専門家に聞いた!繰り返す痔の原因は!? >>

外国人に日本語の質問をされました。

"日本へ来てから・・・"という文がありますが、これは合っていますか?
”日本に来てから・・・”が正しいのでしょうか。

”日本へ来る”という表現もよく聞きますし、私もたまに使います。
この文はその外国人の学生さんが持っている教科書に載っています。

これは間違っていますか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

日本語教師のタマゴより。



外国人用の教科書では一貫して、「移動・発着の目的地を表す言葉には「へ」を用いる。」という、従来の日本語を尊重して教育しています。

例:「家へ帰る」、「アメリカへ発つ」、「学校へ行く」等。

注意すべきは、「仕事に行く」などの目的行為を表す名詞には、「に」しか使えないということです。

例:「治療に行く」、「キャンプに行く」、「食事に来る」等。

ところが、実際には若い世代を中心に、目的行為の「に」と目的地の「へ」が混同され、どちらも「に」で表現することが増えています。多くの人は「家に帰る」という表現に、何の違和感も感じません。むしろ、目的行為の「に」に代えて、「しに」を使う人が多くなってきているようです。

例:「仕事しに行く」、「食事しに来る」等。

結局、この二つを合わせると、以下のように二通りの言い方が可能で、特に話し言葉では、どちらでもいいということになります。

「アメリカへ留学に行く」<>「アメリカに留学しに行く」
「病院へ診察に行く」<>「病院に診察しに行く」

前者が古いスタイルで、日本語教育ではこれを正しいとしています。

古いスタイルがいいか、新しいスタイルがいいかによって、どちらかを選ぶ方が無難だと思いますが、「アメリカに留学に行く」でも恐らくは許容されますので、どちらでもいいと教える手もあります。

言葉の変遷は、なかなか気づきにくいところですが、改めて考えてみると面白いです。参考になれば。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

とても詳しく教えていただきありがとうございます。
これは中国人の学生さんの質問です。
このように丁寧に教えてくださり本当に感謝しております。

お礼日時:2012/03/17 17:37

この場合は、どちらかといえば、「に」のほうが適切な気はします。


どうも「に」と「へ」のニュアンスの違いは、

「に」:動作の完了地点を示す。
「へ」:動作の目的地点を示す。

ということで、強いていえば、
「日本にくる」という動作が(日本において)完了して、それからのことをいうと考えれば、日本は動作(来る)の完了地点なので、「に」のほうがいいかなと思います。
逆に、「日本へ行きます」だと、目的地になるので、「へ」のほうが良さそうです。

といっても、そんなに厳密には区別しないので、日常的にはどちらでもいいでしょうと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございます。
実はこのように質問させていただくのが初めてでした。
ありがたいです。

お礼日時:2012/03/17 17:33

詳しい者ではないですが・・・


間違ってはいないと思います。言葉は時代と共に変わっていくものです。
てにをはだけでなく、漢字の送り仮名も昔の漢字テストなら×とされていただろうものが、平然と流通していて驚くことはよくありますね。
そういわれれば、「日本に来てから」と言うほうが、口語的にはスムーズに聞こえるような気がします。最近の傾向なんでしょう。
個人的には、古い言い方のほうが正しく、美しいように思います。
「日本へ来てから」と書かれている教科書は、出版年が古いかったり、初版から内容が変わっていなかったりはしませんか?
どちらかというとこちらの方が、教科書としてはふさわしいと思います。(あくまでも個人的印象です)

いずれにしても正解は一つではないらしいので「どっちでもいい」ということになってしまうと思いますが・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

その通り、中国の教科書で内容が古いです。
私自身がすでに最近の傾向で言葉を使っていたことがわかりました。。
美しい日本語を改めて考えようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/17 17:40

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q”~へ”と”~に” の違いを判りやすく教えてください。

てにをは の使い分けは、日本人として日本で教育を受けても、
いざあらためて考えると、きちんと説明できず、お恥ずかしい。
そこで、最近耳にした疑問について、
皆様のお知恵をお借りしたいのです。

学校へ行く。
学校に行く。

この2つの文章の、”へ”と”に”の使い分けや文法的違いを、
出来れば判りやすく教えていただけますでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

格助詞 「に」「へ」

http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k040509.htm

Q「してから」と「したあとで」の違いは何でしょうか

 日本語を勉強中の中国人です。「してから」と「したあとで」の違いは何でしょうか。教えてください。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。以前書いたもののコピーですが。

48.4 V-てから
 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という
意味合いがあります。ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、
「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の
場合は、「~てから」の方がぴったりします。

