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あの有名な般若心経の中に在る言葉『色即是空、空即是色』の意味を『空』の文字を使わずして論じた文章を見つけました。そこで此処に挙げてみます。
「物心不二観
主観の心象と客観の物象とは、本(もと)同一絶対観念界の故に、主観は能(よ)く客観を寫象し再現し得(う)。全く本質にして相ひ乖違(かいい←そむきたがうこと)するならば認識を可能ならしめざるべし。自ら之を実験(←実体験のこと)するに甚(はなは)だ、然らざるべからざるを信ず。(然らざるべからざる←分かりずらいですが強調した表現、かと思います)
然(しか)るに何故(なにゆえ)に主観客観は同一の本質が相ひ反対せる二現象となるや。答へて、能観の心と所観の物質とは、本(も)と一体を両方面より見たるものなりと云ふ事を得べし。如何(いか)にとなれば物体は外面より之を認識する事を得るも、主観は自ら観ずる外に之を識る由(よし)なし。然れば自己の内面は心にして外面は物質なり。
他の(←他者の)内面は之を意識するに由なきも、理に於いて一致すべき必然の規律あれば、他も自己と同じく内面は精神なり。此の理はすべての有機物を以て現存にまで推理する事を得。故に一切の外観は物質にして内面は心霊なりとすれば、能観と所観と、現存と意識とは同一の本質にして、内面の動機、外面の因果と現るる同一の活動を、二面より見たるに外ならず。
主観と客観とは同一の絶対観念態の内外二面の現象なりとせざるべからず。
故に主観客観は相対的規定の人間の方面より見たるものにして、本来一大観念たる物心不二なり。
之を色即是空空即是色と云ふ。物質が内観すれば観念にして、観念を外観すれば客観なり。故に同一観念態の内外二面なり。此の統一を絶対観念態と云ふ。故に全宇宙は全体客観物体なると共に、全体観念界なり。」
☆ どうでしょうか。
『空』が意味する処の概念はこれまで多くの方々が“研究”されて、各界で発表されていると思いますが私が接したものは何れも、もう一つ判然としないものばかりでした。『空』の概念がどうもつかめないのです。
でもこうして、「“色即是空空即是色”とはこのことである」とはっきり示されると、これまでのもやもや感がいくぶんか、すっきりとしてきたように思うのです。
また今回心に残ったのは「内面の動機・外面の因果と現るる同一の活動」という言葉です。
皆様はどう思われますでしょうか。
ご意見など頂ければ、と思っています。
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No.10
- 回答日時:
ど~もです。
お礼、感謝です。
☆☆☆
でも、
「おろろろろ~、
予想していたのと、違うぞ~」
って感じです。
予想は、
「《華厳四観》と似てますね」 or 「《物心不二観》に似ていますね」
だったんだけれどなぁ~
☆☆☆
《中正と両極端の分別》(中辺分別論)の冒頭の詩頌(しじゅ)。
虚妄(こもう)なる分別はある。
そこに二つのものはない。
しかし、そこに空性が存在し、その中にかれが存在する。
僕自身、この詩頌の意味を理解できていないから、説明とかしたくないんだけれど、
《知られるもの》とは、客観、表象、観念、、仏教用語で言うと《所観》《所取》、《心象》。
《知るもの》とは、主観、《能観》《能取》。
《虚妄なる分別》とは、《能取》と《所取》を生み出す、《分別》する心というか、心の作用みたいなもの。
で、《分別》に《虚妄なる》つまり《真実でない》とついているのは、
《煩悩で汚れているから》という意味。
つまり、
主観と客観の対立構造を有する(迷いの)心、つまり、《虚妄なる分別》は、確かにある。
でも、主観と客観は、迷いの心《虚妄なる分別》が作り出したものだから、本当にあるわけではない。
主観と客観が実在するわけではないのだから、《虚妄なる分別》も実在するわけではない。
でも、主観と客観は因と縁で生み出される仮の存在として存在しうるから、《虚妄なる分別》も(仮の存在として)存在する
みたいなことを言っているらしいのよ。
紹介した詩頌は、まさに唯識・瑜伽行の観法そのものなの。
《虚妄なる分別はある》《そこに二つのものはない》だけで、少なくとも、華厳四観の第三番目の○○物(仏)心観まですべて説明している。
このことに気づいてほしかったんだけれどなぁ~。
偉いお坊さんの怖ろしく難解で、長たらしい説明よりも、
虚妄(こもう)なる分別はある。
そこに二つのものはない。
しかし、そこに空性が存在し、その中にかれが存在する。
の方が簡潔で、分かりやすいと思うんだけれどなぁ~、僕。
ちなみに、この詩頌を使うだけで、大乗のほとんどの教義が説明できてしまうというとっても有難い魔法の呪文なのよ。
般若経や中論の
「無であるから、有であるから…」
知られるものが知るものは、(本当には)存在しないから、《無》である。
(迷いの世界では)《虚妄なる分別》が存在するから、《有》である…
