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「私は外国に行ったことがありません。」という文の主語は何でしょうか。
「私は」だと最初は思いました。

しかし「ありません」→「何が」→「外国に行ったことが」とも言えるのではないでしょうか。
(その場合主語ではなく主部になりますが、それは別として。)

この文の本義が、
「私には外国に行った経験がありません。」
だとすると、ますますそう思えて来ます。
「私は」は題目であって主語でないように見えてきます。

「ありません」→「誰は」→「私は」とも言えますけれども。


どうなんでしょうか。
どちらが主語なのかと、それを決定できる理由が知りたいです。


これは有名な「象は鼻が長い」のもつ主格補語の問題とも違いますよね。

A 回答 (11件中1~10件)

>ただ「ありません」→「誰は」→「私は」というのもありますよね。



いや、そうですか? 私が存在しないんですか?
それは「ありません」を「行ったことが」の述語としての意味でとらえているから言えることではないですか?
「ありません」はこの文では「ない」という意味であり、恣意的に変えてしまっては解釈にブレが生まれると思いますよ。

ただ、「私」について言えば「外国に行ったことがない」という状態にある、と解釈すれば、「私は」が主語、「外国に行ったことがない」が(主語・述語をそなえた節として)述部、ととらえる手もありなんでしょうか。でも、述語が節って…。それ(その場合の主語にあたるもの)を題目と呼ぶのでは?
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この回答へのお礼

>それ(その場合の主語にあたるもの)を題目と呼ぶのでは?
ええ、まったくその通りだと思います。

そして題目は「主語」の範囲とされていると思われるため、困ってしまったのでした。

お礼日時:2011/12/14 03:42

#4です。


再びおじゃまします。

今さらですが「主語とは何か」について。
私としては、下記辞書の「文において、述語の示す動作・作用・属性などの主体を表す部分」という解釈に同意したいと思います。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E4%B8%BB%E8%AA …
ここでは「山が高い」「彼は学生だ」の「山」「彼」をそれぞれ主語と説明しています。
さて、「動作・作用・属性」を示すものは単語であれ句であれ「述」という要素を持っていればこそ、述語・述部・述語句など呼び方は多様なのかもしれませんが、それに対応する主体を主語と呼ぶ、とこの辞書では解説していることになると思います。
この辞書の定義とghauendi さんの主語の定義がもし異なっているようでしたらお知らせいただければ、と思いますが、とりあえず同じものと考えて以下に述べてみます。

このように「文において、述語の示す動作・作用・属性などの主体を表す部分」が主語であるならば、『その文における述語は何か』が主語を決定する上での要点になってくると思われます。
「私は外国に行ったことがありません。」の場合は主題提示の係助詞が使われているので、「外国に行ったことがありません」の主語として「私」を想定するのが一般的です。
では、この文において「ありません」の箇所のみを述語として捉えることは困難であるかと言えば必ずしもそうではないでしょう。
単に、そのように捉えるべきシチュエーションが極めて稀である、ということにすぎません。

たとえば、
「私は日本全国ほとんどの地域を旅行しています。しかし、まだ私は外国に行ったことがありません」
と言うような場合です。この文は、
「私は日本全国ほとんどの地域を旅行しています。しかし、まだ外国に行ったことがありません」
のように言い換えることができます。
前の文にある「私」が省略されているだけと捉えることは無論できますし、主題提示としての「私」は生きています。
しかし、
『国内は(旅行したことが)あるが外国はない』という意図が強く現れている文であるとも言えます。
つまり、
『私に関して述べてみれば』という主題提示に引き続いて『外国に行ったことがありません』という述部を述べているというよりも、
『無いのですよ』という述部に対して『外国に行ったことが』と特定している文である、と捉えるのが自然な文脈ではないかと思うわけです。
結果としてこの文における述語は「ありません」となり、対応する主語は「外国に行ったこと」になります。

このように全く同じ文であっても主語が異なるのは、そのシチュエーションによるわけで、裏を返せば、シチュエーションが変われば主語が変わることもある、ということになると思います。
単文のみで特定することは無理だということになりますが、誰もがすぐ思いつくような一般的なシチュエーションを想定して主語を特定する場合が多いことは確かでしょう。
ただ、述べてきましたように、稀なシチュエーションも考慮する必要があるはずで、主語としての要素が複数存在する場合には、単独の文のみで決定的な主語の特定は無理ではないかという気がします。
  
