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 のではないか? その制度として また特にはその側近たちのあいだにおいて。

 ひとり・唯だ一人 神聖不可侵なる人物を決めこれを ほかの人びとは 絶対的にまつりあげる。
 したがって アサ何とかの言うことは ぜんぶ聞く。聞かなければならない。すべて従う。


 この単純な組織の成り立ち〔として想定してみたもの〕が すべてを説明していまいか?

 と問います。

    *

 アサ何とかに従った若い人間たちは まだおさなくて自由意志を発揮できるようなひととなりを形成していなかった。といった解釈例がありますが どうなのでしょう?
 もしそうだったら あとで――事件のあとで―― そのように自分たちが反省の弁をのべるでしょう。
 つまり そうではなく やはり――上に述べたような簡単原理によって 宇宙の果てまでついてゆくというまでの――確信犯なのではなかったか?
 つぎのようにうたわなかったか?

  ▲ 〔海行かば 水漬く屍・・・〕 ~~~~

  海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
  山行かば 草生(くさむ)す屍
  大君(おほきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
  かへりみはせじ

 と言(こと)立て
 丈夫(ますらを)の 清きその名を
 古(いにしへ)よ 今の現(をつつ)に
 流さへる 祖(おや)の子どもぞ 
    (万葉集 巻十八 4094番)
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 

A 回答 (6件)

ええと『海行かば』って大伴家持だっけ?


そうだっけ?え、まあいいか。

「神聖ニシテ不可侵」の天皇って、
近代史という限られた時代に出現した
天皇史の中ではどっちかというと特異な形態で、
近代以前とは少し分けて考えたんだけど。

古代史自体が穴凹だらけだから俺良く知らんけど、
もともと王(きみ)の成立と発展過程って、
時代によって振幅はあるけれどそれでも
氏族間勢力の均衡中立のための緩衝材に端を発した臭くない?
公地公民制とか高知四万十海苔とか、
いやそりゃ、あっただろうよいろいろ。それでも

だから近代以前の天皇制において「不可侵」だったのは
天皇じゃなくて――天皇への方向性じゃなくて――むしろ
その周辺の中央地方の氏族連の相互間の問題で、
その特異な位置に天皇が据えられたからこそ、よくまあ今日まで
ほそぼそと天皇制が生きながらえてるのだろうね。
占領軍憲法の象徴天皇よりもよっぽど象徴的だったりして?

つまり日本の天皇ってブラックホールやねん。
あそこで何かいろいろこう、磁場がああなって、
こうなって、ヌルッと曲がってくねん。
だから民主党の議員が写メ撮ったらアカンのは
あくまでそういう光学的な問題やねん。

比べて見ても大陸(あっち)のミカドはすぐにポシャるしさ。
だけど単純組織というなら、大陸の方が単純じゃね?
あ、ちなみにウチらの内閣もすぐポシャるけどね。えへ。
そんなマスコット・エンペラーをさぁ、

・・・関係ないけど「マスコット」と「ビスケット」は似てるよね。

周辺相互間の抑制装置みたいに捉える方が
よっぽど日本人の風土っぽいのかしらん。
もっとも事件は抑制が抑制されちゃったわけだけど。
ナチにしてもマルクスにしても、
抑制が抑制される集団ほど怖いものはないねぇ。くわばらくわばら。

でもさぁ、近代以降になると天皇をあらためて
「現人神」に祭り上げざるを得なかったのは、
原因はやっぱりそもそもがキリスト教世界の殴り込みだろう?
天皇を絶対王制に模倣してみて、牛鍋食わせて、踊って歌って、
殺し合いまでして、挙句その末路が今(この)日(ざま)だもの。
だから仮にオウムが「神聖ニシテ不可侵」の天皇制を
真似たとしたなら、模倣のそのまた模倣ちゃう?



どうするよ。ホンマモンの白痴が祭り上げられたんだったら。

だって、どっからどう見ても、

麻原と取り巻き連じゃ、




麻原の方がアホやねんw



・・・って、いつかbragelonneさん 言うてたやんか?

