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私は高2ですが、死後の世界があるという方々のその理由が納得出来ません。
神がこの世界をお作りになったや、天国はあるなど言う方々は、いったい何を根拠にそんなことを言っているのですか?
私には死後の世界があるかないかは分かりませんが、それはこの世の生きている人が全員そうなはずです。なぜなら、まだ死んだことがないからです。自分が実際に行ったことがないのに、死後の世界はあってこれからも私たちは「無」にならずに存在するという方々は、要するに自分が「無」になりたくないからそんな話を信じ込んでいるだけじゃないんですか?「無」になる恐怖から、宗教などが存在しているだけのように私は思います。
実際に、聖書や聖典を読んでみると、ありえない話や矛盾で満ちています。人間が作り出した自己満足のように思えるのです。
皆さんは、私の考え方をどう思いますか?
出来れば死後の世界の存在について私に納得のいく説明をしていただきたいです。

※言いたいことばかり言ってすみません。
信じている方々を否定しているのではなく、あくまで私だけの考え方です。気を悪くさせてしまったかも知れません。

A 回答 (19件中1~10件)

あの世なんかありません。


人生は一度限りです。

でも、そういう事実を受け入れられない人々が、あの世や神を妄想します。

>死後の世界の存在について私に納得のいく説明をしていただきたいです

あなたが正しい心を持っていれば、どんな説明も喝破するでしょう。
でもあなたが優しい心を持っていれば、妄信しなければ生きていけない弱さも、認めてあげられます。

弱い人に真実を突きつけて馬鹿にしても、そこには何もありません。

人生とは、「自分の宗教」を確立して生きていくことです。
自分の教祖は自分ですからね。
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この回答へのお礼

あなた様の主張が私には一番納得がいきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 22:02

はっきり言ってしまえば、そんな確証などありません。



私自身はカトリックですが、原理主義者のように聖書そのものを信じているわけではありません。
実際カトリックの聖職者でも聖書を鵜呑みにしていない人は多いです。逆に全ての聖書を明らかにしたとき、その中に書かれている信実の神の言葉を見出そうとしているのです。
だから私達にとっては聖書を以って神を否定している人は、ドキュメンタリードラマを見て批判しているのと同じ程度にしか映らないんです。そこには必ず脚色がありますから。
他の聖典は他人の事なので意見は言いませんが、聖書に関しては意図的に作られている事は確かであり、あの中の世界はせいぜいイスラエルを中心とした一帯でしょう。

恐怖から来世を信じるというのはよく言われますが、私はそれはあたらないと思います。
なぜなら人が死を恐れるのは無になるからではなく、「死」そのものを恐れているんです。
それにあの世を信じていたら、逆に死は怖くなるでしょ。
なぜなら、貴方はもし天国や地獄があるとしたら自分が天国にはいる自信がどれだけありますか? 100%人が悪と感じる事をした事がなく一生を終える自信はどれくらいでしょう。

聖書にいう娼婦を石打にしているところにキリストが来て「罪の無い者から石を投げろ」行ったら皆その場から離れて去ったというように、誰でも些細な事でも罪を犯している、或いは自分は罪を犯したつもりでなくても、他人からは罪だと感じられている事はあるはずです。
少なくとも天国と地獄、或いはイザナミのように恐ろしい姿になる事を教えている神話を信じたら、とても怖くて死を迎えることに楽観視など出来るはずもありません。つまり死後が無いと不安だから信じているのではないのです。(もちろん全てではないでしょうが)
逆に言えば、来世を信じておらず、無になると考えているから、自分が無になる恐怖の裏返しとして信仰を持つ人が恐怖から信仰していると主張しているに過ぎないともいえるのです。(これは少し複雑な心理なんで詳細は省きますけど、自分の恐怖を相手のものとして安心感を得るんです)

人間が死によって無になるという証明も誰もしてはいません。そんな確証など持てるはずもありません。
つまり来世を信じる者も信じない者も同じ次元にしかいないのです。

ただ私は思います。魂の継続性を信じていない人にとって人間の尊厳ってなんでしょう。要するに生きているときだけですよね。
だから日本の法律では死んだ被害者の損害より、生きている加害者の利益を優先しているんでしょう。
最高裁判事でも「死んだら無になるから葬式などするな」といった人がいます。
だから光市殺人事件でも、「殺したの二人なんだから死刑は重すぎる」なんて平然と言えるんですよね。

死んで無になるなら、なぜ苦労して生きるんでしょう。東大を出たって中卒だって死んだら一緒でしょ。
輪廻を信じている人なら言うでしょうね「一生懸命善行を積んで、早くこの世から解脱したいじゃないですか」って。
つまり目標があるわけです。天国に入ろうという死後の目標があるわけです。
「苦労するものは幸い、天国の門は彼らの為に開かれる」から耐え忍び努力できるんじゃないですか?

