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国民国家の理念と現実とは何ですか?
包摂=排除からなるシステムをふまえて教えて下さい

A 回答 (2件)

学生です。

最近、似たような講義を受けたので、そこからお力になれればと思い、解答します。参考程度にして下さい^^;


E.ゲルナーの見解では、ナショナリズム台頭以前の封建的農業社会における階層構造を解体し、近代的産業社会に移行するために流動性を獲得することが国民国家の理念とされました。
封建的農業社会においては、王・貴族・農民といった身分があり、読み書き能力を持った知識人とそうでない人がはっきり分かれていました。例え、同じ“フランス人”であっても特権階級と農民とではもはや暮らす“文化”が違うものだったのです。つまり、こうした封建的農業社会に於いては一つの国家に複数の文化が混在していました。ゆえに、文化的単位と政治的単位は噛み合わないものでした。
一方で、近代的産業社会への移行にあたり、教育活動を全ての国民に対して行うことで一部の特権階級のみが持っていた読み書きの能力が比較的低層の人々にまで浸透し、階層構造が緩やかに解体しました。それによって、一つの国家に混在していた複数の文化が混ざり合い、流動性を獲得したのです。こうして文化的単位と政治的単位が噛み合い、国民国家が完成したのです。

一方でB.アンダーソンは俗語を重視しました。かのマルティン・ルターがそれまでラテン語で書かれていた聖書を初めてドイツ語に翻訳し、俗語であったドイツ語を出版語化したのです。俗語が出版語になるということは活字として残されるということであり、それによって言語が固定化されます。また、多くの人が読むことで、特定の地域の言語が標準語化します。
ドイツ語訳聖書を多くの人が読むことで、読んだ人が“自分達はドイツ語訳聖書が読めるんだ”という意識を持つことになり、そういった意識がドイツ人意識を形成するのです。
こうした想像によって共同体が形成され、国民国家の基礎となった、というものです。


これらの理念は概ね、人々の平等化と均質化を謳うものであり、普遍主義的であると言えます。これが【包摂】の過程でしょう。しかし、一方で「我々は日本人だ」という意識の裏にはフランス人や中国人といった他の民族や国家の存在を前提としています。つまり、日本人という特殊なものを想定していつ点で、特殊主義的な考え方に基づいているのです。ゆえに、日本人以外の民族をある意味では【排除】して日本人という意識を作り上げています。
こうした普遍主義と特殊主義、包摂と排除という相反する二つの動きを組み込んだものが国民国家であると言えるでしょう。したがって、国民国家はその理念と現実の差異に様々な問題を抱えることになるのです。
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国民国家が理想ではありません。


むしろ、全ての人達が、平等に生活できる国が理想国家であり、国民国家は、一部の人だけの独善国家に成り下がります。
その最たる例が、ナチスや旧日本における国粋主義です。
逆に、右翼にとっては、それが理想国家なのですが。
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