初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

木曽路紀行 藤波の記の作者で旗本の飯塚正重はどこに所領をもち、
その子孫はどこの土地で暮らし、明治期を迎えたのでしょうか。

A 回答 (1件)

聞いたことがない人物で、所領は分かりませんが、交代寄合ではないと思われるため、江戸時代は江戸在住だったと思われます(旗本は、交代寄合等を除き、基本的に江戸に在住義務がありました)。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
旗本は江戸在住が基本だったんですか。
勉強になりました。
ちなみにこの人物は畠山氏流飯塚氏で秩父郡寺尾村字飯塚(秩父市)より起こったそうです。
この土地には和銅大橋の所で下寺尾村の飯塚招木古墳群があるそうです。古の飯塚村だそうです。
寛政呈譜に畠山庄司重能が三男・男衾六郎重宗が後裔、兵部少輔重世・武蔵国秩父郡飯塚の郷に
住せしより家号とす。重世が十代の孫対馬守泰貞、其子兵庫助貞重・佐野周防守昌綱に属す、
貞重の子綱重(下野国奈良淵城に住し、佐野昌綱及び宗綱に属す。のち家康につかへ、天和九年死す、
年六十八)―忠重―正重(采地二百石二百俵)、家紋九曜、違柏の葉」と記されています。

お礼日時:2011/08/15 08:19

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