一回も披露したことのない豆知識

 食事後、そんなにたくさん食事したわけではないのに、お腹が苦しくていられないくらい胃が張ってしまうことがあります。(ベルトをゆるめても苦しくかんじるくらい張っている感じがします。)多少太って
お腹は出ているほうなのですが、昔、若いときはこんな感じはなかったようにおもいます
また、同時になぜか、動悸を強く感じ息苦しい感じがします。
 精神科でパニック障害と診断されて抗不安薬をのんでいるのですが、精神的不安で動悸がするというのはなんとなくわかるのですが、精神的ストレスで腹が張り動悸がすることはあるのでしょうか?
 また、そうだとしたら、なぜそうなるのでしょうか?
おなじような経験のあるかたおしえてください

A 回答 (2件)

人間は『意識する自分』に身体の事や環境の事や行動に付いて。

フェードバックして知らせてくれる機構が備わっています。お腹がすいた事を『自分の意識』に知らせる機構です。

或は寒い時には、暖かいところや、温かい飲み物を求めさせる機構です。或は暑い時には汗を流したり、冷たい飲み物を求めさせたり、涼しいところを探すように『自分の心に』求めさせているシステムです。

普通の場合では、何も考えずに(違和感を抱かないで)その指示に従っていて、当たり前と思っています。自分の行動なり身体に感じている事に違和感を抱かないでいます。

そういった自分自身の心に違和感を感じない場合を『健常者』と呼んでいます。

処が『自分自身に敏感な場合が在ります。』そういう人の事を、神経質な性格とか、不安になり易い性格と表現しています。

ではそういうことが何故起きているのかを、人間の脳の構造から説明してみます。人間のいわゆる『心』と言う場合では『左脳に存在する意識』の事を行っていますが、『右脳にも意識が存在しています。』この右脳の意識が如何いうものかが分りやすく表現できている動画が在りますので、参考にして下さい。

是は脳科学者が、脳の血管の障害によって左脳に障害を受けて、右脳に存在する自分を働かせている意識を感じている動画です。普通仏教などではこの体験を『悟る』と表現します。自分自身を働かせている意識『仏性』との出会いです。キリスト教では『神』と表現している者です。

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この右脳の意識は『命そのものの維持装置として働いている意識』ですが、『裏方として働いているために、自我意識の前からは、姿を隠しています。』その姿が完全に見えない、或は感じない、或は気付かない場合を『健常者』と表現しています。

この意識に気が付いた場合を『神経質な性格や不安になり易い性格』と表現しています。その意味は『自分自身に敏感』と言う意味です。

右脳の意識の働きをもう少し詳しく書いてみます。

右脳の意識は『永遠で出来ています。』左脳の自我意識は、言葉を持つようになって、言葉での表現を発達させて来たために、物事を分別機能によって割り切って考えるようになっています。物事を割り切れる面によって解明する機能です。この限定された機能によって、『自我意識が有限の壁の前で、有限の壁を超えられないで、苦しむと言う現象が起きています。』

右脳の意識は、元々生まれる前から備わっている働きそのもので出来ています。生命として生じた瞬間から働き始めている意識です。その働き始めが、細胞分裂です。

そして、誕生した瞬間から、『何も学ぶ事無く、喜怒哀楽や、心臓も肺もホルモンも、手足が動く機能をも、既に持っています。』この機能は『自我意識には測る事が出来ない機能です。』この機能を『命の働き』と表現しています。

そうしてその機能は『右脳が担当している』と言う意味です。

神経質な性格や不安になり易い性格と言う場合には、右脳の意識に敏感に反応していると言う意味になります。

禅という場合で『見性した。』と言う場合では『自分自身を働かせている意識に出会う事』を意味します。その結果を『生死の問題が解決した。』と言う表現方法を取っています。

キリスト教においては『神と和解する。』と言う表現方法です。その意味は『内在する、識られざる自身の右脳に存在する意識』と和解すると言う意味になります。

右脳の働きは生命維持装置として働いていますので、赤ん坊としての表現方法を取るなら『何も学ぶ事無く、喜怒哀楽や、心臓も肺もホルモンも、手足が動く機能をも、既に持っています。』と言う意味になります。

この喜怒哀楽と言う機能に気が付いた場合では『心を病む』と言う障害が生じます。湧き上がる感情や考えに『自我意識が違和感を抱く』という意味です。

この心臓も肺もホルモンも、と言う場合では身体の機能としての生命維持装置全体に違和感を抱くという意味になりますので、『自律神経失調症や、過敏性腸症候群や、難治性の心身症』を生涯にしてしまう事を意味します。

この、手足が動く機能に違和感を抱く場合では、自分の取った行動や、これからする行動に違和感を抱くという意味が有りますので、強迫観念や行動出来なくなったり、手や足が自由に動かない障害になって現れます。この場合を『神経症』と表現しています。


一人の人間としての全人格的な活動が『人生』を形成する事から、この三つの障害に分類する事は未だ完全では無いかも知れません、その意味はこの三つの間にははっきりした壁がないからです。言葉を替えて表現するなら『そういう場合では、互いに密接な関係から成り立っているために、この三つが同時に起きるかも知れない事も意味します。』

質問が在るなら具体的に表現していただけるなら、したいと思います。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございました。
回答は非常におくが深いお話ですね。
腹部の満腹感の動悸に関しては、最近仕事環境を変えたところ、やはり消失される傾向がみられました。
やはり、精神的ストレスが起因していたように思います。

お礼日時:2012/07/04 17:37

胃の検査とかされたのでしょうか?



逆流性食道炎などでも膨満感が出ます。または食事の際、必要以上の空気を一緒に飲み込むとやはり膨満感が出ます。

動悸に関しては膨満感に対して必要以上
に不安感を持ち、パニックのようになった可能性があります。

ちなみにそのようなパニックとパニック障害の発作は違うものです。

ただ、どちらも神経症的性格の人がなりやすいです。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが回答ありがとうございます。
おっしゃるとおり、不安感から動悸がすすんでいるように思います

お礼日時:2012/07/04 17:34

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