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今日「蒲生邸事件」を読み終わりました。宮部作品3冊目です。
……と、前に読んだ本でも思ったのですが、一般的に会話部分の書き方の基本は、改行で独立ですよね?

地の文
「会話」
地の文

というような。宮部作品で多用されている(と思う)

地の文「会話」地の文
「会話」
地の文
「会話」地の文

のような書き方に、多分ご本人はごだわりがあるのでしょうね。そのこだわりといいますか、改行する会話部分と、改行しない会話部分の基準に関して、なんらかの情報をお持ちの方はいらっしゃいませんか。
「どうしてこういう風に書くんだろう?」と思うと気になってしまったのです。
「こうじゃないか」という推測でもけっこうです。
ご回答お願いします。

わたしはあまり小説読みではないのですが、手持ちのわずかな小説を参照したところ、有栖川有栖が時々使っているようです。
あと夏目漱石は多いと思います。……夏目漱石の時代は原稿用紙の使い方、会話部分の処理の仕方は(多分)まだ確立されていないだろうと思いますので、これは同系列では語れません。
「古い時代の書き方をして、そういう(どういう?)雰囲気を出したいのかなあ」とも思ってみたのですが……

お時間のある時にご回答下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

家にあった宮部作品や他をパラパラと読んでみました。


おそらくですが、会話文と地の文が一つの行に繋がれているものは、動作を含む会話文で、
 地の文「会話文」地の文
の場合は、一連の動作の間に発した言葉。
 「会話文」地の文「会話文」
の場合は、一連の会話の間に動作があった。

会話文だけが孤立しているものは、孤立させても前後の行と混乱なく読める場合で、
会話文の後に、地の文が繋げられているものは、その次の行に、別人の会話があったり、ちょっとした場面転換の文がある時に、こういう書き方をしているように見えます。

会話文と地の文を繋げるのは、あえて『○○は続けざまに言った』とか『○○は~しながら言った』などの説明をしなくても、自然に解かるように…じゃないでしょうか?

ちなみに、東野圭吾さんも、こういう書き方が多々見られました。と、いうか、とりあえず今手にしたのは、宮部さんと東野さんの作品だけなんですが(^^;)
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この回答へのお礼

うーん、なるほど。今見てみると、繋げて書いてあるのは「と言った」系の、動作は行われているけれどもあまり重要じゃない動きの時のような気がしますね。これかなー。質問者的には納得出来ました。

東野圭吾さんは「どちらかが彼女を殺した」一冊だけ既読です。どうも人気ある作家さんを避けて通る癖があるので(^_^;)←おい。#2さまもおっしゃってましたが、近頃の傾向なのでしょうか。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/11 23:34

解答ではありませんが、もしよかったら「大極宮」で宮部みゆきさんに直に質問してみたらどうですか?



http://www.osawa-office.co.jp/

かなり時間が掛かると思いますが、もしかしたら答えてくれるかもしれませんよ。

参考URL:http://www.osawa-office.co.jp/
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この回答へのお礼

違う方向からのアプローチありがとうございます。……宮部ファンならチェレンジできたかもしれませんが、それほどでもないわたしは、ちょっと訊けないです(^_^;)。
というより、多分ヤでしょうね。作家の方が「あなたの書く文章の表現方法について質問したいのですが」なんて言われるのは。慎ましく遠慮をしておきましょう。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/11 23:37

こんにちは。


「蒲生邸事件」面白かったですね。
私は普段SFという、文学的にはあまり質の高くない文章にふれているのですが、1997年の「日本SF大賞」受賞作品ということで読んでみたことがあります。
さすがにベストセラー作家、書くことが違いますね。得意の歴史観を駆使して、噛み応えのある肉厚のミステリーという感じです。プロの作家に向って言う台詞ではありませんが、本当に文章が上手いんですね。ただ、SF的はロジックの扱い方に就いてはちょっと首を傾げた記憶があります。時間旅行なんて科学的に説明できないんですから、あそこまで書かなくても、充分面白いお話だ思うんですがねえ。