この回答への補足

 文章に たこさんの味が出ていたよ。と思います。

 お礼欄では 少々苦言を呈する構えが勝ち過ぎてしまった。




 ☆☆(お礼欄) ~~~~
  ★ ・・・関係ないけど「マスコット」と「ビスケット」は似てるよね。
  ☆ どこがぁ?
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ 考えてみれば わたしゃあ浅はかだった。

 ○ / mVskVt / ∽ / bVskVt /

 ☆ 確かに似ている。

 ○ / m / ∽ / b / :
  ・寂しい= / さびしい/ ∽ / さみしい /
  ・美= / び / ∽ / み /
  ・馬= / ば / ∽ / ま /
  ・お‐まる ∽ ゆ‐ばり → まる と ばり とは同じ語。意味は?

補足日時:2011/11/30 10:49
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この回答へのお礼

 そうさなぁ。

 いくつか真実をちりばめるのは うまいな。――まづはご回答をありがとうございます。


 ▲ (柿本人麻呂 万葉集 巻三・235番) ~~~
 おほきみは 神にしませば
 天雲の いかづちの上に 廬(いほ)らせるかも

 
  ☆ 《世の中の通念(クウキ)は 大君が神であると言う。
   なるほどそれゆえ 雲の上・雷の丘の上にお住まいである。
   そうかもね》。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ☆ 何度もここでは持ち出しているうたですが いささか解釈を添えれば人麻呂には神について 絶対の概念があったからではないですか。
 《通念は 絶対の神と 相対の神々の世界とを混同している》と述べていませんか。人麻呂にとっては 神が《目に見えない。しかも心の目にさえ見えない》ことは当然のことだったのでは? (精神論でさえないと)。
 言いかえると このうたを おほきみ讃歌ないし天皇崇拝の歌と受け取ることがあるほど 《神聖不可侵》ぶりは いつでもと言ってよいくらいに 起きる。つねに潜在性として横たわっている。

 以上が 次の見解についてのお応えとなりましょうか。
 ★ ~~~~
 「神聖ニシテ不可侵」の天皇って、
 近代史という限られた時代に出現した
 天皇史の中ではどっちかというと特異な形態で、
 近代以前とは少し分けて考えたんだけど。
 ~~~~~~ 
 ☆ すなわち そうなんだけれど そうだと言っておしまいとするわけには行かない。

 ★ ~~~~
 でもさぁ、近代以降になると天皇をあらためて
 「現人神」に祭り上げざるを得なかったのは、
 原因はやっぱりそもそもがキリスト教世界の殴り込みだろう?
 ~~~~~~
 ☆ この見解も 部分的な真実をまぶしていて あつかいにくい。
 《殴り込み》をも引き受けたから 世界にみづからを開いた。《現人神》制にするかどうかは 別問題。欧米の思惟および行為の形式に対処するのに わざわざ王権神授説のようなこの制度を採り入れたとしたなら 日本はそれだけの器量であった(つまり それだけの器量でしかなかった)ということ。
 初めっから わが国は《対話型》社会であると 堂々と宣言し説明に是れ相いつとめ尽くしていけばよかったとも考えられる。《現人神》制度が いかにぎこちないか。それは かの雄略ワカタケルが 権力への資格を持つ同族を片っ端からころして行ったというその――日本国正史に堂々と記すところの――《大悪天皇》ぶりで実証済みであったのだから。

 
 * 対話型社会:【Q:日本社会は 対話型か? なら話し合いを!】
    http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6927237.html