と読みとくことができる。
空の、ある意味でどうでもいい、不毛な形而上学を繰り広げるよりも、認識論的にとらえた方が建設的だと思うのよ。
観法、禅を含めて、所詮、人間は認識の中でしかものを捉えることができない。
それならば、いっそ、最初から、すべてヨーガを含む広範な意味での認識論にすべてを還元した方がよい。
それが(インドの)大乗仏教の最終到達点なのよ。
この(インドの)叡智を信じるかどうかは、あなた自身です。
僕は、「結構、いい線、いっているな」と思うけれどさ。
この回答への補足
今度の土曜日に、なるたけまともなお礼文を書き込みたいと思います。
あまり自信はないけど。
注目点は「主観と客観は迷いの心が作りだした物だから本当にあるわけがない」と云っている所です。
「迷いの心」という表現にNyaさんが、どんな思いを込めているのかを知ることも、私には重要な事のように思っています。
また「本当にあるわけがない」と云っている所には疑問を感じてもいます。
でも核心部分は共有できそうで・・・・・。
たぶん私は無知ゆえに白紙の状態で、この質問で取り上げた“文章”に接しているのでしょう。だから抵抗なく、違和感なく、分からない所も含めて“異議なし”と受け入れられるのだと思います。
ありがとうございました。
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No.9
- 回答日時:
どうもです。
☆☆☆
空の意味ですか?
僕が思うに、《空》をもっとも分かりやすく説いたのは
虚妄(こもう)なる分別はある。
そこに二つのものはない。
しかし、そこに空性が存在し、その中にかれが存在する。
です。
意味ですかぁ~?
「知られるもの知るものと(の対立)を分別する《虚妄なる分別》は存在する。
《虚妄なる分別》に、知るられるもの、知るものは、究極的には実在しない。
《虚妄なる分別》に空性(知られるものと知るものとが否定されている状態)がある。
空性の中に、《虚妄なる分別》が存在するのである。」
実に簡単でしょう。これに《空》《色即是空》《空即是色》のすべてが説かれている。
☆☆☆
実は、全然、分かってないんだ。何気な~く分かるような気はするんだけれど、雲を捕まえるようで、どうも分からない。
唯識の根本典籍の一つである《中正と両極端の弁別》(中辺分別論)の冒頭の詩頌なんだけれど、これの意味を理解できさえすれば、頭だけで大乗の《空》をつかめるはずなんだ。でも、できない。
もっともらしい説明をしようとすればできないことはないんだけれど、たぶん、僕の解釈は間違っている。
なので、これ以上、説明しません。
おそらく、《色即是空》は《そこに空性が存在し》に該当し、《空即是色》は《その中にかれが存在する》のはずです。
この詩頌(しじゅ)の意味が分かったら、よろしくです。
よかったら、君の解釈、聞かせてよ。
《その中にかれが存在する》がどうしても理解できないんだよなぁ、クッソ~!!
☆☆☆
最近、思うのだけれど、
仏教に《空》なんて必要なんだろうか。
《諸行無常》(一切の形成されたものは無常である)で事足りるのではないだろうか?
この回答への補足
ひとつ前の質問で取り上げた“物心無寄観”に、「宇宙は本来絶対観念にて、宇宙自体は絶対にて主観とか客観とかの相対的のものに非ず。但し・・・・・」とありますが、『空』をどのように解釈すればいいのかのヒントになるような気がしています。
大昔は今ほど言葉の用語も多くなく、『空』を使わざるをえず、真理を顕わす為に「色即是空空即是色」と八文字を使いましたが、現代では「物心不二」の四文字で良いのではないかと思っています。
現代人は「物心不二」と説明された方が納得しやすいのではないでしょうか。
イメージとしては占い師が使う『大きな水晶の玉と、その中に現れる映像』が“絶対観念”。
でも相対的現象として存在する人間は、其れゆえに“他者”が(あるいは他者も)存在(現象)する(あるいはしてしまう)のだと。
『空』を使った説明はかえって解かりにくくしていると思うのですが。
回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
>「 」←? なぜ「 」が必要ですか。
本来は無い筈なのに。 残念。スペースとenterだけじゃ。システム上回答できないので必要でした。
空欄の真ん中にぽつんと「・」を打ったら、「空」を表現したことになるんだろうか。
回答No.11のお礼欄をぜひ読んでみてください。
ありがとうございました。(2012/6/9 5:53)
No.7
- 回答日時:
やあ。
確信犯の痴漢常習者君、お久しぶり。
生命の全一性と係るのだろう。
全一ゆえである。
その一言だよ。
Flareonさんがどうしてブラジュロンヌさんに対しては、従順であるのか、いや、そうなってしまうのか、それを考えると不思議だ。
ブラジュロンヌさんの「意志力」がそうさせるのだろうか。
負けているの?
