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「真理」とはいかなる意味ですか?

私には実は良く解っておりませんので、皆様に聞いています。

完璧な回答でなくて構いませんので、自由なご意見を待っております。

A 回答 (16件中1~10件)

「真理」は、漢字の通り、「真の理(しんのことわり)」なので、全てに通じる本当の理論や決まりという感じの意味です。




ただ、「真理」を追い求めるのは、至って現実的ではないです。「真理」を追い求めるなら、今の政治や経済、国と国の間で抱えている関係などの、正に現実的な事について考え、問題を無くしていく方が、世の貢献にはなります。ただ、どうしても人間は、非現実的なことや、現実から一歩引いて考えたことを考えたがる生き物です。何故なら、そうすることで、自分自身のアイデンティティを見出だすことができ、それを他者に発信することを、喜びとして感じることができ、さらに上手くいけばの話しですが、多大な世の貢献に繋がるからです。
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「真理の人間尺度説」


は、プロタゴラスでしょうか。

真偽は文だけがもつ性質であり、文は人間の言語で作られている。
人間が存在しなければ言語も存在しないので、真偽は存在しない。
よって
人間がいなければ真理は存在しない。
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『宇宙の攻略本』ではなく『宇宙そのもの』。

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面白い質問ですね。



忙しくて なかなか回答とか出来ません。

みなさんの御回答にも興味のあるご質問ですが、 今日も時間がなくなってしまいましたので、

簡単に  わたしの考えを書いてみます。 

「真 善 美」という 言葉群が昔から 有名ですよね。

これ 私も 昔から疑問でした。

こういうことです。

「美と 善 」を徹底して知ることで「真」が見えてくるだけなのでは というふうにしか考えられなくなっていったからです。

徹底してそれを知る方法論が 思考方法論や認識方法論です。

それ以外に 真実の世界って あるのでしょうか?


なんていうと かなりやはり 飛躍的な論理なのですが^^。

でも でも

だって そうでしょ。

私たちの存在は確かに不思議です。 つまり まるで解らない世界です。  そこを これが真実だとかってに決め付けてきたりした権力の歴史が ありとあらゆる真実?を作ってきたのですよね?

解らないからです。 そこを 欲望が入り込んで 真実という世界が出来あがってしまったのだと思いませんか?

もう 解らないことは 解らないでいいのではないのでしょうか?

それよりも 解ることの中、 実際に感じることの奥、 その記憶の世界を 徹底して解明してゆけばいいのではないですか?

そう思うのです。 つまり 真理とは 善と美の中にしかないもの となるかとおもいます。

解りにくい回答ですみません。
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おちゃらけ?



目糞が鼻糞をww




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「そなた俳優よ、偽金造りよ、腹の底からの嘘つきよ。


そなたが口にして何になろう、真理、などという言葉を」(ニーチェ魔術師の一節)
これ、真理?
先日「ことわざを止揚すると」とかの質問に。
別の回答者が、オタマ、カモン。などとかいており、質問者もオタマにふれていたので。

多弁に智なし。雄弁は銀。沈黙は金。無為自然が一番
                       オタマです
嘘、冗談です。
と冒頭に書き、止揚、の意味について、書き送ったら。

「オタマです」が嘘、冗談と書いたつもりでしたが。
冒頭文が嘘、冗談と解されたようで。
私が、オタマ、だと誤解されてしまったようです。
両者に詫びます。(しかし、オタマ様、とお礼をもらったから
いいんじゃない?)

で、真理ちゃん、ですが。
昔の国語辞典には
「対象と認識の一致」(スコラ哲学の定義)とありました。
認識と表現の一致を、正直、不一致、を、嘘つき、となるようです。

対象と認識が一致していなくとも、嘘つき、とは言わない。
という意味のことを、カントもサルトルも書いていました。
宗教支配の西洋思想が何故そうなるのか、そう書かざるをえないのか、
は解ると思います。
真理が字の如く、対象の在り方、起こり方、認識がなくとも存在する
法則性、であり、それと合致する、理(考え方)であるとするなら。
それが東洋思想の真理であり。プラトンのエイドス(実相)=イデア 
でもあるのでしょうが。
実相と認識の一致は、部分的にしか起こり得ません。
認識は、概念(脳が造り描いた対象)であり、基本的に、「群盲像を語る」なのです。
盲人でなくとも「盲仙人、目開き仙人」とか「賢者は歴史に学び愚者は体験に学ぶ」
などの言葉があるように、見るから、かえって対象の本質を誤解する。
体験するから、間違った概念に取り憑かれてしまう、という事にもなるのです。
部分的真理に近いと思われている、数理、数学、でも部分的真理、の半分も
見ていないのです。
例えば、
x^2=1
の答えは、x=1 と x= -1 の二つである。で正しい
と教えられます。
これでは、(x=1)×(x= -1)= -1 (架空)の意味が起こります。