 ★ ~~~~
 もともと王(きみ)の成立と発展過程って、
 時代によって振幅はあるけれどそれでも
 氏族間勢力の均衡中立のための緩衝材に端を発した臭くない?
 ~~~~~~
 ☆ これは まちがい。勢力の均衡を図るのは 制度が出来たあとの段階。
 もともとは どうも 日の神(その意味でのアマテラス)の子孫と名乗るのは ニギハヤヒという渡来人(?)の勢力がすでにいたらしい。ニギハヤヒは 土地のナガスネヒコという有力者と組んですでに共同自治をおこなっていたらしい。
 つまりは のちにアマテラスの系譜としてスメラミコトないし天皇となるのは 神武カムヤマトイハレヒコか応神ホムダワケの系譜であるようで 要するに 新旧二大勢力のあいだの一騎打ちがあったらしい。神武イハレヒコは 初めは負け戦であって のちに熊野をまわってヤマトに入ってやっと勝利を得るという話であるらしい。
 要するに アマアガリを敢行するのは 自分たちの意志によるものだったらしい。天下を取ったという実感なのではないか。そのいくさに 大伴氏や佐伯氏は《おほきみの辺にこそ死なめ かへり見はせじ》とうたい つき従った。という話。

 だから 近代における明治憲法下の絶対君主制は つねに潜在性としてその契機があって いつでも起こり得ると見られる。
 その制度が――つまり お二階へのアマアガリ・シンドロームに罹った人びとを ちょうど社会にもヤシロ(神棚)があってそこへ祀り上げざるを得ないと判断して もともとの市民たちが 国ゆづりしたそのアマテラス‐スサノヲ連関制が――成り立ったあとでは さらにその制度を固めるために いかようにも工夫したことであろう。勢力の均衡という政策もそのひとつだと思う。
 その権力者としてのアマテラスは 執行役員をつくってそれらに行政をまかせ 自分たちは権威のしるしとして――アマテラシテとして―― ブラックホールのごとくなったであろうし あるいは時には 超新星の爆発のごとくであったかも知れない。

 ただし 一点触れておかねばならないことは 崇神ミマキイリヒコのときには まだ天皇でなかっただけではなく――全国に支配網をつくったと書かれている割りには―― オホタタネコを代表とする市民たちと話し合いをつうじて共同自治をおこなった。ということ。(西暦300年頃)。言いかえると この頃にはまだ アマテラス‐スサノヲの二階建て構造による連関制は敷かれていなかった。むしろまだ平屋建てであったと考えられる。国ゆづりする前であり のちのアマテラスの地位にある崇神イリヒコも オホタタネコないしスサノヲ市民と 自由に対等であったと考えられる。



 ★ ~~~~~~
 どうするよ。ホンマモンの白痴が祭り上げられたんだったら。
 
 だって、どっからどう見ても、

 麻原と取り巻き連じゃ、




 麻原の方がアホやねんw



 ・・・って、いつかbragelonneさん 言うてたやんか?
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ だから アサ何とかが おれが神聖不可侵を担うと言ったろうけれど たぶんあくまで取り巻き連中の腹が決まるまで じっくりと民主的に話し合いを持ち 積み重ねた結果なのではないだろうか? だから オウム版の大伴氏や佐伯氏は がんばったんちゃう?


 ★ ・・・関係ないけど「マスコット」と「ビスケット」は似てるよね。
 ☆ どこがぁ?

お礼日時:2011/11/29 17:29

我とは唯一であるゆえに、侵害してはならない個人の信仰心が、組織化されることの弊害でしょうか。


それならば伝統宗教にも一致しますがオウムはそれを破たんさせた。
唯一であり誰であっても貴いであろう「私自身」を抑圧したと言う事だろうか。
それはその通りでしょう。
天皇制はともかく、過去の事例でもそれはうかがい知れるでしょう。
信仰は自由であると結論付けたいのでしょうが、それならば私が生きている事は、同時に生かされる事でもあり、生かす事でもあるという関係性から、伝統も信仰の欠かせない要素であると私は解釈します。
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この回答へのお礼

 オウム自体は 信仰の組織だと言っているかも知れませんが ここは あくまで《組織原理》だけを取り上げています。それでポアの思想を《応用》し サリンばら撒きなどの殺人事件を起こしたことの説明に足りるという考えからです。

 質問趣旨は それだけの内容です。

お礼日時:2011/11/29 21:59

教祖と言う形で、神を語る人がその者のごとく語る悪癖の一端であろう。


天皇と重ねるのは言いがかりめいていると感じるが、日本人的な盲信を啓蒙する趣旨ならば批判する要素ではない。
それならそれと質問趣旨に織り込んだ方が親切ではないか。

ちなみに私はお釈迦様が王族の出身である事は、民衆を統治する観点から当時の風潮がこじつけをした嘘であるのではないかと疑っている。
王が神と別に存在することは現代でも混乱を招くが、当時からそうであった故シャカ族と言うでっち上げが有ったのではないかと考えている。
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この回答へのお礼

 ☆☆(趣旨説明欄) ~~~
 ひとり・唯だ一人 神聖不可侵なる人物を決めこれを ほかの人びとは 絶対的にまつりあげる。
 したがって アサ何とかの言うことは ぜんぶ聞く。聞かなければならない。すべて従う。


 この単純な組織の成り立ち〔として想定してみたもの〕が すべてを説明していまいか?
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ これが たたき台です。

 重ねて言いかえるなら:
 ○ ~~~~~
 《神聖にして侵すべからざる》存在がただひとり――つくられて――ある。
 したがって この特別なる人物の言うこと・成すことは すべて お咎めはなく また人びとはその命じるところを否応なく聞いて従わねばならない。
 ~~~~~~
 ☆ こうです。
 
