いちばん失敗した人決定戦

たとえば知人の家を訪ねる状況を想定します。

「手土産なんていいから、手ぶらで来て」
「私はこれだけでいいから、あとはぜんぶあなたが食べちゃって」
「あなたは座っていて。何もしなくていいから本当に」
「もう帰るの? 泊まっていきなさいよ遠慮せずに。いいからいいから」

これらのような言葉を真に受けてしまうと、相手の感情を損ねてしまう。これは多くの人に経験があるのではないでしょうか。

しかしなぜ、これらのような、真意とは逆の言葉をわざわざ言うのでしょうか。その理由が、よくわかりません。私が気づいていない合理的理由があるのでしょうか。教えてください。他の状況も含める一般的な理由を知りたいです。

「人間関係の潤滑油」という意見もあるでしょうが私は賛成できません。本来、わざわざ言う必要がない言葉だと思うからです。

「私はこんな言い方はしない」というご回答ではなくて、こんな言い方をする人の気持ちになってご回答いただければと思います。

A 回答 (15件中11~15件)

日本文化は、集約農法的なジャポニカ米稲作農耕文化の


集団主義や協調性と、固定的なコミュニティの島国文化の
遠慮や腹芸といった日和見的性格の重なった、世界でも稀な
抑制的自我の特質があります。

そこでは、最小限の主張と、最小限で察するという「以心伝心」
や、人と同じ事をする事で社会を維持する「出る杭は打たれる」
といったモラルが確立されています。
否定する時も「Noと言えない」で、「検討します」と消極的反応を
見せる事で、『あなたの心情も思いやってますよ』という姿勢をも
同時に表現する訳です。

アメリカが同盟国日本よりも、さんざん言いたい事を言う中国人
の方にシンパシーを感じがちで、逆に日本人には「何を考えて
いるか分からない」という評価を下すのも、これに由来します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しかし、主張を最小限にしたければ黙っていればよいのではないでしょうか。わざわざ逆の意味を言う目的がわかりません。

お礼日時:2012/06/09 00:44

そうした会話状況では、まず、こういうことを言う人なんだなと相手に受け止められ、


つぎに、相手はどういう返答をする人であるかが見定められる、というのが、
言葉のつとめる仕事であって、
真意と逆というよりは、真意は別次元なんでしょう。

もしも、この遠慮という名のご挨拶と品定めの時間を節約したいなら、
あなたの評価をうんと下げさせるか、ぐんと上げさせるような返答がさらに必要になりかねません。

そんな繊細な技術を使った会話は面倒くさいに違いないですから、
定石にのっとって、遠慮を示されたらこちらも遠慮を示すという態度で終わりにする手が一般的でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
つまり、品定めという名のテストで、遠慮という正解を要求しているのでしょうか。

お礼日時:2012/06/09 00:41

そら



相互で思う

真意は真意に相当しないって

心理
からくる

とか...

かな?



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この回答へのお礼

そうなのですか。ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/09 00:39

わたしも苦手ですが、



「いえいえ」と否定してほしいからでしょうね。
否定してもらえるのを、あてにしているといいますか。

言わなくてもいいのに言うのは、偽善だからでしょう。
いいひとの気分になりたいのでは。

文化や習慣も、長く続くと形骸化してくるというのは、こういうことなんでしょうねえ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

でも、否定させる目的は何なのでしょうね。目的があるのだと思います。
目的がなければ、互いに無駄な会話だとは思いませんか。

お礼日時:2012/06/09 00:31

これらは、日本人的な発想による言葉だと思います。


なんといったらよいのか考えてみたのですが、そうとしかいえません。

ただ最近は、あなたのように欧米系の考えの方が広がってきているのも事実です。
よく、アメリカで事故をしても謝ってはいけないと聞きます。
日本人的な考えだと、とりあえず謝ってから話し合うという順序ですが、あちらでは「謝る=自分が悪いと認める」ということで、交渉で不利になるため絶対に自分からは謝りません。

日本には日本の、そして欧米系には欧米系の考えの妥当性があるので、どちらの考えがよいかという判断はここではしません。
ただ、「郷に入れば郷に従え」という考え方もあると思います。
欧米系のよいとこ取りだけをして、責任を果たしていない人が多い現状もあります。
お金がないからと国民年金保険料を支払いたくないという方がいます。
でもこういう人たちの中は、いざ年金をもらう段になって「何で自分の年金がこんなに低いんだ。これは国が悪いんだ。」とさも自分たちは悪くないと主張する人が多くいます。

義務に対して権利があるというバランスの取り方なのですが、これが近頃ないがしろにされていると私は思います。
そういう意味で、「欧米系の考え自体は否定しない。ただ、そういう方には責任も含めて行動全てを欧米系で統一して欲しい。」というのが私としての結論です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しかし、私には少々難しいので噛み砕いていただければ幸いです。

(1) 「日本人的な発想」とは具体的にどのようなものなのか。
(2) (1)がどうして、真意とは逆の言葉を言うことになるのか。
(3) (1)の「妥当性」とは何なのか。
(4) 私が挙げた例における「果たすべき責任」「義務と権利」とは、それぞれ何なのか。

(1)~(4)がご面倒であれば

(5) なぜあなた自身は、真意とは逆の言葉を言うのか。それを真に受けられてあなたが気分を損ねるのはなぜか

でも結構です。

なお私は、自分が悪いと思えば謝り、悪くないと思えば謝りません。これは欧米的でしょうか日本的でしょうか。あまり、人にレッテルを貼らないようにしていただければ幸いです。

お礼日時:2012/06/09 00:23

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