集中するためにやっていること

非行に走った青少年が更生した話の記事で、その少年がこんな事を言っていました。


「自由とは「勝手気まま」と言う意味で捉えてしまって、自由の本当の意味を履き違えていた。
自由とは、責任が同時に付きまとう事だったと知った。」(見たいな事を言っていた)


これによって少年が更生したのは良い事。と言うのは置いておいて、私の浅い知識では、「freedom」や「liberty」の日本語訳が自由なのは事実だが、自由の本来の意味は、中国で使われていた自由の意味で、「勝手気まま」「好き勝手」と言う意味だと認知しています。


つまり、「freedom」の日本語訳が、「自由」と言うのは誤訳だ。と言う主張は正しいとも思われるが、「自由を勝手気ままと言う意味で捉えるのは、意味を履き違えている」と言うのはむしろ、そういう認識の人が本来の意味を履き違えていると思うが、皆さんはどう思われますか。



ちなみに私は、先に言った通り浅い知識しかありません。私の認識の誤りなどもありましたらご指摘下さい。

A 回答 (8件)

>私の認識の誤りなどもありましたらご指摘下さい。



外来語を意味を原国の語源に求めるのがそもそもの誤りです(笑)。

日本に於いて用いられる「自由」の意味は中国語の自由ではなく、日本語の自由です。

例えば汽車は日本では蒸気機関車のような鉄道車輌のことですが、中国では自動車のことを指し、中国では蒸気機関車は火車になります・・・では汽車の「本来の意味」は何でしょうか(笑)?

日本の政治家が「遺憾に思う」と言っては韓国や中国で Net が炎上しますね(笑)・・・これも日本語と中国語、朝鮮語で「遺憾」の意味が違うからです。

I'm sorry はゴメンナサイでしょうか?・・・Sorry は「残念に思う」という意味ですが、悪いことをした米国人の子供が「I'm sorry!うぇーん!」と泣いたら「残念だァだと!フザンケンナっ!ぶつぞっ!」と怒りますか(笑)?

まぁ私も US で可愛い娘に「F◯ck You!」と怒鳴られて「Anytime Babe! How'bout tonight? (何時でもいいぞぉ、今晩なんかどうよ?)」と受け答えていましたが(笑)。

御質問者さんが仰る非行少年が中国語で「自由」という言葉を理解していたとは到底思えません・・・明らかにその少年は「自由」という言葉の意味を履き違えています。

「経済」という言葉は福沢諭吉が Economy という単語を日本語に訳すにあたって日本語にない言葉であることから頭を絞って考えだした造語であることは御存知でしたか?

日本で作られた造語が中国や朝鮮に輸出されている例はたくさんあるのですが、それらも今や現地で独自の意味に変わっているだろうと思いますよ。

http://www.catv296.ne.jp/~t-homma/dd040912.htm
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この回答へのお礼

>日本に於いて用いられる「自由」の意味は中国語の自由ではなく、日本語の自由です。

そうです。しかし本来の意味とは異なります。

ちなみに本来の意味の自由は中国由来ですが、当時日本にその言葉が輸入されてきた時の「日本語の自由」も「自由出家」「自由狼藉」と言う意味で、中国語の訳と同じ意味で使われていました。


つまり、日本語としての本来の自由の意味は「勝手気まま」と言う事が私が、wikiと言う馬鹿の一つ覚えで手に入れた知識です。


中国語の例えの汽車などの話は、私は良く分かりませんが、それも日本に入ってきた当初は「汽車=自動車」と言う言葉として輸入され、時代と共に「汽車=蒸気機関車」と言葉が変わったのならば、汽車の本来の意味は自動車です。回答者様のご指摘通りになります。もしもそうであれば、「自由の本来」もそれだけ飛躍した話と言う事で、私は何も反論する事はありません。


しかし、それは汽車と言う言葉が日本に入ってきた当時から「自動車」と言う言葉だった場合に限っての事で、汽車と言う言葉が日本に入ってきた当時から「汽車=蒸気機関」と言う言葉の使われ方ならば話は別です。自由の言葉に対しての反論もこれに該当しません。



>「経済」という言葉は福沢諭吉が Economy という単語を日本語に訳すにあたって日本語にない言葉であることから頭を絞って考えだした造語であることは御存知でしたか?

知らなかったです。「自由」もそのように誤った訳ではなく、造語として正確の意味で伝わるようにして欲しかったです。福沢諭吉さんはそれだけの能力があるのだから。

お礼日時:2012/06/20 09:17

 かねがね自由民主党の政治姿勢に疑問を抱いていましたが、質問者の意見を聞いて謎が解けました。

勝手気まま、好き勝手という意味だったんですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/20 09:18

国が違うと意味も微妙にあるいは極端に変わってしまいます free などは制約がない状態なんだろうね まず束縛があってそれのない状態だとおもわれ 日本語も同じではないかな? 少年が規律や束縛から自由になりすぎたので失敗したわけですね



アルコールフリーはアルコールの制約がない、ペイフォーフリーは支払う制約がない、無料・・みんな制約がまずありき ですね

ホントの外国語はそこで生活しないとわからないので 語学は苦労しますよね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/20 09:18

自由という言葉は多義的で、使われる場に


よって意味が異なる、ということでは
ないですか。

例えば、法的には、国家権力に束縛されない
ということですし、哲学的には本能に束縛されない
という意味に使われることが多いようです。
逆に、理性に束縛されないことを言う場合もあります。

