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すみません、いくつか質問があります。悪魔の証明についてです。

webで悪魔の証明について調べたところ、どうも複数の解釈をしている人々がいる気がして上手く理解できません。
解釈の方法は以下の2通りで、

(1)単純に証明することも否定することも困難な命題 と解釈した場合
「UFOはいる」「UFOはいない」「カラスは黒い」「白いカラスはいる」いずれも悪魔の証明となる。

(2)「証明するために膨大な全数調査が必要となるために」証明が難しい命題 と解釈した場合
上記のうち、「UFOはいない」「カラスは黒い」のみが悪魔の証明となる
  ※「UFOはいる」は宇宙への全数調査もあるが、単にUFO自体の希少性の高さから証明が難しいため
  ※「白いカラスはいる」も同様に、白いカラス自体の希少性が高いために証明が難しい

資料を見た限り(2)が正しい気がするのですが、どうでしょうか((1)だとすると多くの試験問題が成り立たなくなります…)。



(2)が正しいとすれば、「カラスは黒くない」は悪魔の証明でしょうか。

ともすると「全てのカラスを調べなくてはならないため膨大な全数調査が必要」であり、悪魔の証明であると考えてしまうかもしれませんが、
この場合「カラスは一般的に、黒い」という前提があるため、膨大な全数調査と無関係に、そもそも証明は困難です。よって悪魔の証明ではない
のではないかと思います。

つまり、悪魔の証明であるためには、「一般論として正しい」ことが前提ではないかということです。もし一般論として正しくない命題なら、
「一般論と異なること」が証明困難の最大の理由であり、全数調査が理由になりません。よって悪魔の証明とは言えません。

もし一般論と異なる命題まで悪魔の証明とできてしまうのであれば、「UFOのいない宇宙などない」と言い換えた途端に「全宇宙に対する全数調査が必要」
とされ、悪魔の証明となってしまいます。これは「UFOはいる」の命題にほぼ等しく、上記と矛盾します。



こういったことを考えたのは、問題集を解いていて、「日本人は皆勤勉である」が悪魔の証明であると解説されているのを目にしたためです。

この場合「日本人は一般的に、勤勉である」という前提があれば上記は悪魔の証明と言い切れますが、「日本人は一般的に、勤勉でない」という
前提だった場合、上記は悪魔の証明として成り立たなくなるのではないかと思ったのです。


「悪魔の証明」の必要要件は
・証明困難の最大の理由が「全数調査の膨大さ」であり、かつ
・その命題自体が、一般論として正しいこと
ではないでしょうか?

A 回答 (6件)

> 「悪魔の証明」=「未知論証」ではないという前提ですが、


> 「未知論証」の詭弁を利用したものであり、単に「未知論証の一つとして、悪魔の証明が利用されることがある」だけだと考えています。
> 事実、未知論証だからといって悪魔の証明とは限りません。
> 単に証明困難であれば、全て未知論証でありえます。

この質問者さんの4つの記述から導かれる「悪魔の証明」と「未知論証」の関係は、「悪魔の証明 ≠ 未知論証」では正確とは言えませんね。
「未知論証の一つとして」だから「未知論証 > 悪魔の論証」「悪魔の証明は未知論証に含まれる」の関係ですよ。

また「未知論証 > 悪魔の論証」であれば、「悪魔の証明だが、未知論証ではないケース」とは何かという問題に・・・はなりません。
そう言うケースは「無い」となります。

それこそ悪魔の証明的に言えば、「悪魔の証明だが、未知論証ではないケース」を1つ挙げたら良いだけですから、「根拠がある」と立証するコトは簡単で楽なハズです。

「未知論証」は、別名「無知に訴える論証」「消極的証拠」とも言われ、基本的には「既知・事実を利用して、未知・無知を定義付ける」と言う構造です。
この構造自体は「悪魔の証明」と同一です。
またそれら論証・証明において定義付けられた結論には、誤謬があったり証拠性が具備されていない点も同一です。

