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「教育現場で生徒の成績開示をしていいのか?」についてです。

先日、大阪の橋本市長が、学力水準に達していない小中学生の留年を検討する考えを示しました。

これは、「小木ママ」の相性で、知られる教育評論家で法政大学教授の尾木直樹さんの提言に賛同したものとい言われています。
ところが、東京新聞(2012年二月二九日水曜日24面)にて、小木さんは真意と違うと、戸惑い気味だそうです。

小木さんの言う、留年制度は、「理解するまで、学びたい子に留年するまで学ぶ権利を認める」というものだそうです。

また、小木さんは以下のようにも言及しています。

○「留年しないように生徒に勉強を強いるこのが目的ではない。」
○「留年するかどうかの決定権は生徒本人に与えなくてはならない。」

(参考)【東京新聞2012年2月29日24面】

以上のように、今日、教育問題について、熱く議論されている中で、私は留年以外にも方法があるのではないか?と、思うようになりました。

その中の一つが、「教育現場での生徒の成績の開示をしてもいいのか?」についてです。

これは、「教員が生徒の期末等のテスト成績を順位別に張り出しても良いのか?」という意味です。

もし教員が生徒の成績を開示し、順位別に並べても良いのであれば、それだけでも効果はあると思います。

教員が、生徒に、「留年回避」のために勉強を促すよりも、成績の順位を競わせたほうが、有効だと感じました。

留年は、生徒の今後に大きく影響します。

学校の勉強の成績のみで、同級生よりも遅れが生じることに違和感を感じました。

もし、留年以外にも、学力向上について策が、あるのであれば、まずは、留年以外の策を考えて、手を尽くしてからのほうがいいのではないかと思います。

教育倫理や、現場での体験を踏まえた返答をお願いします。

A 回答 (4件)

開示する必要云々はつまりその必要があるかどうかからでているのでしょう。



ですから、留年そのものの必要性についてから考えないと、枝葉末節の論議はその後ですよ。

私は留年制度は大賛成です。ただ、そのハードルはあくまで必要最小限に留めるべきでしょうが。

まるで理解してないのに、上の学年に進むということも、残酷ですよ。学ぶ機会を奪っていることに限りなく近いです。
やればできる子なら、やらせるべきです。やってもできない子はそういうクラスに行くべきです。
それが教育です。

今のように不登校で、全然学校に行ってなくても卒業証書が出てくるというのは間違ってます。
不登校の子にも、教材を届けて、レポートを出させる、試験もする、そういう風にするのが当たり前です。

当たり前のことをしていない、この国はおかしいです。
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以前は、上位について成績順を開示していました。


しかし、これにより教育に対し加熱化し成績が良い生徒が更に成績を上げるために塾に行くようになりました。
その反面、成績が悪い生徒は余計に反抗し更に勉強しなくなり悪いことをしだしたため、家庭内暴力や校内暴力へと発展していきました。
そこで、子供の心のゆとりを持つことを前提に(実際は違うようですが)、ゆとり教育が始まったのですが、成績を開示するだけでは一時的には効果がある様に見えますが、期待するほど効果は上がらないと思います。
それより、橋下市長が言うように分かる形が一番良いと思います。
小木ママの言うような方法では、勉強したくない子供にはどこまで効果が上がるか私は疑問です。
高校や大学は、留年制度があるので、進級できないと分かればやりだします。
やらなければ留年し辞めるだけですからね。
でも、義務教育では辞めさせることができませんが、学力がない子供を進級させない勇気も必要だと思います。
現に、平均が分からない大学生や、九九が言えないアルファベットが書けない高校生では、将来の日本が崩壊すると思いませんか。任せられますか。
なぜ、学校で知識を身につけるのか、身につけないといけないのかを考えれば、自ずと何をしなくてはいけないかが分かると思います。
それと、多くの子供には夢がないことです。子供に夢を与えるように、大人がいい加減な事をしないことも立派な教育です。学校だけが教育現場ではないと私は考えます。
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>教育現場での生徒の成績の開示をしてもいいのか?



個人情報保護法施行以降は、校内での個人成績の開示などは実施されていない、と聞いているが・・・
もっとも、私立はこの限りではないようだが・・・


とりあえず、指摘しておきたいのだが、義務教育過程において『留年』は、学力よりも社会適応能力などの部分にこそ評価を重くするべきであろう
つまり、学力云々ではなく、児童・生徒の全般的活動を総合的に勘案して進級を判断するのが妥当だろう

巷説で指摘されているのは、単なる「学力」であるが、日本の学校教育は、学力のみならず、社会適応性・自立活動性などが重視されている。
諸外国では家庭が担う「社会性・自立性」を学校に依拠する日本の教育事情を鑑みれば、単なる「学力」だけで考査するのも問題があろう

仮に家庭が「社会適応・自立性」を培う指導が実施できれば別だが、日本の学校教育の裾野の広さを鑑みて評価すれば、学力だけで判断することの正当性には嫌疑が大きい

学力があれば進級できて、社会性・自立性のない精神的生長の見られない児童・生徒が留年しないで済む・・・それが健全であろうか?

もちろん、社会性・自立性などを評価するのは難しい。
しかし、進級させるに十分な学力であれば、問答無用に進級できる、というのが日本の学校制度のありよう・家庭教育の実態からして健全とは到底思えない
 
個人的な見解であるが、
日本の義務教育課程は、学力ではなく、俗にいう「心育」の考査が強い。しかし、この「心育」の到達道評価は難しく簡単には、落第とはしにくい現実もある。

私個人が、現行制度の適否について疑問を感じなくはないが、学力のみで判断するならば、反対である

なお、教育臨床の立場でいえば「学力とは何か?という問題が最初の障壁になるのだが、果たして世俗の示唆する「学力」が本当に「学力」として諸外国に受けいられる考査基準なのか?ということも踏まえて嫌疑はつきない
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尾木氏の言動はちょっとぶれてますね。


読売新聞2月20日夕刊に載った尾木氏の記述は以下のとおりです。

>大阪の子ども全員を底上げする施策を考えて。
>ヨーロッパでは常識ですが、小学校で九九ができなければ、留年させても面倒をみる。
>(小中学校でも)留年させても府民の子供の力をつけてもらう、というのを橋下さんが
>出してきたら僕は大喝采します。

この表現からは、「留年するかどうかの決定権は生徒本人に与えなくてはならない。」と言うニュアンスは、あまりうかがえないですね。

ちなみに、「ヨーロッパでは常識です」は、確かにそのとおりで、しかも橋下市長の考えている内容に近いものです。

以下、国際教育情報室のHPから引用。
http://eri.netty.ne.jp/realvoice/vg/fr/01.htm
・・驚いたことに、フランスでは一年生でも留年することがあるのです。その生徒の成績があまりにも悪い場合、または個人的な問題で長期間、学校を休んだ生徒は留年してプログラムをやり直すのです。これは小学校から大学まで同じシステムで、どの年齢でも最低レベルをゲットしなかった生徒はもう一年やり直しということになります。現在でも、少なくとも一年くらい留年した事のある生徒は珍しくなく、クラスに必ず何名かいるくらいです。・・・
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