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作品内部の要因としての読者=聞き役としての「虚構の読者」は、現実の読者とどのように異なりますか。(cf.  W..イーザー説らしいです)
ご存知の方、教えて下さい。

A 回答 (2件)

まず、言葉は言葉である限り、音声言語・文字言語の違いに関係なく、《語り手》と《聞き手》の中間に介在していますよね。



すると、物語・小説等における「作品内部の要因としての読者=聞き役」の最も一般的な例としては、主人公と脇役の《会話》の場面において、脇役が「読者=聞き役」の役目を果たしていることが挙げられるのではないでしょうか。

これをさらに拡張していけば、作品(物語・小説等)内部に《語り手》と《聞き手》が登場し、作中に小説家と読者の《会話》が成立することになり、逆に凝縮させれば、《語り手》が内なる他者としてのもう一人の自己を《聞き手》にした《会話》、つまり、自問自答としての《会話》が成立するのではないでしょうか。

その結果、前者はより《小説中小説》や《劇中劇》の様相を呈するとすれば、後者はより《独白体小説》の様相を呈することになります。

ということで、「虚構の読者」とは、小説・物語世界においては、主人公という《語り手》の《聞き役》となるように、「現実の読者」とは、現実世界においては、作者という《語り手》の《語り手》となると言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そういう意味だったのですね、そこのところが理解できずに悩んでいました。心より感謝致します(^。^)y-~

お礼日時:2012/05/08 15:19

No.1ですが、末尾の部分について、下記のように訂正させていただきます。



(誤)作者という《語り手》の《語り手》となる
↓   ↓   ↓
(正)作者という《語り手》の《聞き手》となる
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます!

お礼日時:2012/05/08 15:24

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