     買物をしてから、映画を見ました。
     これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。
     歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝御飯を食べてから歯を磨き
     ますか。
     見てから読むか、読んでから見るか。
     ピカッと光ってから、どーんと音が聞こえる。

 以上の例では「~あとで」でも言えますが、以下の例ではどうでしょうか。

     切符を買ってから中に入る。
     ちょっと口をすすいでから歯を磨く。
     準備運動をよくしてから、泳いでください。

 これらは、「~あとで」で言えないことはありませんが、少し不自然です。
これらの「AてからB」のAは、Bをするために必要なことで、「あと」にす
るのでは無意味な場合です。 

 また、時間の経過を表す場合も、「~あとで」は不自然です。

     夜が明けてから人家を探そう。(?あとで)
     秋が来てから、急に人通りが多くなった。(×あとで)
     日本に来てから、3か月になります。
     占領が終わってからでも、もう50年近くの時間が過ぎた。
     最初の文明が生まれてから1万年。

 「だ」が付いて文末に来る場合もあります。「~のN」の形にもなります。

     乾杯は会長が来てからだ。
     起こすのは医者が来てからでいい。
     そのあとのことは、まずやってみてからの話だ。

 「V-てからでないと、~ない」という表現がよく使われます。

     まずモノを見てからでないと、何とも言えませんね。
     入会金を払ってからでないと、アクセスできません。

 それから、「Aのあと今まで(に)」「A以来ずっと」の場合も「~てから」
が使われます。

     勉強を始めてから、多くのことを学びました。
     生れてから、ずっとこの町に住んでいます。
     パソコンもウインドウズになってから、多少使いやすくなった。

 「AてからBまで」の形にもなります。

     小学校に入ってから大学を出るまで、ずっと机の前に座っていた。
小学校に入ってから大学を出るまでの16年間

 「は/も/より」などの副助詞をつけることもできます。

     来てからは/も  来てからさえ(も)  来てからより(も)  
ここに移ってからは、時間がゆったりと流れるようです。

こんにちは。以前書いたもののコピーですが。

48.4 V-てから
 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という
意味合いがあります。ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、
「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の
場合は、「~てから」の方がぴったりします。

     買物をしてから、映画を見ました。
     これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。
     歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝...続きを読む

Q「たら」「れば」「なら」の使い方

わかりづらいタイトルですいません。
実は日本語を勉強中の中国人から「たら」「れば」「なら」の使い方がわからないとの質問を受けたのですが、私自身明確な回答がだせません。
〔例〕
・雨が降れば、洗濯物が干せません。
・雨が降ったら、洗濯物が干せません。
・雨が降るなら、洗濯物が干せません。
このようにニュアンスが多少違う程度で、どれも同じような内容になると思います。
外国人に対してこのような場合の「たら」「れば」「なら」の使い方を説明すればよろしいでしょうか?

Aベストアンサー

「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の(1)、(2)、(3)のような違いがあると思います。ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。

(1)「れば」は、現在形の仮定です。この仮定は、普通の仮定です。
(例)気温が下がれば、寒くなる。

(2)「たら」は、過去形の仮定です。2つの用法があります。一つ目は、過去に起こったことに対する仮定です。すなわち、現実には起こらなかったことに対する仮定です。
(例)もし、彼が事故に合わなかったら...(実際には事故に合った)

もう一つの用法は、現在、または、未来に対する仮定です。この仮定は本来は、実際には起こる可能性が非常に低いこと(あるいは、感情として絶対起こって欲しくないこと)を仮定する場合に用います。
(例)もし、彼が死んだら、生きていけない。
(例)もし、空を飛べたらどんなに楽しいだろう。

(3)「なら」は、「動詞等終止形+(の)+なら」あるいは「名詞or名詞句」+「なら」として使います。意味的には、仮定というより、「~~の場合は」的な意味になります。
(例)赤なら止まれ、青なら渡れ。
(例)飲むなら乗るな、乗るなら飲むな。
(例)歩くなら良いが、走るならごめんだ。

以上の3つの違いを中国の方に説明する場合は、以下のような関係になると思います。

(1)「れば」=如果(ruguo)
(2)「たら」=万一(wanyi)
(3)「なら」=的時候(deshihou)

以上です。

「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の(1)、(2)、(3)のような違いがあると思います。ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。

