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私たちは死後通常「OO家先祖代々の墓」などという墓に埋葬されますが、墓地には上記のような墓を見かけます。このような墓は一体どのような由来で作られたのでしょうか。また、先祖代々の墓とはどのような関係になるのでしょうか。

A 回答 (8件)

軍人墓のことですね。



私の祖父の墓も軍人墓です。

戦没者を祀るためのものです。

この軍人墓、大部分の費用が国から出ていたのです。
その家の墓地の敷地内に建てられている場合もあれば、軍人墓だけ集められ共同墓地のように
祀ってあるところもあります。

いずれも、国の為に闘い亡くなった方を慰霊しするだけでなく、ここに○○という軍人がいたのだという
記念碑的な意味もあります。
だから氏名や官位・勲功だけでなく、戦死時の状況が刻まれていたりもします。

祖父の軍人墓は共同墓地の一番眺めのいい場所に他の方々の軍人墓と並んで建てられています。
お国の為に戦った人たちだから、一番いい場所にということなんでしょうか。
日露戦争から軍人墓は祀られるようになったそうですが、やはり形は基本的に同じ。
神道のお墓の形をもとにしているようです。
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この回答へのお礼

 皆様ありがとう御座いました。様々な観点からご回答いただき大変参考になりました。それにしても、これらの人々の犠牲の上に、今日の繁栄があると思うと、天皇も総理大臣も靖國神社を参拝できないという現状は大変悲しいですね。涙が出ます。

お礼日時:2012/02/06 19:12

●当家の先祖代々の墓には江戸時代のご先祖様も埋葬されています。


○「墓石」も江戸時代のものですか?
 一般的には近代・現代の墓地整理などによって「家墓」に改葬されることが多いです。私の祖父母の墓も戦前は個人墓でしたが現在は改葬されて家墓になり、墓石はその場所に埋めたそうです。
 なので戦前の個人墓で軍歴のある人だったのでそのまま残ったとものかと思います。
 私の菩提寺にも6基ほど同じような軍人さんの墓碑があります。

この回答への補足

 皆様ありがとう御座いました。様々な観点からご回答いただき大変参考になりました。それにしても、これらの人々の犠牲の上に、今日の繁栄があると思うと、天皇も総理大臣も靖國神社を参拝できないという現状は大変悲しいですね。涙が出ます。

補足日時:2012/02/06 19:10
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この回答へのお礼

そうですね。祖父が戦後に建立したものですので、その際にまとめたのでしょうね。ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/06 19:00

私の伯父(母親の兄)は旧海軍の「中尉」として、昭和20年4月7日に戦艦大和などと共に沖縄特攻に向かった軽巡洋艦「矢矧」に乗艦して米軍機の攻撃を受けて海の藻屑と消えました。



従って、遺体は未だ引き揚げられてないですが、出撃前に戦死を覚悟してたのか「髪の毛と爪」を遺してたので、母方の先祖代々の墓石の隣に「海軍少佐〇〇之墓」と二階級特進した階級の墓石に遺品となった「髪の毛と爪」が埋葬されました。

これは、遺族になった祖父母が「名誉ある戦死」として息子である伯父の名を永遠に遺すために建てたのです。

この回答への補足

 皆様ありがとう御座いました。様々な観点からご回答いただき大変参考になりました。それにしても、これらの人々の犠牲の上に、今日の繁栄があると思うと、天皇も総理大臣も靖國神社を参拝できないという現状は大変悲しいですね。涙が出ます。

補足日時:2012/02/06 19:11
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この回答へのお礼

ありがとう御座いました。名誉の戦死をされた伯父様の場合はご両親がお墓を先祖代々の墓に隣接して建立されたのですね。

お礼日時:2012/02/04 23:53

私は専門化ではないのですが、考えられるのは二つです。


1)服務中に死亡し、現地で埋葬された。
軍隊に入隊後、軍務にかかわる事故か何かで死亡し、
そのまま死亡地で埋葬された場合、このような墓が立ちます。
2)跡継ぎのない人が入隊中に死亡した
通常「~家の墓」には家の祭祀を継承する人間のみが入ります。
そのため、次男三男、あるいは長男で子供無しで軍隊に入隊し
そのままなくなった場合、そのような墓が立てられる可能性があります。

この回答への補足

説得力のあるご回答ありがとうございます。よく見ていると、同じような形の墓が並んで建立されていますが、建立費用など国家から出たとも考えられるのでしょうか。

補足日時:2012/02/05 00:02
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この回答へのお礼

