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私は今高三の受験生で将来「教師」になるという夢があります。そこで教育関係の事を勉強している際に疑問に思った事があるのでみなさんに質問したいと思います。日本では「詰め込み教育」が問題になっていますが、インドでは詰め込み教育を13~15時間、毎日していると言うことを聞きました。しかし、実際に世界の社会のトップをみていると詰め込み教育だけで育ったインド人の方が多数を占めているのです。これは一体何故なのでしょうか??つまり何故日本では詰め込み教育が失敗し、インドの方では詰め込み教育が成功しているのでしょうか??教えて下さい。不思議で不思議で仕方がないんです!!
ちなみに私は詰め込み教育には反対で、子供の自主性を育てる「総合的な学習」を一つの教科として重点的に教えていくべきだと思っています。(理由省略)

A 回答 (5件)

現在、教職関係の勉強をやっています。


私の意見を少し述べたいと思います。
まず、「世界の社会のトップをみていると詰め込み教育だけで育ったインド人の方が多数を占めているのです」と言う点ですが、人口の差を見ましょう。インドと日本の人口の差は約10倍です。だから、かならずしも、詰め込み教育だけでインド人の多くがトップを占めているわけではないでしょう。インド人の中でもできない子はいるはずです。すなわち一概に成功しているわけではないはずです。

あと、詰め込み教育に関して私は賛成です。
「子供の自主性を育てる「総合的な学習」を一つの教科として重点的に教えていくべきだ」と述べられていますが、小学校低学年に自主性を持たせることは学校教育だけでは無理です。そういうことは、まず親の教育が必要です。それで、高学年から中学校で子供は自我を持ち始めるわけですから、自主性より何事にも責任感を持つ人間に育てることが一番重要に感じます。
今の教育で欠けていることは、まず親の学校に対する押し付けによる親による子育てが下手。また、生徒による教師の信頼性の低下。生徒の幼稚化・忍耐力の低下。教育関係予算の少なさだと思います。
また、詰め込み教育あるいはゆとり教育がダメだと言うと、徹底的に学校に対して批判をする社会事態に問題があると思います。

これからの将来、社会(地域)・学校・PTAが関係をよりいいものにすることがまずは大切でしょう。
また、ゆとり教育するなら、極端にする必要は無いと思います。特に総合的な学習は、小学校5・6年生・中Iぐらい学年での体験学習などで十分だと思います。
高校生は「総合的な学習」ではなく、色々な学校・地域行事や催しなどの参加による社会勉強をしつつ、部活動など人とのつながりを作る環境を沢山作るべきだと思います。

長々となり、質問者の答えではなくなっているのかもしれませんが、このような考えを持つ人もいるということを知ってもらえれば幸いです。
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この回答へのお礼

なるほど!!と思わず感心してしまいました!!とても勉強になりました。う~ん・・・マスメディアなどの報道を真にそのまま受けてちゃやっぱダメですね^^;
謎が解けました!!ありがとうございました!!

お礼日時:2005/10/20 01:59

IT企業で働くインドの友達は、知的で、お人よしだけど、自信が感じられません。

日本人と過ごしている感覚になります。
 与えられる教育では、己で獲得してゆくことがないために、自信が育ちません。自信がなければ、自ら成長してゆくことができず、成長を得れないゆえに、時間が経つと卑屈になります。
自信がある人は、精力的に活動し、良くも悪くも波風を立て、そのなかで、活き活きと人生を謳歌しながら、社会を前に進めていきます。
 
与える教育よりも、真似を促進する教育、真似の手本になる教師を育むための、教師の生涯教育(学ぶものが、教え上手と言います。)。あとは、芸道を教育に認めることでしょうか。芸道と言うと、英才教育か、フーテンかのどちらかにとられがちで、一般的ではない印象があり、義務教育シーンには向いてないかもしれませんが、競争しながらも共存できる芸能(芸道)の世界と言うのは、今ある、負ければ惨めな競争経済社会よりも進歩しています。負けてもすがすがしい、そんな方がいいに決まってます。
 非文字のメディアが情報源となっている現代では、非文字の教育が以前にまして必要になっているので、そこで、芸能、芸道、そういった、競争社会を一歩先んじた教育を施すことで、新しい未来を、ほんとうに、切り開いてゆけると確信します。
 
 PS。学年の壁や、初等、中等、高等、大学、労働社会の隔たりを薄めることは大事だと思います。
子ども各々の才能を生かすという点でも、また、少子化により、兄弟姉妹関係で学べていた事柄を、学校教育で補完できることは、いいことです。弱者強者が平に共存している教育環境では、広い心も育つでしょうし、進度、年齢の違う子供同士で教えあうことができるので、かさむ教育費も削減できます。実際の子どもの働きに応じて、手当て(報酬)を出してもいいでしょう。教員の給料に比べればずっと安いでしょう。
 
 閉鎖社会で続発するいじめや登校拒否も、激減します。それは、将来の犯罪をなくし、安全な社会を作ることにも繋がります。

自らの学びを忘れない、先生になってください。
数値や論理の世界は、とても特殊にもかかわらず、そればかりを義務教育で推進し、他の世界を捨てさせてまで、それを重視する理由を、公的に説明する責任が果たされて居ないと思います。天井に基礎があると思って、目標と、基礎の、ずれがない教育を建ててゆくのが、教育シーンの課題ではないでしょうか。底辺が広いよりも、将来に向かって開けてゆく教育、頂点が一つではない教育を、私は推薦します。つまり、生徒が自立してゆく教育です。与える教育ばかりでは自立を阻む。
えっ?という教育が、たくさん出てくると思います。
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この回答へのお礼

