
私のしょーもない妄想話を少し聞いて下さい。
今の日本における恋愛史上主義と貞操観念の崩壊は、愚民化政策の成果と言っていいでしょうか?
そもそも恋愛の「恋」とは、脳内麻薬物質PEAが見せる「幻」と言われています。
この中には覚醒剤の成分も含まれています。
だから恋愛は中毒性が高い。
恋愛に夢中になると、世の中がバラ色に見え、好きな人の事、他者に依存する事ばかり考えるようになる。
セックスも同様です。
今の日本は「恋」の幻に溺れている人が多いです。
できちゃった婚が普通に行われ、異性との経験豊富がカッコイイみたいな風潮。
今やセックスは、子孫を残す行為以前に、快楽を求める行為です。
国民の独立を妨げ、考える力を奪い、政治に対して無気力な愚民にさせるには、恋愛やセックスはもってこいではないでしょうか。
そう考えると、マスコミがやたらそれらを煽ってくるのも納得がいきます。
皆さんはどう思いますか?
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
その通り。
まさに愚民化政策です。
戦後はGHQからの愚民化、アメリカ化が露骨に行われましたね。
戦前の日本はアメリカよりもヨーロッパを向いてましたから。
愚民化政策は日本政府がというよりも大和朝廷の頃から、
世界史で言えばローマ帝国の頃からずっとやっていたんじゃないでしょうか。
特権階級による知の独占なんてのは当たり前です。
「真・女立喰師列伝」というオムニバス映画の中で
「クリープのマミ」が、反戦フォークを抑えるために、
芸能界にアイドルを誕生させたのだという陰謀説を開陳してました。
あの映画ではギャグにしても、
原発不可欠や大停電必至なんて意識は愚民化政策の立派な成果といえるでしょう。
お陰で、セックスで子孫を残すことはできない世の中になりつつあります。
刹那の快楽、現実逃避の行為ということになってしまうのかもしれませんね。
No.5
- 回答日時:
>それでは戦前の明治、大正の日本と比べてはどうなのでしょうか?
明治初期は違いますが、明治中期になると欧米の文明開化と同時に欧米の文化が日本に広まっていきます。
当時日本が手本としたのはドイツ(プロイセン)の文化です
それは日本歴史上最も貞操観念が高かった時代です。
ただ、その貞操観念の風潮は諸外国よりも異常に高かったということがあります。それは明治政府が貞操観念の宣伝を盛んにしたのです。
理由は日本人口の爆発が原因です。江戸末期の日本人口は2千万ほどでしたが明治後期になると人口が3千万を超えてきます。
しかし日本の国土での食糧生産は二千万ほどしかありません。なので江戸時代食料の関係上それ以上人口が増えなかったというのがあります。
だが明治になり諸外国と貿易を開始、小麦など食料を輸入可能となり人口増産が可能となりました。
だが、日本の輸出は蚕を中心とした絹の輸出しか外貨を稼ぐ手段しかありませんでした。その為いつか日本の貿易は破綻します。そこで明治政府が始めたのは
・貞操観念強化政策による人口爆発の抑制
(中国の一人っ子政策のようなものです)
・ブラジルなど諸外国への移民政策
です。なので貞操観念の強化は国家の政策として盛んに宣伝されました。
で、現在日本の出生率は1.3で少子化が問題になっています。また経済も悪化してます。
ですので、貞操観念が低下するのは当たり前といえるでしょう
No.4
- 回答日時:
話は元に戻しますが『貞操観念』ってのは時代と共に変化します。
人命の危機、いわゆる戦争や、飢饉など自己の生命が危機にさらされると貞操という概念がなくなります。
逆に平和な時代など生命危機が低いときは上場します。
これを経済に当てはめるともっと顕著です
好景気には貞操概念が上がり
不景気だと下がるのです。
今は『平和な時代』だけど『不景気』
なので江戸時代などに比べたら貞操観念は高い、しかし昭和の好景気に比べれば低いので『貞操』という観念は下がります
No.3
- 回答日時:
【補足】
尚、貞操といいうと『処女』というイメージが強いのですが・・・
江戸時代は農村部では破瓜のときに血を出す為、不浄の行為と言われていました。
なので初潮を迎える前後、村の娘は村の一番の年寄りと性行為していました。
当時は血が出る為、呪い?のようなものと捉え、村の若い者に祟りが及ばないように処女を早々になくすのが年寄りの役目でした。
また夜這いといいう習慣もつよく、村娘は村の多くの若者を性行為をして一番具合のよかったものと婚姻する・・という習慣もありました。
理由は子孫繁栄が何より大切でしたからね
で都市部は少々事情が違います。当時の江戸は『入り鉄砲、出女』といわれ江戸から女性がでることは厳しく禁じられました。理由は諸大名の人質である大名の正室たちが江戸をでるのを防ぐ為です。
そのため江戸に入ろうとする女性は少なく男女比は非常に極端でした。
で江戸時代である1718年(享保3)に行われた初めてのの人口調査では、総人口が約53万人、うち73%にあたる約39万人が男だったと記録されています。
その為、庶民の奥方たちは夫以外にも複数の愛人を持つことが通例でした。
逆に農村部では女性が圧倒的に多いという逆転現象が起きております。
理由は江戸の理由もありますが、一番の理由は男女新生児の死亡率です。男性の方が新生児は弱い為、マトモな医療のない農村では女性の方がはるかに多かったのです
正直このような偏った人口比では貞操なんで概念が成長するはずがありません
この回答への補足
ありがとうございます。
そういえば、福沢諭吉が愛人を作る風潮を批判していたのを思い出しました。
それでは戦前の明治、大正の日本と比べてはどうなのでしょうか?
No.2
- 回答日時:
『恋愛史上主義』と『貞操観』ですが
日本の歴史上現在は『恋愛史上主義』は比較的高い時代ですが『貞操観』は高い時代です。
平安~江戸時代まで日本の歴史上
男女とも比較的早い時期で性交していました。男性の場合は元服時期が多く13~15才がざらにありましたし女性の場合は早い時代は12歳からするのも当たり前でした。
当時は20歳ともなれば年増で嫁の貰い手がないと言われてました。
織田信長の側室『吉乃』が有名ですね
そして男女とも(村社会の場合)不特定多数の方と性交するのも当たり前です。
第一貞操って概念は明治以降いわれ初めたものです。
面白い事例ですが元々『巫女』というのは神社付属でしたが、村の不特定多数の男性と性交する仕事もありました。それが年々拡大し後年では巫女とは現在のストリップ的なこともしていました。
室町時代には大衆の面前で獣姦ショーをしていたという記録もあります。
又歌舞伎の創始者といわれる出雲阿国もい、出雲大社の巫女ですが、同時に売春婦です。
つまり言い換えれば売春婦のショーがいまの歌舞伎の原点ともいえます。
当時特に室町以降ですが性交に勝る庶民の娯楽はありませんでした
第一貞操観念にこだわっていては戦で伴侶をなくした家庭に世継ぎはできません。守るべきは家名であり、血縁は二の次でした。その点、貞操という概念は当時の中では生まれるはずもありません。
だから『貞操観念の崩壊』ってのはそもそも間違いだと思います
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