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文章を縦に読む方が横に読むより楽、疲れないという見解があります。それはどうしてですか? ただ日本語がそうできているとか、伝統的にそういう習慣だったとかではない科学的根拠があるはずです。そして横に読む方が楽という意見もありますが、小説や詩歌などはほとんどの人が縦に読むことを第一にしているようです。ここでもどうして縦の文章が長文の味わいにはいいのかが問われます。そこには習慣、慣れ、好みではない、あくまで科学的背景があると思いますが、検証された方のお答えをお待ちしています。

A 回答 (6件)

>伝統的にそういう習慣だったとかではない科学的根拠があるはずです。



私は別に科学的根拠はないと思います。
日本では日本語による小説・詩歌本の多くが縦書きで出版されているから、縦書きに慣れてしまっているだけのことだと思います。

日本語と同じく縦書き横書きどちらもOKで、かつ同じ漢字を使っている中国語の場合、中華人民共和国では小説等の出版物はほとんど横書きです。縦書きの出版物は古典の本くらいです。(香港では縦書きの現代小説本を見たことがありますが)
ですから、漢字の持つ特性により縦書きのほうが良い、ということは言えないと考えます。

この回答への補足

ご意見をありがとうございます。

「科学的根拠」というと、あまりに厳格であたかも実験データに基づく論証を求めるような印象を与えてしまったかと思います。 説得力ある合理性ぐらいでよかったかと思います。

これまでも過去に似たような私見が数多くあるのですが、みな「個人的印象」を語っているものです。そこで今回は「科学的根拠に基づく検証」という条件を付けてみたのです。

結局、目線の焦点移動が乱されずに安定してできるのは縦の方が保たれるのか、横なのか、あるいはどちらの場合も違いはないのかという議論になるかと思います。

補足日時:2011/05/25 19:24
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 科学的には、目は横長なので左右の動きが素直な動きである、よって、横書きのほうが疲れない、ということのようです。



 が、物事は理屈だけでは進まないのでありますねぇ。

 たとえば50m競争をするとき、50m先にゴールテープを広げるよりも、55m先にテープを広げて、そこを目標にさせたほうが速いタイムが出せる、とか、聞いたことがないでしょうか。もうすぐゴールだと思った瞬間、脳は体に走るのをセーブさせるのだそうです。

 足腰を痛めないためには、年を取ってきたら、「どっこいしょ」と言いながら立ち上がるのがよい。「よいこらしょ」と言いながら物を持ち上げるのがよい、と聞いたことはないでしょうか。そうすると、脳が自然と体にその準備をさせるから、足腰を痛めることが少ないのだそうです。

 さて、そこで本題なのですが、

 年を重ねてくると、横書きは、目が素直に動くせいでしょうか、目は字面を追って素早く動いているんだけど、書かれている意味が頭に入ってこないという現象がしばしば起きてきます。何度も読み返さないと、意味が分からない(ご両親とか、おじいちゃんおばあちゃんに確認してください)

 ところが、読みにくいはずの縦書きですと、最後まで字面を追うのには時間がかかるのです(それは確かです)が、意味は頭に入ってくるんですねぇ。

 それどころか、行間の「雰囲気」、文章の「余韻」などというものまでじっくり吟味できるようになるのですよ。

 脳が書物を読む準備をするせいでしょうか。道に障害物があると、一歩一歩確認して歩くから、かえって転倒が少なくなるのに似ているかもしれません。

 俳句を詠んだり、詩歌を論じたり、ということは、若い方はあまりやりませんね。忙しくて。で、暇ができて、そういうものに親しむ年代になると、縦書きが好ましいものとなる。

 その結果が、質問者さんなどへフィードバックされて、疑問を引き起こしたのだと思います。

 私の書いたことが正しいかどうか、質問者さんが後期高齢者になるころに、判明するでしょう。

この回答への補足

ご意見をありがとうございます。

「科学的根拠」というと、あまりに厳格であたかも実験データに基づく論証を求めるような印象を与えてしまったかと思います。 説得力ある合理性ぐらいでよかったかと思います。

これまでも過去に似たような私見が数多くあるのですが、みな「個人的印象」を語っているものです。そこで今回は「科学的根拠に基づく検証」という条件を付けてみたのです。

結局、目線の焦点移動が乱されずに安定してできるのは縦の方が保たれるのか、横なのか、あるいはどちらの場合も違いはないのかという議論になるかと思います。

一つ、「意味が頭にはいってくる」とのコメントが大いに光っています。新種の着眼と喜んでいます。読む上でこれこそ最大の目的ですから、やはり縦の文章が意味をよく伝えるということにつながるかと思います。

いいご指摘をありがとうございました。

補足日時:2011/05/25 19:32
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小生も、伝統、慣習、慣れ以外の科学的根拠はないと思います。