回答No.11のお礼欄を見ていただけますか。
回答ありがとうございました。(2012/6/9 5:49)
No.6
- 回答日時:
三種の般若の区別からすれば
上記の御文は観照般若に入ると思われます。
以下、窪内密雄師の「般若心経の味覚」からの抜粋です。
実相般若
観照般若
文字般若
実相般若と観照般若とは表裏一体をなすもので別個に存在するものではなく
前者は宇宙的な絶対の真理そのものであるが、後者は人為的な働きによる(観察)の知恵である
故に実相般若は所観の現象であり、観照般若は能観の知恵である
文字般若とは、実相、観照の両般若を説明するために言語文字で示す智慧
・・・般若心経は文字般若の代表的宝典・・・
上記の文からですが
実相が真理であるという事を明らかにする知恵を般若という
だと思います。
行深般若波羅密多・・・瞑想の深い境地において
色即是空・・・・・・・・・・現象とは、そのまま真理そのものである
だと思います。
ご参考にしてください。
この回答への補足
窪内密雄師と云う御方を知りませんが、“現代”の御方の様ですね。
回答を見ると、この御方は実験(←実体験)した事を言葉に顕わしていると思いました。
ありがとうございます。
窪内密雄師いついて、学んでみます。
解答No.11のお礼欄をどうぞ見てくださるようお願いいたします。
ありがとうございました。(2012/6/9 5:32)
No.5
- 回答日時:
空について色々と言われていますが、難しく考える必要はありません。
原始仏教の阿含経、大般若経の般若波羅蜜にはすでにブツダ自身が空の意味が説かれているのです。【空とは幻覚(夢・催眠)という意味です。】
参考までに阿含経・大般若経から空について説かれた一部を抜粋してみました。
阿含経より------------------。
*********************************************
『一切の衆生は皆死に帰す。一切は変異の法にして、変異せざらしめんと欲
することあたわず。大王まさに知るべし。人身の法はなお雪の如し、壊に帰
すべし。また土器の如く、壊に帰して久しく保つべからず。また陽炎の如
く、幻化、虚偽にして真ならず。空拳を以て小児を脅すが如し。』
(阿含経)
**********************************************
『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者、滅する者是れ幻化にして真実
有ること無ければなり。』
(阿含経)
**********************************************
『今、無上の功徳を聞けり。我れ聞きて大いに歓喜す。牟尼の弟子に順い、生死の長期の虚偽、幻化の束縛を滅せり。よく諸愛を断除し、生死の彼岸を渡りてまた諸有をうけず。』と。(阿含経)
**********************************************
大般若経より------------------。
**********************************************
『舎利子、譬えば幻師或いは彼の弟子の善く幻法に於いて種々五妙の欲具を幻作し、中に於いて自ら恣(ほしいまま)に共に相娯楽するが如し、意に於いて云何、彼の幻作、実有りと為すや不やと。』
*********************************************
『善現、意に於いて云何。色と幻と異なり有りや不や。善現答へて言く、不なり世尊と。何を以ての故に、色幻に異ならず、幻色に異ならず、色は即ち是れ幻、幻即ち是れ色。受想行識も亦復た是の如し。』
**********************************************
ご参考までに。
この回答への補足
ここに紹介していただいた「経」が現代の(明治から大正にかけて)文章になって顕わされたと、受け止めているのですが?
ありがとうございました。
「幻」という言葉の持つ“魔力”
仏教に心惹かれる人には魅力的な表現なのかもしれません。
でも“誤解”が発生するのでは?
