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先日、老人との対話。
「ゼロ戦ていうのは復員してから初めて聞いたんだよ」
「そうなんですか」
「そーだよ、極秘扱いで一般の人はみんなしらなかったんだよ。
新聞でも報道されなかったんだ。」(別の老人)

これは本当なのでしょうか?
ゼロ戦という名前も知らされなかったのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

そんなことはなかったですよ。

私は子供でしたが、無敵の戦闘機ときかされてましたよ。描く絵といえば武蔵や大和のような戦艦とゼロ戦のような戦闘機ばかりでした。
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戦時中が軍機密扱いだったので新聞報道などでは「海鷲」と呼ばれていたそうです。



ちなみに「ゼロセン」はアメリカ軍の呼称です。日本軍は「レイセン」と呼んでいました。
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ゼロ戦は、アメリカ軍のコードネーム「ゼロ」「ゼロファイター」からきていますので、当時の日本人が「ゼロ戦」の名前を知らないのはあたりまえのことです。


日本では、「レイ戦」とか、「零式」とか呼ばれていました。
当初は、名前を意味も無く秘匿していましたので、一般人に名前が広がることは少なく、陸軍の一式戦闘機(隼)に比べ、知名度は低かったようです。
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戦時中は


「れいせん(零式艦上戦闘機)」
と、日本人は言っていました。
日本の世界最強戦闘機として宣伝されてましたが、
ゼロ戦と呼ばれるようになったのは、
戦後、
米軍さんの「ゼロ(ZERO)・ファイター」という呼称が
逆輸入されて翻訳されてからです\(^^;)...


zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
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極秘では無いと思います。

僕のオヤジは機体をつくってましたし、別に普通の工員でした。
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私が現在居住してる地域(北関東)に三菱重工の戦闘機工場跡地があります。



現在、工場跡地は陸上自衛隊の駐屯地になってますし、戦闘機飛行場跡地は工業団地になってますが、戦時中に工場動員してた年配者の話では三菱重工の「零式戦闘機」などを造ってたそうですから、米軍の攻撃を何度も受けたそうです。

当時の人達は「ゼロ戦」とは言わず「零式(れいしき)戦闘機」と呼んでたそうです。

なお、私の父親(健在なら101歳)は軍需工場の技師でしたから、かなりの軍事機密的な情報を知ってましたが、現在も健在中の「老人?」の80歳代から90歳ぐらいは、戦時中は20歳前後の若者だったでしょうから、重要な情報は知らされてなかったのでしょう。
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今ほど情報が溢れていたわけではありません。



うちの親はまだ子供でしたし、超ド田舎 センソウってナニ?状態に近いです。
電話も、に1台ぐらいでしたし、ラジオも全家庭にあったわけでもありません。

情報統制もクソも、情報そのものが末端まで行くのに相当な時間の掛かる時代です。

戦意を鼓舞するために情報を流した物以外の、兵器情報というのはさほど回らない物と思います。
ですから、新聞で報道されたとおり、「海軍の新型戦闘機」なのか、「零式艦上戦闘機 略してレイセン」ぐらいになるんじゃないでしょうか。

陸軍の統制で、外来語は敵性語として使わない方向にありましたからね。
「ゼロ」は英語 外国語ですから。

ちなみに、躍起になっていたのは陸軍であって、海軍は割と英語を使っていたそうです。
ですから、海軍では「ゼロ戦」も通じます。
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私の亡父は赤紙が来るまで中島飛行機大川工場で海軍の飛行機を作っていました。

特殊溶接の技術者でした。
亡父は零戦の事を「A6M」と呼んでいました。
最初は何のことか分りませんでしたが、正式な機体の名称だそうです。

その零戦も亡母は「新型戦闘機」と呼んでいました。
一般には公開していなかったので、新聞等で「新型戦闘機」と言うのを知ったらしいです。

ちなみに亡父は亡母の家に下宿して(叔母の家です)いましたが、飛行機の事は一言も話さなかったそうです。
機体の名前は部外秘だったのでしょうね。
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「 海軍新鋭戦闘機 」として写真は何度も公表されていたはずです。



修正はされていましたが。

正式に公表されたのは、昭和19年11月23日 朝日新聞紙上てだそうです。

Wikiにすら掲載されています。

零戦でもゼロ戦でも両方使用されていたそうですよ。でも、略す場合も、レイ戦ではなくレイ艦戦が正しいです。
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ゼロ戦は採用当時は機密でしたが、1944年には公表されています。


戦時中とは言えど最終的に一万機生産された機体の存在を隠蔽することは不可能です。
なお「ゼロ戦」との呼称は1944年の新聞記事でも確認されており、また坂井三郎など当時の証人も戦時中から使用していた事を証言しており「米軍のゼロファイターが戦後に転じてゼロ戦になった」とするのは俗説です。
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