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鬼平犯科帳に出てくる密偵についてお聞きしてみたいと思います。
テレビで聞いたことですが、以前罪を犯して死刑や遠島になるはずだったのを、罪を許す代わりに密偵になる、と言う事ですが、江戸時代実際にそんな事はあったのでしょうか。

A 回答 (2件)

>罪を許す代わりに密偵になる、


免罪にしたのかどうかは不明ですが

同心や与力の様な正規の役職者は人数が限られていたし、町人達の生活の場で情報収集するのは無理。
なので、彼らの非公式な手下として岡っ引きや密偵(情報提供者)がいたという事のようです。

やはり蛇の道は蛇って事で、情報を仕入れるには真っ当な人間ばかりではなく
転向した元犯罪者や半ば現役の人間も活用したと思われます。

なので、小さいことには目をつぶって大悪を摘発するというのは充分あり得そうですね。
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この回答へのお礼

しかりです。現代でもそうですね。ちょっとした情報でも欲しい場合「じゃぁ今回は目を瞑ろう」って事ありますね!昔も今も変わっていないところはあるんですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/23 10:49

藤沢周平の作品にひんぱんに出てきます。

ただ

>>死刑や遠島になるはずだったのを、罪を許す代わりに密偵になる、

というのはなかったのでは。

死刑や遠島は極刑です。もう少し軽い刑のを密偵にしたようです。

十手を持った岡っ引きでも元罪人というのがありましたね。

現代でもやってますよね。「はと」だとか言って。
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この回答へのお礼

ごもっともです。江戸時代は今とは違い相当厳しかったそうですね。十両盗めば首が飛ぶのは本当だとか。今では盗みで死刑はありませんから。
でも当時でも罪が比較的軽い者を密偵にしたのはあったのですね。
勉強になります。ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/23 12:34

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