象についても少し。
「今日は動物の特徴を強調して面白い絵を書いてみましょう。たとえば 猿はしっぽがとても長いので、このように尻尾を長~く書きます。他の動物でどんな特徴を知っていますか」
「かめは甲羅が硬いです」
「チータは足が速いです」
「象は鼻が長いです」
このようなシチュエーションでは、
「象に関して述べている」というよりは、「鼻が長いこと」に関して述べていると言えるように思われるので、「鼻」を主語と認定しても良いのではないでしょうか。
  
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 No.5です。

丁寧なコメントありがとうございました、がどうにもすっきりとはしません。
>「私は外国に行った経験を持ちません」
その言い換えは動詞の性質が違うものになってしまうので、してはいけない言い換えだと思います。「経験が持つ」とは言えませんよね。
「ある/ない」が述語になっていることがこの問題のポイントなので、そこを外した言い換えは、だめですね。

質問者様はこうした疑義を最初に提示されていましたか?。質問を素直に読むならば「私は外国に行ったことがありません。」との文章に対して「この文章の主語は何か」を問うているのであって、それを唐突に“しかし「ありません」→「何が」→「外国に行ったことが」とも言えるのではないでしょうか。」と論点をずらしてしまっています。純粋に主語と述語の関係を問うならば当初の御題である「私は外国に行ったことがありません。」の主語は質問者様ご自身が語られているように「私」となることも明白でしょう。にも関わらずわざわざ「ありません」に重点を置いたがために語順(Word-Order)の倒置が気になってしまうことになっていると僕は理解していました。
 こうした表現は英語にもあります。その典型が“There~”の構文です。この時のThere is ~の意味は質問者様が例示されている「あるよ」→「何が」として、「物がある」事を示すための注意喚起のような機能をします。要するに「話し手が相手の注意を引きつける機能」です。それ以外はありません。
 質問者様にお聴きしたいのは「私は外国に行ったことがありません」の文章の「意味」をどの様に理解されているのか、です。
 (1)「外国に行ったこと」と「外国に行った経験」が同質の内容(質問者様が用いている「文の本義」とどの様に異なるのか)を考えた時、「こと」は「経験」の代名詞的な存在であると理解する事が果たして誤りなのか?
 (2)言語を認識の表象としてとらえた場合(意識や行動を表記する手段としての言語の機能)、「経験すること」はそれ独自で完結性を有するものか?。「経験」は人間が思索や行動して獲得した軌跡や結果であり、それ単独では存在し得ない(「経験」という代物が果たして人間とは別、或いは人間と切り離した単独に存在するのか)、との認識論的な問い掛け。
 これらの問題を視野に入れた場合に質問者様からの逆質問が合理的に成り立つとは言い難いと僕は考えます。その上で「言い換えはダメ」とのコメントには釈然としません。他の方も質問者様にとっての「本意」とは異なるから質問者様は「それは違う」と断じてしまっている感を受けました。
 もし格助詞としての「が」に着目するならば、日本語では幾らでも類例はあるでしょう。「映画が観たい」という場合の主語は何ですか?。この文章では「主語は省略されて」います。常識的に考えるなら「映画を観る主体」は人間であり、「映画」は「観客に観られる客体」です。文意としては「(私は)映画を観たい」という文と全く同質の物となります。
 英語でも物主構文として理解されている文章を適切な日本語に訳す時、「人間と物の関係」からとらえて“主語として表記されている「物」を目的語として翻訳するとの方法が採られる”ことは受験英語でも標準的な理解の仕方とされています。
 僕の理解は間違っているでしょうか?。
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> それはなんだか非文ですよね。


 カカリウケがわるくて[に]が連続している悪文だから
 そうおもってしまうのでは。
・私に、外国に行ったことがありません。
・私に「外国に行ったこと」がありません。
・外国に行ったことが私にありません。
 これらならどうです?
 あと「私には外国に行ったことがありません」
 ならokと言いますが、題目(とか対比)の[は]を
「非文」につけたらokになるというのも変では。
(主語論ではなくてすみません。
 日本語は述語と助詞の言語ということで)
 で。
 国文法として主語を人に説明するときは
「議論が分かれている」とこから言うしかないのでは。
 僕は僕なりに
>>…略されてない主格(が)を差し置いて主語になるか…
 このあたりをおとしどころにしているだけです。
「象は鼻が長い」でも同じです。
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この回答へのお礼