より正しい、現実に合致する、回答としては
x^2=1 の答えは
x=1/x  となる筈です。

つまり、x、という対象は、同じもので逆数の意味を持つ
(1/x)と一体として、(x)×(1/x)=1 として1っの単位対象
となっている。
真理も、真×(1/真)=1  真は偽と一体となって、真理、という単位になる。
正しい=間違い 善=悪 美=醜 愛=憎 となる。
無理ですね、かって理解出来た者が一人もいない、と評される
老子の哲学であり、釈迦の縁起の理法、でもあります。
 
認識と表現は一致するのか、表現、行動の傾向を、個性
、性格、言われます。パーソナリテイ、の語源は、古代ギリシャ
のペルソナ、(仮面)であり。仮面をかぶって演技をしている
のが、表現であり、性格、なのです。
あなたの、性格以上は、演技が出来ない、演技が下手、
との意味にもなるのです。演技や嘘は、うまくしょうとするほど
ボロが出るものです。
在るとうりには思えない、在るとおりに思っているように演技をする。
人間とは、困ったものです。人類は進化適応の失敗種として、早々に滅びる
のかも
  また余計な回答を書いてしまった?
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少しだけですが、貴方の現状を質問履歴を見て分かった感じがします。



で、推理した結果。あなたが、何故、哲学カテにこだわるのかと言うと、恐らく、前のアカウントで、哲学カテ以外のカテにこだわって、荒らしと同じような、普通の人でも分かる質問を連続投稿し、それについて怒り狂ったアカウントの人が、あなたを責め立ててきた。そして、あなたのアカウントは、ついに沢山の通報を受けアカウントの停止を喰らった。それを不快に思ったあなたは、また新しいアカウント立て、今度は、前に解答してきた人たちを振り払うため、連続投稿するカテゴリーを哲学カテゴリーに変更。その結果、ある程度は振り払えたものの、一部のあなたの質問が面白いと思っている人は、また解答をしてきた。

あなたは、精神障害を持っている関連についての質問を立てたとき、とある解答者は「ちゃんとした薬を飲んで、精神障害を治めて平和に暮らすか、薬を飲まずに、サヴァンの人みたいな超能力が使える、ヒマを弄ばない生活を代償に、社会から批判を受けるかのどちらかですよ」という感じの解答が有りましたが、それは完全な間違えです。あなたは、それを間に受けてしまっている気がします。何故なら、サヴァンのような人は、世界でほんの一握りもいません。10人くらいしかいません。その中に貴方は入っていません。サァバンの人は、高機能障がいよりもさらに重い障がいを持っている人がほとんどです。また、サヴァンの人は、普通、毎日同じことを同じ時間にやらなければ、不快感が出てくるという習性があります。しかし、貴方の解答履歴を見てみると、毎日同じ時間に同じことをしているとは思えません。しかも、貴方は医者に診断してもらい「自閉症ではない」と言われたそうですが、それを「医者には個人個人で診断結果が違う(なので、私は自閉症である)」と言いたげな質問をもしておられました。セカンドオピニオンを利用せずに判断するのは、正確性に欠けます。質問履歴を見て気づきましたが、最初の方はわりとマトモな質問が多かったのに、現在に遡っていくと、途中、また荒らしの疑いをかけられ、そこから貴方の質問は少しずつ感傷的になってきています。そう考えると貴方は、本当は自閉症ではなく、精神障害2級ってだけなのではないでしょうか?
精神障害2級の方の典型的な症例としては、自分に自信がなく、現実逃避っぽく自分の殻に閉じこもったり、ある時は「幻覚が見える」や「幻聴が聞こえる」などを言う人もいれば、自信が無いが故に、自分は、自閉症だとか、かかってもいない病気になってると言い出したらという特徴があります。





私は、貴方の本当のことを知りたいです!

この回答への補足

>私は、貴方の本当のことを知りたいです!