論証・証明の方法・構造が同一で、結論の性格も同一であれば、「未知論証」と「悪魔の証明」の関係を別個のものとする根拠は無いでしょう。

先の回答でも触れましたが、国語的には未知論証(詭弁的)の中で、「悪魔的」「悪意的」であったり、詭弁性・詐術性が高いものが、悪魔の論証と呼ばれるかと思います。

また法学的には、未知論証の中で、立証の不可能性・困難性の原因が、無限又は無限に近い連鎖・連続性や、不可逆性などに由来する「不可能立証」を「悪魔」と呼んだと言うことかと思います。
これらは社会科学分野なので、ニュアンスの要素もあるでしょうね。

一方、自然科学的には、未知論証自体が、論証方法・証明方法として全く認めらていません。
未知論証も悪魔の証明も、「単なる詭弁」として扱われます。
「リンゴが無い」の部分は、「背理法」により定量的に立証されねばなりません。

また法曹界も、原則論は「推定無罪(疑わしきは被告の利益に)」であり、普通は悪魔の証明は要求されないし、未知論証には証拠性を認めていません。
痴漢事件も、良し悪しは別として、その原則適用の傾向にはなって来ていますよ。

> しかし、ではどこから悪魔の証明となるのでしょうか。
> 「勤勉でない日本人はいない」
> 「米が嫌いな日本人はいない」
> 「日本語を話さない日本人はいない」
> 「黄色人種でない日本人はいない」
> 「人間でない日本人はいない」

これは質問自体が意味を成さないです。

「未知論証」「悪魔の証明」は、「論証,証明の方法」です。
命題では無く、「なぜならば~」以降により論証方法が決定されます。

「調理法」は「食材」に決定されるモノでは無いのと同じです。
「肉はどこからが和食か?」は、「和食として調理された時から」であり、それは魚でも野菜でも同じです。
「和食食材として全く適さない食材」もあるかも知れませんので、「確率」が無関係とは言いませんが、それは「美味しくない和食」「和食とは言えない」となりますね。
命題の性格も、論証や証明の成否や論理性などに影響するだけでしょう。

質問者さんは「成立可能性が高い(一般論として正しい)」に拘っておられる様ですが、先の回答で申し述べた通り、証明が難しい命題(例:オバケは存在しない)の立証を要求するのは、オバケ肯定派(オカルト側)です。

また、そもそもこの立証要求が「詭弁(誤った理論展開)」です。
本来オバケ肯定派が行うべき論証は、「オバケが存在する」の立証・証明です。
その困難性を、逆の困難性に責任転嫁しているだけで、論証ではあっても立証・証明ではありません。

逆に正論・一般論を立証する場合に、詭弁を用いる必要性は低いです。
それどころか詭弁を用いる方が、正論・一般論の価値を減じる危険性があると思いますよ。

この回答への補足

返答ありがとうございます。

A⇒Bであれば、「Bであるが、Aでない」という状況はありえます。「Aであるが、Bでない」という状況は
ありえませんが…。

「未知論証」=「悪魔の証明」であるという記述は見つけられませんでした。さらにweb上で主に悪魔の証明は

「AはBである」という「命題の種類」
を指す用語として使用されているのに、未知論証は

「Aでないという立証が困難であることを理由に、Aが存在すると勘違いさせる(反証可能性を無視している)」という
「論法の種類」を指す用語として用いられているように思いました。


私も、「どこから和食なのか」を主な論点とするのは誤りであると思います。しかし「今回は、ここから和食とする」という
仮定が無ければ悪魔の証明は成立しないのではないかとも思います。

同様のたとえで言うのであれば、「未知論証」は「調理方法」であり、「悪魔の証明」は「食材」であると思います。




あと突然申し訳ございませんが、私の疑問を解決する定義が分かったので、それを記述して終了とさせて
いただこうかと思います。こんなにかき回しておいて最終的に一人相撲であり申し訳ございません…。

