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先日、「神の存在を証明できるか?(改)」にて質問した者です。大変参考になりました。

ところで、今回は上の質問への回答の中に「進化論」についての見解が多かったので、その点を改めて質問させていただきます。

つまり、進化論が正しいと言える根拠を挙げてそれを証明できる方がいらっしゃいましたら、ご回答願います。





ところで、上の質問の際、進化論は突然変異によって生じ得るという回答があったので、No.33で私はこう返答しました。以下にそれを抜粋します。

再度のご回答ありがとうございます。

なるほど、研究者の方なのですね。貴重なご意見に感謝します。ご指摘のスーパー男性などの事例は大変興味深いと思いました。確か、食用バナナの染色体は突然変異によって生じた三倍体となっていて種ができなくなったということを本で読んだことがあります。大抵、突然変異体は奇形であまり有用なものが生じないらしいのですが、この種なしの食用バナナの場合は(人間にとって)有用な結果を生み出した事例として挙げることができると思います。

しかし、スーパー人間にしても三倍体のバナナにしても、結局のところ種の範囲内で起きた変異に過ぎず、依然として種と種を隔てる壁を越えるというのは困難であると考えます。例えば、受精する際に、卵子のバリアを破るための「起爆剤」を精子が持っていて、それを使って精子は卵子の中に侵入できると文献で読みました。そして、その「起爆剤」というのは種によって異なっており、種の異なる精子と卵子では結びつかないようになっているとのことでした。これは一例に過ぎませんが、このように種と種を隔てる壁は極めて堅牢にできているように感じます。研究者の方であれば、もっと詳しい知識をお持ちのことでしょう。

そのような超えがたい種の壁を考慮した時、染色体の違う子を生み出すほどの突然変異が生じるという可能性があるとすれば、一体どのような理屈で生じ得るのか、その理論はどうなっているのでしょうか。多分、そのような事例は未だ報告されていないと思うので、せめてその理論が説明されてしかるべきだと考えます。ご研究なさったND5の変異は「染色体の数が違う子(つまり親とは異なる新生物)を産み出す」ほどの突然変異をもたらすことを本当に示していますか。

(以上、抜粋終わり)




具体的な私の疑問としては、「染色体の数が違う子(つまり親とは異なる新生物)を産み出すほどの突然変異」が本当に生じ得るのかということです。それを証明できる方はご回答お願いします。または、単に意見でも結構です。あるいは、逆に「種を隔てる壁を越えることはできない」ことを証明できる方はいませんか。合わせてご回答お願いします。

A 回答 (69件中21~30件)

No.41で保留させていただいていた「種の壁」について、ここで説明しておきます。


「種の壁」と言う時、質問者の方はその壁を現存種と別の現存種の間に設定されていませんか?
進化論では現存種から別の現存種へ進化することはありませんから、仮にそのような壁があったとしても進化には関係ありません。
現存種と別の現存種の間の違いがどのようにして生まれたのかについて、進化論の解釈を説明することは可能です。しかし進化論ではその違いを生じる際に壁越えを想定しませんから、どのようにして壁を越えたのかと言われても説明のしようがありません。

進化の過程のどこかに質問者が壁だと考えられているものを定義して下さるのであれば、それをどのようにして超えたのかについて一つの否定できない可能性を示すことはできます。しかし、地質学上の証拠が無い限りそれが本当に辿った路なのかどうかを検証することは不可能です。恐らく路は沢山あって実際辿った路は思いもつかないようなものかもしれません。従いまして、仮に一つの可能性を示したとしても、示したものが真実である可能性は低いと思います。前出の染色体数の場合のように、現存種の中に変化の可能性を示唆するものが見つかれば説明はし易くなりますが、それは稀なことです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.46の回答にてようやく「断続的な進化」の意味が分かりました。そこで挙げられていた「肺」のように、最初は不完全なものが、徐々に完全なものへと変化していったということでしたね。例えば、「人間にもかつてはしっぽがあったが、それは世代を追うごとに短くなっていき、最終的には完全に消失してしまった」というような説明なのでしょうか? なるほど、ようやく進化論の見解を正確に理解できました。具体的な例が挙がったので理解できたのですが、粘り強く解説してくださったことをまず感謝いたします。

