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恥ずかしながら、あまり宗教に興味ないので知識が全くないのですが、
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教って 元々は一緒の宗教だったのでしょうか?
エルサレムに聖地がなぜ一極集中してるのでしょうか?
旧約聖書を少しウィキってみたのですが、難し過ぎて…
物凄く長い話になると思いますが 宜しければお教え願いませんでしょうか?

A 回答 (9件)

1 一神教が生まれちゃったよ。


その前半
エジプトからモーセが奴隷とかを連れて逃げたらしい。
マイノリティというか少数派は、「俺達の違いって何よ?」というのを考え易い。多数派はだいたい、のほほんとしていますので。
その後半
エジプトとメソポタミアという巨大勢力の間という「ややこしい」ところにイスラエル王国ができちゃったよ。何がややこしいって、エジプトが統一されて拡大するとすぐにやってこれるし、メソポタミアが統一されて拡大するとすぐにやってこれる。
で、イスラエルはソロモン王のあと、南北に別れちゃった。北のイスラエル王国と南のユダ王国に。
で、お互いに「こっちが正統じゃ」と言い合った。その言い合った根拠がどっちが神様に愛されているかということになった。
で、北のイスラエルが先に滅ぼされたので、南のユダ王国では「やっぱ、俺達のほうが愛されている」と考えた。神様への確信が確固たるものになった。
ところが、ユダ王国も結局滅ぼされる・・・愛されていないじゃん俺たち。
いや!なんか理由があったんだ!
というので、国が無くなって宗教としてのユダヤ教が深化します。
国がない分、宗教という道徳とか生活基準とかそういったことをちゃんとやっていれば「神の愛が復活して、イスラエルはまた栄える!」(に、違いない)と考えた

2 もう世俗はいいよ
いつまでたっても、イスラエルは復活しない・・・規律をガリガリやっても意味ないんじゃないの?
※ 新約聖書で批判されているのが 規律派ともいえる ファリサイ派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93% …

リアル国家じゃないくて、心の国家で救済されますよ。
というのがイエスの考えで、心の国家だったら、ユダヤ人でなくてもいいじゃん!とパウロあたりの、ユダヤ教イエス派第二世代。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93% …
だもんで キリスト教はユダヤ人の民族宗教(ユダヤ人を愛して、地上に王国を作ることを約束する宗教)から世界宗教に脱皮します。

3 無明じゃまずいんじゃん
東ローマ帝国とイラン人勢力が対決して、東西交易が滞った。
だもんで、南回りが活発になります。つまりアラビア半島をぐるっと回って交易する。
経済的に栄えても、心の安定はもたらされない・・・悩んじゃったのが本人も商人である ムハンマド。
当時のアラビア半島西岸のオアシス都市にはユダヤ教徒とかキリスト教徒も結構住んでいたので、このへんも勉強したらしい。
そしたら 神が降臨した。
お前が、最後にして最大の預言者だと。
※ モーセもイエスも、預言者達の一人で、不完全だったので、最後にして最大の預言者 ムハンマドが選ばれたという考え

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3% …
ムハンマド前は無明なの

見かたによるけど
ユダヤ教の分派がキリスト教
キリスト教の分派がイスラーム

あるいは、それまでの神様の言葉を間違えていたのが ユダヤ教(キリスト教やイスラームの立場)
あるいは、それまでの神様の言葉を間違えていたのが キリスト教(イスラームの立場)

一神教の成立段階で「エルサレムの神殿」というのがキーになっているので、聖地とされちゃいます。
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 三教の聖都 ~ 神殿の跡・処刑の地・昇天の地 ~
 
── 1:ユダヤ教(イスラエル)にとっては古代ユダ王国の首都で、
ローマ帝国が破壊(AD.70)した神殿跡に「嘆きの壁」が残されている。
2:キリスト教にとっては、キリストが処刑・埋葬・復活したとされる。
 
3:イスラム教(パレスチナ)またはアラブ民族にとっての聖地である。
 ムハンマドがメッカの神殿からエルサレム神殿(遠隔の礼拝堂)まで、
一夜のうちに旅をした、とコーラン(17章1節)に記されている。
http://q.hatena.ne.jp/1235938636/206157/#i206837
 