悪魔の証明とは
・「ない」ものを「ない」と証明させる命題、もしくは「ある」ものを「ある」と証明させる命題で、かつ
・証明困難なもの
です。これで少なくとも私の疑問は全て解決します。

おそらく、私が色々な場所で散見していた「悪魔の証明」とはまさにコレです。こんな簡単なことに気づかなかったのは、
対偶を取らなかったためです。「ある」ものは「ある」という命題は対偶を取ると「ない」ものは「ない」と
同値です。よってこの2つはどちらも同じ「悪魔の証明」です。

・「カラスは黒い」は悪魔の命題である
  「ある」ものを「ある」と証明させる命題で、証明困難だから


一方で、
・「ある」ものを「ない」と証明させる命題
・「ない」ものを「ある」と証明させる命題
はどちらも悪魔の証明では「ない」です。よって

・「UFOはいる」は悪魔の命題ではない
  「ない」ものを「ある」と証明させる命題だから
・「日本に日本人はいない」は悪魔の命題ではない
  「ある」ものを「ない」と証明させる命題だから

痴漢冤罪はやっぱり「悪魔の証明」でした。「痴漢」というものが「ない」前提である場合、
・被害者側は「ない」ものを「ある」と主張するのに対して
・被疑者は「ない」ものを「ない」と証明しなくてはならない
ので、被疑者のみが一方的に「悪魔の証明」となってしまう、という意味だったようです。

以上から、「悪魔の証明」の成立要件は「ある」か「ない」かが重要であると思われます。
なぜ私が「成立可能性」にこだわってしまっていたのかというと、成立可能性が高い=「ある」であり、
成立可能性が低い=「ない」だったからのようです。着眼点がまるで間違っていたと思います。



何度か申し上げたとおり、「悪魔の証明」という言葉自体が、本当にきちんとした定義のある用語なのか不明確であり、
web上でいろいろ眺めただけでも、「自分独自の」解釈でこの語句を利用している者が大半であるように思います。
その中で悪魔の証明の定義とは何かという論議自体に意味は薄いとも思います。

この解釈は「私がweb上で見かけた、もしくは問題集で解いた」「悪魔の証明」に対する、私が私を納得させるための
用語の定義です。それ以上の意味は無いです。つまり
・未知論証という「論法の種類」ではなく、「命題の種類」として独立した定義ができる条件
・「~はない」「~はある」どちらでも悪魔の証明と言いうる条件
・一方「~はない」「~はある」であるにも関わらず悪魔の証明とは言い得ない条件
を満たせるものであれば良いです。


ともかく、意味の分からない私の持論に付き合っていただき本当にありがとうございました。全員ベストアンサーが
妥当と思われるのですが、そういう手段がございませんので、法律分野からのアドバイスを頂いた方と、数学分野からの
アドバイスを頂いた方にそれぞれ差し上げようと思います。

重ねて、ありがとうございました。

補足日時:2012/03/07 23:12
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#1です。



>証明困難であっても悪魔の証明ではない事例が存在するのなら、単に証明困難だからといって悪魔の証明とは言い切れないことになってしまいます…。

本当に証明が困難であるのか否か、が問われると思います。
「困難≒不可能」と言えるぐらいに困難であるのかどうか、でしょう。
ただ、証明が絶対に不可能であることが明白な命題は偽と判断されるべきで証明云々以前の問題になると思います。
また、「ないものの証明」という定義に該当する「白いカラスはいない」などは、困難の度合いの強さを端的に示す好例として採用されているだけで、「白いカラスはいる」や「カラスはみな黒いわけではない」でもいいような気がします。
ただ、突然変異や遺伝子組み換えなどで白いカラスのいる可能性がゼロに近いとは言いがたくなってきたかもしれません。
困難性が薄まることになり適切な例とは感じられなくなる可能性はありそうです。
このように考えてくると、前回は、
「証明することが非常に困難な命題の証明」と述べましたが、
「証明することが非常に困難だと誰もが認識している命題の証明」と表現するほうが適切かもしれません。
「その命題自体が、一般論として正しいこと」という質問者さんの要件とは逆の視点になりますが、目の付け所としては通底する部分もあるかもしれません。
「悪魔の証明となるかならないか」の違いは、その命題に対して「証明することが非常に困難だと【認識しているかどうか】」という点である、というわけです。