「縦書きの方が読みやすい」という“科学的な”根拠があるならば、西洋の方々も同じように縦書きの方が読みやすいはずでしょう。
日本人だけに限定される根拠では“科学的”というわけにはいかないと思います。
人間にとっての“科学的”根拠があるならば、西洋の方々がわざわざ読みにくい横書きの文章を、二千年だか三千年だか読み続けているはずがないと思います。

さらに、もう一つ、「慣れ」によるものであろうと思う理由は、今のお若い方々は、縦書きの小説を読むのが苦手らしいということです。
国語関係以外の教科書はすべて横書きで、ネットやメールに慣れ親しんでいて、横書きで印刷されているケータイ小説なら読めるけど、縦書きの小説は読めない……。
こういうご意見は、小生の周囲の子どもたちからも、またネット上の書き込みからもよく聞くことがらです。

「もうここまでネットが普及して横書きに慣れているのだから、いいかげん新聞も横書きにしませんか」といったご意見を、そこかしこで目にします。
まだまだ小数派だとは思いますが、そこまで「横書きの方がいい」という方がいらっしゃるのです。

縦書きのものを読み慣れていないから、縦書きのものを読むのが苦手な人が増えている……これはある意味“科学的”根拠にはなりませんか?

もし何か科学的根拠があるとすれば、先の回答にもあるように、人間の目玉は上下に動かすより左右に動かす方が楽ですから、「横書きの方が人間にとって楽で疲れない」という方が合理的であるように思います。

この回答への補足

再度お時間をとっていただいてありがとうございます。
以下同文なんですが、吟味のほどろしくお願いしたします。

この議論で必ず出てくる見解に、「目が横に並んでいるから横に読み進むのが楽とするのが科学的」
があります。確かにそうなんですが、新幹線の「のぞみ」が走り去るのを見るとか、野球で三塁手がゴロをさばいて一塁手へ投げるボールを目で追うとかの、スピードある動きを追う場合は横の目の移動は、二つの目ですばやく認識できます。
 しかし文章を読むときは大きく違います。流し眼では読めませんから、しっかり焦点を合わせて
そのまま焦点移動をしなければならないわけです。そこがこの問題のハイライトかと思います。

 「のぞみ」がどのくらい速く走っているかを見る目は横に見る目の働きが適しているでしょう。しかし、乗っている乗客の顔を確認する目は縦の目かと思います。音楽の楽譜もそうですね。 横目と
縦目があって初めて音楽になると思います。

 西洋の言語は縦にはなりませんから、縦か横かの論議は無意味ですが、すくなくとも幅を狭くして、サッと読める形にして、読みやすくしようと努力をしているのは確かです。新聞も映画の字幕もできるだけ横に広がらないようにしていますね。

 つまり、目にとって焦点を合わせる、そしてそれをいかに静かに移動させるかが、文章読解の
コツかと思います。そもそも右目と左目の焦点は合ってないんですよね。脳が合体させているわけですよね。
 カメラのように一旦焦点を合わせたらロック・オンして読めれば一番楽でしょうが、いちいち焦点を合わせながら読むところに疲れが出てくると思います。

 結局、縦に読む方が焦点を楽に合わせら、焦点移動も楽にできるのか、それとも横の方が楽かという質問になるかと思います。  

いろいろご意見、ありがとうございます。

補足日時:2011/05/25 22:30
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 すみません、2番の者です。

「脳科学的」見地から補足します。

 人の目は横長なので、サッと風景を見て、獲物がどこにいるかとか、自分がどこにいるかとかを概括的に捉えるにはいいと思うのですが、脳の働きからすると、横の動きよりも縦の動き(視界の上から下への移動)、つまり、自分に向かってきているか自分から離れようとしているか、という動きの方が重大だったはずです。

 横に動いているかぎりは、それが虎だろうがライオンだろうが、槍だろうが矢だろうが関係ないですが、視界で上から下への移動しているとすれば、自分に向かってきているということですから、命に関わる重大問題だったはずです。ですから、当然、そういう動きを見た時(横の動きを見た時よりも)脳は活発に活動したはずなんです。

 そして、そこから、たまたまこちらに向かってきているのか、自分たちを狙ってきているのか、など、詳細なデータを読み取ろうとしたはずだと思うのですよ。逃げるか、立ち向かうか、考えなければならない。ボンヤリしていたら死を招く。

 人類史的にはほんの昨日まで、何万年もの間、そうやって、縦の動き(上から下への動き)に敏感に反応した人間だけが生き残ってきたはずなのだから、その特徴は今も現役で残っているはず。

