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この世は「自由意思の幻覚」でしょうか?
というのも、自分の「幻肢」を自由に操れてしまうので、ひょっとしたら、多くの偶然が今の自分を作ったのではなく、自分で「人生にわざと、つまずいたり、成功したり」しているのであって、そう考えると、自分で勝手に宇宙を派生させている=自我仮説、てことかしら?

A 回答 (4件)

いえ、僕は違うと思っています。

厳密にこの世を説明すると、超小さい波で出来た世界だと考えます。


実を言うと、我々が見ているものは、目という器官を使ってみていますが、物理学的に考えると、目という器官でさえ、目で見ているものでさえ、本当の世界ではないそうです。


量子力学では、電子は、目で見ると単なる波に変わってしまい、原子の存在は、確率でしか居場所が分からないということを説明しています。
逆に見なければ、原子や電子はちゃんと粒として存在するそうなんです。つまり、電子は、波で粒のような存在を表していることになります。

見たものが波になり、見なければ粒になるという性質を量子性と言います。しかし、我々の目には、見た者が波になることも無ければ、粒になることもありません。つまり、量子性が無い・・・いや、厳密には少し有ります。ただその性質が弱いだけで、全く量子性が無いというわけではありません。つまり、有り得ないという確率よりも低いですが、我々はその量子性の持つ世界の中で生きています。
では、目が見ているのはなんなのか。それは僕が推測するに、人間は、波という形が特定出来ない物を見るよりも、粒という特定できる物を重点的に見られるよう、発達したのではないかと考えています。つまり、もし、波を特定しやすいという別の次元の世界の生き物は、もしかしたら、波の中で生きているかもしれないのです。量子性も人間の目が引き起こした矛盾を説明しているのかもしれません。結論を言うと、我々は波で出来た世界の粒で出来た世界で暮らしているということです。



上記のことから、我々はほんのひそかに、波として粒としていろいろなものに干渉しているのだと考えます。例えば音。我々は原子という粒で考えると、音は原子という粒を介して、波として干渉することができます。そのほかにも沢山の例が有るかと思いますが、ゆえにそれが、人間の意思と関係しているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

大変ためになる話を頂いて本当に有り難うございます。

全ての五感は「量子交換」と習いました。
絶対無に対し、自我仮説を想定すると、つまり、まるでゼリーの断面のように自我仮説で切ると、その断面の移動により「無は光りの風」となり、認識体は宇宙(自我仮説の相補分化としての時空仮説)を得る。私は物理の先生から、このように習いました。

お礼日時:2011/09/17 09:13

真剣に論理的に思考し、実際に沿って検証する気持ちがあるのならば、この回答もお読みください。


 
(1)この世は「自由意思の幻覚」でしょうか?
もっと詰めて検討してください。
この命題の「この世」は何を指していますか。 「自由意思の幻覚」があるなら「自由意思でない幻覚」もありますか。 「この世は自由意思の幻覚」ならば、「自由意思でない幻覚はこの世のもの」ではないということでしょうか。
 
(2)「この世が自由意思の幻覚」ならば、「実際の四肢」も「実際の四肢の一部欠落」も「欠落している四肢の幻肢」「幻肢を自由意思で操っている感覚」もすべて自由意思の幻覚と言うことでしょうか。
 
(3)「この世が自由意思の幻覚」ならば、質問者のあなたも、回答者も、先行する回答も、私の回答も、すべてはあなたの自由意思の自問自答の幻覚、すべてがあなたの「自由意思の幻覚」なのでしょうか。
 
(4)「この世が自由意思の幻覚」ならば、「人生にわざと、つまずいたり、成功したり」「脳障害とか自閉とか診断されたり、自己診断したり」「規則性があると考える」のも「幻覚を感じている」というのも、「あなたの自由意思の幻覚」で、なに一つ土台や基盤が存在しなくなります。 あなたが生きているというのも自由意思の幻覚になります。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「この世はすべて自由意思の幻覚である」と断じることには、合理性や論理性はありません。 論理ということさえも存在しなくなるからです。 いくつかの事柄と論理性を幻覚ではないと断じないと、何も判断は出来なくなります。 自由意思と自由意思でない、幻覚と幻覚でない、論理的・合理的・筋が通るなどがはっきりしないと、何も先には進めないし、現実世界に対応できません。 現実世界に対応できない検討のための仮説でさえも論理性はある程度必要です。 
 
質問者さんがどこで覚えられた用語かわかりませんが、私は「自分で勝手に宇宙を派生させている=自我仮説」などという自我仮設という仮説を知りません。
 
「全ての五感は「量子交換」と習いました。 絶対無に対し、自我仮説を想定すると、つまり、まるでゼリーの断面のように自我仮説で切ると、その断面の移動により「無は光りの風」となり、認識体は宇宙(自我仮説の相補分化としての時空仮説)を得る。私は物理の先生から、このように習いました」
質問者さんの記憶違いか誤解ではないでしょうか。 物理の先生がいい加減な説明をしたのかもしれませんが、まったく論理になっていません。 寝ぼけた論で頭をひねるのは時間の無駄であるロスです。 寝ぼけた論で頭をひねるのは、正常な論理的思考、現実的な行動や反応を阻害するという面から見れば、わざわざ自分をおとしめ生きる力を削いでしまうので、止めた方が良いことです。
 
哲学的なことに興味や関心があるのならば、まっとうなことに関心を持ってください。 生理学や理論物理に関心があるのなら、まっとうに勉強してください。 言葉を遊んでいるようなものに関心を向けないことも、哲学をするなら大事なことです。
理解する上で必要な基礎知識もなくて、確率論や量子論、エネルギーなどと、他の事柄にこと寄せしても何も理解は進みません。
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ちなみに、金属原子特有の電子は、電流を流すと、全てが全て動くのではなく、中には、ほんの少し金属原子にひっかかって、止まってしまう原子もあります。

まるで、歩行者天国や高速道路を走る車のように。
電子は、原子と擦れて熱エネルギーを出します。これも、長距離ランナーなどが長距離走ったあと、体が熱くなるというのと同じ感じです。
また、金属原子以外の水素やヘリウムなどの原子を中心として回る原子は、太陽の周りを回る惑星・・・と、安定はしていませんが、何かを中心にそれより小さな物が回るという点でかぶっています。

これらの理由により、もともと無数の原子と電子のような自然の法則(この世で最も効率が良い)で人間も宇宙も、形成されているので、その点で、人間の自由意思というのは、人間が無数の原子で出来ているので、原子同士がお互いの性質を干渉しあったりして、原子の性質を百パーセント受け継いでいるって訳ではないですが、人間を形成している原子と電子の関係の性質に、人間や宇宙にも同じような似ているところが有るのかもしれません。




ちなみに、自然は原子や電子という不確定な要素で出来ているので、自然は実は最もいい加減な存在と言っても過言ではありますん。
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偶然と必然の関係は、永遠に解けない謎です。

人間の脳の働きは、自由意思なのか、昆虫と同じく生物学的反応なのか?
すべては、神の思し召しと考える宗教家もいますが、無神論者はそれを否定します。どちらが正しいのか?そもそも、神は人間が創造した概念で、自然科学的な意味では存在しないと思っていますが、では宇宙は誰が創造したのか分かりません。それが神だといわれれば、そうかなと…
結局、あなたの疑問は解けないでしょう。それが真理と言えば、それまでの話ですが。
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