>ただ、この際問題となるのは、悪魔の証明と「ならないのは」何かという点です。webで簡単に見た限りでもやはり
「アイスランドに蛇はいる」
は悪魔の証明では「ない」と説明されています。

蛇という生き物が地上に存在する以上、またアイスランドが生き物が住めないような土地でないかぎり、絶対に居ない、と断言することはおそらく難しいのではないかと思います。
アイスランドに蛇が生息するのは不可能に近いという根拠に乏しいので「アイスランドに蛇はいる」が「証明することが非常に困難な命題」とは思いません。
「神はいる」などとは根本的に違うと思います。
一方、「アイスランドに蛇はいない」は悪魔の証明と言える。
国中の蛇の入ることができるあらゆる隙間を(地中・海中なども含め)全て捜索し尽くさないとこれは証明されないわけなので、「それは非常に困難な証明になる=殆んど不可能である」ということです。
「>現実にはアイスランドに蛇は全くいないらしく」とおっしゃっておられますが、その判断自体が悪魔の証明に該当するように思います。

>「カラスは黒い」は何人か「悪魔の証明である」と支持する意見があったので、難しいところです。

これを悪魔の証明としなかった理由は、「カラスはみな黒い」という表現と差別化したほうがいいと思ったからです。
その意味で使われているのだとすれば認めることに異存はありません。
  

この回答への補足

「カラスは黒い」は悪魔の命題ですか。難しいところです。

私も同感です。「本当に無いのかどうか」は結局時代や科学の発達によって変化してしまうものですので、
「本当に無いのか」自体を主な論点とすることは誤りであると思います。つまり

「ない前提」もしくは
「ある前提」

で、「仮定」を元に話を進めなければ悪魔の証明は成立しません。しかしその「少なくとも前提は必要である」
ということの説明のために回りくどいことを書いてしまったと思います。

くだらない話に時間を割いていただいて申し訳ございません。ありがとうございました。

補足日時:2012/03/07 23:13
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「悪魔の証明」の定義は「困難、もしくは不可能な証明」です。


 この言葉には大きくふたつの問題があります。
 まず、何をして「困難」とするかは主観の問題であること。
 もうひとつは、偽であることが証明されている命題は証明不可能ですから、悪魔の証明に含まれてしまうことです。

 もともとこの言葉は、真であることが自明とみられる命題に対して、不可能、あるいは困難な証明を迫ることによって偽であると主張する行為、もしくは、偽であることが自明とみられる命題を、偽であることが証明できないことを理由に真であると主張するような行為を揶揄するために作られた言葉でした。

 つまり、もともとこの言葉は「犯人はお前だ。なぜなら犯人でないことを証明できないからだ」などの理屈を振り回して法を悪用する人間や、「UFOはいる。なぜならUFOがいないことは証明されていないからだ」などと訳の分からないことを言っている連中を戒めるために使われていたのです。

 しかし、全く同じ理屈を使って「犯人はお前だ。それを証明するのが困難なだけだ」「UFOはいる。それを証明するのが困難なだけだ」だとか、質問者さんも例として挙げた「日本に人間はいない。それを証明するのが困難なだけだ」などという馬鹿げた論理も、「悪魔の証明」の名の下に保護できてしまうことがわかってきました。
 また、「黒い白鳥はいない」など、かつては「悪魔の証明」という言葉によって保護されていた命題が偽であることが証明されるなどの問題が浮上してくると、まともな議論の場では「悪魔の証明」という言葉は使わなくなりました。

