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海水浴場の放射線暫定基準、飲料水より厳しく

 東京電力福島第一原発事故で、海水浴場などの水質への影響を懸念する自治体の要望を受け、環境省は23日、水中に含まれる放射性物質の暫定的な基準を決めた。

 基準は1リットルあたり、放射性セシウムが50ベクレル、放射性ヨウ素を30ベクレルで、飲料水(セシウムは200ベクレル、ヨウ素は300ベクレル)より厳しく設定。海水浴が日常生活に不可欠ではないことから、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましいと判断した。

読売新聞 6月23日(木)20時1分配信より抜粋

「日常生活に不可欠ではないことから、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましいと判断した。」
これは環境省の判断のようです。

この判断て真逆でおかしくないですか?
「日常生活に不可欠ではないことから、被曝量はとりたてて厳しくする必要はないと判断した。」
普通の感覚ではこのようになると思うのですがいかがでしょうか?


ちなみに
「日常生活に不可欠なものは、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましい。」
この考えは常識ですよね?

A 回答 (8件)

書き方が悪くて誤解を招いちゃいましたかね?ごめんなさい。



>誰も厳しすぎる基準なんて求めていません。

御質問者様が求めたとか言っている訳ではありませんので、ここらは冷静に読んでいただけたら宜しいかと。

まずは「良い悪い論」はすっ飛ばして、現在使われている基準がどういう所から生まれたか、どういう考えで生まれているか?を書きます。

ICRPやWHOが打ち出している放射線規制値には2つの種類があります。

・通常時基準
   人間が生涯にわたって摂取しても大丈夫という濃度
   生涯=70年と規定されています。
・緊急時基準
   なんらかの緊急事態で、上に書いた通常時基準の
   食品類が入手困難となった場合、1年に限り許容
   する基準。
   通常時基準を適用すると、国民が食品等を入手不可能
   となって餓死等別種の(喫緊かつ深刻な)リスクに
   さらされるときに適用する。
   ただし重要なのは「通常時基準の食品を供給する
   努力を行うと共に、1年以内の終息を図る。」を同時
   に行う事。

緊急時基準は「それを1年間摂取した場合にも確定的な被害が出るとは言えない」レベルに設定されます。
(これも重要)

これをチョット違う表現に直してみましょう。
「日常生活に不可欠なものは、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましい。」は大正論で、上の考えもその通りです。
ですから、逆の面でいえば「日常生活に不可欠なものには緊急時基準を認めない」となります。
ちょっとでも異常があれば禁止する、禁止してもストレス等による深刻な健康被害は無いでしょう?って考えですね。

その上で、「確定的被害が出ない範囲だから当面は摂取して良いよ。ただし、通常時基準の物を摂取出来るようにしてね」が暫定基準の骨子ですね。
俗な表現ですが「食品が通常基準を超えるのはオカシイ状態、それを摂取しなければ餓死等が発生するのも変。ならば、オカシイ状態に合わせた変な基準を設定するけど、飽くまで変な基準だから早く直そう。」でしょうか。


国内では「暫定」と表現されていましたが......。
この表現が通った理由は充分確認していないんですが、如何にも「急いで制定した当面の基準」とも読めちゃいます。
しかし、元の考えとしては「1年間だけの、しかもそれを回避する努力を払っても、深刻な喫緊リスクを回避できないときに」適用するもので、数字だけが独り歩きして良い物ではないですね。


ここからは「そんなので良いの?悪いの?」の良い悪い論。

>もしも、安全と思える基準によって餓死者が出るような状況になったとしても、規準は変えるべきではないでしょう。

質問者様を非難する訳ではありませんが、原則論として捉えた場合は「そうなのかな?」と思います。

ポイントとなるのは
  a.それを1年間摂取した場合に、確定的に被害が出るか?
  b.それを摂取出来ない場合、確定的に被害が出るか?
の二つを天秤にかけて考える事かな?と思うんです。

上記aが「将来の(例えば)ガンリスクの増加は1%以下」、bが「餓死・脱水死が数十%」としたらどうなんだろうな?という考えですね。
給水停止を行えば短時間で脱水症状による死(特に老人子供)も発生しますしね。


ただ見方を今回の事象における現実論とした場合は180度違うと私も思います。
「基準を変えず、他の方法で餓死者を出さないようにするのが行政手腕です。」という観点があるからですね。

震災で配送インフラが破壊されて、安全な飲料を確実に配送出来なかった時期ならいざ知らず....。
この程度まで状況が落ち着き、事情を説明して海外から食糧等を緊急に輸入するための時間も十分にあったでしょうから、そろそろ暫定基準から通常基準に戻す時期だと思います。