それで、この正確な理解を踏まえてですが、私はやはり断続的な進化というものはあり得ないと考えました。その理由は、「親は同じ遺伝子を持つ子を産む」からです。

遺伝子というのは、生物の固有の特徴を特定する設計図であることはお分かりかと思います。そして、その設計図は親から子に受け継がれるわけです。もちろん、親と子はクローンのような意味で100%すべてが同じ設計図ではありません。しかし、顔や肌の色や身長といった身体的特徴を司る遺伝子の部位は同じ箇所にあり、その部分の遺伝情報に違いがあるに過ぎません。

つまり、人間には人間特有の遺伝子の「型」があり、他の生物には他の生物特有の遺伝子の「型」があるということです。ですから、「ヒトゲノム計画」では、人間の遺伝子情報を解析したわけですが、その特定の部位を調べることで、例えばある特定の病気にかかりやすいとかかかりにくいなどといったことが分かるというわけです。人類にはそのような共通した遺伝子の「型」を共有しているからこそ、そのような解析が有効なのです。

ですから、その「型」の範囲内であれば、様々な変化が起きる可能性はあります。(顔や肌の色など。)しかし、その「型」は厳密に親から子に受け継がれます。これが「種の壁」と私が言ってきたものと考えてよいでしょう。

それで、観察や研究に基づく事実は親から子に遺伝子が受け継がれる時に、その「型」がわずかでも変化するということを支持しているでしょうか? それとも、私が思うに、「断続的な進化」という理論は、前にも述べましたが、まず「生物は進化したに違いない」という考えを大前提とし、「もしそうなら、それは断続的に徐々に進化したに違いない」と言っているのではないでしょうか? そして、「なぜ進化したと言えるのか」と聞くと、「断続的に進化したから」と答えるのでしょうか?

私も専門の研究者ではないので、すべての研究結果を知っているわけではありませんが、今までの観察や研究は特定の生物の遺伝子の「型」をわずかでも変化させる「断続的な進化」を支持しているでしょうか? 

お礼日時:2012/08/03 11:51

> つまり、「1000万年」などの時間的な要素は全く無意味であり、


> 生化学的に、また物質的に、遺伝子学的に、通常観察されている「遺伝の法則」
> に反して、進化論が主張するような変異が起き得るのかが説明されなければなりません。
> それは可能ですか?

一例でも良いですから、
進化論のどこが遺伝の法則のどこに反しているとお考えなのかを
明確に指定して頂けるなら、説明可能だと思います。
それを明確にして頂けないなら、説明不可能です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.49のお礼をご覧ください。

お礼日時:2012/08/03 11:52

> 「徐々に」というのは物事を曖昧にしているだけであり、


> 長大な時間さえかければ少しずつの変異でも進化できるというのは、
> 理論としてはあまりにも大雑把すぎます。
> 具体的に、いつからどのようにそのような
> 「大きな変異(上で述べたようなエラや性別や肺や羽根ができたような)」
> が起きたのかを説明していることにはならないのでは?

進化論では「どこかの時点」で大きな変異が起きたとは考えませんから、
それを進化論によって説明することはあり得ません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.49のお礼をご覧ください。

お礼日時:2012/08/03 11:52

> 一体どの時点で単細胞生物にエラができ、また雄雌の性別が生じ、


> あるいは肺呼吸になり、また羽根が生えたのでしょうか? 

例えば「肺」がどのように発生したかは、リンク先Wikipediaを参考にして下さい。
進化論では、肺は僅かにしか機能しない初期の状態(リンク先によれば酸素摂取面として機能する消化管腹壁)から完全に機能する肺になるまでの間、少しでも機能の高いものが生き残る様にして少しずつ完成されて行ったと説明します。ですから、少しずつ肺呼吸を利用する割合が高くなって行って最終的に肺だけで呼吸する様になったのです。

> それを「大きな変化」と言わずに何と言いますか?