 現代の議論の場では、何かを主張するなら相手に証明を迫るのではなく、自分の主張が正しいことを示す反証可能な証拠を持ってくることがルールになっています。つまり、UFOがいると主張するしろ、いないと主張するにしろ、そう主張するからには自分で証拠を持ってきて、反証の洗礼を受けなければならないのです。このルールが確立されたことにより、「悪魔の証明」という言葉を使う必要は無くなりました。

 このように「悪魔の証明」という理屈は、すでに欠陥品であることがわかっており、現代の科学や論理学の場では使われておりません。質問者さんが悩んでいる原因もその欠陥によるものです。
 いまどきこんな言葉を用いて論を展開するのは勉強不足の学者や詐欺師、エセ科学者だけです。

この回答への補足

ご解答ありがとうございます。

まさにそうだと思います。反証可能性はそれ自体の反証可能性を証明できないために破綻しているなどという
屁理屈を述べる人間もいますが、私は反証可能性は極めて有効であると思います。論理的、経験的に一部でも
有用であると考えられる「反証可能性」には、一定の有効性があるはずです。

アリストテレスは「重力があるのは、物体の中に神が内在しているからだ」と主張しましたが、反証可能性から言えば
有効な主張ではないです。重力が神のせいかどうかは証明も否定もできないのですから、
「反証可能性(否定する手段そのものが無い理論は有効ではない)」という立場から言えば、

「物体の中に神がいようがいまいが知ったことではない」が正解だと思います。


ありがとうございました。

補足日時:2012/03/07 23:08
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> 「悪魔の証明」の必要要件は


> ・証明困難の最大の理由が「全数調査の膨大さ」であり、かつ
> ・その命題自体が、一般論として正しいこと
> ではないでしょうか?
う~ん、証明困難であれば、その理由が数の多さだろうと距離の遠さや確率の低さだろうと、何でも同じではないかと思います。一般論についての見解は、
> 「日本人は皆勤勉である」が悪魔の証明であると解説されている
この部分も含めて何回読み返してもよく意味が理解できないので回答しかねます。


ところでこのご質問は、国語よりも哲学か数学のカテゴリの方が本来ふさわしいと思われますが、それはさておき、「悪魔の証明」とはもともと法的な場で使われはじめた言葉だそうですね。
私には「屁理屈」を言い換えた言葉のように思われますが、いずれにせよ哲学や論理学などで厳密に定義された概念ではないらしいので、人によって解釈が違うのはそのせいかもしれません。

素人考えですが、私としては「悪魔の証明」とは以下のようなものと思っています。
ある命題、例えば「○○は存在する」を主張する人が、自分の主張の正しさを裏付けるために
(A)事実や論理で「存在することを証明する」のならば正当で通常の証明の手順ですが、
(B)反対者に対して「反対するなら○○は存在しないことを証明せよ」と求め「それが証明できない以上、自分の命題は否定できない」として正当性を主張する時に用いられるのが『悪魔の証明』。

ただし「○○は存在しないことの証明」がすべて『悪魔の証明』かというと、そうとばかりも言えないと思います。
例えば数学で「自然数に最大値が存在しないことを証明せよ」の問題なら論理だけで証明可能です。
すべての偶数を数え上げることは不可能でも、「最大の自然数が存在する」を前提として論理を組み立てると矛盾が生ずるので、ゆえに前提が誤っていたのだ、として証明できるわけですが、これは数学が極限まで用語や概念を厳密に定義しているからこそ、論理的な正しさが示せるだけで証明できるのでしょう。

いっぽう現実の諸問題を考える上では、理論上は存在する(または、存在しない)ことが正しいとしても、それを証明するためには、さらに「事実」の裏付けが必要です。
その「事実」を確かめることが、対象によって可能な場合もあれば不可能な場合もあります。

