだらない。

小集団ごとに別々の文化がありそうで素敵な、理想的な文化の担い手の一つであったインディアンを、殺したアメリカ人や、そのパワーは嫌いです。

お礼日時:2011/05/12 19:40

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