「幻」という表現は、もしかすると宇宙の本体が「観念態」故、使われたのかも知れません。
どうぞ解答No.11のお礼欄を見てくださるようお願いいたします。
ありがとうございました。(2012/6/9 17:26)
No.4
- 回答日時:
どうも私にはこの文章は当たり前のことをやたら古めかしい言葉を使って複雑難解にあらわしているようにしか見えません。
私も何かと縁があり、座禅会に参加する機会をいただいていますが…
仏教は我々の人格をより向上させるものであり、我々の日々の生活や人生で直面する難関の際にこそ役に立つものと伺っています。
しかし、このような難解な言葉を追い回してみたところで、畳の上の水練、道場稽古と同じで、果たして実際の生活や正念場にぶつかったときに、役に立つのだろうか、と思い悩むことがありますね。
まとまりのない所感で恐縮ですが、以上です。
この回答への補足
当たり前のことを言っている、との感想いいですね。
文章が伝える真意を理解しての感想とは思ってはいませんが、yamohiroさんの人柄が好ましく思えてしまいました。
ありがとうございました。
ある日、だいぶ前の事ですが人の心は神や悪魔と繋がっているんだ(同質)と思うようになって、それからは人の心の好ましい世界(良心=優しさとか、思いやりとか)は神のこころの反映なのだと気づき、その心を育てる事が神、仏の御心にかなうことだと知りました。
此れだけでも精神的安定は得られましたが、宇宙とは?なんて哲学的疑問が解消されると云うことは、心の安定と云う意味で大いに実生活に役立っています。
どうぞ解答No.11のお礼欄を見てくださるようお願いいたします。
ありがとうございました。(2012/6/9 17:17)
No.3
- 回答日時:
「空」は概念ではないので、いくら考えても絶対に理解出来ません。
仮に「空」を理解出来たと思ったなら、それは「決定的な勘違い」が心の中に生じた、と考えるべきです。「空」とは「理解するもの」ではなく「理解を超える事」なのです。物みな空なり空こそ物なり、存在に実体無し、全ては心の現れだ、世界は評価だ、宇宙は意識そのものだ、真理とは「 」だ・・・みたいな感じで、何とでも言う事は出来るのですけど、これらの言葉は何も意味して無いですし、何らかの理解を促している訳でもありません。「何処か」をゆび指している様にも思えるけれど、実際には「人の心」をゆび指しているのです。
質問者様が引用した文章は「理解を促す為」に書かれたものでは無くて、「物と心は二つに別れている」と見なす、人類の認識に特有の錯覚、迷い、煩悩を指摘しているのです。錯覚を錯覚と理解すれば、物と心は二つに別れていると見なす事はなくなります。引用文を書いた方の狙いは、そこにこそある訳で、優れた方便とは、押し並べてこの様なものです。
質問者様が「これまでのもやもや感がいくぶんか、すっきりとしてきたように思う」のは、空性についての情報を整理し、理解を深める事が出来たからだと思いますが、残念ながら、それは「理解した気になれた」というだけの話でしかありません。引用文を書いた方は、質問者様の心を直々にゆび指しているというのに、あなたは「ゆび指していると思った方向」を見て、何かを理解した様な気になっているのです。心に残るとか、心に響くとか、そんな事は問題ではありません。
“高嶺の月”はどこから見ても満月とか三日月とか、同じように見えますが、富士山は視点が違えば姿の違いに気づきます。
宇宙の本体、あるいは真理なるものは視点が違うと姿が違うのでしょうか。
高嶺の月、よりも遥か高嶺にある“真理”なるものにいろいろ解釈が在るのは、視点の違いもあるかもしれませんが、其れよりも見る“眼”が、それぞれだからかと思うのですが。
複眼をもつトンボはこの世界をどう見ているのでしょう?
解答No.11のお礼欄をどうぞ見てくださるようお願いいたします。
ありがとうございました。(2012/6/9 16:55)
No.1
- 回答日時:
月並みの答えですが
私がならった解釈では
空 とは宇宙全体(因果律と仏法真理が貫かれている宇宙の実体)
色 とは私たちの内面世界・精神と、それが認識し感じ、触り見れる世界
色即是空空即是色 とは 梵我一如
ブラフマンとアートマンの合一 を さとることでは\(^^;)...
この回答への補足
Kusirosiさんの現在の『空』観を以って、この質問として掲げた文章に接した場合、どんな感じがしますか。
まったく受け付けない、といった感じでしょうか。
現実感がありすぎて、却って遥か彼方の悟りの世界を説いているようには思えない、と云った感じでしょうか。
回答、ありがとうございました。
空=観念
こう受け止めてみるのはどうでしょうか。
解答No.11のお礼欄を見てくださるようお願いいたします。
ありがとうございました。(2012/6/9 16:40)
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