例えば、一つの袋の中に蛇が入っているか否かを証明するのは簡単なことです。
袋を裏返してみせれば「蛇がいないことを証明する」ことも容易に出来ます。

ところが同じ閉じた空間であっても、「この島の中に蛇がいるか否か」とスケールが大きくなると、とたんに証明が難しくなってきます。
そしてこの場合は「蛇がいることを証明する」よりも「蛇がいないことを証明する」の方が、格段に難しい証明作業となってきます。
前者は1匹でも見つけた時点で証明は終わりますが、後者はいつまでたっても証明が終わらないからです。

「悪魔の証明」というのは、このように現実には事実確認不可能(=証明不可能)であるにも関わらず、そのことをごまかして、論理上の正当性のみを強調して相手に証明を求めるための詭弁術の一つではないかと私は考えます。

この回答への補足

解答ありがとうございます。

すみません、論理学の延長線上である以上数学、法律、哲学カテゴリのいずれかではないかと思ったのですが、
当方まったく論理学の専門ではないですので、論理学的な説明を頂いても理解できません。

哲学カテゴリでは論理学的、専門的な説明が大半であるように感じたため、あれで教えを請うのは
厳しいなと思いこちらに投下してしまいました。

やはり、「未知論証」という概念が存在する以上、提示していただいた「存在しないことの証明ができないから、
存在するのだという屁理屈」は、悪魔の証明というより「未知論証」だと思います。単に、証明も否定も
難しいだけですので。「未知論証」=「悪魔の証明」であるという記述は見つかりませんでした。


お答えを頂きましたように、「現実には事実を確認できないことが多い」というのは重要だと思います。
特に「いないこと」を確認することは困難であると。

理論上「いること」の証明は発見すれば終わりますが、「いないこと」の確認は不可能です。それは
蛇でもUFOでもおそらく変わらないでしょう。


では「日本には人間がいない」という命題は悪魔の証明でしょうか。日本には普通人間がいますので、この命題の
証明は困難で、しかも「いないこと」を確認させる命題です。しかし「証明困難な理由」は別に人間を確認しづらい
からではありません、単に「普通、人間がいるから(=一般論とかけ離れているから)」です。



とりあえず「日本人は皆勤勉である」は悪魔の証明として微妙ということはほぼ確実ですかね…。

補足日時:2012/03/06 21:15
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> 「悪魔の証明」の必要要件は


> ・証明困難の最大の理由が「全数調査の膨大さ」であり、かつ
> ・その命題自体が、一般論として正しいこと
> ではないでしょうか?

少し違うと思います。

「悪魔の証明」の要件は、「全数調査の膨大さ」などが原因で証明不可能(又は困難)であることであり、命題自体は、むしろ一般論的には正しくなさそうなことでしょう。

悪魔の証明は、国語的と法学的な要素があります。
国語的には「詭弁の話術」などとも言われます。

「悪魔は存在する」的(一般的ではない)だから、詭弁的で「悪魔の証明」なんですよ。
オカルトチックな方を証明する傾向です。

「宇宙への全数調査」を要求するのは、UFO肯定者です。
「UFOは存在する。なぜならUFOが存在しない証拠は無いから。」です。
反論されたら「宇宙の隅々まで調べたのか?」と言うワケですね。

代表例は
「リンゴが無い。それは君が食べたから。」
「いや、元から無かった。」
「ではそれを証明しろ!」
と言う感じです。
「存在する」より「存在しない」の証明の方が遥かに困難と言う性格を利用した詭弁です。

法学的には2種類あります。
一つが、上述の詭弁の話術と同様、「『無い(不存在)』の証明」で、代表例は痴漢冤罪が挙げられますね。
昨今は専ら、こちらの意味で使われます。

感覚的ですが、「ドーナツがあった」と言う事実を痴漢犯罪としますと、冤罪の証明は、ドーナツを食べ終わった後に、「ドーナツの穴の存在を示せ!」と言われる様なものです。
調査数の多寡と言うよりは、時間的,空間的な不可逆性などもあって、雲を掴む様な話しです。

