「平成」を感じるもの

よく政治家や、あるいは官僚が無能だと批判されます。
そこで仮に、全員クビにしてもう一度全国から選びなおそう!となったとします。
その時、やっぱり優秀な人に政治をまかせたいよね、という風になると思います。
そこで客観的に学歴や経歴で判断して超一流の人材を集めたとすると、結局今のメンバーとほとんど変わらないと思うのです。

散々批判された鳩山由紀夫さんですら東大卒からハーバード大学ですし、頭の良さでいったら日本人の中でもトップレベルの人間ですよね(頭の良さと政治家としての能力は別物だと言うかもしれませんが、政治家としての能力なんて実際にやってみせるまでは誰にもわからないことです。この人なら政治ができそうというアバウトな理由で一億三千万人の上に立たせるよりは、学歴で選んだほうがより多数の同意も得やすく客観的では)。
政治家や官僚にはそういう人たちがたくさん集まっているのに、政治状況は改善せず、批判も絶えないのはなぜでしょうか?何が原因でうまくいかないのでしょうか?
事実日本でトップレベルである彼らでさえも政治改革が上手くいかないのなら、テレビのコメンテーターがいくら批判したところで「じゃあ他にもっと優秀な人間がいるのか?」と聞かれれば、他にこの任を担う人がどこにいるのでしょうか。

例えば古代のように絶対的な王様の意志だけで人事が決まっていた頃と比べれば、誰もが試験を受けて選抜された人材が集まる今の官僚制度は、ある意味で理想といえる状態ではないのでしょうか。それなのに現状問題が山積しているのは何が間違っているからなのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

官僚制度というのは、法の執行を第一義に置き、


問題を起こさないことを主眼においたシステムです。
当然ながら、新規の事業や想定外の事象に着手したがらないという
欠点はあるでしょうが、それは同時に、リスクを回避できるという
利点でもあるわけです。技術や知識によって隠蔽された問題を
掘り起こすことが出来るのは、実際は専門家である
彼らが適任であるというわけです。

こういったセクションに必要とされる人材は、技官としての
知識・学識を持ち、他者の誤魔化しを見抜く"専門家"であるわけです。
彼らを選ぶ方法は、『テスト』が一番相応しいと思います。



政治家というのは、(現代においては)国民の意思の代弁が第一義。
法を整備し、あるいは変更するシステムです。
起きてしまった問題・緊急のトラブルに対処することが必要となります。

重要なのは、民主主義において最優先されるべき事象が国民の意思であるという点です。
知識・学識に基づいたどんな合理的な制度であっても、社会制度の構築・法の制定は
行動の制限によって効果をもたらそうとするわけですから、その実行にあたっては
必ず弊害が生じるわけです。ですから、その弊害の是正・法の調節を
国民の意思、つまりはその代弁者である政治家が行う必要があります。

このセクションに必要とされる人材は、そのまま国民の意思を代弁するだけ、
なのですから、当然『選挙』で選ばれた人間が相応しいわけです。



つまり、官僚は法の維持。政治家は法の改善が仕事なんです。
人材の登用システムとしてはかつての王政より取りこぼしが少なく、
確かにより効率的だと思います。

ですが、登用にあたってこの役割が混在してしまったことが問題なのです。
質問者さんがおっしゃるところの、『頭の良さと政治家としての能力は別物』
だということがきちんと認識されなくなってしまったのです。
そう、まったく別物なのです。



官僚の仕事は法の維持であるわけですから、法に基づく官僚の行動そのものが
おかしい、という批判を官僚にするのはまったく的外れであって、
その批判は選挙にこそ反映させるべきなのです。
選挙に選ばれた政治家によって法が改善され、
官僚は、変更後の法律に、ひたすらに忠実に行動するでしょう。

逆に、政治家の能力なるものを官僚的な法の維持・執行だと勘違いしてしまうと、
それは確かにテストで選別・実証された能力では無いわけですから、
質問者さんのおっしゃるとおり、やってみるまで能力はわかりません。
あるいは政治主導などと言って官僚組織と対立し、実行不全を起こす。
つまり当代の政治家は官僚のように、法の執行を優先し知識を競い合う状態となっています。
結果として知識の欠落を論破され、政治家の第一義である国民の意思の代弁すら、
おろそかになってしまうわけです。