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 三教三巴 ~ 近似するほど対立が深まる ~
 
── 三教の神は、呼び名が異なるだけで、同じ天地創造主を指す。
 三教の聖地は、エルサレム(もとはパレスチナ、現イスラエルの首都)。
 三教の暦は、それぞれの宗教暦だが、日常的にはグレゴリオ暦で統一。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2305810.html (No.3)
 
── 唯一神に仕える、つぎの三人の預言者が出現している。
 ユダヤ教にモーセ、キリスト教にイエス、イスラム教にマホメット。
 預言者は(予言者ではなく)、神の言葉を預かって、人々に伝えた。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4002296.html (No.5)
 
── 三教の聖典は、ユダヤ教の《旧約聖書》、キリスト教は《旧約・
新約聖書》を印刷して配布することに熱心で、イスラム教は《コーラン》
の朗誦を尊重し、《旧約・新約聖書》を実践的に継承する。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6754517.html (No.7)
 
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 テレビかなにかで見たか、本で読んだかで得た知識で、私が一番納得しているお話を。



(1) まず、ユダヤ民族が、唯一の神、絶対的力を持つ神Aと約束しました。私以外を「神」と呼んではいけない。その代わりお前たちを守ってやろう。そういたしますので、よろしくお願い致します。

 その約束などが書かれたのが「聖書」です。


(2) 人間の数が増えると、ユダヤ人だけを相手にしていられなくなって、神Aは、ナザレ生まれのユダヤ人(ユダヤ教徒)をつかって、全世界の人間に新しい契約をもちかけました。私以外を「神」と呼んではいけない。その代わりお前たちを守ってやろう。そういたしますので、よろしくお願い致します。

 この新しい契約を結んだ人たちは、ナザレの男をメシア(キリスト)だと信じたので、この契約を信じる宗教をキリスト教と言います。

 その約束が書かれたのが「聖書」です。でも、神との新しい約束が書かれたので「新約聖書」と呼び、前からある聖書を「旧約聖書」と呼びました。

 が、ユダヤ教徒は、いまなお、そのナザレのユダヤ教徒をメシアだとは思っていません。言うなら、ユダヤ教徒キリスト派と言ってよいくらいに縁が深いので、ユダヤ教の聖地とキリスト教の聖地がダブるのは当然です。


(3) またしばらくすると、神Aは失望しました。お前たち人間には聖書を与え、つぎにナザレのイエスを介して新約聖書を与えた。にもかかわらず、おまえたちは私の教えに従おうとしない。

 ついに憤慨した神Aは、マホメットを介して、『最後の教えを伝える』として、旧約聖書に書かれたことも新約聖書に書かれたこともふまえた、詳細な教えを人間にもたらしました。

 と考えたのがイスラム教です。マホメットが伝えた、神Aの、最後の教えを書いたものが「コーラン」。(最後なので、もうAを信じる教えは出てこない)

 したがって、イスラム教徒は旧約聖書も大切にしますし、新約聖書も大切にします。が、一番大事なものは、と言われれば、すべてを踏まえて行われた最後の教えを書いた物、即ちコーランが大切、と考えます。

 そういう三層構造の一番上にあるのがイスラム教なので、聖地等もほかの2つの宗教とかぶるのは当然です。ちなみにイスラム教は、ナザレのイエスも聖人と認めています。また、神Aを「ア ラー」と呼ぶキリスト教徒もいます(先日、問題になっていた)。
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クリスチャンが「ゴッド」と呼び、ユダヤ教徒が「ヤハウェ」と呼び、イスラム教徒が「アラー」と呼ぶお方はみな同じ方を指しています。

この世界に唯一にして絶対の神の存在を信じるのが一神教で、この一神教の神様はおひとりのみです。
だから、十字軍なんかの戦いでキリスト教徒とイスラム教徒が戦うときに「神様、我らに勝利を」と祈った場合、同じ方にお願いしているのです。全知全能にして慈悲深い神様はどちらかの願いを必ずかなえてくれたようです。