 それゆえ、老化してきても、縦の文章を見ると敏感に反応し、内容を把握しやすいし、行間からさまざまな付帯情報さえ読み取れる、と主張したいですね。

 縦書き、万歳、であります。縦書きする民族の方が、現役生活は長いと思われます。

この回答への補足

再度お時間をとっていただいてありがとうございます。

この議論で必ず出てくる見解に、「目が横に並んでいるから横に読み進むのが楽とするのが科学的」
があります。確かにそうなんですが、新幹線の「のぞみ」が走り去るのを見るとか、野球で三塁手がゴロをさばいて一塁手へ投げるボールを目で追うとかの、スピードある動きを追う場合は横の目の移動は、二つの目ですばやく認識できます。
 しかし文章を読むときは大きく違います。流し眼では読めませんから、しっかり焦点を合わせて
そのまま焦点移動をしなければならないわけです。そこがこの問題のハイライトかと思います。

 「のぞみ」がどのくらい速く走っているかを見る目は横に見る目の働きが適しているでしょう。しかし、乗っている乗客の顔を確認する目は縦の目かと思います。音楽の楽譜もそうですね。 横目と
縦目があって初めて音楽になると思います。

 西洋の言語は縦にはなりませんから、縦か横かの論議は無意味ですが、すくなくとも幅を狭くして、サッと読める形にして、読みやすくしようと努力をしているのは確かです。新聞も映画の字幕もできるだけ横に広がらないようにしていますね。

 つまり、目にとって焦点を合わせる、そしてそれをいかに静かに移動させるかが、文章読解の
コツかと思います。そもそも右目と左目の焦点は合ってないんですよね。脳が合体させているわけですよね。
 カメラのように一旦焦点を合わせたらロック・オンして読めれば一番楽でしょうが、いちいち焦点を合わせながら読むところに疲れが出てくると思います。

 結局、縦に読む方が焦点を楽に合わせら、焦点移動も楽にできるのか、それとも横の方が楽かという質問になるかと思います。  

いろいろご意見、ありがとうございます。

補足日時:2011/05/25 22:29
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 日本語に使用されている「文字」の性質という観点から申し上げさせていただきます。


ご存知のように日本語には3種類・2体系の文字があります。「漢字」と「かな」であり後者は「平仮名」「カタカナ」に類別され、平仮名は漢字を書写する時に書き崩したモノに由来するとされカタカナは漢字を構成する偏と旁の何れの部分を採って代用?する形で作られたとされています。
 アルファベットに代表される言語を筆写するとイタリック体となりますが、これは横書きの文字言語であるから可能であり、文字言語としての漢字を崩した形の仮名文字は縦書きの形でしか作り出すことができません。
 更に文字を記す材料である紙ですが、平安時代以前の日本で文字が多く記されていた素材は紙よりも木簡や竹簡にみられる植物から採取された木片でした。奈良平城京跡から発掘されるこれらの遺物を見ると1つの木片の形状は横幅の狭いモノが殆どで、物理的に横に文字を書くことなど不可能だったことも判ります。細い板幅のモノにどの様に合理的にもじを書くことができるかと考えた時、そこには縦書きのスタイルが必然的に選ばれたとも考えられます。
 これは僕が未だ学生時代にキーパンチャーのアルバイトをしていた損保会社のデータセンターでの経験ですが、コンピュータのデータ入力など「決まったスタイルがある情報」を正確に早く入力するとの目的から人間の視覚運動の動きを統計的に処理した場合、最も合理的で正確に情報を読み取ることができるのは「左から右へ」と「上から下へ」の動きであることがわかり、様々な伝票や帳票に記入する場合の設計基準として横書きが採用されているとの話を聞いた憶えがあります。
 この場合の「文字の並び方」は「データとしての単独の情報」とも考えられ、文章としての文字の並び方とは異なる性質を有すると考えることもできます。
 出版や印刷の世界では「縦書きの本は右起こし、横書きの本は左起こし」として本の体裁に関してのルールがあります。それは「本」というモノが持つ性質にも規定されています。
 質問者様の「小説や詩歌などはほとんどの人が縦に読むことを第一にしているようです。ここでもどうして縦の文章が長文の味わいにはいいのかが問われます」という御指摘を踏まえるならば、こうした「情報」と「文章」が同質のモノである、ということにつながるかと思われます。これは僕個人の見解ですが、「情報」と「文章」は言葉の意味が属する世界が異なるのではないか?と思います。文章は1つのセンテンスで意味を示すこともあれば、1つのパラグラフで意味を構成する場合もあり、更には1冊の本全体を通じて初めて意味をなすこともあります。その典型が「専門書」と呼ばれる研究書の類です。理工学書の記載には数式が用いられますので横書きの左起こしの体裁が自然です。文芸書や社会科学の書物では数式が用いられる事も少なく、外国の研究者名もカタカナとパーレンで囲ってその部分だけを原語表記する形が採られています。
 他方「データとしての文字の並び」はそれだけで意味を示すことができるため、横書きが許容されていると考えられます。