無人島で、一人で生活している場合なら、勝手気まま
好き勝手、で何の差し支えもない訳です。
しかし、他人がいる社会では、勝手気ままを通す
ことが出来ないので、義務や責任が付着すると
なります。

だから、自由を勝手気ままと、一義的に定めたいのなら
社会における自由については、デリダがやっているように、
新しい言葉を創る必要が出てきます。
そうやれば、言葉はどんどん精緻になっていきます。
精緻になれば、それだけ表現が豊かになりますが、
あまり精緻になりすぎると、人間が処理しきれなくなります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/20 08:51

なかなか奥が深いご質問です。



「自由」の概念や語源は古いです。
仏教的には「解脱」に含まれる概念です。
語源的には「後漢書」や「魏志」にも見られますので、かなり古い言葉です。
思うままにふるまうと言う意味や、他から制約・拘束をうけないという意味でも用いられ、いずれも現代語の自由としても通用します。

ただ、日本語の自由を考える場合、これらの古い話は余り意味が無い様にも思います。

現在の日本語として定着した自由の意味付けは、明治維新頃に行われています。
この時代は「自由党」「自由民権運動」「板垣死すとも自由は死せず」など、「自由」が流行語だったと言っても良いと思いますよ。

これらの「自由」に、「勝手気まま」と言う意味を与えたら、特に板垣翁の最期の言葉などは、ただの「我が儘ジジイの捨てゼリフ」って感じですね。

この時代は、「自由」に、「自主」「独立」「自立」と言う意味も込めて用いていた様です。
また「四民平等」などの「自由民権」を、西洋的な新しい「思想」「概念」として、大歓迎で受入れ、流行語化したのではないでしょうか?

「freedom」や「liberty」を「自由」と最初に日本語訳したのは、福沢諭吉さん辺りが濃厚で、福沢翁でさえ「自由」と言う単語に悩んでいる点が、各所にみられます。

西洋事情に「自主任意、自由の字は、我儘放盪にて国法をも恐れずとの義に非らず。総て其国に居り人と交て気兼ね遠慮なく自力丈存分のことをなすべしとの趣意なり。英語に之を『フリードム』又は『リベルチ』と云ふ。未だ的当の訳字あらず」とあります。

また「liberty」の訳語として、「自主、自専、自得、自若、自主宰、任意、寛容、従容」などの語句を入れてみたが、これらでは「liberty」を言い尽くせないと悩んでいた様です。

とは言え、さすがは福沢翁で「自由と我儘とは動もすれば其議を誤り易し、学者宜しくこれを審にすべし」と、非常に的確な予言もしていますよ。

質問者さんの疑問の根底は、「自由とは、責任が同時に付きまとう事」と言う辺りに違和感があるのではないですか?
自由の反対語は「専制」「束縛」「統制」などが挙げられますが、「責任」ではないですからね。

「自由と言う権利を行使する上では、義務が付きまとう」なら良いと思いますが、「自由」に「責任」と求めれると、「それって不自由と言う状態では?」と考えざるを得ないです。

責任の反対は・・・無責任?
「権限」なども当てはまりますかね?
「権限を行使する上では、責任が同時に・・」は成立しますので。

いずれにせよ日本語の「自由」は、一筋縄ではいかない様です。
私なりに表現しますと、「個人の思いのままに行動しても、それが法律に触れず、社会からも受け入れられる、自立(自律)した理想的な状態」ってトコですかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/20 08:50

”本来”の自由には責任が付きまとう、という表現は、権利に伴う義務、ということだと思います。



”本当”の自由は、一切の義務がない代わりに何ら権利もない状態だと思います。
おそらく日本の法律には、そんな自由を認めるものはないと思います。
あるいは、”本当”の自由な人は国民として勘定されていない、と取ることもできます。

日本の法律に書かれている自由は、あくまで束縛を受けない権利の言い換えであり、それには当然義務が伴うだろう、という”本来”の自由を認めている、と。



職業選択に束縛を受けない権利、というと長いから、職業選択の自由、と呼ぶ、みたいな。

横断歩道で車道の中央分離帯の部分は安全島と呼ぶけど、車道上の横断歩道よりは危険が少ないから渡り切れない時などいざという時はここで待機する島、とは呼べないから大して安全じゃなくても安全島、みたいな。

漢字2文字が大好きな明治時代の日本人、ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/20 08:44

 libertyの語源はラテン語で「負債がない」ことだそうです。

近世までは、法律で保護された貴族の特権を意味していたといわれています。(分かりやすくするためバイアスがあります。詳しくは辞書でご確認ください)。

 同様に、漢籍起源の日本語にも、本来の意味からかけ離れて使われている場合がすくなくありません。

 自由に関して言えば、福沢諭吉が訳語として用いたのが広まったきっかけでした。明治初期、自由民権運動とともに、自由の語義は定着したと思われます。もちろん自由放縦など漢語の意味にちかい用例もないわけではありませんが、少なくとも教科書ではlibertyあるいはfreedomの意味で使っています。

 ラテン語や漢籍は、教養ある人士の共通の知的基盤となっていますが、あまり原義にこだわると原理主義のわなに陥るのではないでしょうか。

 回答者の意見に賛同するならば、個々の事例を指摘するより、まず「ラテン語と漢語の履き違え一覧表」を作成して世論を動かすことが必要でしょう。漢籍の素養のない回答者は、その内容に大いに期待しています。そこには歴史が刻まれていると思うからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/20 08:44

ルールに従った勝手気ままで、ルール違反は自由の範囲外です。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/20 08:43

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