一方、お調べになったと思いますが、語源的には「権利の正当性の証明」であり、「『有る(存在)の証明』です。
所有権を主張する際、その権利の正当性を主張するには、始原の権利者にまで遡及せねばならないと言う、無限連鎖的な調査を要します。

ここでは質問者さんが仰る「膨大な調査数」は当てはまるケースが多いと思いますし、時間や空間も無限の要素がありますので、正解の様な気もしますが、何より悪魔の証明に要求される要件は、無限又は無限と思われる連続性や、不可逆性などにより、「不可能か、不可能に近い困難な証明」です。

質問者さんの疑問の発端の問題文章は、主旨などは判りませんけど、自論(実は日本人は勤勉では無い?)を正当化するため、「日本人は皆勤勉である」と言う一般論を「詭弁的だ!」と言ってるだけだと思いますよ。

恐らく、「勤勉では無かったから、勤勉を奨励して、勤勉になった」みたいなコトじゃないですか?
「悪魔の証明」ってほどのモノじゃないです。

この回答への補足

解答ありがとうございます。

提示いただいた「リンゴが無い~」に関しては悪魔の証明としてよく引き合いに出されますが、
私はこれにも疑問を覚えています。これは単に「否定できないし証明もできない」事に関する

「未知論証」

の詭弁を利用したものであり、単に「未知論証の一つとして、悪魔の証明が利用されることがある」だけ
だと考えています。事実、未知論証だからといって悪魔の証明とは限りません。単に証明困難であれば、全て
未知論証でありえます。


法学としての悪魔の証明は興味があります。ただ、痴漢も悪魔の証明というより、上記のように
「未知論証」ではないかと思います。

つまり、痴漢を否定するのが難しいのではなく、痴漢は「否定するのも証明するのも難しい」のに、証明するのも
難しいという点に気づかないために、一方的に被害者の言い分のみが通る、という弊害だと感じています。
痴漢が証明の簡単な犯罪だったら、冤罪にはなりませんよね。犯人が確定するのだから。

「悪魔の証明」=「未知論証」ではないという前提ですが、それであれば「悪魔の証明だが、未知論証ではない
ケース」とは何かという問題になります。




とりあえず「日本人は勤勉である」は悪魔の証明ではないのかもしれませんね…。

しかし、ではどこから悪魔の証明となるのでしょうか。
「勤勉でない日本人はいない」
「米が嫌いな日本人はいない」
「日本語を話さない日本人はいない」
「黄色人種でない日本人はいない」
「人間でない日本人はいない」

これを考えた際、私は「命題が成立する確率(日本人が日本語を話す確率、人間である確率)」が悪魔の証明の成立に
関わるのではないかと思ったのです。だから「確率が高い」=「一般論として正しい」命題でないと悪魔の証明になり
得ないのではないかと思ったのです。



確かに、悪魔の証明が「証明するために莫大な全数調査を必要とする」というのはソースがない気が
します…。私の勘違いか。では「存在の証明が困難であれば」悪魔の証明であるとすると

悪魔の証明とは
「無存在の証明を問う命題であり」かつ
「証明が困難であり」かつ
「成立可能性が高い(一般論として正しい)」
ものでしょうか?

補足日時:2012/03/06 21:31
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ネットで少し検索してみましたが、悪魔の証明とは「証明することが非常に困難な命題の証明」という印象を受けました。


端的な例としては「白いカラスはいない」などでしょう。
全てのカラスを調べることは不可能だからです。
「白いカラスはいる」「カラスはみな黒い」なども同様だと思います。
ただし、カラスは一般的に黒いので、「カラスは黒い」は「証明することが非常に困難な命題」とは言えません。その意味で悪魔の証明とは呼べないでしょう。
「カラスは黒くない」は一羽の黒いカラスを捕まえてみれば即座に否定できますから、これも同様に「証明(否定)することが非常に困難な命題」とは言えません。
「カラスがみな黒いわけではない」という命題であれば該当するでしょう。
これは一般論として正しい(認知されている)命題とは言えませんし、この意味で一般論か否かも問う必要はないと思います。
また、「膨大な全数調査」にもこだわらなくていいような気がします。
たとえばですが、「神はいる」「神はいない」などはどちらも悪魔の証明になるのでしょう。
わたしは(1)の解釈でいいように思います。