(1)「れば」は、現在形の仮定です。この仮定は、普通の仮定です。
(例)気温が下がれば、寒くなる。

(2)「たら」は、過去形の仮定です。2つの用法があります。一つ目は、過去に起こったことに対する仮...続きを読む

Q「~になる」と「~となる」の使い分け

複数の人で手分けして報告書を作成しており、現在校正中です。
今悩んでいるのは、ある人は「~になりました。」と書き、別の人は「~となりました。」と書いているところがあり、報告書全体としては「に」と「が」が混在している状態なので、この表記の揺れをなくすために、どちらかに統一すべきかどうか、ということです。
「に」でも「と」でも全体の文意は同じのような気がするのですが、ニュアンスや文法的な違い、あるいは使い分け方法があれば教えていただきたいと思います。
よろしくご教示のほどお願いいたします。

Aベストアンサー

格助詞「に」と「と」の違いですね。この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。
「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。
「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」
「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。
「すったもんだの末、結局彼が村長となった。」
「すんなりと彼が村長になった」
あなたの会社の報告であれば:
「計算の結果予算は○○円になりました。」
「いろいろ審議を重ねて検討した結果○○円となりました。
また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。

参考URL:http://okwave.jp/qa1126103.html

Q「勉強する」と「勉強をする」などの「を」をつけるときのルール

ある英語圏の人の日本語学習の手伝いをしています。
「宿題をする」「勉強をする」などは英語の目的語の前に「を」という助詞をつけるということで理解してもらえました。
でも「もっと勉強しなさい。」というときのように「勉強する」「努力する」など、「を」をつけずに名詞+動詞で一つの動詞になることもありますよね。
「を」をつける場合と付けない場合、どのように区別するのですか。なにかルールはあるのですか。
また、「勉強をする」と「勉強する」の意味の違いはどのように説明したらよいのでしょうか。
カテがわからなかったのでこちらで質問させていただきました。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

・「日本語の勉強」をする。

・日本語を「勉強する」。

前者の文の伝えたいことの中心は日本語の勉強という動作の対象で、後者の文の伝えたいことの中心は勉強するという動作であるってことじゃないですか。

Q「〜がありますか?」と「〜はありますか?」の違い

お店に入って、店員に「Advilがありますか?」って聞くなんて不自然な日本語でしょうか?

そのセリフはどうしても間違ってる気はしますが、なぜ間違ってるかちゃんと説明できず困っています。

これは100%ミスですか?それとも、「Advilがありますか?」が正しい日本語の場合もありますか?

ご存知の方がいらっしゃったら是非教えてください。

Aベストアンサー

「ハ」と「ガ」の問題は非常にむずかしいので、簡単に決めつけることはできなことが多いようです。
「○○{ハ/ガ}ありますか?」の場合、個人的な語感では「ハ」のほうが自然です。
「ガ」を自然にするには先行コメントにあるような特殊な文脈が必要でしょう。
 日本語を母語にする人なら、そう考えるでしょう。
 では、特殊な文脈がない場合には「○○ガありますか?」が「間違い」なのか。それは別問題になり、そんなことを決めつける根拠はないはずです。
 当方の知る限り、外国人に日本語を教える教科書のなかには、これをOKにしているものが複数あります。不自然ではあっても、「間違い」とまでは言えないのでしょう。

 なぜそんなことになっているのかは不明です。非常に微妙な問題ですが、当方は下記のように推測しています。
【チャレンジ日記──「ハ」と「ガ」〈2〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.html
 長〜い話なので、以下は一部の抜粋(重言)。

  【テーマ例文】
  この近くに駐車場(  )ありますか。

【テーマ例文】の(  )に入るのは「ハ」か「ガ」か。
 これはコメント[0]に出てくる『Japanese for busy people I』にあるもの。コメント[3]に出てくる「華東師範大学出版の聴解の教科書」も、同様の例文を「ガ」にしているらしい。
 個人的な感覚だと「ハ」だと思う。でも「ガ」が間違いと言い切る根拠もない。つまり、自然なのは「ハ」。「ガ」は決して不適切ではないが、「ハ」よりもちょっと不自然。なぜそうなるのかは不明だけどさ。
 では、2冊の教科書?はなぜあえて不自然な「ガ」を使っているのか。
 理由は2つ考えられる気がする。
  1)何も考えてないホニャララ本だから
  2)学習者を混乱させないため