あなたは実に珍しい人です。私のような半キチ○イに興味があるなんて。
逆に有り難いです。できれば末永く見守ってください。
なぜなら、私は「不可能を可能にする」という特殊能力の持ち主だからです。
サヴァンかどうかは、私の脳波から出る創作的な画像や音楽などを解析できる装置が開発されたら証明できます。
しかし、私は強欲なため、作曲ですら最新の技術を駆使して行えます。
現在は、諸事情にて創作活動はできませんが、転職して落ち着いたら、音楽を作りたいです。
もしよろしければ、音源は生楽器風ですが、聞いてもらいたい。
もちろん過去に作った曲は今でもmp3ファイルにして、たまに聞きます。
私は厳しい姿勢で芸術を見ますが「俺は天才やん」と素直に思います。
いずれ、落ち着いたらホームページを作ります。そしたら、皆さんに聞いてもらえるし。

自閉症に関しては、誰でも脳に障害を持っており、それが個性を生んでいます。
しかし、その障害があまりに偏向しすぎると、生活やコミュニケーションに障害がでます。
つまり、自閉症は連続体(区切りが無いこと)なのです。これを自閉症スペクトラムといいます。
よって、幼児期から繰り返し行動が止められない私は、軽い高機能自閉症と言えます。
さらに正確な表現で言えば「自閉症スペクトラムのどこかに位置する人間である」となります。

私を高機能自閉症=アスペルガー症候群、と言ってくださる人もいます。いずれにしても「軽い」ですよ。

アテンダントさんの事はちゃんと覚えておきます。では、またね。

補足日時:2011/09/09 21:27
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
本日は少し多忙にて、あまり書きませんが、今度、時間のあるときに、補足の欄に書き込みますので、見てください。

アカウントの件ですが、正直に言うんですが、2年半位前、gooのアカウントを取って、確か始めた。その半年後、アパートのメールサービスが休止になった。それでgooメールを勧められて、gooのお客様になった(この時点で当然新たなアカウントを取得した。それでハンドル名も変更せざるをえなかった)。その後、古いアカウントは放置したまま。

てのが真実で、まぁ以前は「荒らし行為に近い短慮な質問」を行っていたのは、認めます。

古いハンドル名は、今のと似ています。

たまに、ものすごい自己チューな「荒らし屋さん」がいて、2、3度、私は「濡れ衣」を着せられました(爆笑!)

とにかく私は信用がない。「複数のアカウントを使い分け、自作自演している」とpsytexさんが言われたようですが、複数を使い分け自作自演する「趣味」はございませんので、特に、psytexさんにお伝えください。また、本来なら法廷での謝罪も必要かと(笑)!

お礼日時:2011/09/04 14:18

現在、久しく忘れされらた言葉であると同時に、事物の最終的な帰結。

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目の前に展開する世界です。

目の前の全てが真実です。

人間は、ややもすると『目の前の世界』VS『頭の中で描く世界』が対立したり食い違う場合があります。この場合の食い違いの激しい状態を『精神疾患』と呼んでいます。

この現象は、人間にのみ起きると考えられます。昆虫や動物や植物には起きない現象と考えられます。この現象を簡単に説明したいと思います。

それは人間の脳内に二つの意識が存在するためです。

初めに書いて見ますが、人間と動物と昆虫や植物には共通したものが存在しています。その共通点とは『命そのものの働き』です。その働きは『誰に教えられなくとも働いている働きです』

人間も動物も昆虫も植物も全ての生きとし生けるものには、備わっている働きです。今書いたものには備わっています、学校に行かなくとも、或は学ぶ事もなしに全て知っている働きの事を言っています。

この働きを『命そのものの働き』と言っています。お釈迦様が『仏性』と唱えたものです。或は聖書に書いてある『紙』に相当します。

この働きは全ての人が持っている働きです。或は昆虫や動物や植物にも備わっている働きです。命が芽生えた瞬間から働き始める働きです。

それは教えられなくとも『細胞分裂をする働きから始まっています』植物ならその花の色や形や咲く時期などを既に知っている働きを言います。

昆虫であれ動物であれ、ライオンは身体の働きも行動もライオンとして生きて行く働きの事です。蜘蛛にも蜘蛛の種類が在りますが『その個体として或は種としての』働きを兼ね備えている働きの事を言っています。

当然人間にも備わっています、細胞分裂を繰り返しながら『身体が出来てきます』生まれた瞬間にはもう既に『怖い事も、不安と云う事も、笑う事も既に備わっています』驚く事に『誰にも習わないうちに既に、脳内に備わっている働き』の事を言っています。

この働きにもこの働きを働かせる意識が存在しています。人間の生命活動を全て取り仕切っている働きです。

自律神経もホルモンも、発汗も血管の収縮をさせる働きも、腸の働きも、或は心にも働きかけている働きです。寒い時には『暖を取らせようとする働き』です。腹が減った時にはその事も教えながら、食物を探させるように『心に働きかけています』

身の毛もよだつと言う体験の場合には『身の毛をよだつようにさせている意識』です。

人間の場合、思春期頃に『脳の機能分化が完成に近くなります』この機能分化と関係があります。

脳の機能分化が完成したと言う意味は、心が二つになって『別々になって働き出す』と言う意味があります。この二つになって別々になって働き出した『心の状態を』聖書では『知恵が付いて天国から追放された』失楽園と云う言葉で説明しています。