要するにどちらでもいいんですよ。個人の勝手なんです。
信じないという前提で生きても、真実という仮定で生きても同じ事なんです。
信じることと、信じないこと、どちらが自分をより善く生かしてくれるか、それによって自分で決めればイインです。
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この回答へのお礼

そうですか。
何か説得力がありました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 22:02

根拠は前世を覚えている人がいるからです。


エジプトでローマ帝政期の記憶を持った女性がいたそうです。
その人の言う箇所を掘ったら歴史的に貴重な価値のある
埋葬品がいっぱい出土しました。しかも数回もあるそうです。

上記のような貴重な人は滅多にいませんが
過去のことを覚えている人は数が多いです。
あなたも自分の過去が思い出せれば貢献ができるかも。

死後の世界がないというのなら上記の説明はどうやってします。
僕にも不思議なので、ご返答お願い致します
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この回答へのお礼

今までで、はっきり根拠はこれだと言って下さったのはあなた様だけです。ありがとうございます。
その方について詳しくかかれた本はありませんか?私もそういう話は聞いたことありますが、そういう話の前世として出てくるのは、大抵エジプトですね。これはなぜでしょうか。
私は、これもまた何らかのトリックがあると思っています。
しかし、やはりこの話は面白いですよね。ぜひそういう方々に会って直接話を伺いたいですが…やはりエジプトだけというのは気にくわないですね。
エジプトでは、昔たくさんの財宝が盗まれたりしたと聞いています。しかし何らかの理由で見つけたけどそれ以上は出来なかった人々が言い伝え、それを今言い当てているだけかもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 22:00

> 私には実証されていないことを信じられることが分からなかったのです。


ではあなたは実証されていることを信じているわけですね?
つまりあなたは「実証されていることを信仰している」わけで
広い意味での「科学信仰」ですね?

・聖書(宗教教義)を信仰する
・科学を信仰する
信仰対象こそ違いますが、信仰していることには変わりません。

> 信仰を、理解できる日がくるでしょうか。。
自分がなぜ科学を信仰するのか?客観的に考察できれば
信仰を理解することは出来ると思います。
(信仰なしに生きることは人間にとっておそらく困難です。)
このとき大事なのは
なぜ自分は科学を信仰するに「至った」のか?といった
経緯ではないかと思います。
(そして、聖書を信仰するに至った人の経緯を想像することです。)
その上で「科学哲学」への理解を深めていかれるとイイと思います。
http://www.yc.tcu.ac.jp/~otsuka/ts/ts3.html
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2011-01-19

> しかし空中浮揚というのは、絶対に信じません。
> いくつかの種を知っていますので。
この見識にはちょっとガッカリかな。
いくつかのインチキを知っている、ということが
なぜ「絶対にない」になるのよ?
無重量空間にいけば空中浮揚なんて簡単に出来るではないですか。
このとき「無重量空間にいくのはズルだ」と考えるのか
「重量をコントロールできれば空中浮揚は可能だ」と考えるのかで
その後の可能性が大きく変わるのでしょうね。
重力って現代科学における最重要トピックのひとつだって知ってた?
http://toshi.way-nifty.com/log/2008/04/5_c141.html
http://blog.livedoor.jp/y0780121/archives/501619 …
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この回答へのお礼

はい、科学は私に真実を教えてくれるものだと思っています。あなたの言うように、私は、科学信者だと思います。他の宗教信仰とは全く違うことだと思っていましたが、そういう見方をすると違ってくるかも知れません。

空中浮揚、やはり信じません。しかしもしそれが出来たところで、空中に浮けるから何?と思います。絶対に浮けませんが。
重力が注目されているのは知っていますし、宇宙で重力が働かず(詳しく言えば働きまくっていますが)浮くことができるのも知っています。しかし、地球上で、一人の人間が自らの力で重力に逆らうなんて発想は余りにもバカげた話だと思います。その人に、あなたに体重はないのですか?と逆に聞きたいですね。もしそれでも本当だというなら、その人が書いた本や、出演したテレビ(そんな人ならオファーもたくさん来ているはず)を紹介して下さい。きっとそういうのはないのでしょうけど。怪しすぎます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:47

 こんにちは。



 少々嫌味を交じえて 尋ね返してみたいと思いました。

 質問者さんは 死後の世界があって欲しいのですか?

 それとも あって欲しくないし ないほうがよいと思っていますか?

 あったとしても それは無であるしかない。でしょうか?

 いや どうでもよいけれど 神の元の天国に行くだとかは ばかげている。そんなことは 言って欲しくない。でしょうか?

 ★ 出来れば死後の世界の存在について私に納得のいく説明をしていただきたいです。
 ☆ とおっしゃいますが あなたは
 ★ いったい何を根拠にそんなことを言っているのですか?





 ですから みな一人ひとりは弱い存在ですから 死後については――分からないわけですから―― 自分の思いたいように思っている。こう受け取ってみては どうですか?

