街中で見かけて「グッときた人」の思い出

どうもこんにちは現在高校2年女子のガキです。

とつぜんですが本題です。

べつにとくになにかあった訳ではないのですが、
ふと最近、なぜこの世には罪とか罰があるんだろうと思いました。

すごい訳のわからないことですが気になってつい投稿してしまいました。

みんな違ってみんな良いなんていいますが・・言い方悪いですが・・・
死んでしまってもいいような、最低な人間はこの世にはやっぱりいます。
高校生でもわかります。

しかし、なぜそんな奴を殺すと犯罪といって罪になるのでしょうか?
仮に刑が軽くなっても結局やったほうが犯罪者で罪で罰をうけます。

もちろん人が死ぬことは良いことではありません

しかしなんだか理不尽というかんじがします。あと・・・まずなぜ人が人をあやめるといけないのでしょうか?

自然界の動物は共食いなどエグイことをしても罪だの罰だので群れからはぐらかされるようなことないですし、

いったい誰がこの世でそんなルールを作りここまで広がったんだろうか?

て思ってしまいます。



意味わかんないことを私は考えているかもしれませんが・・・

犯罪のいけない理由がよくわかりません
今は家族や知り合いが悲しむから罪を犯してはいけないと思っていますが。


本当はどうゆうことなんでしょう?



こんなことに答えてくれたらうれしいです(._.)

A 回答 (5件)

> 犯罪のいけない理由がよくわかりません



例えば、食糧だけを生産する世界を考えましょう。この世界で、盗んでokという場合を考えましょうか。

そうすると生活するためには、割合は多分人それぞれでしょうけれども、少なくとも社会全体でみれば、生産のための労力の他に、盗もうとする労力と、それを防ごうとする労力が消費されるということが分かると思います。

さて、盗みはNGという世界と比較すると、同じだけの食糧を生産するのに、盗もうとする労力とそれを防ごうとする労力が余計にかかる、ということが分かると思います。

こういう、労力の節約の観点から盗みは否定されます。しかし、その集団以外の人が作ったものを盗む、例えば略奪などはこの観点から否定されません。なので、戦争などでの略奪は、その地域を統治しようと考えていない限り、特に制止されたりしなかったりします。


長くなるのでやりませんが、殺人や詐欺なども、このような観点から考えれば禁止する方が合理的だということが分かります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました(._.)

犯罪をして悲しむ苦しいとなる感情やいけないことはわかります。
犯罪などの本質など機械的に見て思った質問だったたので
at9_amさんの回答が一番わかりやすく良かったです。

本当にありがとうございました!

お礼日時:2012/06/26 17:19

> いったい誰がこの世でそんなルールを作りここまで広がったんだろうか?



誰と言うワケじゃないですが、概ねの法律も宗教も、禁じてますね。
逆に言えば、人間も生物ですから、これをルール化しないと「人は人を殺すから」でしょうね。

ただ、人間は他の動物と違い「知性」があるので、仲間を殺さない方が良いと理解も出来るんです。
実際、このルールが出来たおかげで、人類が繁栄した部分もあると思いますよ。

違う言い方をしますと、「殺す場合のルール」も決めているとも言えますね。
戦争とか死刑とか、あるいは正当防衛なども、そのルールです。

別に質問者さんが殺さなくても、殺さなきゃいけない人は、法律が殺してくれるんですよ。

それと、質問者さんが一番大好きな人が、殺されたら・・・悲しいでしょ?
基本はソレだと思います。
殺された人がどんな悪人であっても、誰かが必ず悲しむんですよ。

「アカの他人が悲しんでも、私は知らない!」と言うのも判りますが、それなら周囲は逆をやっても構わないと言うコトも、認めねばならないですよ。

おまけに「悲しい」の先には、憎しみや恨みも産まれますね。
殺した相手に復讐するなども出てくるでしょう。
復讐された相手の周囲は、また復讐し・・って、キリが無いです。

そう言う悲しみとか憎しみの連鎖を断ち切るためにも、司法や行政などが介入し、復讐を代執行することが必要だと思いますよ。
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では逆にルールの無い社会、ルールの無い世界、があったとします。