ほんとうだ。
確かにそう書くと非文というのは言いすぎだったようです。
(その辺ちょこっと「なんだか非文」と書いているのですが、そんな「なんだか」の使い方はいけませんね。)
吟味が足りず、申し訳ありません。

(ただその…三文とも、やはり不自然な何かを含んでいると思います。
後ろの「が」を「は」に変えたくなるので、「に」の重なる件とは関係ないっぽいです。
「思う」とか「感じ」とか、話が内省になってたらすみません、なんていうんですかね、
「理屈上作れるけど、日本語話者が普通に出した文ではない」独特の感じ。
非文ではないし、悪文といえば確かにそうかも知れないけど本質的にポイントはそこでもなく、
そう、あえていうなら「作り文」とか命名したらぴたっと来そうな、何か。)

――ごめんなさい。せっかくご教示いただいているのに。
いやでも、その三文、とても勉強になりました。


>ならokと言いますが、題目(とか対比)の[は]を
>「非文」につけたらokになるというのも変では。
あ、いえ、題目(とか対比)の[は]ではなく、あくまで「には」なのですが、
「――に」と「――は」と「――には」って意外と簡単に交換可能じゃないところがあるらしく、って
これも話それるのでやめときます。


>「議論が分かれている」とこから言うしかないのでは。
そうですね。
全くその通りだと思います。

「差し置いて主語になるか」って言ったら、ならないと思います。

お礼日時:2011/12/14 04:23

「私は外国に行ったことがありません」の


「私は」は何格なのか。位置格では?
「私に外国に行ったことがありません」
「私に海外旅行経験がありません」
 どうですか。述部へのかかり順がわるいだけですよね。

 で、題目(は)に被せられた位置格(に)や連帯格(の)が
「略されてない主格(が)」を差し置いて主語になるかどうか。
 ならないと僕はおもいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「位置格」という用語を初めて知りました。
調べてみると、たしかにその概念が表す言葉のようですね。

ただ
>「私に外国に行ったことがありません」
それはなんだか非文ですよね。「私には外国に行ったことがありません」でないと…。

>「略されてない主格(が)」を差し置いて主語になるかどうか。
> ならないと僕はおもいます。
と言われればまったくそうですね。

困りました。
国文法にはその用語がないので、人に説明するときに使えないのです。

お礼日時:2011/12/13 01:02

現在の学校文法はとても形式的で、形の上でこうなっている、というところから名前が決められているようです。



この文は「ありません」という文節が述語であるとみなされます。
「ある・ない」という、存在するか否かを述べる文です。

その、存在するもの(存在しないもの)が主語とみなされます。
「ありません」と、存在しないと言われているものは「私」ではないでしょう。
「ことが」の文節が主語と考えられます。
あとは「外国に行ったことが」と連文節にして主部と呼ばなければなりませんが。

この文が「私は~経験を持たない」であったなら「持たない」が述語で、その「持たない」ものが主語、つまり「私」でしょう。
述語に対して、その正体はなにか、が主語である、とされます。まず述語が何かを確定することが先決です。
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この回答へのお礼

