ちょっと先の未来クイズ第4問

人間関係は鏡だといいます。

人に愛情を与えられない人の周りには同じように与えられない人が集まる。

確かに昔から自分を気に入って近寄ってくれる人に心を開いてみたら
手痛い思いや何で?ということが多かったような気がします。

親に対してもずっと接待をしているような気持ちでした。
こういう子供像を望んでいるんだろうなという子供を演じてきました。

大人になったら被害者意識の塊になってしまいました。

自分から愛を与えなさい、さすれば与えられんと良く言います。
しかし、何でこんなにも「与える」という行為を思うと苦しいのか分かりません。
苦しい、悔しい、敗北感、とにかく「嫌」な感情を感じます。
理屈なく単純に「与えたくない」そう思ってしまうのです。

与える側と与えられる側に勝ち負けなどないと頭で理解しても、
「与える」ことを考えると苦しくて悔しくて悲しい気持ちになります。
でも、そんなことを思っても幸せになれないことも良く分かります。
頑なに「与えない」スタンスの自分をすり抜けて与えられる人は
誰かに好かれて幸せになり、出来ない(やらない)自分はそれを横目に
ますます嫉妬や憎しみの負の連鎖に突入していくのにもう疲れました。

「与えなくてはいけない」この壁を越えないといけない。
もう私も30歳になるので残された時間もあまりありません。
弱い自分を守る自己愛を手放さないといけないのに固執してしまいます。

このまま年老いて死んでゆくのは悔しいです。
どうすれば自分の身を削ることが怖くなくなるのでしょうか。
もう自分が変わらない限り、他人は変わってくれないと痛いほど知りました。

A 回答 (7件)

>「与えなくてはいけない」この壁を越えないといけない。



>弱い自分を守る自己愛を手放さないといけないのに固執してしまいます。

「~ねばならない。」
「~べき。」
「~でなければいけない。」

ここから、まず、開放されたら、
きっと、かなり、ラクになれそうな気がします。

実際、「ねばならない」ことなんて、そうそう、たくさんないですし、、、
って、本当は、ないんだと思うんです、、、。
ただ、自分でそうやって、苦しく縛りつけているだけで、、、。

で、どうしてそんなに、ギチギチに縛りつけてしまっているのか、、といえば、
やはり、親との関係性の中で、身に付けてしまった「思考のクセ」です。

単に、「クセ」だと、、、、。
そうやって、生き延びてきたんですよね、、、、(私も含めて、、、苦笑。)

「与える」って言葉、、、、
私は、「送る」とか、「送り出す」に近い感覚で今は、、、、ですが、そんな感じで捉えています。

そのきっかけになったのは、家の片付けでした。

私は、親の家に住んでいまして、(すでに両親は他界しています。)
とにかく、物が多い!!

片付けをしながら、この夏はずっと、震災のマッチングサイトなどに投稿して、
欲しい方へ、発送していました。

実は、私も質問者さん同様、自己愛の塊、、、(汗)
持ちつ持たれつなんて出来なくて、持ってもらうことこそあれ、自分から「持って」を、
したこともないような、人間でした、、(恥)

それが、このひと夏の経験で(怪しい経験ではない! 爆笑)

人が、人になにかすることって、循環の輪の中に参加していくことで、
「送る」「送り出す」何か、、それはある意味、「過剰」な状態に一度ならないと、
難しいのかもしれないなぁ~と、感じました。

たまたま、我が家には、「物」が過剰にあったので、私はそれらを、他者へ送り出しました。

質問者さんの身の内に、過剰なもの(出来事・経験、なんでも)が、あるかどうかは、わかりませんが、
30年間、生きてきたうち、どこかに過剰な部分があるかもしれません。

もし、何もない、、、、のであれば、これから自分の中に、蓄積していけばいいだけです。

そして、過剰な状態でパンパンになったら、後はもう、否がおうでも、出す、送り出す、しか
ありません。
自然に、そうなりますから、、、、!!!

我が家の、「物たち」のように、、、、(笑)。

この物たちが、どこでどう、お役に立っているかは、わかりませんが、
でも、送る、送り出す、
質問者さんがいう、「与える」ことに、奇しくもなってくれたことは事実です。

自分と向き合うことは、散々されて、苦しまれてきたことと思います。
しかし、苦しむ方向、思考のクセをほんの少し、変えてみると、新しい自分に出会えると思うんです。

30年間生きてきて、このまま出さずに終わるわけ、終われるわけがありません!!

どこかで、必ず、他者へ「送り出す」何かが、ありますから、、、、!!

その時まで、しっかり溜め込んで?!(笑)
しっかり、出し切って、死にましょう・・・♪

私も、まだまだ、出していこうと思っていますよ☆
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

引っ越しで要らなくなった家電を私も被災地に送りましたよ。
与える、というよりも無理なく出来る範囲でした・・・
そんな感覚でした。

何かをしないと必要とされない、メリットないと必要とされない。

普通に考えたらごく当たり前のことなんですが、
意識すると何でこんなに辛くなるんでしょう・・・

見返りを求めてしまうのも、親との関係で学んだせいですかね。
少なくとも、食いっぱぐれることはなかったですから。

過剰な部分・・・難しいですね、人に与えて喜んでもらえるような
そんな部分があれば、何か変わるんですかね・・

お礼日時:2011/10/19 00:59

お礼、ありがとうございました。

まずはご自愛下さい。
あなたに対して対価を強いないで、あなたが精神的にも肉体的にも、楽でいられるような、自由でいられるような、良い人が見つかるといいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

誰かが自分を受けれてくれるという想像が本当に付かなくて、
普通にしてたら受け入れられる、なんてことがあるのかなって・・・

ありのままを受け入れてくれ、もエゴでしかないのですが、
何だか難しく感じてしまいますね・・・

お礼日時:2011/10/19 01:01

>確かに昔から自分を気に入って近寄ってくれる人に心を開いてみたら


>手痛い思いや何で?ということが多かったような気がします。

相手の人が
  自分がとっても助けてほしい→誰かを助けてしまう
の人だったとしたら、
あなたも相手も助けてほしい状態になって問題だったかも。

>「与えなくてはいけない」この壁を越えないといけない。
>もう私も30歳になるので残された時間もあまりありません。
人って、与えられなければ、人に与えられない側面はあると思います。
人を幸せにしようと思ったら、まず自分が幸せになるのが一番、というか・・・

ここじゃ駄目ですか?