政治家の本分はあくまで国民の意思の代弁、なのですからその能力の高低は
より国民の意思を代弁できているか、で判断すべきなのです。
この意味において、当代の政治家は、それでも有能なのでしょうか?
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この回答へのお礼

すみませんが時間の都合によりお礼をまとめさせていただきます。
すべての回答を拝見した上でのベストアンサーです。

お礼日時:2012/04/01 20:50

日本の政治家はどの人も立派な人たちだと思います。


失言癖、対応が迷走する人もいますが・・我々一般人より優れた人々です。
政治家に求められる資質は官僚に求められる資質とは違うと思います。
確かにやってみないとわからない部分は我々レベルではあるように思います。
鳩山由紀夫は国民の信頼を集めて総理になりましたが。
沖縄の米軍基地問題で国民の信頼をなくしました。その後のこの人の政治活動が
物語っています。民主党内でも発言の影響力は大きくないと思われます。
それにしても「学歴で選んだほうが客観的で・・・・・・・。」
何か恐ろしい考えと思います。「血筋で選んでもいいのでは」にも繋がりそうな

これほど色々な方面で問題を抱えている状況で政治家が力を発揮できないのは
ある意味ではそれだけ堅牢なシステムが構築されているということだと思います。
政治制度、行政制度が堅牢でそう簡単には変更もできない多くの労力を必要とする
ということだと思います。

政治家が何か新しいことを起こそうとすると既存の法体系との摩擦、あるいは既得権益を持つ
官僚、公務員、関係者等々利害関係者との確執などが発生します。当然それに伴う派閥、政党等ある訳です。
国民の信を問うことになる訳ですが・・選挙となります。
国民も色々な考えを持っています。国民を説得、説明、指導なども政治家の役目と思います。
それらが難しくしているのだと思います。少々英知を持ってしても変更できない、崩せないという感じが
今の現状のように思います。

民主主義は色々な合意が必要で時間、労力ががかかるものと思います。
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 今の世相を言うと、 感触の悪さ...なのではないでしょうか。

人が触れる物は、食べ物から自動車、ダイヤ、その他諸々、各種ありますが、山積される書類、試験用紙では人びとの将来に品薄を招くのは必定でばかを見るということではないでしょうか。各種方面に真の感触を取り戻すことが欠かせない条件であり要らぬ役場の書類・利権用紙等は一切廃棄してもなんら差し支えは無い、それらには紙=利権の感触しかない ではないでしょうか。
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正しいとか間違っているなんて問題じゃないから。



たぶん無意識的に学校のお勉強の延長線上としてのテストの回答をイメージしているから、そのような解釈になるということ。
結果論ばかりを述べる癖が付いている人は「優秀な人が」とか言い出してしまう。結果を出した人が後に優秀と評されるだけの事。
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>そこで客観的に学歴や経歴で判断して超一流の人材を集めたとすると、結局今のメンバーとほとんど変わらないと思うのです。



ここが違うと思います。同じ基準で同じようにペーパー試験をすれば概ね同じになりますね。

この国を思う意識や、責任感などを基準に選べば、ガラっと変るでしょう。
(試験は最低ラインの足切り程度にする)

しかし、新しい基準で試験をする人や基準が問題。
政治家を選ぶ時点で、今と同じ有権者が、同じように地元利益や著名度で選べば、結局同じですね。

なので、結局 変るようで、、、変らない結果かも。

国民にレベルが合っている、結局これに集約するのでしょうね。

我々国民の鏡を見ているのでしょう。(こう言ったら、諦めるしかないか、、、)
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学歴や経歴の問題ではないと思う。


これは、政治や官僚の世界に留まらず
どこの世界にも通用する一般原則と見たほうが良いのでは?

