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人はみな神の子と言う人が、私は神の子と言わないのはどうしてか?

A 回答 (3件)

「人はみな神の子」という意味は「人はみな神が作り出したもの」


という意味だと思う。

「私は神の子」というと「イエスキリスト」を連想する。

「人はみな神の子」という意味は「私は神の子」という意味とは
違うからだろう。

「私は神によって創造された人間の一人」と言うのが誤解を与えない
正確な言い方なのではないだろうか?

この回答への補足

「人は皆神の子である」、「私は神の子である」を、神によって創造された受動的人間の立場でとどまるのではなく、神性に目覚めた主体的霊的自我としての視点からの表現としては捉えにくいのでしょうか?

補足日時:2014/12/19 00:38
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。のらねこさん。

>「人はみな神の子」という意味は「人はみな神が作り出したもの」
という意味だと思う。

受け止めました。

>「私は神の子」というと「イエスキリスト」を連想する。

そうですね。

>「人はみな神の子」という意味は「私は神の子」という意味とは違うからだろう。

「神の子」に二つの意味があるということですね。

>「私は神によって創造された人間の一人」と言うのが誤解を与えない正確な言い方なのではないだろうか?

私達は神によって創造された人間であり、(言うまでもなく)私はその一人である。ということのようですね。

お礼日時:2014/12/19 00:41

いちいち「私は〇〇と△△(両親の名前)の子である」とは言わないでしょう。


それと同じです。

この回答への補足

横道にそれますが、「私は平清盛である」とか「私は源頼朝である」と名乗ることは、祖先神(桓武平氏)の子孫(清盛)、祖先神(清和源氏)の子孫(頼朝)、っていうことで、「私は神の子」を具体的に言ってますよね。一般的に「人は祖先神の子孫である」ということは自明すぎて言わずに、むしろ自身の祖先神をいうことのほうに意味がある。という思いが湧きました。どうでしょう。

補足日時:2014/12/19 03:46
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この回答へのお礼

そうですよねー。

ばりさくさん。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/19 03:40

>「人は皆神の子である」、「私は神の子である」を、神によって創造された


>受動的人間の立場でとどまるのではなく、神性に目覚めた主体的霊的自我
>としての視点からの表現としては捉えにくいのでしょうか?

その質問は鋭い。だが、初めの質問と矛盾している。

「神性に目覚めた主体的霊的自我」に目覚めた人間は、
「人はみな神の子」とも「私は神の子」とも言うであろうから。

逆に言えば「私は神の子」と言える人間は「神性に目覚めた主体的霊的自我」
を持ち合わせていると言える。

だが私には疑問がある。「私は父の子です」と言うだろうか?
「私は神の子」と言うような人間は所詮、主体的霊的自我に目覚めただけ、
いうなれば目覚ましの音に目を覚ましただけではないのか?

このように考えると、真に「神性に目覚めた主体的霊的自我」を
持つ人間は「私は神の子」とは言わないだろう。なぜならそれは
あまりにも自明の理に過ぎるからだ。

もし言うことがあるとすれば、それは人を啓発するときのみだろう。
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この回答へのお礼

私を見抜かれているように思いました。おおむねおっしゃる通りだと同意できます。どうもありがとうございました。

お礼日時:2014/12/19 03:38

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