肺が無い状態と完全な肺がある状態では大きな違いがありますが、それは長い時間と多くの世代を経た結果です。「何処かの時点」では大きな変化はありません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/肺#.E8.82.BA.E3.81.AE.E8.B5.B7.E6.BA.90
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.49のお礼をご覧ください。

お礼日時:2012/08/03 11:53

> それは違います。

むしろ、私は、「そのような突然大きな変異が起きるのでもない限り、
> どのようにして、単細胞生物が魚に、爬虫類に、鳥などに進化し得るのか」ということを
> 尋ねているのです。

「そのような突然大きな変異が起きるのでもない限り」

という、誰も想定していない仮定は、無駄ですからやめませんか?ということです。
質問者の方は、ご自分のこの仮定に振り回されているように思います。
そのような仮定をすることに何の意味があるのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.49のお礼をご覧ください。

お礼日時:2012/08/03 11:54

> 後半の計算についてですが、2.3億年かければ、すべての種においてその期間内の


> いずれかの時期に「種の壁を越える大きな変異」があり得るということで
> 大体よろしかったでしょうか。

全く違います。進化論が正しいかどうかを語る前に、進化論を正しく理解して下さい。

進化論ではいずれかの時期に大きな変異が起きることはありません。
大きな変化は2.3億年の中のどこにも起きません。
進化論ではいずれかの時期には小さな変化しか起きません。
認知しがたい微細な変化が2.3億年の間累積されるだけです。
大きな変化は2.3億年の間の累積結果に過ぎません。
変化の内容は無視して変化の大きさだけを数字で表したとして、一年あたり平均0.001ずつ変化し、2.3億年経った時に23万の変化になっていた、という場合、何処の1,000年を取ってみても、1前後しか変化していない、ということです。

微細な変化がランダムに起るだけなら、累積しても行ったり来たりするだけであまり大きな変化にはならないでしょう。それを大きな変化に方向づけるのが、環境による淘汰圧です。環境の淘汰圧によってある方向に変化が累積されたとしても、目標に対して部分最適になる場所に到達してしまったら、そこで変化は止まるでしょう。変化が止まらないのは目標である環境自体が動いているからです。「環境」のうち最も影響が大きいのは、その生物と利害関係のある他の生物です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.49のお礼をご覧ください。

お礼日時:2012/08/03 11:54

>「平均で」230年に1度の頻度で、ここ最近の2.3億年の間にそのような変異があったのではないかと


>私は言ったのですが、たとえそれが「50万種が100万種に」という場合でも、やはり「平均で」
>460年に1度ということになり、頻度としては人類史の長さからすると十分に観察し得る頻度で
>はないでしょうか。

これはご自分に対しての突っ込みかな?
そろそろ科学カテの新記録ですよね(^^;

「頻度」という言葉から明瞭に判りますが、
ある日突然犬が猫を生むのが進化論という妄想から
早く抜け出せることを祈ってやみません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.49のお礼をご覧ください。

お礼日時:2012/08/03 11:54

> 要するに「1000万年」ほどの長い時間をかければ進化は起き得るという考えなのでしょうか?



1000万年は進化論にとっては長い時間ではありません。カンブリア爆発のようなことが起きるにはあまりにも一瞬です。しかし、アウストラロピテクスから現代人までが400~200万年だそうですから、1000万年もあればいくつかの種は生まれるかもしれません。「種の起原」の言葉をそのまま引用するなら、「種は他の(祖先の)種から認知しがたい微細な暫時的変化によって生じた」ということです。少なくともダーウインはそう考えています。まずは進化論を正しく理解して下さい。進化論を正しく理解できない限り、進化論が正しいかどうかを考えても無駄です。

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お礼後半の計算について、進化論ではどう考えるか、という質問ですから、進化論ではどう考えるかをお答えします。
他の部分は大雑把に良いとしても、

> ここ最近の2.3億年÷100万種=230年に1度は

という計算が、進化論の考え方と決定的に違います。
その計算は、夫々の種で大きな変移がある時突然起きることを前提にしています。
質問者の方は、「ある時突然進化が起きる」という誤った進化論を払拭できていないように思います。
進化論では、「種は他の(祖先の)種から認知しがたい微細な暫時的変化によって生じた」わけですから、進化がある時起きるということはありません。ここ最近の2.3億年に100万種が変化したことを進化論の解釈で述べるなら、
「ここ最近の2.3億年の時間を費やして、50万種の生物が各々平均2種に分岐した」となります。
3種に分岐したものも分岐しなかったものもあるかもしれませんが、それに要した時間は等しく2.3億年です。

恐らく質問者の方は、ある時突然大きな変移が起きるという事実は無いと考えられていると思います。
進化論も、ある時突然大きな変移が起き、それによって進化が起きたとは考えません。
私も同じです。
誰も想定していない仮定を前提にして質問するのは無駄です。
ある時突然大きな変移が起きたことを前提にする質問はやめませんか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