さて、砕けた言い方をすると、元々モーゼという人に率いられた民族が乱暴にいえばユダヤ人の始まりです。このとき一神教の神様がモーゼと人々の前に姿を現しました。
紆余曲折があってユダヤ人ご一行は現在のパレスティナにやってきます。神様はユダヤ人たちに「ここをお前たちに与える」と約束しました。これが「約束の地」ってやつです。
しかし元々パレスティナには先住の人々がいました。「あのう、神様。なんか先に住んでる人がいるんですけど、彼らはどうすればいいですか?」と伺うと「殺しちゃってオッケー」と神様OKが出たので先住のパレスティナ人を戦って殺して追いやってここに古代イスラエルを築きます。
そしてその中心地に壮大な神殿を作ります。それが現在のエルサレムに残るわずかな「嘆きの壁」です。嘆きの壁はエルサレムの神殿の一部なのです。今でも多くのユダヤ教徒たちが嘆きの壁の前で祈りますが、彼らが祈っているのは「三千年くらい前のあの日の栄光がまたくるようにお願いします」ということです。ちなみにエルって「平和」って意味で、サレムは「町」って意味だそうです。つまり、エルサレムとは「平和の町」って意味。いやはや、神様のブラックユーモアもなかなかどぎついものがありますね。

かつて栄光にあった古代イスラエル王国もやがて落日を迎えあのローマ帝国の植民地となります。その頃にイエスがイスラエルの地に生まれました。ローマの支配ってのは現代の目から見てもかなり寛容で、特に信教の自由はそれなりに守られていたのですが、宗教的に潔癖症なユダヤ人はそれが我慢なりませんでした。いってみれば自分の家に家族以外の人が入ってくるのがとにかく嫌なのです。
そんな中、「ベイベー、みんな、愛だぜ」とイエスが言い出しました。イエスの教えの画期的だったところは「愛」を中心に持ってきたことです。「神様は、みんなを愛してるぜ」といったのです。
ローマの支配にイラついていたイスラエルの人々は、イエスが指導者となってローマを追い出してくれる革命家になるのではないかと期待しましたが、「ボクの天国は、キミたちの考える天国とは違う」とイエスはこれを拒否し、期待を裏切られた逆ギレでイエスは処刑されてしまいます。
元々イエスはユダヤ教のラビつまりまあお坊さんみたいな人でした。しかしイエスの死後、彼の弟子たちを中心にユダヤ教から分離してキリスト教が誕生します。

そしてイエスの死後、イスラエルで大規模な武装蜂起が起きますが当時最強のローマ軍に鎮圧され、エルサレムの神殿は破壊されてユダヤ人はイスラエルの地を追われます。いわゆる「ディアスポラ」です。以後、第二次大戦が終わって現在のイスラエルが建国されるまでユダヤ人の「国家なき民族」の歴史が続くこととなります。

それからだいぶたって、中東のとある洞窟の中にいた男が天使ガブリエルから「お前が神の教えを広める者だー」と命ぜられます。この人がムハンマド(マホメット)です。ムハンマドの特長は、宗教家でありながら軍事的指導者つまり将軍でもあり政治家でもあるようなところです。イエスやユダヤ教の宗教家に比べるとちょっと俗っぽいところがあるんですな。
しかし彼の教えは中東の人々の心をがっちりつかみ、たちまちのうちに中東はイスラム教を中心としてひとつにまとまります。
そしてこのムハンマドが入滅つまりお亡くなりになったところがエルサレムでした。なぜなら、ムハンマドが教える神様もユダヤの神様と同じ神様です。その神様が盛大に祀られていた「元祖・聖地」なのですから晩年はここで過ごしたいと思っても不思議はありません。

かくして、エルサレムはユダヤ教の偉大な神殿があった場所であり、イエスが十字架にかけられた場所であり、ムハンマドが入滅した場所でもあるのです。
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 なんかみなさん難しそう。


 まずは一神教のテンプレートとしてユダヤ教が成立し、その延長に(色々混ざって)キリスト教ができた。そのキリスト教の一分派のマホメットさんが、「預言預言といってるけど、ちっとも予言者がでてこないじゃん。」で、「…って、もしかしたら予言者ってオレ?」ということで独立。それがイスラム教。
 なおいちいちなんでローマへ行かなきゃならないの?ということで、モバイル化したキリスト教がプロテスタント。
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 ユダヤ教の成立は、一番早くは<エジプト脱出>の前1250年ころとしましょうか。