ありがとございます。

確かに「あるのかないのか」しているものは何か、と考えれば「~ことが」が主語(部)ということになりますよね。
私もそちらを強く感じるんです。


ただ
>「ありません」→「誰は」→「私は」
というのもありますよね。

「象は鼻が長い。」も、「長い」のは確実に「鼻が」なのに、
「象は」を主題・題目として、全体の「主語」とも目す。そういう場合の別類なのではないかと。

って自分で答え出してるじゃんと言われそうですが、1「私は」、2「ことが」、3「どちらもだ」、いずれだとしてもしっかりした論拠が欲しいのです。

お礼日時:2011/12/11 18:48

 質問文を以下のように言い換えてみます。

「私は外国に行った経験を持ちません」。こうすれば文章としての主語と述語の関係は「私」と「ありません(経験を持ちません)」となります。
 質問者様が「題目」と言っていることは文法とは全く関係のない要素です。日本語は「主語を省略しても会話が成り立つ」不思議な言語ともいえます。しかしながらそれも「話者と話者の間に共通の認識がある場合」との条件付きでのことです。
 主格補語の問題ですが、それは「象は鼻が長い」との文章を解析してみると「象は鼻が長い生き物である」となり「鼻が長い生き物は象である」ともなる。つまり主語に対する説明としての性質を有するのが「主格補語」ということになります。
 質問者様が混乱しているのは“「ありません」→「何が」→「外国に行ったことが」とも言えるのではないでしょうか。(その場合主語ではなく主部になりますが、それは別として。)”として、当初の疑問とこの疑問を一緒くたにしてしまっている点にあるといえます。「私は外国に行った経験がありません」との文章と「ありません」→「何が」→「外国に行ったことが」の文章では明らかにシチュエーションが異なるため比較することにさしたる意味はありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。が、

>「私は外国に行った経験を持ちません」
その言い換えは動詞の性質が違うものになってしまうので、してはいけない言い換えだと思います。
「経験が持つ」とは言えませんよね。
「ある/ない」が述語になっていることがこの問題のポイントなので、そこを外した言い換えは、だめですよね。

>当初の疑問とこの疑問を一緒くたにしてしまっている点
いえ、一緒くたにしていないのです。
なぜなら「これは有名な『象は鼻が長い』のもつ主格補語の問題とも違いますよね。」と言っているからです。
「とも違う」けど、同様に主語が確定できない別の類例ではないか、というわけです。
(でも私の浅学かもしれないので、主語が確定できる理由があれば知りたいというわけです。)

>明らかにシチュエーションが異なるため
んー、文法のことを考えるのに大事なのはシチュエーションを変えないことではなく、動詞(など)の性質を変えないことだと思いますが。
でも一応
でしたら「私は海外旅行経験がありません。」と考えてみてください、と言うことはできます。

お礼日時:2011/12/11 16:16

あくまで個人的見解ですが。



主語と言う場合、述語が想定されていることになります。
では、述語とは何かと言えば主語に対して叙述されている部分・事柄でしょう。

「ありません」を述部として捉えれば主語は「外国に行ったこと」でしょうし、
「外国に行ったことがありません」を述部として捉えれば主語は「私」になる、
ということではないかと思います。
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
両方ともあり得るというご意見ですね。私もそう思います。

ただ、
>「外国に行ったことがありません」を述部として捉えれば
それが「述部」となることはないと思います。
「述語的な句」ととらえることはできると思いますが。

お礼日時:2011/12/11 16:04

主語を述語に対義する概念とすれば、


「私は外国に行ったことがありません」の場合、
外国に行ったことがないことの帰属主体が、
「私」になるかと思います。

I have never been foreign conutries.
という意味であれば、
「私」という行為主体が
「外国」という対象に
「訪れていない」となると思います。

「ありません」の意味は、
上記解釈の場合、存在しないという
ことでなく、行くの否定語にすぎないからです。

「私が外国に行った経験はありません」
There is no experience for me to go to foreign countries.
という文なら、質問者様のご指摘通り、
「私が」は、外国に行った経験という主語を
補うに過ぎず、「ありません」は
単なる否定でなく存在しないという述語になるからです。

主語述語がそれぞれ
・「私は」「行っていない」
・「経験は」「ない」
と異なるからです。

原因は主語を表す助詞「は、が」の付け方と
解釈の慣習による、からでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>上記解釈の場合、存在しないという
>ことでなく、行くの否定語にすぎないからです。
「上記の解釈の場合」そうかもしれませんが、それはあくまで英語を土台にしていますよね。
英語にして考えていいのなら、「雨が降る」も「It rains.」となり主語は移動してしまいます。

なので、英語とかは挟まらせず、直接日本文で考えないといけないと思うのです。

(あとすみません、4段落目と5段落目の「~からです」は、どの文に対して出されているのか、分かりませんでした。
私の読解力の不足ならすみません。
また、結局主語はどちらということだとご教示いただいているのかも読み取れませんでした…すみません。)

もし「私は」を主語としていいなら、その理由が(英語など挟まらせずに)知りたいです。

お礼日時:2011/12/10 22:18

主語は「こと」

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

でも、理由が知りたいのです。
どっちが答えだとしても、理由が。

これは、「どちらともいえる」が答えなんじゃないでしょうか。

お礼日時:2011/12/10 22:08

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