プロが教えるわが家の防犯対策術!

A代表を観ていると、本田、岡崎、長谷部、内田、長友、吉田…らの個の力は凄い高いように感じます。

北京五輪だけ観ていなかったので、内容が分からないのですが、

3連敗して谷底と呼ばれていたのが信じられません。

実は内容的に悪くなく、当時から実力はあったのでしょうか?
それとも、ここ数年で一気に覚醒したのですか?
当時を知っている人の意見を聞きたいです。

A 回答 (5件)

こんにちは。

 

北京五輪代表は2005,2007年のユースワールドカップ出場のメンバーが中心で大きな期待をもって送り出したチームでした。 しかし予選リーグ、いずれも接戦ながら敗れてしまいました。

その時、メンバーだったDFの吉田麻也選手は『大会直前に強豪のアルゼンチンに接戦ながら敗れ、これが後を引いてしまった。』と述懐しています。 この大会、アルゼンチンは圧倒的に強く、あの『メッシ』選手が大活躍し、優勝しています。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AA% …

この大会にはOA枠を使用せず、全員が初のオリンピック出場でした。 このため、コンディションの持って行き方、それぞれの試合の入り方に失敗し、あっと言う間に予選リーグが終ってしまったようです。

この大会などの反省から
●今回、北京代表の吉田麻也選手とアテネ代表の徳永悠平選手をOA枠で起用しています。 起用の目的は短期決戦におけるコンディション調整に対するアドバイスでした。

●前回の反省から事前の調整マッチはニュージーランド、ベラルーシそして最後に強豪のメキシコと事前のスカウティングに沿った対戦相手を組み、調子に乗せることに成功しています。

●直前のトゥーロン国際でDF陣が崩され大量失点し、予選敗退。 そこで吉田、徳永両選手を起用して守備固めに成功したのです。

●オリンピックには独特の雰囲気があって、FIFAの年代別のワールドカップとは違っている。 これを再認識し、オリンピック経験者を加えることを決めた。 これが今回の大躍進に繋がっています。

しかし結果は出ませんでしたが、北京代表選手は個々には素晴しい能力の持ち主たちです。 あのメッシのいる優勝チームのアルゼンチンと接戦をしたのは大きな自信になっており、それが今の成功に繋がっているのです。 

最後に付言をお許し下さい。 試合には出ていませんが、香川真司選手も飛び級でメンバ-に選ばれています。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D% …






 
かっぷ
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こんにちは。

 #4の再入場です。

> 当時から実力はあったのでしょうか?

このチームは05,07年ユースのワールドカップで活躍した選手で固められており、既に一度世界大会を経験した選手たちでした。 ですから世界レベルと自分達の差も既に認識し、十分な準備を持って大会に臨んでいます。 特に05ユースの経験者はリオネルメッシやクィンシーアベイュ(当時オランダ現ガーナ)といった超人的なテクニックを持つドリブラーとも対戦しており、じゅうぶんな準備をしています。

懸念されていたのは反町監督が世代別を率いて世界大会に出場した経験がなく、短期決戦の入り方、特に緒戦の入り方に不安がありました。 それとこのメンバーは全員23才以下の選手で占められており、オリンピック経験者が監督コーチの中にもいませんでした。 

三戦全敗に終り、グループ最下位で予選敗退しました。 やはり緒戦のアメリカに1-0と敗れたのがすべてでした。 この試合、勝ち点を確保すべく守備の意識を持って臨み、後半途中までは0-0で来ましたが、後半の37分にボルトン選手の侵入を許し、角度のないところから押し込まれて失点。 もっと積極的に攻めても良かったと悔やまれます。 結局緒戦に敗れてしまいました。 

敗因はいろいろありますが、緒戦にコンディションを合わせられなかった点が最大の要因です。 オリンピックは大会も二週間。 サッカーは中二日で六試合戦うと言う超過密スケジュールです。 こういう短期決戦は緒戦の結果が大きく影響します。 緒戦に敗れ、結局選手は良いところを何も出せず終ってしまいました。 

同じグループにいた米国、ナイジェリア、オランダの選手の現時点での活躍ぶりを見れば日本は米国やナイジェリアを凌いでおり、オランダにも劣ってはいません。 選手の潜在能力とグループの試合結果は比例はしていません。 質問にもご指摘のように本田、岡崎、李、森本、吉田、細貝、内田、香川と現在立派にヨロッパの一流のクラブで大活躍しています。 能力的にはオリンピック当時から高く、期待は大きかったのです。 

ただ緒戦に敗れ、調子の波を掴めず、あっという間に予選リーグが終ってしまった。 素晴しい素材を持った選手が何も出来ずに大会が終っていた。 そんな印象を持っています。 
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おはようございます。



北京五輪の男子代表・・私見ですが、試合をあまり思い出せないのです。印象が薄いというか。才能ある若手がいるのに、おとなしいイメージがありました。笑顔もあまりなかったようです。

シドニーでは中田ヒデや俊輔・中澤など、アテネでは大久保や松井・闘莉王みたいな「個性が強い」?選手がいましたが北京ではリーダーもいなかった感じでした。

三選全敗で最下位でしたが、銀メダルのナイジェリアと1-2。金メダルのアルゼンチンと延長までもつれた強豪オランダに0-1、そして成長著しいアメリカに0-1とそれなりに「対抗」はしていたのですが、「勢い」や「躍動性」に欠けていたイメージがあります。チームもまとまっていなかったようです。

監督やスタッフにも責任はあるでしょうが、「チームとして未熟だった」と思います。クラブでも主力を張っている選手も少なかったように思います。

しかし、北京の「挫折」は選手たちに大きな「財産」をもたらしたようです。唯一の「海外組」のプレイメーカー志望だった本田圭は、髪を金髪の染め「点を取りに行く」姿勢に変わりました。香川もセレッソで一皮向けて活躍しだします。長友にしても、吉田マヤにしても、李忠成・岡崎にしても北京後に「自分が進む道」を自覚しだしたようです。みんなJリーグでのプレーに変化が見られました。とにかく「個」を前面に出し始めました。梶山とか谷口や西川や豊田や森重にしても今はすっかりJクラブの中で躍動して欠かせぬ選手になっていますね。十分A代表に入ってくる可能性がありました。長谷部は五輪代表にさえ選ばれていませんでした。

北京五輪は日本・韓国・オーストラリア・そして地元中国とアジア勢はすべて予選リーグ敗退の憂き目をみましたが、それぞれにとって敗戦の悔しさが「糧」になった大会ともいえますね。その意味ではU23とフル代表という違いはありますが、なでしこと同じかもしれません。勝利より「敗戦」の方が選手を成長させるのかも知れません。
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長谷部は世代的にはアテネ組ですが...


上記の選手で、予選初期からレギュラーだったのは本田ぐらいで、それ以外はほとんど直前からレギュラー入りした選手ばかりです。
ちょうど伸びるところで代表入りした選手が多かったというところでしょう。

あとはいくら伸び盛りの選手が多かったとしても五輪直前に選手を入れ替えすぎたのと、オーバーエージの選手を誰も呼べなかったのも一因だと思います。
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サッカーほど監督の采配力が表に出るスポーツはない


つまり選手の実力云々ではなく ザックの采配が良いということ
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