政治の世界では、支援団体が誰か・ということが重要だと思う。
民主党の場合、労働組合、日教組、官公労、などに依存している為、
そのような支援団体の影響を強く受けている。

自民党も同じです。公明党、共産党、社民党も同様。

大企業で業績の悪いところも、過去の歴代の経営者や派閥に影響を受けている会社は総じて業績が悪い。
これも、学歴などの問題ではなく、トップが人事権を行使できないためであると思われる。
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官僚も、政治家も、トップクラスの偏差値を有する必要は、有りませんが、馬鹿には務まらない事は、


防衛大臣を見れば明らかです。
馬鹿でない人材なら務まるかと言うと、そうでも有りません。
それなりの資質が必要だからです。
民主党の鳩山、管などは、これに該当します。
民主党に限らず、自民党時代の首相経験者も、大半は、似た様な物でした。

それでは、馬鹿では無い資質のある人材が、なぜ、政治家に少ないかといえば、それは、国民が馬鹿だからです。
不適切な政治家を選んでしまったら、次の選挙で代えればいいのです。
それが出来ないのですから、政治が悪いと不満を述べるのは間違いです。
国民が変わらない限り、この国の政治家は、似たか寄ったかで過ぎていくでしょう。
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>よく政治家や、あるいは官僚が無能だと批判されます。


そこで仮に、全員クビにしてもう一度全国から選びなおそう!となったとします。
その時、やっぱり優秀な人に政治をまかせたいよね、という風になると思います。
そこで客観的に学歴や経歴で判断して超一流の人材を集めたとすると、結局今のメンバーとほとんど変わらないと思うのです。

考査基準が、学歴・経歴で判断すれば、おそらく大学教授・有識者になるので、ある程度の枠組みは変更する、とは思われる
アメリカのジョージタウン大学のように官僚輩出の名門校が日本にはないので、選抜は困難だと思われるが、政策研究大学は官僚ではなく、シンクタンク人材を担うべきように思う


>(頭の良さと政治家としての能力は別物だと言うかもしれませんが、政治家としての能力なんて実際にやってみせるまでは誰にもわからないことです。この人なら政治ができそうというアバウトな理由で一億三千万人の上に立たせるよりは、学歴で選んだほうがより多数の同意も得やすく客観的では)。

政治能力の評価は難しいものであろう。学歴という考査基準の適否は問題だが、それより優れた評価基準があるのか?という現状を踏まえると首肯するしかない。
地方官僚で優秀な人間を中央に任官させるにも、地方志向の強い地方官僚は中央に赴くとも思えないし、
本件は、国政だけを問題にしている、と限定的に読む必然性は感じないので、地方官僚も含めて思慮するべきようには思う

>政治家や官僚にはそういう人たちがたくさん集まっているのに、政治状況は改善せず、批判も絶えないのはなぜでしょうか?何が原因でうまくいかないのでしょうか?

批判のレベルによるだろう
簡単にいえば、より妥当性がある『代替案』をもった批判 と 単なる批判 では別物であるように思う。
日本社会に渦巻く批判は、概して後者(単なる批判)であるからこそ、 批判の説得力 においてレベルが低いと言わざるを得ない
同時に、評論する上でも 評価・精査の上で重要な政治情報が民間に降りてこないクローズ状況が問題であろう、と思われる
要は説得力のある代替案 を創出するにも、客観的かつ網羅的な政治情報の公開が行われていない部分の問題は大きい
これは、官僚制度の問題ではなく、情報公開の問題であろうが・・・・・

>事実日本でトップレベルである彼らでさえも政治改革が上手くいかないのなら、テレビのコメンテーターがいくら批判したところで「じゃあ他にもっと優秀な人間がいるのか?」と聞かれれば、他にこの任を担う人がどこにいるのでしょうか。

上記したように大学教授・有識者になるだろうが、彼らはある種の好奇心から、実験・試験的政治・政策を実施しかねない恐怖もある。
小生は、現状の官僚制度を置換する官僚制度などを見いだせないので、消極的に現有の官僚制度を是認する だけに過ぎない

>例えば古代のように絶対的な王様の意志だけで人事が決まっていた頃と比べれば、誰もが試験を受けて選抜された人材が集まる今の官僚制度は、ある意味で理想といえる状態ではないのでしょうか。それなのに現状問題が山積しているのは何が間違っているからなのでしょうか?