日本語の文章は

地文
「会話文」
地文

改行して分けるのが慣例ですよね。
ですが、分けなくたって当然読めます。飽くまで慣例ですから、筆者が何らかの効果を狙ってそのような文章にするのは幾らでもありだと思います。特に基準などは無いはずです。
ただ、流行りなんでしょうか、最近何となく余計に目に付くようになった気がします。
若い世代を対象にした作品、エンターテイメント、などなどです。

外国の作品の訳文はほとんどそうですよね。
英語の文章などは、元々そのように書かれているからです。訳者には、原文に忠実でなければならないという決まり事がりますから、当然日本語の文章でも「改行無し」を多用することになります。また、英文には(カッコで囲まれた)注文が多いので、私は正直言って、何時も読みづらいなあ、と思っています。
このようなことが絡んで、日本語の作品の中にも改行無しの文章が増えてきたのではないのか、というような気がしてなりません。

ですが、「蒲生邸事件」を読む限り、宮部みゆきは、ただ改行無しを採用しただけとは思えませんでした。あの作品は「三人称一視点」で書かれていましたよね。文体は三人称なんですが、視点は終始一貫して主人公のものです。ですから、主人公の登場しない場面はなかったはずです。
文章の中では、しばしば口語体なんかも交えて、語り部と主人公の意識が交錯します。その辺りも上手です。そして、そのような語り口が、改行されない会話との流れを整える効果が充分にあったのではないかと思います。当時、専門のSF作家が束になって掛かっても、その年のSF大賞を取れなかった理由を痛感します。

ただ単に改行無しを使うだけであるならば、読みづらいだけですし、私は外国の真似をしているようであまり好きではありません。それに、印税ではなく、作家が出版社から依頼される原稿料は、日本ではほとんど「1枚幾ら」なんだそうです。だったら、たくさん改行しなければ作家は損をしますよね。

これはどうでもいいことなのですが、宮部みゆきの文章には「読点」がやたら多いというのも特徴ですよね。
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この回答へのお礼

わたしも20年前は多少の「SF読み」でした(^。^)。
「蒲生邸」、わたしはちょっと長いな、と思ったんですよね。前半あそこまで書かなくても十分かな、と。

それはさておき、わたしがお伺いしたかったのは
>筆者が何らかの効果を狙ってそのような文章にするのは幾らでもありだと思います。
この部分なのですが、それに対する答えは
>そのような語り口が、改行されない会話との流れを整える効果が充分にあったのではないかと思います。
こちらでしょうか。だとすると、
……ちょっとピンと来ませんでした(^_^;)。

読点の件ですが、わたしも句読点の多い文を書くので、あまり違和感はなかったですね。ご回答を見て本を見直して「声に出して読むのに近い区切り方だな」と思いました。
句読点に関して印象的なのは黒岩重吾……なぜそんなに点が好き(^_^;)。……謎でした。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/11 23:26

こんばんは。

宮部作品は読み終わると悲しくなるので(笑)、2-3作しか読んでいませんが・・・。

>地の文「(1)会話」地の文
>「(2)会話」
>地の文
>「(3)会話」地の文

おそらく「(2)会話」を際立たせたいから、そのような描き方になっているのではないでしょうか?
もしくは(1)と(3)が説明的会話になっているとか??

古い時代の書き方・・・といえば、そうなのかなぁ・・・。
でも三島、森鴎外とか、そういう書き方だったかしら?
違うような・・・うーん、かなりうろ覚え。すみません。
自信なし!です。
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この回答へのお礼

実はわたしも「すごく好きな作家さん」というわけではないのですが(^_^;)。

うーん、際立ってるかなあ?(これは感性の問題ですね)
説明的会話、というのはちょっと考えたのですが、わたしの基準では説明的会話に入らないものも多々あったりして……(これも感性の問題か~)

三島由紀夫は時代がかなり下りますから、まあ置いといて、今手元に幸田露伴があるのを思い出して見てみました。
……別な部分で現行の基本形ではありませんでしたが、会話部分は独立していました(^_^;)。うーん、いい案だと思ったんだけどなー。実際近代の小説が出てきた時点で決定版の書き方が出来ていたとは思えないんですが……

こんなん個々の表現っていったらそうなんですけど。でも気になるんです~。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/10 01:26

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