なにせい「そういう最大限の努力」があってこその暫定基準ですから。
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この回答へのお礼

>そろそろ暫定基準から通常基準に戻す時期だと思います。

ありがとうございます。

海水中の放射性セシウムが50ベクレル
飲料水のセシウムは200ベクレル

暫定規準のこのおかしなギャップは、その露払いのようなものだといいのですね。

お礼日時:2011/06/25 10:05

No7です。


まだ、放射能のアレルギー的ヒステリック被害妄想にとらわれているんですね。精神まで蝕まれないように祈ってます。
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この回答へのお礼

ヒステリックな発言ですね♪

どなたかが、放射線は精神へ悪影響を及ぼすようなことを述べられていたような気がします。

このことの真偽は不明ですが、大丈夫ですか?

お礼日時:2011/06/25 09:57

今回のフクシマの事故で、何人が死にましたか?


何人が放射線で病気や体の異常をきたしましたか?

あんまり、マスコミのセンセーショナルな記事に煽られて、
放射線量に神経質にならないほうがいいです。

それより、タバコの害のほうが、放射線よりも
もっとひどいですよね。

タバコの害での肺がん死者数は、胃がんを抜いて日本一です。
死に至る前までも、生活習慣病など放射線量より きわめて危険です。

放射線量を気にする必要はなく、もっと 身近な危険因子に注意を払ってください。
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この回答へのお礼

>今回のフクシマの事故で、何人が死にましたか?
>何人が放射線で病気や体の異常をきたしましたか?

人類史上最悪の放射性物質による汚染がこの日本で発生したことをご存知ですか?
この人類史上最悪の放射能汚染は、現在進行中で、これからも拡大していく状況です。
この未曾有の大惨事が発生してまだたったの3ヶ月強、この時点でその惨事の評価を下すのは愚かなことだと思います。

>放射線量に神経質にならないほうがいいです。

神経質と評価される人の多くは知能は平均以上で、細かいことにも気が回る傾向があります。
神経質と他人を評価しがちな人の多くは、思慮が浅く知性にも課題があって、普通の人から無神経な人との評価を受ける傾向にあります。
これは人間の真理でしょう。

>それより、タバコの害のほうが、放射線よりももっとひどいですよね。

非喫煙者が大多数となる現状では意味のない比較です。

>放射線量を気にする必要はなく、もっと 身近な危険因子に注意を払ってください。

これからも日本に住む人は、従来からの危険因子に加えてフクシマ産の放射性物質に注意を払って生きていくしかないこと理解したほうがいいですよ♪

ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/25 00:32

結論から言うと、環境省の「日常生活に不可欠ではないことから、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましいと判断した。

」って考えは国際的な規制の考えに則ったもので、障害防止のためにはかなり有効だと思います。


ちょっと解説を。
被ばくに許容値を設定するとしたら、その値を日常生活の個々の被ばく源にどう割り振るか?が大事になるんですね。


例えばなしで行きましょうか。
今月は20万円で生活するとして、支出計画を作るとします。
必須の支出は食費と家賃と光熱費でしょうから、普通の人はこの金額から組み立てるでしょう?
食費に10万円、家賃に5万円、光熱費に3万円とすると残りは2万円。
ここで初めて「まだ2万円の余りがあるから、日常不可欠でないもの、例えば新しいおしゃれ着を購入しようかな。」となるわけです。

放射線障害防止の考えに戻るなら。
もちろん、必須の被ばく源、例えば飲料水や食品や生活空間を取り巻く環境については低い方が望ましいです。
しかし

 ・現在は異常時であり、低減活動を行ってはいても、やはり
  「事故が起きていない状態」よりは高い値となる。
  加えて、不可欠の物を余りに厳しい管理値で制限して
  しまうと、食糧不足等と、それに伴う餓死等が懸念される。
 ・不可欠で無い物で被ばくを重ねると、肝心の飲食に割り振る
  被ばく許容量が無くなる恐れがある。
 ・ならば不急の物については厳しい基準としておいて、それを
  超える場合は不急の行動を採らないように強制しよう。

という考えは、WHOとICRPの原則に沿ったものでもあります。

重ねてなんですが。
「日常生活に不可欠なものは、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましい。」というのは質問者様が考えられる通り常識だと思いますし、(WHOも含め)その方向が大事というのは共通認識でしょうね。

そうは言っても、被ばく線量の問題から食品などに厳しすぎる基準を設定すると、他の被害、例えば餓死等が起きるとすると、短期的には普段より高めの許容線量を設定して(もちろん、この値も十分に吟味してあります)、その範囲内で生活しようというのは現実的ですよね。