 皆様ありがとう御座いました。様々な観点からご回答いただき大変参考になりました。それにしても、これらの人々の犠牲の上に、今日の繁栄があると思うと、天皇も総理大臣も靖國神社を参拝できないという現状は大変悲しいですね。涙が出ます。

お礼日時:2012/02/06 19:12

戦前は「個人墓」と言って一人が一つのお墓に入ることは多かったのです。


しかし、それだと都会では墓地が足らなくなることや祭祀の問題から家族ごとに墓を設けるようになったのです。
なので他の回答にもあるように「死後通常「OO家先祖代々の墓」などという墓に埋葬されます」という前提が正しくないのです。
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この回答へのお礼

ありがとう御座いました。当家の先祖代々の墓には江戸時代のご先祖様も埋葬されています。

お礼日時:2012/02/04 23:56

あなたが上記の質問を真面目に考えているなら僕が読んだ本を紹介します。



「お墓の」誕生ー死者祭祀の民俗誌 岩田重則著(岩波新書)

先祖代々の墓が見られるようになったのは、近世後期から幕末にかけてわずかに先駆的に見られた。本格的に見られるようになったのは1960年代から70年代以降の行政による火葬施設の整備とともに、お墓に納骨のためのカロートを備えることによって普通になった。

或いは戦前の植民地であった台湾でお墓の石が大量に産出されたことと戦争での死者を含めた死者の増加があるようです。

もともとは、一人ひとりのお墓(実際は埋める場所=墓地と石塔の墓は別々だった)が主で、共同墓地がほとんどでした。

先祖代々のお墓は明治民法における家督相続の考えもその推進にひと押ししたのだと思います。

「戦死者祭祀の特異性は、その死者祭祀がひとつの「お墓」、家による祭祀で済まされるのではなく、それが地域社会、さらには国家レベルにまで拡大し、これが重層的に存在していることであった。(略)戦死者は家の「お墓」や仏壇に祀られ、各都道府県単位の護国神社で祀られ、さらには靖国神社で祀られている。・・・しかもそれぞれのレベルでの宗教が異なることさえあった。」P192~

戦死者の場合は、遺骨がない場合やあっても火葬された遺骨が帰ってくる形であったので、葬儀の流れの中にある「お墓」ではなく、いわば供養塔のようなものです。

僕がこの本で知ったショッキングなことは、今のカロート式お墓は「昔で言う墓暴きのお墓」であるという指摘です。
家族・親族で死者が出れば、先祖代々のお墓を「暴いて」遺骨を入れます。
でも、その形式は、昔の人たちが忌み嫌った<墓暴き>そのものなんですね。

〇〇家のお墓が何故必要なのか?現代では経済の論理しかないように思います。

この回答への補足

 皆様ありがとう御座いました。様々な観点からご回答いただき大変参考になりました。それにしても、これらの人々の犠牲の上に、今日の繁栄があると思うと、天皇も総理大臣も靖國神社を参拝できないという現状は大変悲しいですね。涙が出ます。

補足日時:2012/02/06 19:09
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この回答へのお礼

ありがとう御座いました。

お礼日時:2012/02/04 23:57

>私たちは死後通常「OO家先祖代々の墓」などという墓に埋葬されますが


この前提が間違っていますね。
「私は」ならばまだ解りますが。

個人の墓にするか一族の墓にするかは宗教や時代、地域などで違います。
また一族の中でも特に功績のあった人間だけ別に墓石を作ることもあります。
土葬であれば少なくともはじめは個人で埋葬するしか有りませんね。

この回答への補足

 皆様ありがとう御座いました。様々な観点からご回答いただき大変参考になりました。それにしても、これらの人々の犠牲の上に、今日の繁栄があると思うと、天皇も総理大臣も靖國神社を参拝できないという現状は大変悲しいですね。涙が出ます。

補足日時:2012/02/06 19:09
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この回答へのお礼

ありがとう御座いました。

お礼日時:2012/02/04 23:59

戦死された方の墓です



戦死されたことに敬意を表しての墓です

この回答への補足

 皆様ありがとう御座いました。様々な観点からご回答いただき大変参考になりました。それにしても、これらの人々の犠牲の上に、今日の繁栄があると思うと、天皇も総理大臣も靖國神社を参拝できないという現状は大変悲しいですね。涙が出ます。

補足日時:2012/02/06 19:08
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この回答へのお礼

ありがとう御座いました。

お礼日時:2012/02/04 23:58

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