とても参考になる回答ありがとうございます!!とても具体的に回答してくださって今まで、もやもやしてたものがすっきりしました!!やはり、詰め込み教育はいじめや登校拒否といった様々な重大な問題を生み出すことを避けることはできないというのは世界共通なんですね。この回答を読んで、将来自分がどんな教師になるべきかが見えてきたような気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/20 02:05

No. 2の回答者の意見とよく似ているかと思いますが、ある時期に「詰め込み教育」をしないと、国民の知識レベルは低下してしまいます。

子供の自主性を重んじるというのは、聞こえはいいのですが、「人間は怠けもの」でう。自主的に勉強するこども、しない子供にわけると、後者に分ルできる子供が圧倒的に多くなります。その結果が、現在、出ているのではないでしょうか。

現在は「詰め込み教育の是非」を問うよりも、教育(授業)時間の絶対時間が少なすぎるということではないでしょうか。子供の能力は個々に違います。すなわち、短時間で習得できる子もいれば、長時間かけないと習得できない子もいます。個々の習得(学習)能力は異なるので、能力別にクラス編成して学習するのがベストと思います。一方で、このようなクラス編成にすると「差別」というような見当外れの意見がでます。人は生まれながらに平等ですが、個々の能力は平等ではありません。しかし、機会均等(平等)の名の下のにクラス編成をしていることこそ問題(不平等)ではないでしょうか。

このようなクラス編成に満足しない親は、子供を学習塾や私立学校に通わせますが、ここでも親の経済力が反映されます。この点でも、親の経済力は不平等と言えます。表面的な平等を求めた結果、実際は挙行く効果の薄い不平等になっているのが現実ではないでしょうか。

インドと比較してみると、インド社会にも差別はあります。話題になっている層は裕福な層の子供だけではないでしょうか。発展途上国の裕福な家庭の子供は、「詰め込み教育」でもなんでもこなします。「子供の自主性を重んじる」日本と比較すること自体、馬鹿げているように思います。昭和40年代は、我が国も「詰め込み教育」でやって来たわけです。当時と比較すべきではないでしょうか。

現在の我が国では、「生涯教育」ということではないでしょうか。我が国の教育システムでは、「大学入学」で勉強は終わりという風潮があります。これは間違いで、このような意識を日本社会として変革してゆく必要があります。国民の教育レベルや意識レベルを保持してゆくため、世界と対等に付き合うには「生涯教育」的な考えは必要です。

「子供の自主性を重んじた」教育や「ゆとり教育」の結果、暗算ができない、熟語(日本語の文章)が読めない・書けない、英語が読めないという大学生・社会人が増えています。このことは、我が国の教育そのものが間違っているように思います。このままゆくと、「できる・できない子供」「富める人・富めない人」の二極化がますます進むだけではないでしょうか。

「詰め込み教育」に反対されるのも結構ですが、国民の教育レベルを高く保つ方法として、他に何かいい手段があるでしょうか。近隣諸国、韓国、台湾、中国、は総じて「教育熱」が高く、過去の日本の教育システムを真似ているような感じがします。各個人の意見は色々あるでしょうが、国民の教育レベルを維持するという観点から、どのような効果的な方法があるかご意見を伺いたいものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!!とても深く考えさせられました!!どごぞの参考書やらよりもとてもわかりやすく説明してくれて本当に感謝してます!!一体本当にいい指導法って一体なんなんでしょうね・・・。とても深く考えさせられますね・・・。

お礼日時:2005/10/20 02:19

漢字の読み書きや算数の九九などのように、絶対に詰め込みでなければ覚えられない物は結構たくさんあります。

そして、そういう物はたいていの場合基礎の基礎な内容で、自主性がどうのとかそういう次元ではなくて誰でも知っているのが当たり前な内容であると私は思います。そういった基礎の基礎の部分が身に付いていないうちに、子どもが自主性を持つことは難しいことでしょう。
要するに、年齢が低いうちは、ある程度詰め込みで片っ端から覚えることも必要であると私は思います(中学くらいまで)。
では、なぜ日本では詰め込み教育を悪しき物と見なした(失敗した)のかと言えば、それは「どんなことでも詰め込みで覚えさえすればよい」という風潮が出来ていたからだと思います。覚えさえすればよいというのが確実に間違いであることは誰の目にも明らかですが、それがいつの間にか、詰め込みがすべて悪であるという風に変化していったのだと思われます。
つまり、詰め込み神話による学力崩壊と、詰め込み全否定による学力崩壊が続けて起こったのだと私は考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!!詰め込み教育と自主性を育てる教育の両立の重要性を改めて考えさせられました。どちらかに極端になってしまうとお互い重大な問題が起こってしまう・・・とても納得です!!笑 これから教師になるまでの間、自分でもよくよく考えてみたいと思います!!ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/20 02:14

わかりませんが、日本の場合、詰め込むほうに「学校の勉強は人生の役に立つ!」という確信がないからじゃないでしょうか。



「学校の勉強なんて役に立たない」というイデオロギーが蔓延していて、「これってイイよね、大事だよね、多少押し付けてもいいくらいイイことだよね」という確信を教科に対して持ちにくくなっていると思います。

私もつめこみには反対で、進度や量などを個人個人に合わせる寺子屋方式がいいと思うのですが、どっちにせよ教師や教える側に「勉強は人生の役に立つ」「こんなにも胸をうついいものだ」という確信がないといけないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。生きる意味や学校に来る意義を子供達に教えるってことは私も重要だと感じます。でも、今そんな熱血教師あまりいませんよね・・・私が将来教師になったらその事をきちんと生徒に伝えれる先生になりたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/20 02:09

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