後半の計算についてですが、2.3億年かければ、すべての種においてその期間内のいずれかの時期に「種の壁を越える大きな変異」があり得るということで大体よろしかったでしょうか。

それで、「平均で」230年に1度の頻度で、ここ最近の2.3億年の間にそのような変異があったのではないかと私は言ったのですが、たとえそれが「50万種が100万種に」という場合でも、やはり「平均で」460年に1度ということになり、頻度としては人類史の長さからすると十分に観察し得る頻度ではないでしょうか。

それに、この計算について不思議なのは、種の数が増えれば増えるほど「大きな変異」が生じる数が増えるということです。しかし、事実は最近ではそのような「大きな変異」は見られず、大体は過去にそのような変異は起きたとのこと。それは計算とは合致していないように思えます。それとも進化はすでに止まったということ??

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>恐らく質問者の方は、ある時突然大きな変移が起きるという事実は無いと考えられていると思います。進化論も、ある時突然大きな変移が起き、それによって進化が起きたとは考えません。私も同じです。誰も想定していない仮定を前提にして質問するのは無駄です。ある時突然大きな変移が起きたことを前提にする質問はやめませんか?

それは違います。むしろ、私は、「そのような突然大きな変異が起きるのでもない限り、どのようにして、単細胞生物が魚に、爬虫類に、鳥などに進化し得るのか」ということを尋ねているのです。(そして、そのような大きな変異は起き得ないのだから、進化論の理論は正しくないのではないのか、ということが言いたいわけです。)

「断続的な進化」が起きたとしても、一体どの時点で単細胞生物にエラができ、また雄雌の性別が生じ、あるいは肺呼吸になり、また羽根が生えたのでしょうか? それを「大きな変化」と言わずに何と言いますか? 

「徐々に」というのは物事を曖昧にしているだけであり、長大な時間さえかければ少しずつの変異でも進化できるというのは、理論としてはあまりにも大雑把すぎます。具体的に、いつからどのようにそのような「大きな変異(上で述べたようなエラや性別や肺や羽根ができたような)」が起きたのかを説明していることにはならないのでは?

つまり、「1000万年」などの時間的な要素は全く無意味であり、生化学的に、また物質的に、遺伝子学的に、通常観察されている「遺伝の法則」に反して、進化論が主張するような変異が起き得るのかが説明されなければなりません。

それは可能ですか? 

お礼日時:2012/08/01 10:19

これまで確認できていることを箇条書きにしてみます。


 1) 突然変異によって一世代で新種が発生するとは考えていない。
 2) 種の内側で累積選択淘汰は起きている。
 3) 累積選択淘汰で、染色体の数が変わることもある。
 4) 現存種の範囲を超えるような変移は現存の生物の中には見当たらない。
以上、質問者のお考えは進化論と矛盾しません。

今回、2つのことを説明させて頂く必要があるのですが、焦点がぼけて質疑応答が循環することを避けるため、敢えて説明が簡単な方一つだけに焦点を絞ります。

> 通常観察されることに反して、種の範囲を越える変異が起き得るということの方こそが証明されるべきではないでしょうか?

「種の範囲を越える変異」の定義は次回に先送りするものとして、
種が別の種になったと感じられる程に大きな変移が「通常観察される」ことは、進化論から見ればむしろ殆どあり得ません。
観察されない方があたりまえですから、「反して」いない、という答えになります。
「通常観察される」程度の時間幅で、種が別の種になったと感じられる程の変移が仮に自然に起きたとしたら、その方が進化論にとって脅威でしょう。
わずか1000万年程の間に多くの進化が起きたと考えられていた「カンブリア爆発」は、その進化の期間が訂正されるまでの間、進化論にとって謎だとされていました。1000万年というごく短い期間に多くの進化が起きるということになれば、変移はゆっくりしか起きないという進化論の原則が崩れかねないからです。この「わずか1000万年」と比べて、「通常観察される」期間が更にどのくらい短いのかを想像してみられると良いと思います。人為淘汰による強力な淘汰圧が加わっていたとは言え、犬が種の中で変化するのにどれ程の時間を要したでしょうか。No.25の方のショウジョウバエの場合は、交配できなくなるまでにどれ程の時間を要したと考えられるでしょうか。No.38のアカネズミの染色体数がどれ程の時間で変化したのかは不明ですが、恐らく犬が各種に変化するのに要した時間とさほど変わらないのではないかと思います。これらの時間は、前記「わずか1000万年」と比べるとどうでしょうか?

