最近、いつ泣きましたか?

ディベート
容姿が美しい人は楽な生活を送っている。というテーマで否定側をやることになったのですが、なかなか良い根拠が思いつきません。何か良い根拠があったら教えてください。

A 回答 (2件)

そもそも「楽な生活」とはなんなのでしょうね。


主観的なものなんでしょうか、それとも人と比べた相対的なものなのでしょうか。
どっちなんでしょうね。

私は、主観的な「楽」とは、主観的なものだと思います。

そういう観点(「楽」とはあくまでも主観的な感覚)でいけば、他人に容姿が美しいと言われていても、自分は不幸で苦しいと感じて自死を選んだ人がいることでも、テーマを否定できるのではないでしょうか。

また違った観点で、「美しさ」を道具と考えて、だれもが自分の武器を上手に活用できるものだろうかという論点もうみだせる。

「美しい愚者は楽な生活を送れるか」という論点も生み出せるのではないでしょうか。
その論点から、楽が相対的なものだと設定しても、肯定派を論破できるとおもいます。

参考にしてください。
    • good
    • 0

「容姿が美しい」に関して、天然で美しい場合と人工的に美しい場合がありますよね。


ディベイトの戦略として、人工的に美しい部分だけにフォーカスしてみてはいかがでしょうか。

フォーカシングが成功すると、人工美を維持するために毎朝化粧に時間がかかるとか、あまたある化粧品の中から自分に合う化粧品を選択する試行錯誤が大変だとか、人工美といっても万人向けの人工美はありえないので、ターゲットを絞り込み、そのターゲットに合わせた化粧をするのに神経をすり減らすとか、もっとひどい例で人工美を追求するために美容整形手術をした人々は美容整形が崩れることを恐れてながら人生を送らなくちゃならないなどなど、屁理屈を展開する可能性が出てきますね。

フォーカシングが失敗して天然美の話しになってしまった場合のバックアッププランが必要になりすね。
この場合は苦しくなります。
私だったら天然美とは「磨けば光る原石」理論で、対偶を取ると「磨かなければ光らない」ということになりますので、天然美の上に人工美を乗せた人だけが「容姿が美しい人」と言えると主張してみますかね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!