みんな、あなたに精神的に与えることのできる人って、
ここに居そうな気がしますが・・・

ここでみんなからエネルギーいっぱい与えてもらって、
それから周りの人に与えてみるってのは?

あと、
>確かに昔から自分を気に入って近寄ってくれる人に心を開いてみたら
>手痛い思いや何で?ということが多かったような気がします。
本当の意味で、自分を助けてくれる人を嗅ぎ分ける能力って大事だと思います。
表面的に助けてくれる人が、本当の自分の相談者ではないときはありますし、
逆に自分に全く興味を持ってくれていない人が、自分を本当に助けられる人かも
知れないし。

難しいですよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分も社交辞令を真に受けてしまう頭の悪い人間なので、
映画行こうよ(同性)、とか食事に行きましょう(異性)の誘いに対して
いつにしますか?と返すと音信不通だったり・・・で正直他人が怖いです。
いや、自分がバカなだけですかね・・・

いっぱい回答頂いても中々掴めない・・・難しいです。
まず自分に与えるというのが分からなくて・・・
昔は自分のこと好きだったはずなんですけど、好かれないから嫌いになって、
最近は面と向かって厳しいこと言ってくれる人が一番優しいなと思います。

自分が幸せになるって発想したことなかったみたいです。
どこかでなれるわけないって思ってる自分がいます。

お礼日時:2011/10/18 19:50

与えられる人って


与えなくてはいけないと思って与えてませんよ

与えられる人でも
与えなくてはいけないと思ったら心からは与えられないかも
もしくは与えたくないという気持ちに勝てなくて
与えられないかもしれない
あなたがもし背が高かったら
手の届かない人を見たら
取ってあげたくなりませんか
もしあなたがお腹空いてなかったら
お腹の空いてる人に自分のパンをあげられませんか
私はそういうことが出来る人を与えられる人と思います
この例は本の些細なことだけど
積み重なったら大きなものを与えられる人になってると思います

こういうことってわりと簡単に出来ると思いますよ
その積み重ねで
時には大きなものを与えることも出来るようになってると思います
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

欲しがるからいけないんですけどね。
けど完全に無欲になれるわけないし、
本当に欲を捨てたら自分ひとりで満足だからきっと本当に何もしない。

落とし物を拾うことすらしないかも。
何も得られなくても与えられる人は本当に凄いです。

お礼日時:2011/10/18 19:28

無理せずに、


スッキリ爽やかなスタンスで、
受け取り上手になることから始めてみませんか。
受け取り上手は人の心を快くする与え上手なのです。

期待心、見返り、偏執的自己愛、承認欲求などが
あれば早い機会に消滅させましょう。
〈~ねばならない〉式ではなしに、自然体で臨みませんか。

受け取り上手 心理学
で検索してみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

受け取り上手・・・確かに受け取るのも下手だなと思います。
上手く相手の望むものを返せるか分からないし・・・
それで挙動不審になって、相手も寄って来なくなって、
それで嫌になって、与えないと愛されないけど、
相手の望むものを与えられるか分からない恐怖・・・

子供の頃に両親のガッカリ顔を見るのが怖かったことを思い出しました。

お礼日時:2011/10/18 19:23

与えなくてもいい。




ていう事をまず許したらいいと思いますよ。


愛さない事を許してあげてみたらよいかと想います。


なかなか抵抗があるかとおもいますが、


どんな自分もありのまま、受入れいれる事からはじめた方がはやいと思います。


被害者意識もあってもいいとおもいます。


1つ1つ本当にしたい事をはじめてみると、何かかわるかもしれません。


あと、したくないことをやめてみる。


という発想も大事かもしれません。


参考図書
『毒になる親』、『鏡の法則』
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

鏡の法則という本に興味があります。
読んでみたいと思います。

ふと与えないから、与えられない・・・正に鏡だなと思いました。

愛さないから、愛されない・・・
実感したことがないので人には出来ないんですかね。

与えない自分を許す・・・でも与えないと受け入れられない。
何だかとても難しいです。

お礼日時:2011/10/18 19:19

嫉妬や憎しみがあなたを苦しめているのであって、与えたくない事は罪ではないし、人間性や人格が人より劣る恐れもないので安心して下さい。


恋人いる人、人の子の親であっても、「愛」なる対象者に対して、自分の身を削り落としてまで何でもかんでも与えてなどいません。もう少し周りをよく観察した方がいいかも。
それから自分の人生の選択肢をじっくり検討して選んで行かれたらいかがですか?
ご自分を大切に…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人を好きだという感情を持っても、逆に好きになってもらうには
どれくらいの対価を支払えばいいのだろうと考えると途方もなくて、
何だか気が重くなって、最初の好きという感情もなくなってしまいます。

誰かが自分を好きになってくれるという想像が全くつきません。
だから身を削らないと・・・と思ってしまいます。

自分にもそろそろ一人で最後まで自分を看取る覚悟をする時期が来たかと思います。

お礼日時:2011/10/18 19:15

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