「日本人は皆勤勉である」は、一人の勤勉でない者を探すことはさほど困難ではないでしょうから悪魔の証明とは呼べません。
それなのに、なぜそう呼んだのか。
ここで、まず、
『「カラスはみな黒い」は悪魔の証明である』と発言する場合の意図を考えてみると、
a.殆んどのカラスは黒い。
b.しかし、全てのカラスが黒いという証明は困難である。つまり、黒くないカラスがいないとは断定できない。
この2つでしょう。では、
『「日本人はみな勤勉である」は悪魔の証明である』と発言する場合の意図は何か。
a'.殆んどの日本人は勤勉である。
b'.しかし、全ての日本人が勤勉であるという証明は困難である。つまり、勤勉でない日本人がいないとは断定できない。
この2つだと思います。

悪魔の証明というのは証明の困難性を表わすものですから、基本的には b や b' の意図がメインでしょう。
ただ、少しひねって捉えれば、困難性を表面化させることによって一般的な属性を強調的に表現しようとする手法があってもいいと思います。
「全ての日本人が勤勉であるという証明は困難である」ということを言うことによって、それは取りも直さず、
「しかし、殆んどの日本人は勤勉である」
ということの強調にもなる。
前後の文脈が不明なので確信は持てませんが、筆者がどちらの意図で言ったのかは不明です。

悪魔の証明という表現を素直に受け取れば、
『日本人は皆勤勉である」が悪魔の証明である』
という解説は、
「b'.全ての日本人が勤勉であるという証明は困難である。つまり、勤勉でない日本人がいないとは断定できない。」
という意味になります。
しかし、先にも述べましたが、この証明は困難ではありません。
筆者の本来の意図は
『「日本人は皆勤勉である」という思い込みを覆すのは困難であるが、実は勤勉ではない日本人はしばしばいるものだ』
ということなのだと思います。
つまり、「思い込みを覆すことの困難性」と「証明の困難性」が混同された結果の、筆者の誤用である可能性もあるでしょう。
  

この回答への補足

解答ありがとうございます。

なるほど、誤用ですか。正直、webで調べた限り「悪魔の証明」という言葉に明確な定義があるとは思えないですし、
私の解いた問題集でも、本来そのように不明瞭な意味の出題をするべきではなかったのかもしれません。


頂いた意見では「証明困難な命題が悪魔の証明である」ということでよろしいでしょうか。つまり、
「困難でない命題は悪魔の証明ではない」と。


ただ、この際問題となるのは、悪魔の証明と「ならないのは」何かという点です。webで簡単に見た限りでもやはり
「アイスランドに蛇はいる」
は悪魔の証明では「ない」と説明されています。

しかし現実にはアイスランドに蛇は全くいないらしく、上記は蛇がいないために「証明困難」です(現実はともあれ、
蛇は全くいないという前提で話が進みます)。つまり、「証明困難なのに悪魔の証明ではない」という事象が
存在することになります。これをどう説明するべきなのでしょうか。「現在は科学が発展したから蛇を発見できる
ようになった」というのは論理的ではないように思います。



証明困難であっても悪魔の証明ではない事例が存在するのなら、単に証明困難だからといって悪魔の証明とは言い
切れないことになってしまいます…。


「カラスは黒い」は何人か「悪魔の証明である」と支持する意見があったので、難しいところです。正直な話、
明確な言葉の定義が無いものに対して誰の意見が正解か決める事不可能といえばそうですものね…。

補足日時:2012/03/06 21:47
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