進化論の考え方については何度か説明させて頂いているので上記はお分かりかと思いますが、ご理解頂けないようでしたら再度説明を考えます。ご理解頂けるようでしたら「もう一つ」の説明に移りますのでどちらかお知らせください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

要するに「1000万年」ほどの長い時間をかければ進化は起き得るという考えなのでしょうか? 人類史が約数千年と考えた時、そのくらいの時間幅では進化は起きないということですが、例えば1000年かけても起きないことは1万年かけても起きないのでは? さらに、1万年かけても起きないことは10万年かけても、・・・1000万年かけてもやはり起きないでしょう。

ですから、長大な年月さえかければ通常起きないようなことでも起きるとは言えないと思います。なぜなら、種を超えるということは時間的な要素によるのではなく、遺伝子構造の大きな変形という物理的要素が関係しているからです。後者が説明されなければ、1000万年という長大な時間的要素も全く無意味です。

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さらに、これは私の個人的な考えですが、地球ができて46億年とのこと。その後いつ生物が生じたかは分かりませんが、最初の1種類の生物から現存する100万種の動物に分化したとしたら、それまでにどれくらいの頻度で大きな変異が起きたのでしょうか。

100万=約2の20乗なので、20回(世代)の大きな変異があったと単純計算できます。それで、地球年齢46億年÷20=2.3億年となり、1回の大きな変異が生じる年数が出ます。

しかし、「1回」というのは、その当時存在するすべての種の数に当てはまることであり、例えば、最初の変異では1種類が2種類になり、次の2.3億年後には2種類が4種類に、次の2.3億年では4種類が8種類に・・・といった具合です。

それで、現存する動物が100万種として、ここ最近の2.3億年の間にこのすべての種について大きな変異があったと考えることができます。それで、ここ最近の2.3億年÷100万種=230年となります。ですから、ここ最近の2.3億年の間に平均230年に1度はこの地球上でそのような大きな変異があったということになるのです。

であれば、そのような大きな変異があったとすれば、数千年の人類の歴史の中でも観察できるほどの頻度であるはずです。計算の根拠となる数字や計算方法にも異論があるかもしれませんが、進化論の場合、その点をどのように試算していますか?

お礼日時:2012/07/30 09:23

一点、確認させて下さい。



> その過程である程度の変異が起きることは観察により知られていますが、それは飽くまで種の範囲内でのことにすぎません。

この一文は、変移の原則について述べられているのか、それとも現存する種間に観察される事実について述べられているのか、どちらですか?

即ち、
A. 増殖の過程で起きる変移は種の範囲内でなければならない。
B. 現存種の範囲を超えるような変移は現存の生物の中には見当たらない。

のどちらの意味でしょうか?それともどちらでもない別の意味ですか?
もし前者(A)(或はAB両方を含む)の意味だとすると、No.39後半の回答で説明させて頂いた様に、現存する複数の種間の違いを参照せずに「種の範囲内」を決める「種の壁」の位置を定義して頂かなくてはなりません。後者(B)の意味なら観測される種と観測される変移について事実を語っている訳ですから、これに制約されません。No.39後半をご理解頂いているとすれば後者(B)を意図されているのだろうと思いますが、合っていますか?
後者(B)は、進化論が予測することと一致しています。
前者(A)を意図されているなら、No.39後半の意味を再度説明させて頂く必要があるかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

これはそう難しく考える必要はないと思います。つまり、犬からは犬しか生まれず、猫からは猫しか生まれないということです。しかし、例えば、犬の中には様々な犬種がいて、大きさ、色、模様、性質など様々ですが、やはり「犬」であることに変わりはないわけです。

ですから、私の見解としては基本的にBでよいと思いますが、先回示した「遺伝の法則」から考えるなら、結論はAと考えても差し支えないとも思います。むしろ、通常観察されることに反して、種の範囲を越える変異が起き得るということの方こそが証明されるべきではないでしょうか?

それにしても、どのようにして、例えば単細胞生物が魚に、魚が両生類に、爬虫類に、鳥になり得たのでしょうか。それにはかなりの劇的な変化がなければ難しいと思うのですが。

お礼日時:2012/07/29 09:15

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