科挙制度から始まる官僚任官制度は現在においては妥当であろう。
現状の問題が山積しているのは、むしろ改善の余地があるわけで、それらを具体的に改善する方策を思慮すればいいだろう
政治制度として「間違っていない」制度などがあるとは到底思えない。
官僚制度を単純に批判する人間に留意することなく、具体性のある意見だけに耳を貸して施政してほしい・・・と思うのだが

あくまでも小生の見解に過ぎないが、やはり猟官制にしろ、フランス官僚制度にしろ、プラトンが『国家』で指摘したように ”賢人政治” がもっとも適切だろう

併せて思慮するべきは、政治体制として、グランドヴィジョン(大戦略)が未確定であることから、場当たり的な臨機応変さが日本の官僚には要請される。
その臨機応変さの部分に関しては、グレーさがあるからこそ批判が大きいのだろう
例えば、東日本大震災の被災賠償金への課税の事例などは典型的なものだろう
小生からすれば、『誰が被災者であるのか?』という問題が極めて難しい判断になるように思う。その難しさ・抽象性・主観性を排除し施政するならば、被災賠償の課税は、公平性の視座では適切であろう

もっとも小生などのようにアナーキストからすれば、中央・地方とも政治が行う範囲は極めて少ない方がいいので官僚は少なくてもいいのであるし、『政治が何もしないからこそ、公平性を普遍的に保障しえる』という思想である
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1,社会主義は、質問者さんのいうような優秀なエリート


が指導すれば、うまくいくはずだ、ということで
実施されましたが、結果はご存じの通りです。

中国や韓国では、科挙制度という試験制度で公務員を
集めました。
科挙試験は、数千倍の競争率を誇る、最難関試験です。
これに合格した人は、疑いも無く優秀なはずです。
しかし、現代ではこの科挙制度が中韓衰退の原因の
一つであると、言われています。

一方、チンギスカンですが、彼は、人類史上最大の
帝国を造り上げました。
その原因は、チンギスカンのカリスマ性もさること
ながら、官僚機構の優秀さにあったと言われています。
その官僚は少し前までは、字も読めない人ばかりでした。

成功の原因は、適材適所と、官僚のやる気にあった
とされています。

2,成功するか否かは、難しい試験を通ったか否か、ということでは
なく、やる気を出させるシステムにあるのです。
そのシステムが悪いのでうまくいかないのです。

(1)政治家は、己が当選することに精力のほとんどを費やします。

ア、だから、日本全体の利益ではなく、選挙区の利益を考えて
  行動します。いや、選挙区の利益を優先させます。

イ、経済的に正しいかどうかではなく、当選するかどうかで政策を決めます。

(2)高度成長期、官僚は「天皇の官吏」として、国家全体のことを考える
 のが仕事だ、とされていました。
 政治家は、選挙民の代表者だが、俺たちは国家全体の代表者だ
 という誇りの下仕事をしました。

 ところが、現在では公僕です。
 主人は天皇ではなく、下々の国民です。
 人間というのは、そういう抽象的な国民、下のはずの国民の
 為だということになると、あまり誇りが持てないのです。
 
 誇りを無くした官僚は、私益に走るようになるのです。
 良い意味でのエリート意識というものは必要なのです。

   
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結局『よく政治家や、あるいは官僚が無能だと批判』


 →『国民が無能』といいかえられます。

 例えば年金問題がありますよね
 現在の年金は諸問題が山積みです。少子化において今の年金制度は破綻すると分かっています。なら今の年金を廃止して組みなおすとなると今の老人世代がそれを言い出した政党と政治化に票を入れません。
 『(無理と決まってるのに)福祉を充実』という政治家に票をいて
 『(問題改善の為に)年金改革』という政治家は落選するのです

 本来政治家は『国民の為の政治』をするが仕事ですが、当選するのは『国民の要望を聞く政治』なのですね

 例えば震災前、民主は事業仕分けで災害対策費用の多くを廃止、減額しました。某担当大臣も『100年に1度の災害対策は必要ない』と発言し、それに多くの国民が支持しました。
 しかし国民の為なら対策費用を削るべきではありませんでした
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