 そのような《宗教》を押し付けてきたときには 《あなたの信教の自由をわたしは認め守りさえしますが あなたもわたしの信教の自由を認めたまえ》と答えてやってください。






  ★ 信じている方々を否定しているのではなく、あくまで私だけの考え方です。気を悪くさせてしまったかも知れません。
 ☆ これは 日本人のあいだのよき習わしであるかも分かりませんが 哲学としては要りません。もし気を悪くしたのなら 気を悪くするほどのおふざけで信仰しているということでしょうから。
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この回答へのお礼

言いたいことは分かりました。
しかし、
>★ 出来れば死後の世界の存在について私に納得のいく説明をしていただきたいです。
 ☆ とおっしゃいますが あなたは
 ★ いったい何を根拠にそんなことを言っているのですか?
この文はよく分かりません。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:36

 偉いご回答がたくさんありますのでもうお分かりか、それとも考える糸口を得たと存じます。


 常識的に、そしてその常識で合理的に考える(考えるです)ならば、ご質問者とご回答のとおりです。
 信仰ではあるとかないとかの話も、そもそもその信仰というのも一義的では全くありませんから、これは回答になるといえばなる。回答にならないといえばならない。
 
 確かに意識の継続をしながらあの世に行って、更に意識の継続をしてまた此の世に来たという人はいないかも知れませんし、いるかも知れません。
 でも生まれてきたということは或いはあの世から来たのかもしれませんが、判りません。
 そういうことを云っている人もいるかも知れません。でもそれを確証しようとすることは科学や理論、物証て的には無理のようです。科学も理論も此の世のことでしかないから。

 質問者さんもご回答の中にも無とかいうタームを出されている方がおられます。
 ある思想や哲学、或いは宗教では、無から我らと世界は来(た)れり、無は万物の根源であり、無を現実に経験し知覚し、無を生きることが究極の真理であり叡智だというものもあります。
 この究極世界以外や夢想、影だというのです。そのことを知らぬ内は所詮は迷いの中で右往左往しているだけだと。
 つまり無にこそ人は回帰していくように出来ているというわけです。
 聖書などのミラクル秘蹟は理解や解釈でもなく、信仰でもなく、経験していくことによりわかることだと存じます。
 美貌の女性僧が
  >生きてるうちの世界も良く分からないから神が創ったってことにしてる
 という悟りの境地からの託宣をされています。
 尊敬するこの方にも呼んでもらいたい事は
  生きている
  世界
  そして神と創造
 ということについての掘り下げた実践的知認が求められるのかもしれません。
 つまり、有の世界を出て無の世界に入り、没入し、qa7011950.html質問の本質直観を経験・知覚する存在を自覚することが必要なのかも知れません。
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この回答へのお礼

>ある思想や哲学、或いは宗教では、無から我らと世界は来(た)れり、無は万物の根源であり、無を現実に経験し知覚し、無を生きることが究極の真理であり叡智だというものもあります
この文は、長い間忘れずに、長い時間をかけて理解していきたいと思います。この文の意味が理解出来たとき、私の疑問が解けるかも知れないと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:33

生きてるうちの世界も良く分からないから神が創ったってことにしてる人たちのことなら、それで一貫してる話だ。

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この回答へのお礼

確かにそうですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:26

死ねば身体は無になりますが、無にはならない物があるはずです。

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この回答へのお礼

私は今のところ、無にならないものなどないのではないか、と思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:25

哲学なんで


ヒュームの言葉を借りるなら、

私たちの心が
そのようにできている「だけ」

昨日のように今日があり、
今日のように明日がある、

その信念にもなんの根拠もない。
科学とて同じ。
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この回答へのお礼

難しくてよく分かりませんが、ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:24

当然そう言う疑問は出てきます。




死後の世界を人が信じるようになったのは、大切な人を亡くしたときのメンタルケアが目的かもしれません。

失った命の悲しみも、天国で見守ってくれると思えば多少はその悲しみは和らぐでしょう。そういった自己の精神的傷を癒す事情本能が、今もなお「死後の世界」というものを本気で信じるかどうかは別にしても、それを題材にした涙を呼ぶような映画などが共感を得ています(『黄泉がえり』や『シックスセンス』など)




それは置いといて、科学的な根拠はないのは事実です。
信じるに値しないと言えばその通りです。



ただもう一歩慎重な見方をすると、その「科学的根拠」という事も100%正しいとは限りません。現在の科学で証明されている事は「正しい」とされていますが、科学の進歩によってその科学的根拠が誤りだったという事例は数多くあります。



死後の世界を見た人は、この世にはいません。しかし、死んだ後、死後の世界を見なかった人も、この世にはいません。死後の世界は、あるのかないかという事すら分からないという事です。



逆に問います。「何を根拠に死後の世界は無いと言っているのですか?」
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この回答へのお礼

>何を根拠に死後の世界は無いと言っているのですか?
人は死んだら、ものを認識し考えることのできる脳を失うからです。肉体なくして何を感じられるでしょうか?私には分かりません。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/07 21:22

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