そうしたらどうなると思います。

多分ですが、ものすごい競争というか弱肉強食の時代があっていずれルールができいくと思います。それが秩序というものです。

このときも、そして現在も人間を支配しているのは「欲望」特に「生存欲」だからです。

人間は生まれてきた以上「死にたい」思う人はほとんどいません。ルールがない秩序がない世界であれば、自分の生存のために人を殺すことも可能です。ちょっとした食料の奪い合いや水飲み場の順番程度でも死亡する事故が起こりえるでしょう。食料などがみんなに行き渡る十分な量があっても、です。
なぜなら、自分のことだけではなく「子供が空腹なので一秒でも早く食事を与えたい」というような状況もありえるからです。

本来なら争いが起きない、ちょっとした譲り合い、があれば解決する問題も「生存欲」がそれを邪魔します。
十分な量の食料があるのに、全員が生存できるのに、争いが起き人が死ぬようなことになるとどうなるか?
人々は武装するようになるのです。つまり「ヤラれる前にヤレ」ということです。

武装するようになると人々は集団を作るようになります。力の強い人や弱い人、武器の使い方のうまい人下手な人、女よりも男のほうが強く、子供よりも大人のほうが強いですから、力が強く武器の使い方のうまいリーダー的な人の下に人々が集まって、それぞれのリーダーの元に集団ができてきます。男も女も子供も老人も集団になって、他の集団に対抗するようになるのです。

さてこのような集団ができれば、そこにはルールが必要になります。高校だって中学だって(死を意識するほどの生存競争はありませんが)校則無しで生徒たちが学校生活を完璧に送ることはできないでしょう?それと同じで、集団の中には「弱いものを優先的に食事させる」とか「強いものと弱いものを一組にして行動させる」のようなルールができることになるわけです。

つまりルールは人が集団で生活する以上絶対に必要になってくるのです。ここに罪と罰の原点があります。

次に、ルールができると「ルールを守る」「ルールを守らせる」必要が出てきます。このときにルールを守るのは全員ですが、ルールを守らせるのはリーダーの役目になります。

ルールを守らない人を、集団のどこかで勝手に罰するとそれはリンチだからです。

質問者様のご質問の本質は「リンチ(私刑)はなぜいけないのか?」ということだと思います。

理由は簡単です。リーダー側(秩序を守り集団の維持と、集団としての利益を守る側)から見ればリンチをされると集団行動の秩序が大きく乱れるからです。

集団が安定し、安全に生活していてもその中の個々の人間の欲望は残ります。生活できるギリギリのレベルでありモノはすべて共同所有だったとしても、人間の「欲」は消えないのです。

特に人間の生存欲の根源には「子孫を残す」という部分があります。そうです、なにも盗りあうモノが無くても男たちには「女性」を取り合って子孫を残す競争が残るのです。

集団の中で一人の女性をめぐって取り合いが発生したとします。美しい女性なら取り合いもあるでしょう。そのとき、取り合っている男性の一人が、頭がよく残虐であれば、ライバルの罪をでっち上げリンチにかけることを考え付くかもしれません。
その際、その頭が良い男性にいつも良くしてもらっている老人や子供、事実上の部下(つまり武器の使い方や戦い方を習っている者たち)はその男性の言いなりになるでしょう。

こうなると集団のリーダーのほかに小さなリーダーたちが沢山生まれることになり、それらが勝手にリンチをし始めると、集団の中の信頼関係が無くなり集団が分解することになります。

集団が分解した場合、力のある武器の使い方のうまい男性や美しい女性たちは別の集団が喜んで引き受けるでしょうが、老人や子供・力の弱い大人・病人などはリーダーとともに元の集団に取り残されることになります。

こうなるとその集団は存続することができず、別の集団に滅ぼされてしまいます。別の集団からすれば、お荷物の「弱い生きていても仕方が無い連中」がいなくなり自分たちの分け前が増えるのですからこんなにいいことはありません。

