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仏教(特に禅)では悟りということをいいますが、日常生活であることに気付いた場合は悟りとは言わないのでしょうか。その区別はどこでつけるのでしょうか。宗教的な気づきを悟りというというようなことでは納得いきません。

A 回答 (11件中11~11件)

宗教は山登りに例えることが多いですが、それにならえば



悟りは、登頂です。
気づきは、登山道の確認・認識です。

気づきを繰り返し、徐々に登っていき、悟りに達するのです。
そして、悟りに達したら、自分が登った山は富士山ではなく双子山だと気づいて、また登山が続くのです。


悟りは、「ぜ~んぶわかっちゃったぁ~」の状態です。

カレーは、
玉ねぎをアメ色になるまで炒めると美味しい、とか
ガラムマサラをちょっと入れると美味しい、とか
気づきを繰り返し繰り返し、最後に
「美味しいカレーの作り方」という悟りに達するのです。

でも、悟ったつもりでも、ある日汚い定食屋で食べたカレーが泣くほど美味しくて、
自分の悟りなんてまだまだ気づきでしかなかった、とまた修行の道が始まるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。山登りのたとえはわかりやすいですね。つまり気づきは断片的なもので、悟りは総合的、包括的なものということですね。確かに、あるささいなことがきっかけで一瞬にしてすべてがわかってしまったということはありますね。

お礼日時:2011/09/21 19:00

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