失楽園とは、神と折り合わなくなって、苦しみが始まると言う意味になりますが、その反対を天国と形容しています。『心和やかに豊かな心で、満ち足りている事』を意味します。

この天国に一番近い存在を『幼子』と聖書は書いています。このわけは『脳の機能分化が未分化のための心が未だ一つの状態で働いている事』を意味します。心に矛盾がない状態、或は心が争い始める事が、未だ出来ない状態と言う意味になります。

思春期頃から二つになった心が、別行動を取り始めると云う事を具体的に書いてみます。『命を働かせている意識』は、『無意識の底に沈みこんでしまって』自我意識の前に姿を見せなくなる事を意味します。

人間は『意識する自分=自我意識』と『無意識の時の自分の主人公=無意識の意識=仏性』が共に手を取り合って『正常な生活が保障される事になります』或はその二つの意識は交替制を取っているために、どちらかの意識で過ごす事を意味します。

分かり易い例を挙げるなら、メンタル面が強いと言う場合です。この場合には『意識する自分=自我意識』が引っ込みやすいと言う意味があります。言葉を替えるなら、『無意識の自分に入りやすい』と言う意味になります。

逆にメンタル面が弱いと言う場合『意識する自分=自我意識』が出てしまって引っ込めなくなってしまいやすと言う意味になります。言い方を替えるなら『無意識の自分に替われなくなってしまう事』を言っています。

神経症の場合でも精神疾患の場合でも自律神経失調症の場合でも眠れない症状が付き纏いますが、この場合を説明すると分かり易いと思います。

普通眠る場合、自我意識は眠る事はありません、是は錯覚です。眠る場合には『自我意識は無くなっています』この無くなった状態とは『無意識の自分が』体と心の両面を、自我意識から預かって、そうして無意識の状態で深い眠りに入っています。

従って心地良い睡眠が出来る場合には『自我意識は』安心して『無意識の自分に』体と心を預けていると言う意味があります。二つの意識の関係が上手く同調出来ている事を意味します、或は交替制が上手くいっているという意味になります。

この交替制に亀裂が入った時、心に違和感が生じる事になります。漠然とした不安です。その不安を具体的に何処に如何いう風に感じるのかで『自律神経失調症や心身症』になったり、神経症になったり『精神疾患』として感じたりしています。

つまり二つある心に矛盾が生じる事を意味します。

命の働きは『心にも身体にも行動にも』作用しています。この作用を『自我意識』が勘違いして受け取った時、今書いた疾患にまで発展すると言う意味です。

『命の働き』は全ての目の前の事実を、脳梁を介して、自我意識に送っています。自我意識は好きと嫌いと言う『心の分別作用のため』その情報を間違って翻訳したり、受け取りを拒否したりする場合があります。この場合には『現実と言う真実の世界』を、受取りたくないために『頭の中に架空の世界を作ってしまいます』この世界を妄想と言いますが、現実とはかけ離れた世界です。

真理とは『命の働きがそのままに伝えている世界』です、目の前の在るがままの世界です。人間の自我意識が真実の世界の受け取りを拒んでいるために『頭の中で多かれすくなかれ』真実を歪めて受取ろうとしています。

大抵の場合『心の分別作用』のために、真実の目の前の世界を歪めて見ています。自我意識と『命の働きが』同調出来た場合、目の前の世界が全て真実の世界となって展開します。

この事を『山河大地明浄明心』と言います。目の前に展開する世界が全て光り輝くこの心そのものだったと言うほどの意味になります。
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「真理」とは体験だと思います。


どのような言葉で示しても「真理」そのものではないように思います。
mmkyさんが仰っているように、事実そのものが「真理」であるという言葉には、事実を知るという体験が「真理」に直結したものであるという事だと思います。
問題はそこにおける「覚性」なのでしょう。
「覚性」に応じて「真理」が明らかにされる事とは、「覚性」と「真理」が同一である事を意味しています。
「覚性」を離れて「真理」は無く、「真理」は「覚性」を離れて明らかにされることは無い・・・というものです。
「覚性」の極限が「真理」だといえるかもしれません。

ではその「覚性」とは何なのか?
その事については意見が分かれるものと思います。
私は感性的思考の強い人間なので、どうしてもそちらから入っていってしまいます。
多少の感覚的な「覚性」の体験は持っていますが、そのレベルは低いものです。
論理的思考の「覚性」は、ただ仰ぎ見るばかりです。

「真理」が不可得なるものだとするならば
「真理」とは、人それぞれの「覚性」を表すもの、と言えるかもしれません。
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