簡単に言えば、リンチは集団としての力を弱くし、その集団を弱体化させるので「勝手に処罰すること」が禁止されるのです。

さて、私たちも日本国という集団に住んでいます。力の強い頭の良い人たちは「企業」という形や官僚・政治家という形でこの国のリーダーとして日本国の運営を担っています。大多数の一般の人は、それぞれの職業に就き、子供たちは小中学校は義務教育として高校以上は高等教育としていずれ集団の一員として役割を果たすことを期待され、勉学に励むことになっています。
老人は「役割を果たした」とされ老後を楽しむことができますし、病気の方や障害がある方も弱者として自分でできるかぎりの負担をし、万が一貧困にあえぐ事態になったら生活保護が受けられる、という仕組みになっています。

これが集団ということです。

この日本国という集団では先ほどのような簡単単純な集団というわけには行きませんので様々な犯罪が起きてしまいます。しかし犯罪そのものは「人間の欲望」であることはまったく同じです。

犯罪を裁くとき、先ほどの集団も日本国もリンチを許すわけには行かないのはまったく同じです。それはむしろ社会人よりも、学生である質問者様のほうがその怖さをよく知っているのではないでしょうか。(たとえば、先生に認められている優秀な生徒の発言を先生はよく信じて、事実と異なる人が罰を受けたり、先生自身が勝手な思い込みで気に入らない生徒を罰したり、などのことでその結果生まれるのは「不信感」というものだということです)

これらのリンチは「不信」しか生みません。日本のような膨大な人々が暮らす集団社会に「不信」が広がることほど、その集団の存在をそしてその集団の中で生活する個人を、危険に晒す行為は無いのです。

ですから最低な人間が犯罪を犯した場合でも、勝手に裁くことはできず、警察・検察・裁判という組織が対応し、法律というルールに則って間違いなく公平に裁き罪を償う、という方式になっているのです。


最近の人類文化の発展で面白いことが分かってきています。それは「武器により殺傷を含めた罰を与えることができるようになって、人類の集団規模は大きくなった」という事実です。

つまり武器がない時代は「人を罰する」のが難しかったので、犯罪の抑止が利かず、ひとつの集団は血縁者に限られていたものが「武器によって死刑にもできる」となって初めて複数の血縁者を有する大きな集団が生まれたということです。

人は極限状態になれば「生存欲」のために犯罪を犯すのです。東日本大震災で日本人が賞賛されたのはまさに「本来、生存欲で個人が暴走しパニックになるはずの極限的状態で、日本人は他人に対する信頼を忘れなかった」ということなのです。

また日常起こる犯罪も、社会は平穏でも犯罪を起こした個人は極限状態だったということでもあります(それがその個人の責任によるものなのか、社会が引き起こしたものなのかは分かりません)自殺起こる理由も同じです。

リンチは集団の信頼関係を壊す犯罪で社会に与える影響はとても大きいので、たとえ犯罪者が目の前に居ても勝手に罰することはできず、リンチ自体が犯罪になるのです。

自然界の動物には「信頼関係」はありません。あるのは弱肉強食の世界だけです。ただし、群れで狩りをする動物には集団行動時のルールがあり、それを乱すとリーダーから罰を受けます。
やはり動物といえども集団になれば、リーダーが居て罪と罰があるのです。
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”なぜこの世には罪とか罰があるんだろうと思いました”


    ↑
秩序を維持するためです。
秩序を維持しなければ、およそ社会というものは成り立ちません。
秩序がないと、文明も文化も育ちません。
皆が皆、敵だ、という社会になってしまいます。
どんなにヒドイ政治でも、無秩序よりは良い、という言葉があります。
秩序はそれほど重要で基本的なモノなのです。
だから、
秩序を維持する方向の行為を善と名付け
秩序を破壊する方向の行為を悪、と名付けたのです。
そして悪には罰という制裁を設け、秩序を維持しようとしたのです。

”誰がこの世でそんなルールを作りここまで広がったんだろうか”
     ↑
人間の歴史における試行錯誤の結果です。誰がという特定の人間が造った訳でもないし
広げた訳でもありません。
人間は秩序を欲している、という証拠です。