バビロン捕囚解放の前4世紀ころ教義の確立を見た、とすることもできましょうか。
 キリスト教の成立は、ユダヤ教のある種の異端としてイエスが活動した紀元直後の30年ころとしましょうか。
 イスラム教の成立は、わかりやすくは、622年のヒジュラと呼ぶある種の夜逃げでメッカを捨て、メディナで教団国家の形成に成功したとき、でしょう。

 三つの宗教のイェルサレムとのかかわりはそれなりにあります。
 「ユダヤ人」は、エジプトから脱出するとき神がそこに行けと指示した「パレスティナ」に建設する町で、もちろんこれも無住の地だったわけではなくてヨシュアらの指揮するジェリコの戦いを経て勝ち取ったものですが、ダヴィデ、ソロモン両王の首都になります。ヘブライ王国です。バビロンから戻るのもこの地です。ただバビロンに連れ去られたのは、ヘブライ王国がイスラエル王国とユダ王国に分裂し、イスラエル王国が滅んだ後に滅ぶユダ王国の民です。
 キリスト教とイェルサレムは、イエスがそこを目指し、そこで捕らわれ処刑される町です。中世のキリスト教徒がその地に巡礼し、十字軍がその保持を目指した街でもあります。
 イスラム教とイェルサレムは、岩のドームのある岩からムハンマドが昇天したと伝えるようです。イスラム教の初期には、イェルサレムのほうを向いて礼拝したといいます。
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それぞれに違いがあります。

基本は「神」であり、外道といって自分の外に信仰の対象物を求め、信心を深めていくものです。キリストは、人であり、イスラムは太陽です。
日本は、基本仏教であり、内道といいます。内道の信仰対象物は心です。自分の内側を見つめなおして信仰深めていきます。
全く対象物が違います。
キリストも、分派しており、聖書の全体を説くもの、部分観を説くものがありエホバ、プロテスタントなどさまざま。イスラムやユダヤもその類いはあると思われます。
しかし「神を信じるものだけが救われる。」の言葉通り、ごく一部の人しか救えません。また、輸血を拒否したり、ワインは飲んでもいいが、ビールはだめとか世情的に戒律が矛盾しており不可解です。
アラーも、豚肉とか牛肉とかの殺生的戒律が矛盾しており分かりません。
世界で紛争をなくそうとか言ってる国々が、未だ戦争してます。
それが、キリストであったり、イスラムであったりします。キリストは十字架で貼り付けの上、血を流しています。やはり血を見ることが好きなんですね。
ちなみに自分は信仰してます。内道を。
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出来るだけ簡単に説明すると、3つの宗教の中で一番古いのがユダヤ教です。

ユダヤ教の聖典 旧約聖書には、“メシア(キリスト)”=救世主 が誕生し、神を信じる人々を救済するという予言があり、その予言がイエス・キリストによって成就した、と信じるのがキリスト教です。ですから、未だにユダヤ教を信じている人々は、イエスは救世主ではなく、メシアはまだこれから誕生して、自分たちを救ってくれると考えています。
イスラム教についてはあまり詳しくないのですが、モハメッドによって創始され、コーランを聖典とする宗教です。このコーランは、旧約聖書の内容とダブる部分が多少ありますが、基本的に、ユダヤ・キリスト教とイスラム教は、関係はありません。
エルサレムが聖地となっている点ですが、ユダヤ教では、エルサレムに神殿が建設されて以来、崇拝の中心地となりました。
キリスト教においては、イエスがエルサレムで亡くなったということ以外、厳密には聖地とする理由はほとんど見当たりません。なぜなら、ユダヤ教のように、特定の場所を神聖と考えて特別視したりしないのが正しい崇拝の方式であるというのがキリストの教えだからです。
イスラム教がなぜエルサレムを聖地とするかは、不勉強で、よく分かりません。
以上、中途半端な答えになりましたが、参考にしていただければ幸いです。
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