 1)の可能性が高いが、それではミもフタもないので、あえて2)と考えることにする。

●存在文だから疑問文も「ガ」にしちゃえ(←オイ!)
  1) この近くに駐車場(  )あります。
  2) この近くに駐車場(  )ありますか。
 
 1)は存在文(でいいのかな?)の基本形で、「ガ」が自然(「ハ」は不自然)。
 これを2)の疑問文すると、なぜか「ハ」が自然になる(「ガ」はほんのちょっと不自然)。
 理由を簡単に説明できるならするべきだけど、けっこう難問。だったらどっちも「ガ」で通したほうが学習者が理解しやすいのでは。
 教科書制作サイドがそう考えたのだとすると、ホニャララ本なんて失礼なことは書けない。

 ただし、存在文であっても下記の場合は「ハ」のほうが自然になる。5)あたりになると、「ガ」は不適切な気さえする。理由は不明。上記の教科書ではどう扱っているのでしょ。さすがにこれを全部「ガ」で押し切るのは無理だろう。
  3) この近くに駐車場(  )ありません。
  4) この近くに駐車場(  )ありませんか。
  5) この近くに駐車場(  )ありませんよね。

 個人的には、3)は否定文だから、という仮説を根深くもっている。存在文の「ガ」より、否定文の「ハ」のほうが強いってこと(ホントか?)。4)や5)が「ガ」になりにくいのも、「ありません」の影響だと思う。
 もしそうなら、〈存在文は基本的に「ガ」だけど、否定文は「ハ」になる傾向がある〉で済む。否定文ではない疑問文はどう扱うべきなのだろう。
 下記参照。
【授業はありませんか? 授業がありませんか? この2つの文章は自然でしょうか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1295608092

「ハ」と「ガ」の問題は非常にむずかしいので、簡単に決めつけることはできなことが多いようです。
「○○{ハ/ガ}ありますか?」の場合、個人的な語感では「ハ」のほうが自然です。
「ガ」を自然にするには先行コメントにあるような特殊な文脈が必要でしょう。
 日本語を母語にする人なら、そう考えるでしょう。
 では、特殊な文脈がない場合には「○○ガありますか?」が「間違い」なのか。それは別問題になり、そんなことを決めつける根拠はないはずです。
 当方の知る限り、外国人に日本語を教える教科書のな...続きを読む

Q現代日本語文法における「イ形容詞」の「-て形」とは?

タイトルの通りなのですが、いわゆるイ形容詞の活用における「-て形」は
具体的にいうとどういう定義なのでしょうか。

ご存知の方、ご教示ください。

Aベストアンサー

ご質問の内容に則して簡潔に回答いたします。

日本語教育の世界で、イ形容詞と呼ばれるものは、いわゆる国文法・学校文法の世界でいう形容詞です。

「て形」は、下に「て」がくっついた形で、「てform」とも呼ばれているようです。

したがって、「イ形容詞」の「て形」とは、
 「赤くて」
 「暖かくて」
 「嬉しくて」
 「悲しくて」
といった形をさすことになります。

ちなみに「ナ形容詞」は、国文法・学校文法でいう形容動詞です。

Q「感じる」と「感じられる」の差

自然を身近に感じる生活。
自然を身近に感じられる生活。

彼は怖そうに感じる。
彼は怖そうに感じられる。

景気は底打ちしたように感じる。
景気は底打ちしたように感じられる。


上記の例文のようなケースでは、「感じる」と「感じられる」にはどのようなニュアンスの差があるのでしょうか?

Aベストアンサー

「感じる」の方が「感じられる」より主観的、自発的要素が強いです。つまり、感じる主体に重きがある。
「感じられる」は、より一般論的な感じの時に用いる、一般的に自然とそう感じられるというニュアンスだと思います。

Q「作る」「造る」「創る」の違い

「作る」
「造る」
「創る」

上記3つの漢字の使用用途の違いは?

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

「作・造・創」は、いずれも常用漢字ですが、常用漢字には音訓表というものがあって、読み方にも制限があります(制限と言っても、使っては「いけない」ということではありません。常用漢字は一応の基準でしかありませんが、文章を書き表すときの指針ということはできましょう)。

その音訓表によれば、「作る」「造る」はありますが、「創る」はありません。「創」の読みとして常用漢字が認めているのは「そう」のみです。

それはともかくとして、「創作」「創造」「造作」などという言葉があるように、この3字は基本的には同じ意味です。一般的な使い分けとしては、

作る →→→ 主として小さなものを手作りする、また無形のものを作る、それと作物の場合に使います。詩(俳句なども)を作る、食事(料理)を作る、米作り、作り話、記録を作る、若作り、などが思いつきます。

造る →→→ 主として大きいもの、工業的なものを造る場合、規模の大きい場合に使います。船を造る(造船)、宅地を造る(造成する)、施設造り、荷造り、財産造り、などが思いつきます。