”犯罪のいけない理由がよくわかりません”
     ↑
犯罪を自由にしたら、秩序が保てなくなるからです。
だから、犯罪はいけないことだ、と定めたのです。

”まずなぜ人が人をあやめるといけないのでしょうか”
     ↑
秩序を維持する為の一環として、モノを盗ることも、人を殺すことも
いけない、そういうルールにしたのです。
ルールです。スポーツのルールと同じです。
野球で、三振したらアウトなのは何故なのか、なんてことを考えても
意味が無いのとおなじです。そういうルールなんです。

このように、犯罪というのは秩序を維持する為に人間が造ったルール
なのですが、実はこれは理論的な説明になっていません。
何故理論的説明になっていないのかは専門的になりますので省略しますが
学者は、この理論付けに苦労しているのです。
質問者さんが首を捻るのは当然です。

ウイトゲンシュタインという哲学者は、理論的説明は不可能だといいます。
なぜいけないのか、一緒に考えよう、これで精一杯だ、という学者もいます。
この問題は、宗教を持ってくると説明が容易です。
「神様がそう決めたんだよ」
で、終わりです。
しかし、神様を持ち出すと、今度は神様を信じない人には説明ができないこと
になってしまいます。

何しろ「いけない」というのが先にあって、それをどう理屈付けしようか
と悩んでいるのが現状です。
興味があれば、よいチャンスです。
勉強されてはいかがでしょうか。
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まあ、簡単に言えばですね、人間が「理性を持つ」生き物だからですよ。


他の動物は、「本能」で生きています、「自制心」はありません。
「理性」のある、人という集団が「社会」を作っている訳ですが、理性があるがゆえに「罪悪感」もある訳ですね、そして人には「知性」もあります、あるというよりは「発達している」が正解でしょうか。
で、他の動物でもそうですが「共食い」をする「脳の発達」した生き物は少ないですよね、「コミュニケーション」能力の発達した生き物は、自然に「ルール」を作るんですよ。
これは、「自分たちを守るため」です、人間は「自分たちを守るため」に理性による「いいわけ」として「罪」という考え方を作った。
人間の考える「罪」とは「何かを害する」事です、そして、その基本とは最初は人を害する事だったと思います。
さて、「罪」という概念を、人間は「自分たちを守るため」に作った訳ですが、それだけでは「抑制力」がありません、「すいません」や「ごめんなさい」と言うのも、ある意味「罰」なのですが「抑制力」にはあまりなりませんよね、そこで「対価を払う」という「罰」が生まれます。
これは「等価交換」であり「同等の物を渡す」ことです。
はっきり言えば「罪」と「罰」とは、「理性を持つ人間が、自分達の生活を害されない為に考え出したある種の言い訳であり抑制力」です、「知能」が高く「理性」のある人間だからこその考え方です。
理性があるという事は、抑制力もあるという事です、そして理性があるのは人間だけです。
そして「罪」と「罰」があるのは、これもまた人間だけです。
自分たちを害する物「罪」、それを抑えるための「罰」。
本来は、人間同士のいさかいや揉め事を抑える為のものです、「犯罪者」に限定するものではありません。
ですが、「感情」が強いのも人間です、「愛情」、「友情」様々な感情があります。
感情とは、理性であっても抑えられない面もあります。
貴女の言うように「ろくでなしの死んでしまってもいいような、最低な人間」も存在します。
ですが、最近よくある「理由無き犯罪」はどうでしょうか?
結果的に見れば、理由も無く人を傷つけた訳ですがその人は元々死んでしまってもいいような、最低な人間だったのでしょうか、そして「罪」はないのでしょうか・・・
そして「気に入らない」という理由で、他人や貴女に害を与えても貴女は許せますか?
長い事を書きましたが、最後に・・・
「犯罪のいけない理由がよくわかりません、今は家族や知り合いが悲しむから罪を犯してはいけないと思っていますが」とありますが・・・
もしも、貴女の兄弟、親、親族、友人、そして恋人が、貴女の大切な人を傷つけ殺害した場合、その人は貴女にとって今まで、「死んでしまってもいいような、最低な人間」だったでしょうか?
自分の身の回り、近い部分で考えてください。
そして、それに対しての「罪」と「罰」を考えてみてください。
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