 したがって この特別存在が 王であろうと天皇であろうとかまいません。たまたま 天皇制にそのひな型があったから 持ち出したというだけのことです。

 この単純原則で事足りるのであって 統制はとれ 組織は動く。こういう見方です。

 あとは その若い側近幹部たちが 世間のことを知らなくてついて行ったというのではなく そうではなく この組織原理をよしとして認め 自分から入って行った。すなわち ポアという殺人ゲームもサリンばら撒き事件も 確信犯としておこなったという見方です。


 ★ 天皇と重ねる
 ☆ ことはしていない。順序がちがうから。組織原理を先に盗んだのみだから。

 ★ 日本人的な盲信を啓蒙する趣旨
 ☆ はいっさいない。その要素に触れていないから。

お礼日時:2011/11/28 22:08

あれは恐らく、原始キリスト教からトマス・ミュンツァーそしてエルンスト・ブロッホへと流れるキリスト教の狂気を発現しようとしたんじゃないか。

たぶんね。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 そうですか。
 それ〔だけ〕で ポアの思想を――サリンばら撒き事件にまで拡大して――応用しようとした狂気は 説明つきますか?
 つまりあとは 幹部連中のあいだの団結と言いますか むしろアサ何とかへの忠誠心について説明がつくかです。

 
 原始キリスト集団は 迫害にも耐え 文字どおり地下にもぐってそれぞれの信仰を守ったのです。
 オウムは迫害のようなものを受けたら(あるいは 受ける前から世間に対して) やり返したのではありませんか?
 財産の共有制くらいでしょう 似ているのは。

 土一揆が起これば みなキリスト教の流れだということになりませんか?

お礼日時:2011/11/28 13:26

いいえ違います。



イエスキリストを模倣したのです。

イエスキリストはガリラヤ瑚の水辺を歩きながら弟子たちに教えを解きました。

浅原彰晃は上九一色で精進湖の水辺を歩きながら弟子たちに教えを解きました。

浅原彰晃はキリストにあこがれていたのです。


だから外国ではキリストになりそこなった男となっています。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ だから外国ではキリストになりそこなった男となっています。
 ☆ この評言ににわかに従えませんが――つまり 《キリストになる》ということ自体が 考え違いであることを示していますから 《なりそこなう》も《なりおおせる》もないと考えるからですが―― もしそういう噂もあるということでしたら その前提で取り上げてみますが。
 まづは その論拠は 何でしょう?

 ★ 麻原彰晃はキリストにあこがれていたのです。
 ★(要約) 両者はともに 湖畔をめぐりながら 弟子たちにおしえを説いた。
 ☆ ゆえに 
 ★ イエスキリストを模倣したのです。
 ☆ となりましょうか?


 いちばんの問題は ポアの思想とサリン事件ではないか? これを説明しうるご見解を示されることをのぞみます。もう少しくわしく述べてくれますか?

お礼日時:2011/11/28 12:29

拝 啓  今年も様々なことがあり、彩々と熟慮させて戴く日々を おくっておりました。


 小生の実業や本業も含めまして、これからは、ようやく 判りやすい職業を伝達出来ることが出来ることとなります。相変わらず世間様との距離感や美的感性を つい意識してしまう、職業症から相変わらず抜けきれない処は、御座いますが。。。。。
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この回答へのお礼

 まづは ご回答をありがとうございます。

 果てさて ここでの面識があったかいなとこうべをめぐらしていますが。
 お仕事のこと・《判りやすい職業を伝達出来ること》・世間とのへだたり および それとの関連での美的感性・・・
 そうして 一年を振り返るときともなっているということ。でしょうか。


 ひょっとして 表題の事件に 不幸にも被害をうけたというかかわりがお有りなのでしょうか?
 といったところまで ぶっきらぼうのわたしですが おこたえを申し上げます。

お礼日時:2011/11/28 12:21

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