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私は趣味で小説を書いているのですが、今度『小学五年生の女の子が、宇宙人の男の子をこっそり部屋(押し入れとか)で匿う話』を書こうと思ってます。
そこで主人公の女の子を、両親が共働きで帰りが遅いという鍵っ子という設定にすることにしました。
しかし私は母が主婦でずっと家にいたので、鍵っ子がどういうものなのかイマイチわからないんです。
小学生ということも踏まえて、どのくらい自分でやれるものなのでしょうか?
経験のある方、色々教えてくださると嬉しいです。

具体的には
・家事はどの程度までやっているのか
・夕食はどうしているのか
・どのくらい遅くまで一人なのか
このあたりが知りたいのですが、できるだけ他の部分についても教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 今と昔では変わる部分が有るかな。



 基本的に親が帰るのを待っている。どうしても遅かったら自分で食事を簡単に作って食べる。

 パートなどだとそれほど遅くなりませんので6時過ぎとかだったと。


 学童保育というのもあるけどね。


 小学校高学年とかだと調理実習などもあるので、有る程度出来るかな。学童保育ではカレーを作ったりしたので切ったりはできるかな。5年生だと出来る子供は出来るし、出来ないと全くかな。

 私自身は外で遊び、家ではテレビを見て過ごしていましたよ。再放送が多かったから。今はゲームで遊んだりしているね。

 小説ですから、最初は出来なくても次第に出来るように成るという定番の流れも可能でしょうね。


 卵とウィンナーと、まるしんハンバーグは良く焼いた。
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30代半ば、女性です。


私は生まれたときからずっと鍵っ子でした。
小学生の頃の記憶を掘り起こしてみますね。

>どのくらい遅くまで一人なのか
兄がいたので兄が帰るまでですが、母の帰宅は6時前くらいだったと思います。
また、母が遅くなるときはご近所さんや知り合いの家にお邪魔させてもらっていました。(親切な人の多い時代でした)

>家事はどの程度までやっているのか
うちはしつけの一環で、保育園のときから家事のお手伝いをしていたので少し多めかも知れません。
小学校の頃は、お洗濯物の取り込み、掃除機がけ、食事準備の手伝い、お皿拭きと片付け、簡単な買い物、お風呂掃除、ゴミ捨てなどを兄と分担してやっていました。

>夕食はどうしているのか
母が用意してくれました。母が遅くなるときや不在のときは、ご近所さんや知り合いのお宅で頂いていました。ちなみに朝食は自分で用意から食事、片づけまでしていました。


他に思い出すことといえば、

嫌だったこと:
・連絡網を、子どもの自分が回さなければならなかったこと。
・冬など、帰宅しても電気が点いておらず、自分で点けなければならなかったこと。
・おやつがなく、友達の家で手作りおやつを食べるたびなんとも言えない気分になったこと。
・朝、家を出るのが自分がいちばん遅く、いってらっしゃいを言ってもらえなかったこと。
・朝、起こしてもらったことが一度もなく、また、翌日の学校の準備や着る服の準備等もしてもらったことがないこと。
など。

良かったこと:
あまり思いつかないですね。。。
ただし、甘える状況になかったためか、勉強、生活共に優秀な子どもでした。変に冷めたところもあり、正直悪知恵も働いて、あまり子どもらしい子どもとは言えませんでした。
両親は仲がよく、父は妻がばりばり働くことに理解がありました。
両親とも休みが取れるときは学校を休んで旅行へ行ったり、週末は家族でたっぷり時間をかけて夕食を取ったりもしました。


と、こんなところでしょうか?
なんだか愚痴みたいになっちゃったかも。。。
参考になれば嬉しいです。
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アラフォーですが、物心ついたときから社会人になるまでほとんどずーっと共働きでした。

といっても、母親も仕事がちょいちょい変わっています。しかし、基本的に17時頃までの仕事でした。

・家事はどの程度までやっているのか

私が男の子というせいもあって、なーんもやりませんでした。せいぜいゴミだしと洗濯物の取り込みくらいです。洗濯物の取り込みといっても、所定の場所に山積みにするだけ。まれに気まぐれでたたむこともありました。

・夕食はどうしているのか

17時頃までには終わる仕事をしていたので、その後帰ってきてから母親が作っていましたね。

・どのくらい遅くまで一人なのか

そんなわけですから、まあ夕飯時くらいまでです。

私は幼稚園の頃からもう母が昼間働いていたので、昼間に母親がいないのが普通でしたから別になんとも思いませんでした。いわゆる学童というやつも行かなかったですね。自分で勝手に友達のところに遊びに行ったり、あるいは友達を自宅に呼んだりしていました。友達を作るのに苦労はしないタチだったので、遊び相手には困らずに済んだのは幸運でしたね。
もっとも、私は小2でひとりで電車に乗って出かけるほどだったので「親がいなくて困った」なんて記憶がほとんどありません。たまにカゼをひいて学校を早退したときも別に自宅で寝ているだけですから何も困らないですね。ただ、自宅に母親がいて車がある家庭の子は母親が車で迎えにきてくれたりするので、帰りを歩かなくていいので羨ましいなあとは思いました。しかしそのおかげでどんなに体調不良でも自宅までは歩いて帰れるタフさは身につきました。
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現在40の私は小学校5年生のときに・・・




>・家事はどの程度までやっているのか
朝のゴミだし、風呂掃除、雨がふれば洗濯物の取り込みなどが仕事でした。
買い物は当時7時までしかやっていなかったので、母の残業時は予め買い物指示がありました。

>・夕食はどうしているのか
母が6時が定時で当時6:30分~45分頃帰ってきていました。
なので基本、母が帰宅してから作っていました。
残業のときは母がほか当を買ってきたり、お惣菜を買ってきていました。
当時、中学生の兄が当番のときは兄と一緒にカレーやラーメンを作っていました。
今でも母があの時は驚いたと言ってくれるのが、小5の時に母が社員旅行から帰って来たときに炊き込みご飯(丸味美味の炊き込みご飯のもとをいれるだけ)、焼き秋刀魚、味噌汁(インスタント)を作り喜んでくれました。
この位は出来たみたいです。

>・どのくらい遅くまで一人なのか
母は原則6:30までです。
残業で一番遅くて21時くらいまで居なかったこともありますね。
それと当時は母は土曜出勤がありましたので土曜の半日居ませんでした。
私は小1から小3までは学童に入ってましたが、4年からやめていますので、大体15時半くらいからかぎっ子タイムで兄は中学生なので友達と遊んでいたので実際は殆ど一人でしたね。
「おしいれの大冒険」が好きなので面白い作品、待っています。
参考になれば。
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僕も鍵っ子でした。

もう40年近く前ですけど。

思い出すのは、鍵を開けて家に入ると「ジー」というか「シー」というような音が聞こえるんです。(聞こえるような気がするんです。)
この寂しさがいやですぐに外に出て遊んでました。

家事や夕食作りはやったことがありませんが、夏休みなどの長期の休みに入ると昔は学童保育がなかったので、僕が買い物に行き、姉がお昼を作るって状態でした。姉は小学5年生ぐらいから料理してましたね。

母が帰ってくるのが6時過ぎでした。
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