創る →→→ (上述のとおり、常用漢字外です)新たに創る場合に使います。神が宇宙を創(造/作)る(天地創造)、などが思いつきます。

なお、「街づくり」「体力づくり」「罪つくり」など、形の無いものは、一般に仮名書きが多く、それが無難でしょう。使い分けに戸惑ったら、仮名書きをお勧めします。

アドバイス : MS-IMEをお使いでしたら、このような場合、「つくる」と入力してスペースキーまたは変換キーを2回以上押すと、これら3つの使い分けが、簡単ながら示されます。参考にされると良いでしょう。例えば「せいさく」では、「製作」と「制作」の使い分けのヒントを得られます。ATOKその他にも同様の機能があるかもしれませんが、実用していないので不明です。

「物書き」のひとりです。

「作・造・創」は、いずれも常用漢字ですが、常用漢字には音訓表というものがあって、読み方にも制限があります(制限と言っても、使っては「いけない」ということではありません。常用漢字は一応の基準でしかありませんが、文章を書き表すときの指針ということはできましょう)。

その音訓表によれば、「作る」「造る」はありますが、「創る」はありません。「創」の読みとして常用漢字が認めているのは「そう」のみです。

それはともかくとして、「創作」「創造」「造作」など...続きを読む

Q「同じくらい」と「同じぐらい」とはどう違う?

いま、ある文章を書く依頼を受けています。
書いていて気づいたのですが、「同じくらい」と「同じぐらい」とは、どちらかが正しいのでしょうか?
また、なぜ2種類あるような印象があるのでしょう?

教えていただければと思います。

Aベストアンサー

通信社・新聞社の用字用語辞典(*)では、
助詞(副助詞)としての「くらい」「ぐらい」に触れていないか、あるいは用例のみを示すにとどまっています。
(*)時事通信、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞

唯一、『NHK ことばのハンドブック』には、以下の説明があります。
------------------------------
~くらい・~ぐらい
 「このくらい(ぐらい)の広さ」「10歳くらい(ぐらい)の子」
などの「くらい」「ぐらい」は,どちらを使ってもよい。
 以前は,次のような使い分けが行われていた。
(1) 体言には「ぐらい」が付く。
(2)「この・その・あの・どの」には「くらい」が付く。
(3) 用言や助動詞には,普通は「ぐらい」が付くが,「くらい」が付くこともある。

 「ぐらい」と連濁する場合はひらがな表記も濁音表記とする。
 〈例〉10歳ぐらいの子
------------------------------

以前は使い分けが行われていたが、現在は「くらい」「ぐらい」のどちらでも良いという説です。

手もとの国語辞典(*)には、どれも「くらい」の主見出しで名詞の「位」と、そこから転じた副詞(副助詞)の「くらい」の解説がありますが、ほとんどは『「ぐらい」とも』としています。「ぐらい」は参照見出し(空見出し)になっています。
(*)新明解、広辞苑、岩波、大辞林、明鏡

『明鏡国語辞典』だけは、「くらい」の項の最後に以下の説明がありました。
----------------------
[語法]
「くらい/ぐらい」は、今は区別なく使うが、伝統的には、体言には「ぐらい」、コソアド系の連体詞には「くらい」、活用語には「ぐらい」「くらい」ともに付いたという。
----------------------

結論として、
伝統的には使い分けがあった。
現代語ではどちらを使っても間違いではない。
というのが、事実上の正解でしょう。

現実には、個人の言語感覚によってかなり差があると思います。年代差や地域差もあるかもしれません。


ここまで書いて、以前別の場所で同じような話があったことを思い出しました。

『きょうのことばメモ』
  〔早稲田大学の飯間先生(日本語学)のブログ〕
http://yeemar.seesaa.net/article/14552277.html
「くらい」の清濁 2006年03月09日

「以前は」「伝統的には」というのは、江戸時代の頃のようです。

通信社・新聞社の用字用語辞典(*)では、
助詞(副助詞)としての「くらい」「ぐらい」に触れていないか、あるいは用例のみを示すにとどまっています。
(*)時事通信、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞

唯一、『NHK ことばのハンドブック』には、以下の説明があります。
------------------------------
~くらい・~ぐらい
 「このくらい(ぐらい)の広さ」「10歳くらい(ぐらい)の子」
などの「くらい」「ぐらい」は,どちらを使ってもよい。
 以前は,次のような使い分けが行われて...続きを読む


人気Q&Aランキング