人生のプチ美学を教えてください!!

天地創造を信じている人はいないしダーグィンの進化論でキリスト教を否定することもあるでしょうが、キリストの言葉には今でも力あるものが多い。汝の敵を愛せよという言葉を私は力ある言葉だと思っているのですが、キリストの存在したことも信じない人が増えたのでしょうか?

A 回答 (6件)

移民が増えたからキリスト教を信じない人が増えたと勘違いする人が多いですが、


キリスト教は今でも不動の地位を得ています。

まず宗教は日本のそれと違い、宗教に属していない人が逆に不思議がられます。
知性と理性が伴った人であれば神の存在を意識するからです。
だから宗教を大切にしない人を西洋では「野蛮人」と解釈します。
(余談ですが宗教を聞かれたら日本人はブッディズムと答えた方が良いでしょう。)

次に日本では道徳規範ってなんですか?
なぜ日本人のモラル意識は高いのか。
(最近では低いと言われていますが、それでも欧米諸国よりは高いです)
日本の道徳規範の根源は武士道にあります。
これは新渡戸氏も武士道に書いてあります。

一方武士道を持たない欧米諸国はどうやって道徳規範を持つか?
宗教なんです。キリスト教にしても、特にイスラム教にしても、
生活規範は宗教から作られているのです。
だから「キリスト教を信じない人が増えた。」という日本人的解釈は当てはまりません。

ただ、生活に溶け込んでいるだけで、実践している人は数少ないでしょう。
汝の敵を愛せよ。人はパンのみに生きるにあらず。
それを実践しているあなたは偉いです。
あなたは良い仔羊です。
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社会学者が調査したことがあります。


それによると次のようなことが原因だそうです。

宗教の信用力が落ちたのは、科学技術が発達
したからではない。

宗教を熱心に信仰しても、報われないことが
多い、ということが判って来たからだ。

又、ある小説家が言っていました。

「おれは産まれてこの方、悪いことなどしたことはない。
 それなのに、なんでこんな業病にかかるのだ。
 神は何を考えているのだ!」

人間が小賢しくなって、神も仏もあるもんか
と感じるようになったのが原因でしょう。
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 こんにちは。



 問いの立て方に違和感を感じますという回答です。

 ★ 汝の敵を愛せよという言葉を私は力ある言葉だと思っているのですが
 ☆ これは 厳密に言って 《信じる・信じない》とは関係ありません。言葉やおしえを信じるとか信じないとか言うのは おかしいからです。それは 考えるの問題です。信じるは 考えるを超えた場でおこなわれますから。

 それと同時に――同じ筋において――問題となるのは この《汝の敵を愛せよ》というおしえの扱い方です。
 力ある言葉になっていないから 戦争が絶えないのではないですか? そしてそのような戦争を交じえる世界の状態は 昔から変わっていません。つまり昔も今も 《力ある言葉》であったとも あるとも思えません。


 それとも ただ単に 世界におけるクリスチアニズムの信徒の人口が増えたとか減ったとかということを問うていますか?


 おそらく 《信じる》とは どういうことか この問いを先に問うてから クリスチアニズムならクリスチアニズムを議論することになるのでは?
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>西洋でもキリスト教を信じない人が増えたのはなぜ?



教育水準が向上したからでしょう。

十字軍のレイプや殺戮・略奪の歴史をしり、「神が人間の形をして現れる」必然性がないことを人々が理解しはじめました。
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統治するためのツールとしての側面を直視すると、キリスト教から離れる者は少なくない。


結局、「神の名の下に」という名目は、一般的な意味合いでの人間性を無視してしまい、
どんな蛮行をも許容する事になります。存在に関してはともかく思想としては、#1に
同意します。
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結果的に有意義なメッセージをだけなら、どんな宗教でも思想でもできる。


というか、それが宗教の目的(心の安寧、社会性の育成)なのだから。
ただ、自己中心的な利己主義に陥りがちな意識に対して、強制力を持つ
ために、様々な奇跡を起こしたり、天罰をちらつかせたり、色んな不思議
の謎解きをしたりして見せる必要があったのです。
キリストの実在を疑う人はほとんどいないでしょうが、稀有な思想家だった
という解釈になりつつあるのかも知れません。
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