この回答への補足

力のこもったご意見をありがとうございます。
仕事の現場で見えてくる科学的根拠をありがとうごじます。

確かに、メモ書きや業務上の、正確さが第一の、効率よく早くすすめるべき手続きなどは横に書く方が機能的という報告は多いようです。味わい深くなんてこの場合むしろ無駄ですから。横に論文を書くことも同じ意義があると思います。理論の正確さや展開の速さに情感は邪魔ですね。まして数式や外国語を引用したりしますから、横に書く強みは読みやすさより優先されて当然かと思います。この点で日本語の縦書き横書きの両刀使いは、人間として実にすぐれものと言えるかと思います。

ポイントをもう一度はっきりさせたいと思います。
どうして、日本人の目は文学や詩歌の場合、縦に書かれている方に味わい深さを感じるのか、ということです。今回寄せられたご意見の中に際立ってポイントを突いている箇所が印象的でした。「縦の文では意味がよくわかる。雰囲気まで伝わる」というご指摘がありました。例えば「すがすがしい」ですが、縦に書いてあると字を読む前に「すがすがしさ」が即伝わるところを、この横書きは「す-がーすーがーしーい」と読んでから感触を追いかけるといった特徴があるかと思います。いかがでしょうか。

縦の文章では文字を読むというより、意味や味わいを読んでいるということになるんでしょうか。
それはどうしてか、というのがオリジナルの質問でした。新聞の下段に毎日大きく出ている「新刊広告」はほとんどが縦に書かれていますね。むずかしい哲学的概念や真新しい題名、タイトルなどは縦の目に訴える科学的理由があると思います。それは文章が両目の焦点を合わせやすい中央に位置しているからという理由のようです。左から右へ流れる、その反対でも、その場合は右目の焦点がまず設定されて直後に左目の焦点が合わせられるというのです(研究所の心理学教室て実験済み)。このFixation Disparity(不均衡)が横に読むときの最大の問題かと思います。縦にも横にも読める日本人には説得力のある議論ができると思い、みなさまのご意見を求めてみました。

手ごたえのある回答をありがとうございます。

補足日時:2011/05/26 09:16
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人の眼が横長とは初めての見解ありがとうございました。

今まで瞳孔が森に住む縦型のネコ類、草原に住む横長の山羊類、人はオールラウンドの丸型、魚の魚眼など。目は一番多く見る必要に応じて進化してきましたが、人は本を読むために生まれてきていませんので、ななめでも読めます。

前者の論、日本語の文字は漢字から始まり工夫されてきましたが、仮名文字は縦書きに書きやすく形ができています。言葉を文字にする場合、縦書きは素早く崩し字で急げます。

文章によっては状況を理解させる為にはそのスピードまで含めて読む方に伝える方法があります。

そういったことが必要のない淡々とした伝達のための文字であれば、横書きはいいものです。横書きは先に書いた部分を擦らずに済んだので便利ですが、そもそもは英文タイプライターと和文タイプライターのスピードの違いから横書きにあこがれた時代が心理にあったのかもしれません。

人の行動全てに科学的根拠があるわけではなく、長く3千年の漢字の歴史、和文の歴史に適応してきた遺伝子が好んでいるのでしょう。

この回答への補足

斬新な着目と思いました。漢字の「遺伝子」がアジアに広く分布しているかもしれませんね。
そしてその上に日本は和文の「遺伝子」が、朝鮮半島には「ハングル」の遺伝子が、と基盤を
なしていると考えるのもおもしろいと思いました。 お時間をとっていただきありがとうございます。

くりかえしになるかと思いますが、同じ文章でも味のある表現、しかも昔からある表現は縦に書いてあるほうがその味わいが伝わりやすいようです。それから、哲学的な深みのある表現もそうです。
たとえば、


...................1.練習の奥儀............................................................................3..................2..................1.

...................2.大自然が息づく...................................................................人...................大..................練
................................................................................................................................の...................自..................習
...................3.人の絆......................................................................................絆..................然...................の
........................................................................................................................................................が...................奥
........................................................................................................................................................息...................儀
........................................................................................................................................................づ
.........................................................................................................................................................く
二つを並べると違いがあまり分からなくなりますが、
これを完全に分けて、さらににいろいろ似たような
言葉が加わった場合、長い文章になってきたとき
違いが明確になるかと思います。

つまり、比較的年齢の若い層は味わいのこもった
伝統のある言葉より、語呂があおもしろく展開する
ことば、アルファペット感覚で読んだり書いたりするように思います。それで横書きが好まれるかと
思います。どうでしょうか。このテーマはまだ「解決済み」にはほど遠く、引き続き多くのご意見を
期待しています。

また新しいご意見をお待ちしています。
ありがとうございました。

補足日時:2011/05/27 16:48
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