もちろん、十分に低い物を入手出来る方はそれを摂取すればよいと思うんです。
これは誰も阻害しませんし、そう言う物を入手する努力は立派なことでもありますから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>被ばく線量の問題から食品などに厳しすぎる基準を設定すると、他の被害、例えば餓死等が起きるとすると、

誰も厳しすぎる基準なんて求めていません。
暫定でない安全と思える規準を求めていると思いますよ。
もしも、安全と思える基準によって餓死者が出るような状況になったとしても、規準は変えるべきではないでしょう。
基準を変えず、他の方法で餓死者を出さないようにするのが行政手腕です。

>短期的には普段より高めの許容線量を設定して(もちろん、この値も十分に吟味してあります)、その範囲内で生活しようというのは現実的ですよね。

しかし全量検査もしないで、産地の表記もかなり大雑把な現状では許容基準を十分に吟味して設定しても、その規制をかいくぐって市場に紛れ込む危険性が高いと考えるのが現実的ですよ。

お礼日時:2011/06/25 00:08

読売は誤解を招く表現です。

これ実はウラ読みが必要なんです。

一般人の考え
日常生活に不可欠 → 飲料水 → 基準値が低い → 被曝量も低い
日常生活に不可欠ではない → 海水浴 → 基準値が高い → 被爆量が高いので行かない
これが質問者さんの考えになります。
「日常生活に不可欠なものは、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましい。」

役人の考え
日常生活に不可欠 → 飲料水 → 基準値が低いと基準値超が多くなる → 国民が騒ぐ
日常生活に不可欠ではない → 海水浴 → 基準値を超える → 国民は自粛する
この結果が飲料水の基準を高くして海水浴場の基準を低くするとなります。
そして読売の表現になります。
「日常生活に不可欠ではないことから、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましいと判断した。」

私も理解するのに苦労しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

海水中の放射性セシウムが50ベクレル
飲料水のセシウムは200ベクレル

暫定規準とは言いながら、この数値の差は明らかにおかしいと一般的な知性を持った人なら思うはずですが、
この数値を決めた人たちの知性はかなり高い人たちです。

なぜ知性の高い人たちが、一般人にも簡単におかしいと認識できるような規準を恥ずかしげも無く設定するのか?
このあたりの理由を裏読みできればいいですね。

お礼日時:2011/06/24 23:46

十分に安全だから遊びに行ってという主旨でしょう。

でも、どんなに小さな値でも遊びにいく人は少ないでしょう。

サンプルを取って、ほとんど高い数値が出なかったので厳しくしたのが本根ではないかと推測します。
もし、サンプルで高い数値が出ていたら違った数値になっているのでは。今後、高い数値が出たらやっぱり厳しすぎましたと基準を変えるかもしれませんね・・・そんな程度の信頼性と思います。

どのみち、嘘つきがトップにいては何を発表しても信用できないです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>サンプルを取って、ほとんど高い数値が出なかったので厳しくしたのが本根ではないかと推測します。

もしそれが正解なら暫定規準なんていらないですよね。
人の健康を最優先に考えてほしいものです。

お礼日時:2011/06/24 23:35

>「日常生活に不可欠ではないことから、被曝量はとりたてて厳しくする必要はないと判断した。




そのとーりですよ。
その別の表現が「日常生活に不可欠ではないことから、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましいと判断した。」

真逆ではなく同じ事を意味しています。

 理解できないんですね(^_^; あはははは
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この回答へのお礼

「日常生活に不可欠なものは、被曝(ひばく)量を可能な限り低く抑えることが望ましい。」
この考えは常識ですが理解できなかったのですか?

>理解できないんですね(^_^; あはははは

このような下品な表現を使用できるような人との接触は、私の生活圏内では皆無です。
いろんなレベルの人がこの世には存在するのですね♪
いやはや・・・勉強になりますわ。

お礼日時:2011/06/24 23:31

日常生活に不可欠であれば多少放射線量が高くてもその場所に行かざるを得ない。


海水浴場などの場合日常生活に不可欠でないので、放射線の基準を緩くして余計な放射線を浴びさせる必要はない。

…というようにも読めますが。
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この回答へのお礼

>日常生活に不可欠であれば多少放射線量が高くてもその場所に行かざるを得ない。

それは個人の意思ですね。

>放射線の基準を緩くして余計な放射線を浴びさせる必要はない。

これは行政の意思ですね。

どのように読んでも支離滅裂のような気がします・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/24 23:21

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